キスの軌跡
「はぁ~、脳みそ、こぼれなくてよかったぁ♪ただでさえ少ないのに零したら大変♪」
「優花さん・・・」
「うん?」
「階段から落ちて言う台詞がそれかぁっっっ!!馬鹿たれっっ!!」
「ぎゃうっ!!」
「病院では静かにっ!」
美人看護婦さんを怒らせると恐いですな、まったく。
先生をかばって、階段から落ちてからすぐに救急車で運ばれた。
始終意識はあったけれど、健太郎は救急車の中でずっと手を握り締めてくれて。
一方の真由羅は付き添ってくれていたけど、ずっと口を閉ざしたままだった。
まずった。
完璧にアレを見られてしまった。
手当てを受けて診察室から出れば、私の姿を見つけて反射的に立ち上がる健太郎と、私の方を見ずにただ冷たい床を睨み続ける真由羅の姿があった。
私の明るい声を聞いても、真由羅は頑なに私を見ようとはせず、その様子に健太郎は不思議そうな顔をするけれど、決してそれを問うことはなく、私はただ苦笑いを浮かべて健太郎を見た。
「頭打ってるからしばらく様子見るのに入院しなきゃいけなくなってさぁ。精密検査とか受けなきゃならないみたい」
「そうなの?じゃあパジャマとか必要なもの持ってきたほうがいいよね?」
健太郎はそう言うと、黙ったままの真由羅の方を向いて、気を遣ってか、明るい声で言った。
「鶴来先輩、一緒に優花さんの家まで荷物取りに行ってもらえませんか?俺、優花さんの家知らないし」
気を遣ったつもりだろうが、健太郎は確実に墓穴を掘っている。
真由羅は顔をあげないまま静かな声でつぶやいた。
「知らない」
「えっ?」
「私も優花ちゃんの家、知らない」
真由羅の言葉を聞いた瞬間、健太郎は驚いたように私に振り返る。
私はどうしようもなく、ただ健太郎をみて苦笑いをした。
健太郎が驚くのも無理はないだろう。
あれだけ始終一緒に居て、これだけ仲のいい私と真由羅なのに、真由羅は私の家を知らない。
それは当然、私が避けてきた内容だったからだ。
真由羅は誰よりも私のそばにいる。
けれど、誰よりも私のことを知らない。
シーンと気まずい沈黙が三人を包む。
健太郎はその重たい空気に耐えかねたように自分の頭をポリポリとかいた。
「大丈夫かね?」
そんな沈黙を破ったのは第三者の声だった。
その聞き覚えのある声に真由羅はようやく顔をあげて声の主を見る。
私も健太郎もそれに釣られるように声の主を見た。
「じ・・・爺様」
真由羅が戸惑った声をあげる。
その人こそ、鶴来家現当主、鶴来虎之助、真由羅の祖父だった。
後ろに数人の若者を従え、和服を着こなすその姿は威厳があり、顔に刻まれたシワは長く生きてきた時を思わせる。
白髪だらけの髪に、白髪のヒゲ。
鋭い視線が真由羅を射ていた。
「やぁ、じいちゃん久々」
私が気軽に声をかければ爺さんは真由羅から視線をはずして私を見ると、頭に巻かれた包帯をみて目を細める。
それからもう一度真由羅を見ると、ツカツカと歩み寄って・・・
パンッ!
