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婚約者に「君とのキスは、きっと甘い」と囁かれて、砂糖を吐きました(※本当に出ます)

作者: こはく
掲載日:2026/04/28

 ミレーナ・シュガレイン公爵令嬢には、ひとつ困った体質があった。


 甘い言葉を聞くと、口から砂糖が出る。


 比喩ではない。

 本当に出る。


「ミレーナ。君を見るたびに思う。朝の光は、君に似ているから美しいのだろうね」


「ごふっ」


 さらさらさら、と白い砂糖がティーカップの受け皿に降り積もった。


 向かいに座る王太子ノエルは、満足げにうなずいた。


「粒が細かいな。上質だ」


「評価しないでくださいませ」


 ミレーナはハンカチで口元を押さえた。隣に控える侍女が、慣れた手つきで銀皿を差し出す。


「本日は粒が細かくて、お菓子向きでいらっしゃいます」


「品質確認も不要です」


 この体質が発覚したのは、ノエルと婚約したばかりの頃だった。


 初めて王宮の庭園で茶を共にした日、ノエルが何気なく言ったのだ。


「君の笑顔を見ると、春が来たような気がする」


 その瞬間、ミレーナの口から小さじ一杯分の砂糖が出た。


 王宮は大騒ぎになった。

 医師も、魔術師も、神官も呼ばれた。


 この国では、人の体に少量の魔力が宿ること自体は珍しくない。火を起こしやすい者、水に親和性のある者、植物を育てるのが妙に上手い者。そうした小さな性質は、家系や本人の感情に結びつくことがある。


