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風の行方  作者: 晴雪


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始祖





 物心がおぼつかない頃から、周りから厭われていたのは自覚していた。見えないものを「みえる」と言ったり、何もないところから火をおこしてみたり、湧き水を作ったりしていたからだ。両親は優しい人だったから、彼を強く叱ることはしなかったが、心の底では得体のしれない力を使う子供を恐ろしく思っていたのかもしれない。

 紙を折って鳥の形にし、宙を飛ばせてみせたこともある。赤子だった妹を喜ばせたいだけだった。妹はそれを見て、手を伸ばして笑っていて、とても嬉しかったことを覚えている。  

 それを掴み取り、破ってしまったのは祖父だ。その時にひどい言葉で怒鳴られたが、難しい言葉だったので内容がどういったものなのかは分からなかった。

 怒声に驚いた妹は泣き喚き、その声に何事かと駆けつけた母親は、責められている彼ではなく、妹を抱きあげてあやした。そして困ったように彼を見つめて、祖父と何事かを囁きあう。

 彼を一人部屋に残し、妹を抱いた母親と祖父は出ていってしまった。

 冷たく閉められた扉の鍵を開けるのは、念じれば簡単なことだ。しかし彼は敢えてそれをしなかった。自分のそういった「器用」なところが皆を困らせているのだと、子供なりに反省していた。

 夕闇がせまって部屋が暗くなり、心細くなったが火を出すことも我慢した。扉が開いたら、両親と祖父に謝り、「そういったこと」はもうしないと約束しようと思っていた。

 闇が深まり、一人残された部屋は冷たく寂しく、膝を抱えたまま床に座っていた彼のつま先は冷えてかじかんでいる。このまま朝が来るまで待ち続け、朝になっても扉が開かなかったらどうしようと、不安が募りはじめたころ、扉が開いた。

 明るい居間の灯りを背に、ドアノブに手をかけていたのは父親だった。闇に慣れてしまっていた目では、父親が笑っているのか怒っているのか判別できず、ただひたすらに「ごめんなさい」と謝った。

 暫く間があいた後、父親が「狩りに出かけるから一緒に行こう、お前の不思議な力が役に立つかもしれないからね」と言った。

 その声色が優しく、初めて力を頼られたのが嬉しくて、飛び上がって差し出された手を掴んだ。父親の手は大きく、あたたかかった。

 不思議だったのは、祖父や母親、妹の姿が見当たらなかったことだ。父親に聞けば、「みんなもう寝てしまっているから」と言われて、なんとなく納得した。大きな獲物を獲ることができれば、朝になったら皆で食卓を囲むことができるかもしれない。そう思うと彼の心は弾んだ。

 彼の住まう家から街道へ出て、森へと進む。夜の森には蛍のような光が舞って綺麗だったが、それを父親に言うのは控えた。光っているのは蛍ではない「何か」だと彼は知っているからだ。言ってしまえば父親は機嫌を損ねて、狩りを中断してしまうかもしれない。それだけは嫌だった。

 長い間の沈黙に耐えられず、「お父さん」と声を掛ける。「なんだい」と返事が帰ってきたので、「狩りで大きなエモノをとったら、お母さんもおじいちゃんも許してくれるかな。喜んでくれるかな」と問うた。

 それに対して、父親からの返事は返ってこなかったので少し後悔する。機嫌を悪くしてしまったのかもしれない。それでも歩む方向は変わらなかったので、狩りが中断されることはなさそうだった。

 彼にとっては胸の高さに近いほどの草をかき分け、暗がりを進む。明かりは父親の持つカンテラのみだったが、蛍のような何かが光っているので怖くはなかった。

 水の音がして、川が近いのだと気がつく。歩みは川に向かっているので「まずは魚をとるのかな」と、不思議に思ったがそのまま黙ってついて行った。

 ごうごうと流れの強い川岸に到着する。父親は大きな岩の上に登り、彼の手を引いてその小さな体を岩の上に引っぱり上げた。

 「休憩しよう」と声は優しく響き、カンテラが大岩の上に置かれる。

 父親が座ったので、彼もまたそれにならって膝を抱えて座った。「腹が減っただろう」と父親から差し出されたのは、ジャムがたっぷりとのったパンだった。

 確かに昼間、祖父に怒鳴られてから何も食べていなかったので、彼は喜んでそれを受け取り、口に運ぶ。母親が作ったのであろう季節の果物のジャムは甘酸っぱくて香りも強く、口の中に唾液が広がった。食べるのに夢中になっていると「美味いか?」と優しく問われ、「うん」と返す。こんなに美味しく感じるのは久しぶりかもしれなかった。

 家の食卓ではいつも祖父が不機嫌で、父親も母親も、彼に対してなにか思う所があるのを必死に隠して笑顔を作っているようだった。その中で出される食事は美味しいものには違いなかったが、何か砂を噛むような緊張感が漂っていたのは事実だ。

 だから今、自然に囲まれて笑顔の父親とパンを分け合っているのが嬉しくて仕方がない。あっという間にパンを食べきり、「おいしかった」と笑顔で言うと、父親は「そうか」とだけ返した。

 「あれ」と思ったのは、父親が不意に立ち上がったからだ。カンテラを腰に装着し、小さな炎が揺れる中で顔が悲しげに歪んでいるのがみえる。「どうしたの」と聞いても返事はない。ただただ不思議に思って自分も立ち上がると、「ごめんな」とだけ高い位置から声が降ってくる。

「坊主、恨まないでくれよ」

 その言葉が耳に届いた瞬間、胸に衝撃が走った。強い力で蹴り飛ばされたのだが、彼はそれを自覚するよりはやく水にのまれた。

 川に落ちた、と気がついたときには口や鼻が水でふさがり、圧力を持って走る水に揉まれ、浮き上がることすらできなかった。

 「お父さん」と、心で叫ぶ。そして「なんで」「どうして」と哀しい思いが浮き上がる。

 やはり自分は要らない子だったのだろうか。迷惑だったのだろうか。見えないものが視え、火や水で遊ぶようなことをする、祖父の機嫌を損ねるような「悪い子」だったから。

 息が出来ない苦しさよりも、父親に蹴り飛ばされた事実が痛かった。

 きっと自分はこのまま溺れ死んで、「居なかった子」にされるのだろう。母親に抱きしめてほしかった。祖父に頭をなでてもらいたかった。妹のふわふわ柔らかい頬に、もう一度触りたかった。