次の瞬間には真由羅の頬を殴っていた。
「この馬鹿者が!それでも鶴来家の血を引くものか!人、一人守れず何が世継ぎだっ!」
現状を飲み込めない健太郎はただ唖然とした表情を浮かべ、私は慌てて二人のもとに駆け寄る。
「じいちゃん!真由羅は悪くないよ!ただ私が勝手に落ちただけだっ!」
「優花は黙ってなさいっ!この馬鹿な孫にはしっかり言って聞かせなければならんのだっ!」
「じいちゃん!待って!」
「いいや!待たぬ!」
「待てっつってんだろうがっ!頑固ジジイッ!」
「口が過ぎるぞ優花っ!」
私の話を一向に聞こうとしない爺さんに、私はギッと睨み付けて声を張り上げた。
「黙らぬかっ!虎之助っ!私の話を聞けと申しておろうっ!私に逆らうことは許さぬっ!引けっ!」
私の言葉に爺さんは一瞬驚いた表情を浮かべるも、すぐに真由羅から離れて小さく私に会釈する。
普段とは違う私の口調に、真由羅も健太郎もただ唖然と私を見た。
私は一度真由羅を見て、ふっと笑みを零すと、もう一度会釈したままの爺さんを見る。
私は吹っ切れたかのように先程と同じ口調で、先程より穏やかな声で言った。
「すまぬ虎之助。先刻、真由羅にアザを見られてしまった。もう隠す必要はなくなったのだ。真由羅に当たるのは止してくれ」
「・・・それではもうお話なされたか?」
「いや、まだこれからだ。立ち話も老体に堪えよう。個室を用意してもらったからそちらでゆっくり話すとしよう」
私の申し出に爺さんは深くお辞儀し直すと、後ろに群がっていた若者達に席を外すよう促す。
若者達は小さく会釈して、シュッとその姿を消した。
「な・・・何がどうなって・・・」
一人、現状についてこられない健太郎がつぶやけば、爺さんは鋭い視線で健太郎を見る。
「この者は?」
「私の恋人だ。彼にも話を聞いてもらいたい。一緒にきてもらってもかまわないか?」
「し・・・しかし、彼は一般人ですぞ」
「彼は口が堅い。平気だ。健太郎、一緒に来るか?」
私の問いに、健太郎はただ理解できないまま頷いた。
「忍者っ?!」
健太郎の驚きの声に私はベッドの上で静かにうなずく。
病室に移って、私と真由羅、健太郎と爺さまの四人が向き合うように座ってから話し始まった。
まずは健太郎に真由羅と爺さんの正体を明かす。
江戸時代から続く忍者の血筋。
それが真由羅達、鶴来家のお役目。
それを話すと健太郎は驚きながらも、真由羅の運動神経の良さにようやく合点がいったようだった。
「忍者の血を継ぐ家は大きく分けて四つある。北の玄武軍水鏡家、東の青龍軍椿家、西の白虎軍金城家、そして南の朱雀軍鶴来家」
そこまでの説明に、爺さんが深く頷く。
真由羅は相変わらず黙ったまま私を見ずにただ説明だけを聞いていた。
「家筋の役目は里を統一し、忍者を育てる仕事にもう一つ、四神の力を受け継ぐ役目がある」
「四神の力を受け継ぐ?」
オウム返しに聞いてくる健太郎に、私はゆっくりと頷いて話を続けた。
「鶴来家の場合は朱雀の力。里には家筋の中でも後継者のみが出入りを許されるほこらがある。後継者が18の歳を迎えると同時に、その受け継ぎの儀式が行われる。力を受け継いだものはその里を治める新たな頭領となる」
「それは絶対に受け継がなきゃならないものなの?」
健太郎の言葉に私はただ静かに頷く。
そんな私の代わりに今度は爺さんが口を開いた。
「受け継がなければ神々の力はほこらから溢れだし、この大地を揺るがす災いとなる。阪神淡路大震災がいい例じゃ」
「えっ?!あれって受け継ぎを拒否したからあんな災害が起こったってことですか?」
驚きを隠せない健太郎が問いただせば、爺さんはただ冷静に頷いて再び口を開く。
「そういった災害を防ぐために我々の血筋が必要になってくる。我々の中で特に選ばれしものが、神の器となりて、その身を持って神の力を制御する」
少し一般人の健太郎には難しい内容だったかもしれない。
けれど健太郎は自分なりに理解したようでただ静かに話を聞いてくれていた。
頭がいいと理解も早いのだろうか?