 ミレーナの場合は、甘い言葉に反応して魔力が糖へ変換される。


 以上。


 治療法はないが、命に別状もない。

 ただし、非常に恥ずかしい。


 以来、ミレーナは甘い言葉を徹底的に避ける努力をした。褒め言葉は聞こえなかったことにし、恋愛小説は禁書扱いし、舞踏会では天気と音楽の話だけで乗り切ろうとした。


 それなのに。


 それなのに、である。


 婚約者が、国で一番甘い言葉を吐く男だった。


「ミレーナ、君と過ごす一日は短い。君に会えない一日は、やけに長い」


「殿下、どうかお控えくださいませ」


「努力はしている」


「している顔ではございません」


 さらさらさら。


 砂糖が増えた。


 ミレーナは一度、本気で婚約解消を申し出たことがある。


「殿下。私はこのような体質です。王太子妃として問題があるかと」


 ノエルは首をかしげた。


「どこが?」


「甘い言葉のたびに砂糖が出るのです」


「うん」


「公務中に出たらどうするのです」


「茶会なら助かる」


「外交の場では」


「我が国の豊かさを示せる」


「議会では」


「和やかになる」


「戦場では」


「兵糧になる」


「なりません!」


 思わず声を荒げると、ノエルは不思議そうに瞬いた。


「君の口から砂糖が出ることを、私は少しもおかしいと思わない」


「本当ですか」


「もちろんだ。乳牛は乳を出し、鶏は卵を産む。生き物が何かを生み出すのは自然なことだ」


「殿下」


「うん」


「慰め方が最悪です」


 ノエルは、少しだけ考え込んだ。


「すまない。では言い直そう」


「お願いいたします」


「君は牛や鶏よりもずっと美しい」


「比較対象を変えてくださいませ」


「難しいな」


「難しくありません」


「いや、私が間違えていた。君の美しさを何かと比べること自体が難しい。君は君だから美しい」


「――っ」


 さらさら、とまた砂糖が落ちた。


 ノエルの目が少しだけ嬉しそうに細まる。


「やはり、私の言葉は君の心に届いているのだな」


「そういう解釈をしないでくださいませ」


「違うのか?」


「……違わないのが悔しいのです」


 さらに砂糖が落ちた。


 ノエルは楽しげではあったが、ミレーナを馬鹿にしたことは一度もなかった。


 ある夜会の席で、隣国の貴公子が近づいてきた。


 金髪に青い瞳の、いかにも令嬢たちが騒ぎそうな美しい青年だった。以前からミレーナに関心を寄せていたらしく、王太子が少し離れた隙を狙ったように声をかけてくる。


「シュガレイン嬢。噂は聞いております」


「噂、でございますか」


「甘い言葉に反応されるとか。ならば、私にも少しは機会があるのではないかと思いまして」


 声は穏やかだった。

 けれど、その目には、どこか試すような色があった。


「あなたは月より美しい。星よりも輝かしい。今宵の広間で、誰よりも愛らしい」


 何も出なかった。


 しん、と空気が止まる。


 貴公子の顔が引きつった。


「……出ない?」


 そのとき、背後から低い声が落ちた。


「決まっているだろう」


 ノエルだった。


「どんな甘言でも、ミレーナの心に届かない言葉は、甘くない」


 静かにミレーナの隣に立つ。


「ミレーナ。君が嫌なら、私が退ける。君が傷つくなら、私が守る。だが私は、君のすべてを愛おしいと思っている」


 胸の奥が熱くなった。


 ミレーナは口元を押さえる。


 さらさらさら。


 今までで一番細かく白い砂糖が、静かに降り積もった。


 ノエルはそれを見て、隠しきれない喜びを瞳に浮かべた。


「出たな」


「出ました……」


「嬉しい」


「そこは、よかった、くらいに抑えてくださいませ」


「無理だ。私の言葉だけが君を甘くするなら、私はかなり嬉しい」


「そういうところです」


 さらに砂糖が落ちる。


 周囲の令嬢たちがざわめいた。


「本当に愛されると出るのね」

「殿下は本当にミレーナ様を愛していらっしゃるのね」

「いけないわ。見ているこちらが砂糖を吐きそう」


 ミレーナは恥ずかしさのあまり、その場から消えたくなった。


 けれど、ノエルは堂々としていた。


「皆に誤解のないよう言っておく。彼女は砂糖を出すから価値があるのではない。私が彼女を愛しているから、たまたま砂糖が出るだけだ」


「殿下」


「そして、この砂糖は彼女のものだ。本人の許可なく菓子に使うことは許さない」


「そこも宣言なさるのですね」


「大事なことだ。君のものを、勝手に誰かへ渡したくない」


「……そういう言い方をなさるから」


 さらさらさら。


 また増えた。


 その日から、ミレーナの体質を面白半分に試そうとする者はいなくなった。


 ただし、王宮には新しい制度ができた。


 王太子による甘言は一日三回まで。

 公務中は禁止。

 外交儀礼の場では事前申請制。

 砂糖が出た場合は、本人の許可なく使用してはならない。


 ただし、これはあくまで努力義務であり、明確な罰則はない。


 ミレーナはその通達を見て、額を押さえた。


「罰則がないのでは意味がないのでは?」


「そうだな」


 ノエルは真面目に答える。


「私は放っておくと制限を守れない」


「自覚がおありなら抑えてくださいませ」


「努力はしている。だが、君があまりに素敵な女性だから、言葉がこぼれてしまう」


 さらさら。


 ミレーナは無言で銀皿を見た。


「……殿下」


「うん」


「今ので本日二回目です」


 沈黙が落ちる。


 やがてノエルが、少しだけ身を寄せた。

 耳元へ落とすように、そっと囁く。


「ミレーナ」


「はい」


「君とのキスは、きっと甘いのだろうね」


「――っ」


 ざああああ、と音を立てて砂糖があふれた。


 銀皿からこぼれ、テーブルクロスの上に白い山ができる。


「やめてくださいませ!」


「まだ三回目だ」


「回数の問題ではありません!」


 顔が熱い。

 逃げ場がない。


 ノエルは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「では、今夜、確かめても?」


「確かめなくて結構です!」


 その夜、王宮ではさらに追加の通達が出された。


 王太子と婚約者の接触距離について、暫定的に三歩以上を推奨する。


 なお、これはあくまで推奨である。

 罰則はない。


 翌日、王太子の寝室から角砂糖が大量に発見された。


 侍従長は眉間を押さえ、医師団は真剣に記録を取り、菓子職人たちはそっと計量器を用意した。


 ミレーナは真っ赤な顔で何も語らず、ノエルはただ一言だけ答えた。


「甘かった」


 詳細は、公式には発表されていない。

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