 ついに、彼の中の酸素が尽きた。大量の水を吸い、飲み込み、吐くこともままならずに彼は水に揉まれて底に沈んでいく。冷たい水の中、遠のく意識の中で最後に思った言葉は「さみしい」だった。





 目を覚ますと、あたたかな空間にいた。苔むした樹齢の長い大木の梢が、天を見上げる目の前に広がり、柔らかな日差しが降り注いでいる。野鳥がさえずり、小さく水の流れる音が聞こえたので「そういえば川に落ちたのだった」と彼は思い出した。

 起き上がると体は軋んで痛かったが、怪我はなさそうだった。光る蛍のような何かが相変わらず舞っていて、「ここは死の国なのかな」とも思う。

 ごうごうと鳴っていた力強い川に流され川下に運ばれたのだが、年齢が幼い彼にはそれがわからない。ただ優しく包み込むような存在を感じて、「ありがとう」と見えないそれに声をかけた。

 自分は、父親に殺されそうになって助けられたのだ。見えない何かに、他の人には気配すら感じ取れない自然の中の優しい存在に。

 足はまだ水に浸っていて、寒かったので足を引き上げると、不自然に水が踊った。それをみて、納得する。

「水の妖精さん、おぼれないように川岸にはこんでくれたんだね」

 そう声をかけると、川の水は光に弾けながら、ちゃぷちゃぷとまた踊った。彼は微笑み、再度「ありがとう」と声に出す。そのあとに。でも、と顔を暗くする。

「もうおうちにはかえれないよね……」

 彼は幼いながらにして、既に家族との別離を受け入れていた。自分は不思議なものが見えて、不思議なことが出来て、家族を困らせてばかりいた「いらない子」なのだから、と。

 それでも悲しみは抑えられず小さく嗚咽を漏らし、膝を抱えた。慰めるように蛍のような光が自分の周りを舞っているのが分かったが、それでも泣くのをやめることができなかった。

 そこに、ふと人の声が被さる。「おおい」と呼ぶ声は高く、少年の声のようだった。

 呼び声は次第に大きくなる。草をかき分ける音、土を踏む音が重なって、人が近づいているのだとわかり、身構えてしまう。

 膝を抱えたまま体をかたくしていると、「おーい!」と呼び声が更に近くなった。

「あ、いた!ここだよ父さん、ここにいた!」

「本当だ、おいおいまだ小さな子供じゃないか。よく無事でいたな」

「だからオレ言っただろ、子供が倒れてるって」

 足音は複数、どうやら少年に連れられて二人の男が森を踏み分けているらしかった。

「あ、顔が見えた。おーい!こっち!大丈夫かあ」

 苔むした樹齢の高い大木の、露出した根の上で膝を抱えていた彼のそばに、灰茶の緩い癖毛の少年が駆け寄った。木漏れ日が彼を照らして眩しい。光に透ける睫毛と、そばかすの浮いた溌剌とした表情が綺麗で「かみさまの使いなのかな」と彼は思う。

「さっき来たときは気絶して酷い顔色だったのに、起きれたんだな。よかった」

 そう言って少年は、「父さん兄さん、早く」と大人を急かす。後からやってきた大人達は彼の頭を撫で、「よく生きてた」「無事で良かった」と代わる代わるに言った。

「とりあえず家に連れて行くぞ、坊主、怪我はないか?立てるか?」

 腕っぷしの強そうな男に問いかけられ、戸惑いながらも頷くと、「それはよかった」といって荷物をおろし、もう一人の若そうな青年に渡す。「おんぶは嫌じゃないか?ほら、俺の背におぶされ」と促され、立ち上がってその広い背に体重をかけると、男は彼を軽々と背負って歩き出した。

「森に孤児とはな、神もとんでもない贈り物をしてくれたもんだ」

 そういう男の声は力強くも優しく、背はあたたかく、歩く度に揺れる心地よさにいつの間にか眠気に誘われていく。小さく寝息をたてはじめた彼の様子を背伸びして見た少年は、「父さん、こいつ寝ちゃったよ。優しく運んでやって」と、小さな声で父親にそう伝えたのだった。

 森は本来、神々の住まう聖域とされていた。人間が立ち入るのも最小限にしなければならない。そこに忍び込んで遊んでいたということがばれてしまった少年は、当然のごとく怒られた。

「アンタって子は全くもう!森の神様の怒りをかったら、体を奪われてしまうんだよ!」

「ごめんって母さん、わかってるよお……だけど人助けできたじゃん」

「それとこれとは話が別!」

 母親からゲンコツをもらって「いてえ!」と涙目になっている少年の後ろ姿を、彼は不思議な心地で見ていた。

 母親と少年のやり取りに、兄と思しき青年が「まあまあ、母さん。そこまでにしてあげなよ」と仲裁に入り、父親が「ひと一人を森から授かったのは、この家としては誇らしいことになるからなあ」と腕を組む。

 「ほら、だから良かっただろ」と痛む頭をさすりながら少年が言うと、「調子に乗るんじゃないよ」と母親が返す。

 自分を森から拾ってくれたことを話しているのだろうと推測はできたものの、歓迎され、森から授かったと言われている意味がわからなかった。水に濡れた衣服を替えてもらい、毛布を巻かれた状態で、彼は疑問を口にしていいのかどうか迷っていた。

 それに気がついた少年が母親の前から身を翻して、彼のそばに寄ってきた。

「なあ、名前なんていうんだ?」

 その問いに答えられなくて、彼は身を小さくする。父親と母親からもらった名前はあったはずだ。しかし、川に飲み込まれてからの記憶が曖昧で、名前といわれても思い出すことができなかった。そもそも、両親からも殆ど名前を呼ばれたことが無かった気がする。

「もしかして、忘れちゃったのか?」

 労わるようにして少年は、彼の金の髪を撫でる。

「お前、川に流されて来たんだよな?普通なら死んでるところなのに、生きてるってすごいんだぞ。父さんも吃驚してた。名前を思い出せないのはきっと、前の名前が良くなったんだ。川と森がそれを吸い取ってくれたんだよ」

 なんだかとても変わった話だと思った。きょとんとして少年を見つめる彼の飴色の瞳を見て、少年は振り返り、父親に問う。

「こいつを見つけたのはオレだから、オレが新しい名前をあげてもいーい?」

 無邪気な声に、父親が頷く。

「いい名前を贈ってやれ、その子の命を表す名だ、慎重にな」

 へへ、と少年は笑って「最初に見た時から名前はもう頭に浮かんでたんだ」という。

「お前の名前はテオ。テオ・アシュフォード。テオは神々の贈り物って意味で、アシュフォードは木のそばの水辺って意味。森から来て、木の根っこの水場にいたお前にぴったりだろ」