頭がいいと逆に頭が堅くて理解しがたいことばかりのはずだが、健太郎はそんなこともないようで、それなりに私たちの話を聞き入れていた。
その時、ようやく今まで口を閉ざしていた真由羅が話し始める。
制服のネクタイを緩め、ブラウスのボタンを一つずつはずしていく。
「・・・血筋の中でも特に選ばれた者だけがその力を得ることができる。選ばれし者・・・それを証明するのがこのアザよ」
そう言いながら真由羅は何の迷いもなくブラウスを取り払って下着姿になった上半身を健太郎に見せる。
その左肩には私の体に先ほど浮かび上がってきたアザと同じ形、朱雀の形をしたアザがあった。
「本来は私が後継者になって、来月迎える誕生日に儀式をする予定だった・・・なのに・・・どうして優花ちゃんにまでそのアザがあるの・・・?それに・・・胸にあったアザは・・・あれは・・・間違いなく“黄龍”の・・・“異端”のアザ・・・」
ようやく私を見た真由羅は哀しげで、泣きそうになるのを必死に耐えながら私に問う。
私は表情を変える事無く、真っすぐに真由羅を見て話し始めた。
「ここからは真由羅の知らない話になる。知っているのは爺さんと古くからの重臣達だけだ・・・」
そう言いながら窓の外を見る。
空はとっくに暗くなっていて、下弦の月だけがやわらかく浮かんでいた。
「おめでとうございますっ!女児にございますっ!」
私が生を受けたのは、当時まだ父が鶴来家の当主として里を治めていた時だった。
強くも優しい、里の人たちに慕われる父と、穏やかに微笑む優しい母との間に生まれ、すべての人から祝福を受けた。
「オマエに似て美人な子だ!見ろ、目元がオマエにそっくりだっ!アザも確認した!立派な娘になるぞっ!」
「あら、耳はアナタに似ているわ。きっと素敵な子に育つわよ。元気な子に育ってね●●●」
「なんだ、もう名前をつけたのか?私に相談もなしに」
「あらいいじゃありませんか。可愛い名前でしょう?ねぇ、●●●ちゃん」
「まぁ、この子にピッタリだからいいか。●●●、私が父親だよ?わかるか?」
「生まれたばかりの子にわかるはずありませんよ。まったくアナタは」
「おっ!見ろ!●●●が笑ってる!可愛いなぁ」
「ふふっ、親馬鹿さんな父親ですこと」
私は誰からも愛されすくすくと育っていった。
三歳になるあの時まで・・・
「ととしゃまとははしゃまわ?」
「お父上とお母上はお役目に出ておいでだよ。じぃが相手じゃつまらんかね?」
「ううん。じじしゃまもすきっ」
「ははっ、●●●は可愛いことを言ってくれる。どれ、ジジが抱っこして・・・」
「・・・?じじしゃま?」
「っ!●●●!お前っ!牧野っ!牧野っ!」
「はっ、ここに。いかがなされましたか?」
「コレを見よっ!●●●の胸元に“異端”のアザがっ!」
「・・・なっ!馬鹿なっ!●●●様は朱雀の世継ですぞっ!?世継に“異端”のアザなど聞いたことがないっ!」
「・・・じじしゃま?なぁに?」
「っ牧野!」
「はっ!」
「この子を・・・牢へ幽閉せよ」
「っ?!ご正気でございますか虎之助様!?●●●様は朱雀の世継ぎで在らせられますぞ!」
「それ以上に“異端”のアザはあってはならぬことっ!よいかっ!このことは他言無用じゃ!この子の両親にもだっ!」
「な、なんと言い訳を・・・」
「・・・悪いがこの子は殺されたと伝えよ。何処の侵入者が世継ぎであるこの子を刺殺したと・・・」
「っ・・・御意。●●●様、参りましょう」
「やっ!ととしゃまとははしゃまがかえってくるのまちゅのっ!」
「っ!許されよ●●●様っ!」
「やぁぁあぁっっ!」
それは突然だった。
成長すると同時に浮かび上がってきた“異端”のアザ。
四神のどの神にも値しない、しかし、その中心として統べる力を持つ“黄龍”。
“黄龍”を宿すものは五百年に一人と言われるほど稀なる存在。
