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第12話

「娘さんとお付き合いさせていただくことになりました」

 有馬を家まで送り、玄関まで出てきた有馬母に丁寧に挨拶した。

 一瞬驚きの為に動きを止めたが、弾かれたように飛び上がり手を叩いて喜んだ。ひとしきり飛び跳ねたあと、有馬に抱き付き、おまけに俺にまで抱き付いてきた。

「お母さん、駄目です。中村君を抱き締めていいのは私だけです」

「まあ、やきもち? 独占欲?」

「どちらでもいいです。放してください」

 母親にさえやきもちを妬く有馬の姿に喜びを感じるのは、溺れ切っている証だろうか。

「でもあれね。お父さんが拗ねちゃうわね」

 俺が何とも言えない表情をすると、有馬母はくすりと微笑んだ。笑んだ顔が有馬にそっくりだと思う。

「放っておけばいいのよ、お父さんなんて」

 酷い言われように思えるが、有馬母の表情には愛情が溢れていた。きっと有馬父が拗ねてしまったとしても、宥めてくれるだろう。

「じゃあ、俺はこれで」

「あら、ご飯食べて行けばいいのに」

「弟が待っていますので。じゃあ、またな」

 有馬の隠そうともしない淋しそうな表情に、抱き締めようとする手を堪えるのに苦労した。

 何て表情をするんだ。

 後ろ髪を引かれる思いで有馬家を出た。

 愛しく、初々しい彼女との楽しい世界から、小煩い弟の相手をしなければならない世界へと向かう足取りは重い。

「中村君」

 呼ばれて振り向くと、有馬にそっくりな母親がこちらにかけてくる。

「どうしましたか? 俺、何か忘れ物でもしましたか?」

「いいえ。そうじゃないの。あの子のことで、少し話をしても構わない?」

「大丈夫ですよ」

 有馬母と近くの公園へと入って行った。

 促されるままベンチに腰掛けると、すぐに本題に入った。

「すぐに戻らないとあの子が勘ぐるから単刀直入に聞くわね。あの子の過去は知っているのよね?」

「はい。彼女から聞きました」

 有馬母は寒いのか緊張しているのか、わずかに肩が揺れていた。

 俺も僅かに緊張していた。有馬母の口からどんな言葉が飛び出すのか予想がつかなかった。

「そう。あの子ね、誰にもその当時のことは話さなかったの。頑としてね。あなたを信頼しているのね。あの事件の後、近所の人たちは最初こそ同情を示してくれたけれど、それにも飽きると非難をするようになった。その対象が私だったなら良かったのに、私よりも弱いあの子に向けられてしまった。引っ越しも考えたのよ。けれど、あの子に止められた。私が真面目になれば大丈夫だと、地味になれば大丈夫だと頑として私たちの説得を受け入れなかった。意地だったのかもしれないわ。近所の人たちに言われっぱなしで負けたくないと」

 安全を考えるなら、有馬のことを考えるなら引っ越した方がいいのだろう。寧ろ引き摺ってでもここを離れるべきだったのだ。

「犯人はもう出所しているの。あの子は決してそのことについて聞かないけれど、当時の担当刑事さんが教えてくれたわ。どこかにあの男がいると思うと心配で心配で仕方がないの」

 犯人が出所しているだろうことは、予測していた。

 犯人が捕まってから大分年月が経っているのだ。詳しい罪状は知らないが、大した刑期にはならないだろう。

「あの男には余罪が何件もあったのだけれど、あの子だけなのよ。最後まで手を出されずに救出されたのは。男が改心してくれていたらいいけれど、もしも捻れた思想の持ち主だったら? 不履行だった事柄を完結させるためにあの子の前に現われたら? もう二度とあんな想いをするのはイヤなのよ」

 男が正常に人生を全うしようとしていることを心のそこから願う。

 だが、そういう手合いの再犯率は非常に高いと聞く。

 有馬に限らず、誰かが再び狙われることは十分に有り得るだろう。その中で、有馬の前に現れる確率は高いだろうか。犯罪者の心理は分からない。分かりたくもない。だが、有馬の隣に立つものとして考えねばならない。

 そんな風に考える権利を得たことに、不謹慎ながら心が踊った。

「中村君があの子の傍にいてくれるのはとても心強いわ。どんなに心配しても親は学校の中まで行くわけにはいかないもの」

「帰りは必ず俺が送ります。俺も心配なので。俺が出来ることは何でもやるつもりでいます。でも、心配するあまりに彼女の自由を奪いたくはありません。彼女の大事な時間を奪いたくはないですから」

「そうね」

 頷いてはくれたが、すっきりと満足してはくれないようだ。

 母親としては、子供を危険にさらすつもりなら、多少縛り付けることも仕方ないと考えているのかもしれない。

 立場と歳が考え方の相違を感じさせているのか。



**********



 母が醤油の入ったビニール袋をぶら下げて帰って来た。

 ただいま、とにこやかに何もなかったような顔で声をかけた。

 でも、私は解っている。冷蔵庫にはまだ開けたばかりの醤油が入っていることも、母が中村君を追って行ったことも。

 母が中村君に何を言ったかは知らないが、彼が不快な思いをしていなければいい。話はどうせ私の過去の話に違いないのだ。心配性の母がペラペラと余計なことを言っていなければいいが、その可能性は薄い。

「お母さん。私、中村君が好きです。どこにでもいる高校生のように普通の交際がしたいです。私たちのことはそっとしておいて下さい」

 過干渉気味な母に念を押す。

 過去にとらわれるあまり、中村君との日々を曇らせるのは問題外だ。

「あなたの幸せを願ってるわ。でも、何があるか分からないのよ?」

「だからなんですか? 何があるか解らないからと、私の全てを抑制しなければいけませんか? お母さん。私は傷つけられたりしません。たとえ誰かに傷つけられても、私は一人じゃありません。そうですよね?」

 あの頃は私は一人ぼっちだと思い込んでいた節がある。父も母もいたのに、私は一人ぼっちだと。

 今は両親がついていてくれると解る。中村君が私を支えてくれると解る。だから、もうなにものからも逃げたくない。

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