 少年が「テオ」と名前を呼んだ瞬間に、あたたかい風が吹いたように感じた。視界が広がり、世界に光が満ちたように感じる。

「あ、オレの名前はダンだよ。ダン・ウィルソン。仲良くしような、テオ!」

 テオと呼ばれた彼は、まるで生まれ変わったかのような心地で、ダンと名乗った少年から差し出された手を握った。





 ダンの両親と兄は血の繋がった子のようにテオを扱ってくれた。可愛がり、大体はダンが仕掛けることに巻き込まれているのだが悪戯をすれば叱ってくれて、その愛情を一身に受けてテオは少しずつ成長していった。

 テオの持つ不思議な力については、隠し通すつもりでいたが、明らかになってしまう出来事が起きた。ダンが木登りをして高い木の枝から落ちたとき、「あぶない!」と、咄嗟に力を使ってしまったからだ。

 地面に叩きつけられるはずだったダンの体のまわりに柔らかな風が吹き、その重さを受け止めてふわりと着地させた。一瞬、何が起こったのかがわからなくて、きょとんとしていたダンに、テオは己のしたことを思い出して青くなった。

 「力を使ってしまった」、「嫌われる」、「怖がられる」、と過去の家族に厭われていた頃の気持ちが蘇り、焦る。これでダン達にまで嫌われてしまったら、大好きな人達に見放される絶望をもう一度味わうことになる。そう思うと胃の底が冷えた。それでも逃げることができなくて、地べたに尻もちをついているダンに駆け寄る。

「ダン、ダン…!大丈夫…?」

「あれ……オレ、死んだかと思ったのに……浮いた…」

 お前がやったのかと聞かれ、唇を震わせながら小さく頷く。

「ごめんなさい…、ダンが怪我すると思ったら居ても立ってもいられなくて……」

 その言葉に、ダンが顔を伏せる。テオは「やはり気持ち悪がられているのだ」と途方に暮れた。次の瞬間、弾けるような笑顔と共にダンは発した。

「テオ、お前って……お前って……すっげえ!最高!」

 予想外の言葉に、テオは呆ける。ダンは立ち上がり、テオを強く抱きしめて背中を嬉しそうに叩いた後、体を離してテオの顔を覗き込んだ。

「すごいや、森の神様みたいだな!」

「森……神様……?」

「そう、森には神様がいるだろ。だからむやみに入っちゃいけないって母さんにも父さんにも言われてるけどさ。神様はなんでもできるんだ。火を起こしたり、水をあやつったり、風をおこすのも全部神様がしてるんだって父さんは言ってた。すごいよテオ、神様と同じことを、お前はできるんだな!」

 テオは自身の手の平を見つめる。自分が神様と同じだと思ったことは決してない。物心もつかない幼い頃は自分の力を「人より器用」位にしかと思っていなかったし、何でも出来るわけではない。例えば転んで怪我をしても治すことは出来ない。人の心を……実の両親から好かれるように仕向けるようなことも出来なかった。自分の力は万能ではないように思う。

 腑に落ちなくて首を傾げるばかりのテオに、ダンはこっそりと告げる。

「うちの父さんに教えてあげたらすごく喜ぶと思うぞ。うちの村はレンキンジュツシが集まる村なんだ」


 錬金術師とは、哲学と科学、時には天文学や医学なども網羅し、異なる分野の学問を融合させて新しい側面を見出し、研究をしている人々のことを指す。

 論理や思考だけに頼るのではなく、瞑想や直感といった面も大切にし、神などの「絶対的なもの」と直接触れ合うことを目的とした学問でもあった。

 森は神の聖域であり、そこから与えられたものは全て神からの贈り物だという考えがあるのも、そういった錬金術師の村ならではの風潮だった。

 テオの力について知ったダンの父親達は「やはり森からのとんでもない贈り物だったか」と驚き、喜んだ。その後にテオを実験体にしようだとか、崇め奉って神の子として扱おうだとか、そんな真似はせず、愛すべき家族として待遇は全く変わらない普通の子として接してくれたことがテオは嬉しかった。

 それからは暇な時に錬金術師達の集まる工房にダンと遊びに行き、火を踊らせたり、水を操ったり、風を呼んだりといった力を遊び混じりに見せるようになった。その代わりに錬金術の基礎を教えてもらい、砂糖を煮詰めた水飴をもらって二人で食べて遊ぶ。そんな日が続くようになった。

 テオとダンは年頃が同じで、他に年が近い子供が居なかったということもあって、いつも二人で行動するようになっていった。ちょっとした秘密を共有しあい、勉学でも切磋琢磨しあい、一人が転びそうになったらもう一人が手を差し伸ばすような、そんな優しい関係が生まれつつあった。


 それから更に十年ほどの月日が流れる。

「大地が『竜の倒れた体』だってことが証明されたって」

「へえ、地質学も随分進んだなあ……神話がまた一つ事実になったのか」

 柔らかい風が吹く村を見渡せる丘の上、そこにそびえる樹の下でテオとダンは薄い紙を読みながら雑談している。購読で取り寄せている情報誌から抜き出した一枚だ。

「簡単に言えば、深くまで土を掘ってみたら、竜と思しき鱗のある地質を見つけたってことらしいけど」

「へえー……じゃあ、創造主がいるっていうのも本当なのかなあ……」

 テオが読む情報にさほど興味がないのか、ダンはテオに寄りかかって「眠い」と言った。

「寝ちゃうの?」

 テオの肩に額をすりつけて甘えるような仕草をしたダンに、テオは苦笑する。

「ダン、前から言ってるじゃない。そういうことをしていると、俺、勘違いしちゃうよって」

「うん」

 確かに二人の距離は近い。それを嫌だと思ったことは一度もないが、だからこそ困る気持ちもあるのだ。

「ダン、俺ら近すぎないかな。嫌じゃないけどさ……」

「うん」

「もしかして、俺から何かされるの待ってる、とか」

「……うん」

 風が金と灰茶の髪を遊ばせる。テオは「卑怯だよ、それは」と吐息まじりの言葉を吐いた。二人の指が少しずつ重なり、ゆるく絡まっていく。

 薄れていく記憶の中で、未だはっきりと残っている映像が目の裏に映し出される。

 森の奥、水音がするそばで彼は自分を見つけてくれた。木漏れ日が彼を照らして眩しかった。光に透ける睫毛と、太陽のように輝く溌剌とした表情、「神様の使いなのかな」と思ったことも、目に浮かぶ。