四神の中心となる絶対の存在。
古くに伝わる“黄龍”を宿した人物が、この世に破滅と崩壊をもたらした。
“黄龍”とはすなわち“禍”の神。
“存在してはいけない”証。
「やぁぁあぁっっ!!たすけてぇっ!ととしゃま!ははしゃまっ!わるいこしてごめんなしゃいっ!いいこにしてるからっ!やぁっ!たすけてぇぇっ!!」
三歳児の私には理解のできないことだった。
里の離れにある、誰も近寄ることのない森の中。
薄暗く狭いその場所は、手も届かぬ場所に明かりを取り込む小さな鉄格子の窓があるだけで、薄手の掛け布団と、備え付けられた廁、一本の蝋燭だけが唯一の明かり。
結界の張りめぐられた牢は、外からのみ開けることが許される。
食事を運んでくる女中以外は人と接することのないそんな場所。
嘆いても叫んでも誰も助けてはくれなかった。
くる日もくる日も、喉が枯れるまで叫び助けを求め、涙が出なくなるほど泣き続けた。
「ととしゃまぁっ!ははしゃまっ!たすけてぇっっ!!」
闇の森に、ただ叫び声は掻き消されていった。
「・・・おはよう」
「あ、お・・・おはようございます。お食事を・・・」
「そこに置いておいて」
「あ、いえ・・・あの、今日はお体を拭きに・・・」
「・・・そう」
そう言って、警戒しながら牢に入ってくる女中から視線をそらす。
牢に入って四年が過ぎた。
いつしか助けを請うこともやめ、自分の立場を理解しはじめる。
私は“異端児”で“いらない子”。
しかし誰かの手で“殺される”ことができない。
私が完全に“黄龍”を宿しているから。
“黄龍”は他の神とは違い、生まれた時からその身に宿っている。
アザが浮かび上がってきたのは完全に私が“黄龍”の器になっているから。
神を宿す器が壊れると、神は行き場を無くし災害をもたらす。
だから私は殺されない。
自ら死を選んでもいけない。
ただここで寿命がつきるのを待つしかない。
ただここで、死をまつしかないのだ。
私の体を拭く女中の手はかすかに震える。
人に言わせれば私は化け物だ。
いつ殺されるかと思うと恐ろしいのだろう。
七歳ながらにしてそれを理解している自分がいた。
ふいに、懐かしい笑い声が聞こえる。
ふと、立ち上がって鉄格子ごしに外を覗けば、明るい木漏れ日が差し込む中に、見たことのない女児を連れて歩く父と母の姿を見つけた。
「とと様・・・はは様・・・」
私が小さくつぶやけば、女中は慌てながら私の後ろから外を見る。
父と母の間に立って手を繋いでもらっている子に目が行った。
「ねぇ、あの子誰?」
「あ・・・えっ・・・そのっ・・・」
「誰?」
もう一度尋ねる私に、女中は声をふるわせながら答えた。
「三年前にお生れになった、アナタ様の妹君に在らせられます・・・」
妹?
私の姉妹?
そう思うと、とたんにうれしくなって女中に詰め寄った。
「私の妹なのかっ?!私のきょーだいっ?!」
知らなかったとはいえ、新しい家族に私は心をはずませる。
会いにきてはくれないだろうか?
私に、姉の私と話をしてくれないだろうか?
これほどまでに会いたいと思った人は久しぶりだった。
きっと会うことなんか許されない。
でもあの子と遊ぶことを想像すると、次から次へとうれしさがこみあげてくる。
「名は?!私の妹の名はなんと申す?!」
詰め寄る私に女中は怯えたように顔を伏せて、それから小さく震えた声で言った。
「真由羅様です・・・」
「・・・何を・・・何を言っている?あの妹の名を聞いているのだ・・・」
「あ・・・ま・・・間違いありません。・・・アナタ様の妹君は真由羅様と申されます・・・」
「なんっ・・・どうして・・・だって・・・真由羅は・・・真由羅は“私”の名だ」
『真由羅ちゃん、私が父親だよ?』
どうして・・・父様・・・母様・・・
私の名前をあの子に付けたの・・・?