 「あのね」とテオは言う。「うん」と短くダンが応える。「……初めて会った時からずっと、俺はダンしか見えなかったんだよ」と、テオが掠れた声で告げると、ダンは「うん、知ってた」とだけ返した。

「だせえな、テオ。涙が出てる」

「この気持ちは墓場まで持っていくつもりだったのに、何で言わせるの」

 泣き笑いになったテオの頬に、ダンが軽く口付ける。テオも返すように唇を合わせようと顔を寄せる。お互いに同時に動いたので歯がぶつかって、その後二人で涙が出るほど大笑いした。緑の香りがむせ返るほど強くなっていく、初夏の出来事だった。





 テオの能力を認め、国が正式に「魔法使い」の称号を与えたのはその翌年だった。

 今までにも充分なほど才能は認められており、錬金術師の村では常々「魔法使いのテオ」と呼ばれていたのだが、肩書となれば話が変わってくる。その責任と重さを配慮して、テオが成人するまで村も国も待っていたのだ。新年を迎え、十八歳になったテオはすぐに王宮に呼び出された。

 そして、王族やその臣下の前でテオは能力を披露した。物質から別の物質を生成する錬金術とは違い、自然に宿る魔力をその身で操り、炎や風、水、土の四元素を動かすテオに、王を始めとする国の重鎮は目を見張り喝采を上げた。

「この者を、魔を操る法を知る者とし、「魔法使い」として認める。国に益をもたらすよう、更なる研鑽を期待している」

 国王直々にそう声をかけられ、テオの地位は確固たるものとなった。

 通常であれば「力」を持つものは王宮にて管理されるべきだったが、テオが育った村への帰郷を強く望んだため、王はそれを許し、錬金術の村へと栄光の帰還を果たす。

 最初の魔法使い、始祖の誕生である。


「王様から直接言葉をもらうなんて、テオも偉くなったなあ」

 そう呟いたのはダンだった。彼は現在、錬金術の工房で独自の研究をしている学者として生活を営んでいる。

「そんなことないよ、王様だって一人の人間には変わりないんだから」

「ばあか、地位がちがうだろ。地位が」

 そう言いながら、洋紙に様々な紋様を描き出していた。彼は、魔法使いの精度を上げるための補助となる物質や紋様を作り出す研究を重ねている。要するに、テオの助手のような存在だった。

「魔力を増大させる触媒として「杖」が有効だとおもうんだよな」

「杖?俺はまだ年寄りじゃないよ」

「ばあか、違うっての。俺これでもこの工房の筆頭錬金術師なんだぞ、冗談じゃなくてちゃんとした理論を立てたうえで言ってるんだよ」

 ちょっとこの棒持ってみて、と簡素な木の棒を持たされる。

「杖の頂点から自然の中の魔力を集めて、下の先端から反動を地に帰すように調節してある。この杖に魔力を通すような感覚で、ちょっと魔法使ってみて」

 言われるまま、テオは杖に魔力を集中させる。手の平からの魔力が通り、木の棒全体に火が通ったように熱く感じた。

 微風を出そうかと思い、「風よ」と呼びかける。

 その瞬間に突風が工房内に渦巻き、様々な物が吹っ飛んだ。

 本がめくれてばらばらと頁が駆け抜け、フラスコをはじめとする試験管がなぎ倒される。貴重な薬剤の粉末を入れた入れ物や標本の瓶詰めも飛ばされ割れてしまった。慌てて魔力を切り、風をおさめたものの、まるで工房は天変地異を体験したかのような有様になっており、今までにない体験にテオは冷や汗が止まらない。

「な、なにこれ……」

「すげえ……やっぱり思ったとおりだ!」

 工房の中がめちゃくちゃにされてしまったにも関わらず、ダンは目を輝かせてテオに問うた。

「増幅された感触はどうだった、反動は抑えられてるか?感想、聞かせてくれよ」

「魔力が暴発したわけじゃないのに、力がみなぎって抑えられなかった……反動の疲れもない。通常これだけの突風を出したら体がだるくなるのに……」

 だよなあ、そうだよなあと、嬉々として荒れてしまった工房内を片付け始めながらダンは頷く。

「錬金術師だって色々道具を使うだろ。農家の人だって鋤や鍬をつかう。だから魔法使いにだって道具があったら便利そうだと思ったんだ」

「それで、木の棒……?」

「杖だよ、杖。それしても調整がちょっと甘かったな……もう少しテオの性格と魔力にあわせて作らないと駄目か」

 片付けのついでにテオから受け取った木の棒、もとい杖を、じっくりと観察しながらダンは思案しはじめた。

「ちょっと一から設計をやり直してみるか……」

「待って待って、そんな楽しそうなこと、一人でするなんてずるいよ」

 テオはダンの手を取って笑顔を向ける。

「俺の道具を作ってくれるなんて思っても見なかった、ありがとう。良かったら設計から一緒に作ってみようよ。ダンと俺で、新しい魔道具を作るんだ。きっと人生で一番楽しい時間になるよ」

 瞳を輝かせるテオに、一瞬ダンは見惚れる。飴色の瞳の魔法使いはとにかく純粋で、優しくて、美しいもののように思えるのだ。

 それを口にするには恥ずかしすぎたので、「お前が一番楽しんでる時間って、俺を抱いてるときなんじゃねえの」という的はずれな返答になってしまう。それにまた笑って「それはそうかも」と、テオはダンの緩い癖毛に唇を落とした。





 ダンと共に「杖づくり」に没頭しようとしている中で、テオの周りに変化が起きた。

 テオが「魔法使い」という肩書の始祖になってから、国の中で、あるいは国境を越えて、テオのもとに訪れる人間が増えたのだ。

 それは親に連れられた子供から年寄りまで様々だったが、共通しているのは「不思議な力」が使えるということだった。

 ああ、とテオは思う。人という枠を越えていたばかりに、村や町で居ない者として、または忌み嫌う存在として扱われていた人々が、明るい場所へでられるようになったのだ。

 過去に森に捨てられた自分が「魔法使い」となったことで、救われる者が少なからずあらわれた。それはとても嬉しいことだと思った。

「うちの子は怒ると物を飛ばすんです、恐ろしくて……」

「私もあなたと同じような力があります。あなたのように立派な魔法使いになりたい」

「不思議な力を使ったばかりに町から追い出されました。見返してやりたい」

 理由は様々だったが「能力」を持て余した者たちが、テオに教えを請うているということは、話を聞いて分かった。

 テオは錬金術師である家族に相談し、ダンに助力を頼み、施設を用意するところから始めた。

 訪れた者たちが仮の住まいとできる場所を、魔力の何たるかを伝え、力の制御の方法を教える場所を。主人を失って朽ちるに任せるばかりだった村の隅の牧場と隣接している住居施設を買い上げ、どうにか人が集まれるような場所になるよう整備し、急ごしらえではあるが魔法使いの養成所が出来上がった。