毎日のように鉄格子の外に見える三人の姿。
楽しそうな笑い声が聞こえる。
どうしてあそこで笑っているのが私じゃないんだろう。
どうして私は愛されないんだろう・・・。
どうして・・・あの子が存在するんだろう。
憎い
憎い
憎い
憎い
あの子が憎い
愛し愛され
私がもらえなかった沢山の愛を
あの子が私から奪った
私からすべてを
あの子を殺してやる
あの子を殺してやる
あふれだす憎悪を止めることはできなかった。
「久しい顔だ・・・ジジイ」
「口を謹め異端なる者よ」
突然訪れた解放。
父と母がお役目中に不慮の事故で亡くなったのがきっかけだった。
妹の真由羅には受け継ぐ力があらわれず、新たなる後継者の生まれる可能性がなくなった。
つまり正当な後継者が私だけになったのだ。
「異端の血が受け継がれることは許されぬこと。しかしながら、朱雀の器を絶やすことできぬ」
身勝手な大人の言い分だった。
私はただ老いぼれた血の繋がるジジイを見て吐き気を覚える。
そんな私の悪態に、爺さんは目を細めて私を見た。
「爺さまぁ♪」
ピリピリとした雰囲気に、突然聞こえてくる幼い声。
人一倍綺麗な着物を身につけたあの子が、爺さんの姿を見つけて無邪気に足元に抱きついてきた。
「ま、真由羅!なぜここにっ!」
「爺さまが歩いてた~♪真由羅ついてきたー♪」
何も知らずに無邪気に微笑む彼女をにらみつける。
こいつさえ・・・
こいつさえいなければ・・・
「あなただあれ?」
牢のなかに居る私に彼女がきょとんとした顔で私に尋ねる。
同じ名前の私に名乗らせて恥をかかせるつもりなのか。
そう思うと、ふいっと視線をそらして荒々しく言い放った。
「言うか!オマエなんかあっちいけっ!」
私が怒鳴ると彼女は一瞬驚いて、それから爺さんの顔を伺うとバタバタとその場から駆け出していく。
その姿を見送った爺さんはまた私に向き直って静かに話し始めた。
「あの娘に黄龍の力を渡しなさい。オマエはまた鶴来家の跡取りとして家へ迎え入れよう」
なんだって・・・?
黄龍の力をあの子に渡すだと?
器も持たぬ人間に力を譲渡することは、それはその人の死を意味する。
この生活から抜け出し、なおかつあの憎くてたまらなかった子が死ぬ・・・?
このうえない幸せだった。
ようやくツキがまわってきた。
幽閉されて早くも四年の月日が流れようとしていた。
黄龍の力があってか、私は子供ながらにして頭の回転が速かった。
しかしそれはただ自分が他の子供と同じように愛されたいと・・・そんなあさはかな子供の願い。
「いつ・・・渡す」
「明日にはすべてを整えておこう。明日、迎えをよこす」
「わかった」
ほくそ笑む私に爺さんは少しだけ身を震わせて、その場を去っていく。
あと数時間もすれば私は自由だ。
私を牢に放り込んだ爺さん。
私の存在を知っていながら誰一人助けてくれなかった重臣や女中。
すべて殺してやる。
私を蔑ろにした罪をそのちっぽけな命で償わせてやる。
「あいっ!」
私が物思いにふけっていると、先程聞こえてきた幼子の声が再び聞こえてくる。
見ればあの子が汚れた手をこちらに差し出している。
なんだろう?
意味のわからない彼女の行動に、無意識に彼女に近寄ると、彼女は無邪気な笑顔を私に向けて土で汚れた手の中のものを私に差し出した。
「ゆーかちゃんにあげるっ!」
それは雑草と同じように並んで咲いているような、小さな小さな白いシロツメクサだった。
「・・・ゆーかって?」
「えー?アナタのお名前じゃないの?」
そんな風に名乗った覚えはない・・・
そう考えていると、ふと、さっき彼女に言い放った言葉を思い出す。
彼女は私が言った『言うか』という言葉を『ゆうか』という名前だと思い込んでいたのだ。
「あいっ、あげるっ!」
もう一度笑顔でそう言ったその子に私は小さくありがとうと言って受け取る。
出ることを許されなかった外には、私が知らない間に春が訪れていた。
そのちっぽけな、幼子の手で摘み取られたその花は半分しおれている。
「・・・春の匂いがする」
私が小さくつぶやけば、彼女は嬉しそうに笑って私を見る。
「もーいっこあげるっ!」
「・・・?」
そう言って、着物の裾から出した小さな巾着袋。
紐をもじもじと慣れない手つきで開くと、私に背を向け、次に振り返った瞬間・・・
「えいっ!」
ひらひらと
白く
淡いピンク色の花弁が
暗やみの牢に舞う。
ひらひらと
優しく
さくら舞う
「きれー?!」
舞散る花弁の向こうに見える少女の笑顔はあまりにも眩しくて・・・
目が眩む・・・
「・・・ゆーかちゃん?ごめんね・・・?嫌いだった?」
「・・・違う・・・違うんだ・・・。嬉しい・・・」
「ほんと?・・・どうして泣いてるの?」
なんて自分は汚いんだろう・・・
こんなに純粋な子を殺したいと思ってしまった。
ずっとこの子を憎んでいたのに・・・。
ひどいことも言った
ひどいことを考えた
なのに彼女は、私に・・・笑いかけてくれた
私を喜ばせようと・・・
「どっか痛いの?真由羅、悪いことした?」
泣き止まない私に幼い手が私の頬を撫で、涙を拭ってくれる。
「いたいいたいのー、とんでけーっ」
私を心配してくれる。
私はただその幼い手の温もりを頬に感じながら・・・
自分の心の氷が溶けていく感覚を受ける。
この子が殺されるなら、私は化け物のままでいい
大人の事情でこの子を殺させはしない。
たった一人の妹を、誰にも殺させはしない。
化け物と言われてもいい。
異端とささやかれてもいい。
私は生涯、この子を守りぬこう
父と母が残してくれた、最初で最後の味方だ。
「真由羅・・・」
「なぁに?」
「真由羅・・・ただ一つ約束しよう」
「うん?」
「今日私と会ったことは忘れて、次にまた再会したとき・・・そのときは私と遊んでくれるかい?」
「うんっ!いいよっ!」
「ありがとう真由羅」
私は礼を言うと、真由羅の顔の前に牢のなかから手のひらを向ける。
次の瞬間、真由羅の体はその場に崩れ落ちて動かなくなった。
「・・・おやすみ真由羅・・・。今度会った時は・・・またユウカと呼んでね・・・」
『優花』
あなたのくれたその名前で
私はまたアナタのもとへ戻るから。
「その後、解放された私は七歳にして黄龍の力を持ち、朱雀の力も手に入れることになる」
私の話にただ呆然と、愕然とする真由羅に、私は鋭い視線で真由羅を見ると、はっきりとした口調で言った。
「鶴来家八代目当主鶴来真由羅。“異端”なる者が朱雀と黄龍、二つの神の力を手に入れた、異例の人物。それが本当の私。如月優花は存在せぬ人物であり、私が作り上げたもの。現在、鶴来真由羅の名を語る者は、現当主の実の妹であり、その役割は・・・現当主である私の『影武者』である」
「っ?!」
ここまではっきりと言えば、真由羅は勢い良く立ち上がり、私の顔を驚きと戸惑いの入り交じったような表情で見つめる。
私が無表情なままで視線を合わせれば、真由羅はたまりかねたように視線をそらして小さく呟いた。