 しかし、実践的な授業や教科書となるようなものがすぐ用意できるわけではなく、「集まって皆で有意義な話をしよう」といった座談会のような形で始めるしかなかった。それでも居場所が出来たことで「魔法使いの卵」たちは心が安らいだようだった。

 魔法に対してのばらばらな知識や要素を、原理や秩序に基づいて整理し、一つのまとまった全体像として組み立てる作業においては、ダンや村の錬金術師達の経験や知識が大いに役に立った。

 「火、水、風、土」といった元素の解釈から、魔力を自然から借り、己の身を通して現実世界に変化をもたらせる一連の流れまで、分かりやすく伝える事ができたのは錬金術の研究者達の努力の下地があったからだ。

 力を制御できず暴走させてしまう者には、精神を安定させ、まずは魔を自分の力で操ることができるように。力が足りないと嘆く者には、力への渇望を捨てさせ、自分の出せる魔力をどう活かすことができるかを考えることができるようにと、それぞれを導いていく。

 ダンの父親がテオの活動を見て王宮に使者を出し、「魔法使いの養成所」に対しての援助を願ったところ、王宮から視察の人間が訪れた。そして「未来に魔法使いが我が国に増えることは喜ばしいことだ」と多額の支援金を出すことを約束し、国の認可を得た養成所として務めを果たすよう激励されるまでに至った。


 また、その頃から自然の四元素を身に宿して魔を行使する「魔法」とは別に、術式を組み立て、現実に更に複雑な変化をもたらすことができる「魔術」が定義されはじめた。

「分かりやすいのが、攻撃をされないように土を操って防壁を築くのが魔法。魔法陣を使って結界を張り、良くないものを自動的に弾くのが魔術だね」

 テオは数人の門下生に分かりやすいよう、壁に洋紙を貼り付けたもので説明をする。

「喉が乾いた場合、地下水脈から泉を呼び出すのが魔法、元々ある水の味を変えて好きな飲物に変えるのが魔術。ただ、魔術はまだ万能じゃないんだ。小さな魔術であればよいけれど、大掛かりな魔術を使おうとすれば、術式も複雑になるし難しい。更に「反動」と呼ばれる正効果と逆の動きが生じることも報告されている」

「テオ先生、じゃあ、魔法と魔術は別のものってことなの?」

 問われた年少の声に、テオは微笑んで返す。

「そうだね。僕たちが出来てしまう不思議な力は魔法。魔法を更に便利にしようと理屈を捏ねて活用させるものが魔術だよ」

「そうしたら、元の魔法の力が強い奴が偉いってことになるのかな……」

 不安そうに言ったのは魔力の弱い青年だった。いつも門下生の中で一番弱いと嘆いている所を見ていたテオは、「そんなことないよ」と更に続ける。

「最初から秀でてるものと、努力で力を磨いたものと、どちらも力量が同じだとしたら、努力で力を磨いたものの方が輝いて見えるだろうね。それに、魔術は実行者の魔力を吸い取って何かをするわけではないから、難しい術式を立て、反動を抑え、素晴らしい結果を出すことが出来るのなら……それこそ純粋な魔法よりも便利ですごい術を扱う人とされる。だからどちらも大切だし、魔法が得意な人、魔術が得意な人で分かれてもいいし、得意分野をそれぞれ伸ばせばいい。そう俺は考えているよ」

 テオに言われて、青年は気を持ち直したようだった。笑顔を浮かべて「なら自分は魔術に力を入れてみようかな」と喜んでいる。

「では、今日は簡単な結界の張り方を一緒に考えていこうか」

 テオが言うと、みなは頷いた。ダンを始めとする錬金術師達が考案してくれた魔法の力を示す紋様を組み直し、魔法陣をそれぞれ作るところから始めていく、

 自らも教鞭をとるだけではなく実践し、共に勉強していこうというテオの姿勢は門下生にとって親しみ深く、優しい先生として尊敬の念は積もるばかりだった。

 穏やかな時間は季節を越えるごとに洗練されていき、数人だった門下生も両手両足の指では足りない程度に増えた。そしてそのそれぞれが、基礎となる魔法を扱えるようになり、得意の魔術の研究と新しい分野の開拓に勤しんでいった。

 例えば占いの分野では、生まれた季節や星の位置から運命を予言するもの、石や札を使って出た結果から近未来を覗くもの、相手の手や顔に現れている特徴から運気を読み取るもの等、大きく流派が分かれて探求が重ねられていた。

 魔術分野も大きく発展していき、物質の変化させる錬金術を土台に作り上げられたものや、魔法陣などを用いて強化や防衛をはかるもの、擬似的な精霊を作り出して配下に置き使役するもの等、他にも多岐にわたっていく。その全てを束ねて見守り、指揮をするテオは常に忙しそうだった。

 魔法使いとしての力はないが、ダンはテオを助け、支え続けた。魔術の分野では術式の組み立て方や、特定の力を引き出すための流れを監督し、テオと門下生の仲介役も努める。

 血気盛んな門下生同士が喧嘩をし、魔法を用いて暴れようとするのを止めようとして、怪我を負ったのもダンだった。

 それにテオは激怒し、その怒りに呼応して、敷地の土地がひび割れた。軽症ですんだダンがその場を収め、門下生を強く叱って罰を与えたので大事はならなかったが、「師匠は本気で怒ると竜を呼ぶかもしれない」と噂され、魔法や魔術による私闘を控えるようになったのは余談である。





 テオが「魔法使い」としての肩書を得てから六年が経った。錬金術師と魔法使いが集まる村は人の出入りが多くなり、小規模だった集落は自然と発展し、村から町へと成長していった。のどかだった牧草地や畑は潰されて大きな目抜き通りになり、商人や職人が集まり、人々には活気に満ち溢れている。