「ごめん・・・頭冷やしてくる・・・」
小さくそう呟いたかと思うと、シュッと音を立てて真由羅の姿が消える。
「優花様・・・」
真由羅の姿が消えたのと同時に、爺さんが私を呼ぶ。
いくら先代と言えど、現当主である私のほうがうえだった。
「今まで私の代わりに里を治めてくれてありがとう。今後どうするかはまた追って伝えよう」
「承知しました。では私はこれで・・・」
そう言って爺さんの姿が真由羅と同じように病室から消えた。
シーンと静まり返った病室に、健太郎と二人きりになる。
なんだか気まずくて窓の外を眺める。
面会時間はとっくに過ぎていたが、健太郎は帰ることもなくただ静かに私のそばにいた。
「優花さん」
長い沈黙が健太郎の発言によって破られる。
私は観念したように健太郎の方に振り向いた。
少し、驚いた。
どんなことを言われてもいいように、覚悟はしていたけれど・・・
健太郎はただ静かに、優しい瞳で私に微笑んでくれた。
「な・・・なんだよ・・・」
私がしどろもどろに尋ねれば、健太郎は小さくははっと笑って、椅子から腰を浮かせると、私の頭を自分の胸元に引き寄せる。
トクン・・・トクン・・・
穏やかな健太郎の心音が、やけに耳の近くで聞こえた。
「ありがとう」
「・・・礼を言われる意味がわからん」
「ふふっ・・・そうだね・・・でも・・・本当にありがとう」
「馬鹿かオマエは・・・」
「うん。優花さんの話は全然理解できなかった」
「そりゃそうだ。一般人には縁のない話だから」
「そうじゃない」
「・・・え?」
健太郎の言葉に疑問の言葉を投げ返せば、健太郎はすぐには答えずに私をぎゅっと抱き締めてくれた。
「優花さんの話は漫画や小説の中の話みたいで、正直現実味はないよ?・・・でもさ、俺はよかったよ」
健太郎は言葉を切って、抱き締める腕の力を緩めると、顔をあげて私と視線を合わせる。
間近に見る健太郎の顔は綺麗で、まっすぐな瞳に吸い寄せられそうになる。
「『如月優花』という存在が、俺にはすごく大切だから。たった一人、俺みたいなちっぽけなやつだけど・・・。アナタがいてくれて本当によかった」
息が詰まる。
存在を疎まれ、生きることさえ否定され続けてきた私という存在が、彼は必要だとささやいてくれる。
「き・・・キザ男めぇっ・・・」
「ぶふっ!素直に泣けば?」
吹き出しながら言う健太郎の言葉に素直に従うように、ポロポロと涙がこぼれはじめる。
健太郎の胸元に顔を押しつけて、叫びたくなる泣き声を噛み締める。
「うっ・・・ふぇぇ・・・うぅっ・・・」
「よしよし」
そんな私を健太郎はただ頭を撫でてくれた。
「ごめ・・・鼻水ついた・・・」
どれくらい泣いていたか、ようやくすっきりして顔をあげ、すんっすんっと鼻をすすりながら言う。
「別にいいよ。ブレザー、優花さんの血付いてるからどっちにしろ洗わなきゃ」
「汚してごめん・・・」
恥ずかしながら私が言えば、健太郎はまったく気に留めないように軽い口調で言った。
「そんな事言うなら俺のほうが謝らなきゃいけないのに、タイミング悪くて・・・本当ごめん」
「なんで謝るんだ?」
「・・・え?だって先生のこと・・・」
そこまで健太郎が言えば、私は数秒固まったあと、あーっ!と思い出して健太郎から顔を背ける。
その途端、ガタッと健太郎が勢い良くパイプ椅子から立ち上がりベッドのうえに居る私に詰め寄ってきた。
「優花さぁんっ?!忘れてたねっ?!その態度は忘れてたでしょうっ?!なんで階段から落ちたか忘れたんかいっ!!」
「ひいっー!だって真由羅にバレちゃったことばっかり考えちゃってぇっ!もうすっかりさっぱり綺麗にぃ~!」
「忘れる程度の怒りで俺はずーっとシカトされてたんだねっ!」
「根に持つ男は嫌われるぞっ!」
「怒ってたことも忘れてる優花さんに言われたくないっ!」