「なんだか随分変わったねえ……」と、少しの休憩時間にテオがダンに茶を勧めながら言うと、「年寄りみたいなこというなよ」とダンが茶化した。

「俺がダンに見つけてもらった子供の頃は、いい感じの田舎だったのにね」

「まあ、錬金術師の村といっても、実績も知名度もなかったからな」

 茶を飲みながら、二人で窓の外を見る。

「このまま錬金術と魔法や魔術の集う場所として認知されていったら、お爺さんになる頃には大都会になってそうだね」

「そうだな。で……、そんときも……俺は隣にいるか?」

 ダンから、少し不安そうな声が響いた。

 テオはずっと忙しい。ダンもテオの助手をつとめて忙しくしているが、増え続ける門下生を束ねているテオとは忙しさの度合いが違ってくる。

 テオと違ってダンには魔法を扱う力がない。だから、どんなに支えようと思っても、魔法の分野のこととなると手が及ばない。それが悔しく、また寂しくもあった。お互いに歳を取った時、魔法使いの始祖であるテオと、しがない錬金術師の自分が並んでいる姿が今一つ想像しにくかったのだ。

 問われたテオは、意外そうに目を丸め、それから意地悪げに口の端を上げた。

「もしダンが歳を取ってボケたとしても、隣に居させるよ。そんなに不安がるとは思わなかった。今夜、たっぷり可愛がってあげようか?」

 そっちの方面に話が行くと思わなかったダンは、顔を赤くして「テオって本当に馬鹿じゃねえの。忙しくて寝不足のクセに、そういう事言うんじゃねえよ」と言い返した。

 町の集会所の鐘が鳴る。休憩時間の終わりを告げるその音は、二人きりの時間が終わることを示している。それに息を吐きつつ、「午後も頑張ろうね」と笑いあいながらテオとダンは立ち上がった。


 門下に入った者の中でもとりわけ日が浅い「魔法使いの卵」に、魔法とはなにか、魔術との違いを説明している時だった。外が騒がしくなり、門下生達が窓の外に視線を移しがちなことに気がついたテオは、手を打つ。パン、と乾いた音がしてみなの視線がテオに戻るが、不安そうな表情が拭えない。

「集中して。どうしたの?」と、問えば、門下生の一人が「王宮の馬が」と手を上げて答えた。

「王宮の……馬?」

 慌てて見れば、建物の外に国旗と王室紋章を掲げた早馬が足を踏み鳴らしている。テオが部屋を退出し、外に回って出ると「伝令である」と使者が丸めた洋紙を広げ、強い声で読み上げはじめた。

「力をつけし魔法使いの始祖、テオ・アシュフォードにおかれては国王への忠誠を今一度示して頂きたく存ずる。隣国からの宣戦布告を受け、国王もそれに武力で応じるおつもりである。それにより、魔法使いを軍の主戦力として配備することが閣議によって決定した。王政庁からの援助の恩を今こそかえす時、門下生全てを徴兵するゆえ旅支度を整えられよとのお達しである。魔法使いに限らず、魔術の補助役として機能する錬金術師もまた同様である。……伝令は以上だ」

 使者は丸め直した書状をテオに手渡し、テオからの返事を聞かず、返信の書状をしたためる時間も持たせずに馬の向きを変え、一声をあげて人の波を蹴散らし駆けて抜けていってしまった。

「戦争……」

 残されたテオは、呆然として書状を握りしめる。騒ぎにダンも駆けつけ、話を聞いていた周りの人物に何があったのかを聞き、同じく呆然とした。

「隣国から宣戦布告って、何があったんだ……」というダンに対して「わからない」とだけテオは返す。

「式を飛ばそう。今までずっと友好関係にあった隣国から、突然戦争を仕掛けられるなんて、何かあったに決まっている。ダン、すまないけれど授業は当分休みだと門下生に伝えてくれるかな」

「わかった、俺も後からいくから」

 テオはダンの家族とともに住んでいる自宅へ走る。書きかけ洋紙やテオが手掛けた魔術書などで散乱している自室に入り、手近な紙を鳥の形に急いで折って囁きを送る。紙の鳥は姿形を鷹へと転じ、テオの腕にとまった。

「行っておいで、何があったか見てくるんだ」

 窓を開け放つと、鷹は心得たように羽ばたいて上昇し、東の空へと消えていった。式である鷹の目線はテオと共有される。国境を越え隣国の王都、王宮へ忍び込み、隣の国の王が本気で戦争を起こそうとしているのかどうかを確かめるつもりだ。

 小国が集まるこの地で、一回でも火種が投げ込まれれば、それは大陸全土に拡がる可能性がある。これまで数百年の間、この大陸では戦争はなかったと世界史には刻まれていた。それをひっくり返すような決定を下す「何か」があったのだと嫌な予感がしている。

 式からの情報が来るまでの間、テオは王宮に向けての書状を書き綴っていた。

 なぜ魔法使いを戦場に出そうとしているのかという問いと、魔を持って侵攻すれば「魔法使い」の存在が世界中から敵視され、この国の存在も危うくなるということ、魔法や魔術は戦いのためにあるものではないということを書き連ね、王からの徴兵には応じることはできかねる旨を、己の心情も込めつつしたためる。

 使者を送ることは危ないと踏んで、伝令用に訓練されている鳩の足に書状をくくりつけて、放った。早ければ翌日の朝には王宮に届くだろう。


 そうしている間に、鷹に転じた式から反応を感じ取ってテオは式の視点に意識を向けた。自国とは違う意匠で造られた王宮と国旗が見える。王座に腰を落ち着けている王は、初老というには少し早いが、非常に疲れた顔をしている男性だった。側近の臣下であろう男達が、王座の周りをいったりきたりしていて落ち着かない。『まったく、なんということだ……』と声が聞こえてきた。

『王位をお世継ぎに継承なされるこの大切な時期に、王位を捨て、軍門に下だれとは!』

『かの国は魔法使いを生み出したとして驕り高ぶっているのです。調べによれば、かの国は魔を操る術を手に入れた神に選ばれし国とふれ回り、魔法使いの存在をちらつかせては他国にも無茶な交易条件をつけているとか』

『その魔法使いは、国の政治に加担しているのか?その魔たる力をもって王を唆しているのではないか?』

『国境にてこちらを威嚇している軍陣には、魔法使いの姿は見当たらない。なんでも、錬金術師と魔法使いが共存している町があるらしく。まだ魔法使いはそこにいるものと思われます』

『魔法使いは道具として利用されている可能性があるということだな……』

『かの国もいまは国境の内部で軍を配置し、こちらの様子を伺っているようですが……進軍してきた際はどう対処なされる』

『迎え討ったところで軍備に余裕がない我々に勝ち目はない。火や水を操る化物のような魔法使いが後ろにいるとなれば尚更だろう』

『だからといって無条件降伏などできるはずが!』

『もうよい』

 疲れた声が響く。王が手を上げ、臣下のやり取りを止めた。

『我々は慎ましく平和に暮らしていたはずだ。隣国とも友好国であり親睦を深めていた。一騎当千の魔法使いという手札を手に入れて、隣国の王が道を踏み外しかけているのであれば、友好国である我々が諭し、正さねばならぬ』