「だって怒ってないもんっ!」
「・・・は?」
私の言葉に詰め寄るのをやめた健太郎に、私はようやく顔を向けて慌てて弁解した。
「こ・・・恋人役なら怒ったほうがいいのかなぁって思って怒ったふりしてたんだよっ!だって私、健太郎の初めてのヒトの話は聞いてたし、相手が先生だって言うのはちょっと驚いたけどっ!」
健太郎はしばらく間を置いて、もう一度椅子に座り直すと、はぁーっと大きなため息をついた。
「悩んでた俺が馬鹿みたい・・・」
「す・・・すまん・・・でも、こう、なぁ?」
「ちょっと喜んだりもしたのにぬか喜びかよ・・・」
「・・・怒られるの好きなのか?」
私がキョトンとした表情で尋ねれば、健太郎は驚いた表情を見せてそれから沈んだように笑った。
「優花さんって、人一倍、他人の心の変化に敏感なクセに、自分に関わることに対しては鈍感なんだね」
「・・・?よくわからん?」
「鈍感」
少しほほ笑みながら健太郎は再び腰を浮かすと、私の頬をやさしく撫でて静かに唇にキスをした。
「なんだよ・・・?」
「なんでもないよ。それより鶴来先輩大丈夫かな?」
うまく話をごまかされた気分になったが、まぁいいかと思いながら再び真由羅のことを気に留める。
「許してもらえないかもなぁ・・・」
私が小さくつぶやけば、健太郎はふっと微笑んで見せた。
「俺的には優花さんがもっと年上だって知って驚いたけど」
確かに。
私の正確な年は22歳。
真由羅のそばに居るために年齢を偽っていた。
真由羅のためにとは思っていたけれど、年齢差と血の繋がりがばれてしまったのはやはり痛い。
私が再び沈んだ表情を浮かべれば、健太郎は思い立ったように話し始めた。
「優花さん。スーシンってそれぞれ何を司る神様か知ってる?」
「スーシン?」
「ああ、四神の中国読み」
「や、あんまり詳しくはない。朱雀は火を司ってるくらいかな」
私がそう言えば、健太郎は自分の知識をポツポツと語りだす。
「朱雀は優花さんが言ったように火を司っている。白虎は風、青龍は土、玄武は水」
「へぇ、青龍って土を司ってるのか?水だと思ってたよ」
「まあ、そう勘違いするヒトは多いけど。じゃあここで問題。スーシンに属さない黄龍は何を司る神様?」
・・・そんなこと考えもしなかった。
ただ自分のことに精一杯でそんな知識がなくてもやってこれた。
黄龍、すなわち私だけど・・・
「・・・“禍”?」
ずっとそう言われてきたからそう答えるしかなくて、私が落ち着いた声で答えれば、健太郎はクスッと微笑んでみせた。
「ブー。はずれ」
「・・・じゃあなんだよ?」
私が少し不機嫌に答えれば、健太郎はスッと私の頬を撫でると、柔らかく包み込むとはっきりとした口調でささやいた。
「『ヒト』だよ」
「・・・人?」
オウム返しすると健太郎はゆっくりと頷いた。
「禍も幸せも人の手から生み出された産物だ。どちらに転んでもその人はその人。優花さんは優花さんなんだよ。その他ではありえない。俺、忍者とか世継ぎとかよくわかんないけど、優花さんが黄龍って聞いたときピッタリだと思ったんだ。優花さんは自分でも気付いていないかもしれないけど、沢山の人の心を動かしてきた。それが優花さんに与えられた黄龍の力なんだ。自信を持っていいと思う。鶴来先輩と過ごしてきた時間は無駄じゃない。きっと、時間がかかっても鶴来先輩はわかってくれる。そう、信じよう」
健太郎の一言一言が心に染み渡る。
真由羅のおかげで溶けだした心の氷が、健太郎に温められていく。
私は恵まれている
真由羅がいて、健太郎がいて、沢山の人に囲まれて
私は再び泣きだしそうになるのを堪えて、健太郎に抱きついた。
「ありがとう」
「早く仲直りできるといいね」
「うん」
私の返答に健太郎は微笑んで、静かに目を閉じると私に新しいキスの軌跡を残してくれた。