『正す、といいますと……?』

『かの国へもう一度使者を送ろう。こちらは戦うつもりも、降伏するつもりもなく、ただ友として寄り添っていたいのだとわしが書状をしたためる』

『受け入れられなかった場合は、どうするおつもりです』

 臣下の不満そうな声に、王は答える。

『……なるようにしか、ならないだろう』

 そこで映像が途切れた。式の魔力がきれて霧散したのだろう。テオはいま見聞きした事実を信じられない気持ちで拳を握った。

 王は隣国から宣戦布告を受けたと書状で伝えてきたが、真実はその逆だった。すでに隣国との国境に兵を派遣し、相手を脅している状態だという。しかも魔法使いの存在を使い、他国に圧力までかけていたとは。

 この国の王は温和な者だと思っていた。十八歳の謁見の際に、テオが披露した魔法に顔を綻ばせ、喜んで手を鳴らしていた姿が浮かぶ。たった数年、たったそれだけの時間で人は変わってしまうのだろうか。それとも最初から、そのつもりで魔法使いを支援すると言っていたのだろうか。

 魔法使いを兵器とみなし、他国を脅し、有利な交易を繰り返して国を太らせる。そんなもののために自分は活動しているわけではない。更には門下生や、世話になっている錬金術師達をも一緒くたにして政治の駒にしようとしていることに、身の内の炎が逆巻いていくような危険を感じた。

 ちりちりと痛む指先を見れば、魔力が怒りに呼応して噴き出そうとしている。慌てて深呼吸をしてそれを鎮めようとしたところで、ダンが部屋に入ってきた。

「待たせて悪い、門下生や住民の皆を落ち着かせるのに時間がかかって……って。テオ……どうした、大丈夫か?」

「あ、ああ……ダン、ごめんね、大丈夫。色々してくれてありがとう」

「顔色が悪い。式で何か見たんだな?」

 ダンが労るようにテオの前髪を指で梳く。青碧の瞳に見つめられて、テオは息を吐いた。

「……隣国が宣戦布告をしてきたというのは、嘘だ。王は魔法使いを使って、隣国を脅している」

「まさか」

「国境に兵を置いて隣国に圧をかけている状態らしい。この村……いまは町かな。ここの景気が良くなったのも、政治的な働きかけがあったからかもしれない。なんにせよ、魔法使いと錬金術師を駒として使って、他国に権威として振りかざしているのは見過ごせない」

「だからって、どうするんだ。王宮に行くつもりなら俺は止めるぞ。王に楯突いた罪で捕らえられるのが目に見えてる」

「じゃあ、どうすれば……」

 落ち着け、とダンはテオの背中を優しく叩く。

「戦争がいますぐ始まるわけじゃない。国境に兵を置いて動かさないのは、動かさない理由がある……多分、魔法使いがいないと勝ち目がないってわかってるからだ。なら、俺達は動かずにいよう。大丈夫、なんとかなる」

 テオが鳩で王に書状を送ったことを話すと、ダンは「なおさら大丈夫だな」と言ってきた。

「お前の心情と正論に、王宮は何も言い返せないだろう。どんと構えて返事を待とう」

 そう言ったあと、「気分の上がる話でもしようか、ちょっと待って」とダンは一旦自室に戻り、手にこぶしほどの大きさの包みと、丸めた洋紙を持って、再度テオの部屋に顔を出した。

「明るい話題。前からさ、テオの杖の話をしようと思ってたんだ」

 ダンがテオの卓の上に包みと洋紙を置く。ごちゃごちゃしている室内を軽く片付けて、椅子を引っ張り座った。

「俺の……杖?」

「一緒に作ろうって言ってたけれど、お前忙しすぎて時間取れなかっただろ。だから設計だけさせてもらった。材料は一個だけ手に入った状態だから、まだまだなんだけどな」

 錬金術の大盤振る舞いだ、といって広げられた洋紙には、杖の図案と細かい設計の指示書きが書かれており、テオも唸るような綿密さがあらわれていた。

「芯は二十四段階に比率を変えた白金で、黒檀が主体だけど最低でも百年は月光を浴びている原木を使いたいんだ、あとは数億年をかけて育った古代の水晶かな。微調整はまだ必要だけど大まかな構想はここに書いてある通りだ。あとは材料を揃えて組み立てて、テオの手に馴染ませるだけ」

 どうだすごいだろ、と歯を見せて笑うダンに、テオは感嘆の息を漏らす。

「すごい、杖の設計図を眺めてるだけでも魔力の流れが目に見えてくるよ。無駄がなくて、純粋に魔力を増大させつつ反動の盾にもなる……こんなに細かく気配りのきいた杖を考えて設計するの、大変だっただろうに……」

 褒められたことに照れつつ、頭をかきながらダンは言う。

「本当は組み立てて渡すつもりだったんだ。だけど材料がなかなか揃わなくってさ。一個だけ手に入ったっていったのは、知り合いの採掘師に無理を言って掘ってきてもらった。これだよ」

 ダンに卓の上の包みを示され、テオは首を傾げつつ包みを開く。そこから現れた水のような煌めきに、テオは目を見開く。

「これは……すごい……水晶、だよね」

「そう。通常百年かけて育つ水晶の中でも、もっと時間をかけて成長していく水晶もあるんだ。ざっと見積もって数億年かな。創造主と大地になった竜が、まだ喧嘩してなかった頃に生まれて育ったといわれる水晶だから貴重品」

「それって禁忌の土地のものじゃないの……?」

 テオは目の前の水晶の輝きに見惚れながらも、手に汗を感じる。創造主と竜が戦う前にも、小さな陸があったと神話には書かれている。今現在もそれは残っていて、地図にも記されているが人智の及ばない土地として禁足地にされているはずだった。

「そこはまあ、交渉してなんとか……高くついたけどさ、こっちも出すものは出したからいいんだよ。採掘師も無事に帰ってきたわけだし。そうでなきゃ、古代の水晶なんて手に入らない」

「ダンが何を交渉材料にしたのかは、聞かないほうが良いんだろうね」

 テオがため息を吐くと、ダンはまた笑った。

「不老不死の薬だとか、なんでも金に変える石とか、そんなものを要求されたわけじゃないから。俺の手に負える範囲。採掘師の娘さんの病気によく効く薬を調合しただけ。薬の原材料で家が傾きそうだったけど……って、それよりその水晶だよ、気に入った?」

 手で握るには丁度良い大きさの、古代の水晶を手に取る。

「気に入るも何も。すごいね……原始の力っていうのかな、そういうのが蓄積されているのを感じる。この石があるだけでも魔法の質が格段にあがりそう。それに、とても綺麗だ」

 照りのある古代の水晶は、午後の光を弾いて眩しいほどだ。透明度も申し分なく、中に何枚もの鏡を閉じ込めたような内包物が複雑な輝きを宿している。

 魅入られたように手の平で水晶を転がし、覗きこんでいるテオの様子をみてダンは得意そうに笑む。

「杖っていったらテオの相棒になるやつだからな、ひとつも妥協したくないんだ。その石、持っていてくれよ。落ち着いて杖の制作にとりかかれるようになったら、その石に合わせてまた図面を調整するからさ」

「ありがとう……大切にする」

 感極まって立ち上がり、テオは水晶を握りしめたままダンに腕を回す。それにダンも応じて二人は強く抱きしめあった。

「うん、だから元気だそうぜ。魔法使いが政治の駒にされないようにするのは、荷が重いだろうけどテオの仕事だ。俺も力を貸すから、笑顔で過ごせるように頑張ろうな」

「うん、頑張る……」

 よしよし、とダンはテオの金髪をかき混ぜてやる。正直なところ、戦争や政治に魔法使いが使われることはありえるだろうと薄々ダンは感づいていた。予想していたよりずっと早く事態が訪れてしまったので何の策もない。それでもどうにかしてテオの門下生や錬金術師たち、町の住民を守ってやらなければと思った。


 動きがあったのはその数日後だった。突如町の外が騒がしくなり、みなが外を覗いて短い悲鳴や驚きの声を上げる。外には王宮からの軍兵が集まり、いまにも町を攻め落とそうとしているかの如く整列し、武器を構えていた。

 その数はおおよそ千を越えていた。一つの町を脅すには大きすぎるといえるだろう。

 テオもその状況を門下生から聞きつけ、胃の底が冷えるのを感じながら急ぎ外に出る。ダンも駆けつけ、「やっぱりこうなったか」と歯噛みした。

「テオ、軍は何がなんでも魔法使いを戦場に引っ張り出したいんだ。そのために武力行使を厭わないということなら、身を守ることができない人たちを避難させないと」

「わかっているよ、大きく騒ぐと厄介になりそうだから……門下生、錬金術師達も含めて、町の人を全員避難させて。俺が拾われた森の聖域までは手出ししてこないと思う。ダン、お願いできる?」

「いいけど、お前はどうするんだよ」

 一緒に逃げないのか、と手を軽く握ってくるダンに、テオは笑った。

「王宮は俺をご指名なんだし、俺が話をつけなきゃね」

 さあ行って、とテオはダンの背中を軽く叩く。「わかった」と短く返事をして駆け出したダンを見送って、テオは町の門まで歩いて進んだ。背後から「皆、森へ!森へ避難するんだ!」とダンの声が聞こえる。

 門を下り、街道と野原が広がる風景の中で浮いて見える、鉄色の群れにむかって声を張る。

「何用で参られたか。軍陣を張られ、町ごと威嚇されるほどのことを、我々はしたつもりはないが」

 テオの姿をみとめた軍兵はにわかに浮き足立つ。「魔法使いが出てきたぞ」「あれが魔法使いか」といった囁きをテオの耳は逃さない。

「先日、魔法使いである自分と、その門下生、錬金術師達を徴兵するといった伝令を受けた。それに対する返事の書状をお送りした。書面の繰り返しになるが、魔法使いを軍事利用することには賛成できない。我々はどの国にも牙を向けるつもりはない。魔法と魔術は破壊のためにあるものじゃないことをお分かりいただきたい」

 力ある声で言葉を響かせると、軍の中から黒馬に騎乗した将と思しき人物が陣から抜け、テオの側まで歩み出る。騎乗したまま下りる気配を見せず、見下ろすようにしてテオを見据えた。

「痴れ者が、王に援助を受けている身でそのような偉そうな口をきけるとは」

「王からの援助を受けているのは事実で、それは有り難く受け取っているのも事実だ。しかし、その援助の見返りとして軍に加担するといった約束は何一つしていない。我々の力を使いたいのであればそれなりの理由を持って相談していただきたかった」

 黒馬が忌々しげに嘶く。騎乗している将は見下した視線を更に剣呑にして言う。

「生意気な小僧が、隣国が攻めてこようとしている時に自国を愛し、護ろうという気も起きなんだか!」

「それは事実ではない」

 テオの視線は鋭くなる。声はあくまでも静かだが、氷片が散るような冷たさを含みはじめた。

「式を飛ばして隣国の様子を視させてもらった。隣国との国境に軍を配置し、脅しているのはこちらの国だろう。魔法使いという存在を利用して、交易でも随分と儲かっているようだ。王に伝えられよ、このようなことを続け、魔法使いを体の良い道具として扱うのであれば、我々は去る、と」

 将は一瞬、声を詰まらせる。そして、「小賢しいガキが」と吐き捨てた。

「王からの答えは既に預かっている。歯向かう者は全て消せとのお達しだ。魔法使いそのものが死んだとしても、隣国や他国は魔法使いの実力を知らず噂だけを信じている。お前が消えたとしても他国は知るすべがない。籠の中で大事に隠してきた甲斐があったというものだ」

 それに、と将は口の端を歪めて笑った。

「森は聖域だという古臭い考えを未だに持っているのだろう?愚か者よ、見え透いている。逃がしたつもりの者たちは今頃、お前を呪って焼け死んでいることだろうよ」

 テオの瞳が大きく開かれる。

「森に火を放ったのか?」

 振り返り森の方角に視線をやれば、遠くに黒い煙があがっているのが見て取れた。耳の奥で血が逆流する音が聞こえる。

 いま現在火の手が上がっているということは、門下生の十数名が、大量の水を呼び鎮火させるまでに至っていないということになる。山火事程度など物ともしない弟子たちが動いていない。どういうことだ、と声を上げる間もなく野卑な声色が降ってきた。

「魔法使いの肩書を持っているお前に効くかはしらんが、王は魔法使いの弟子どもの喉を潰し、腕を折れと的確な指示をなさった。そうすれば魔を行使することはできないと。森の状況を見るに、効果があったようだな」

「この、下衆が……」

「大人しくお前が徴兵の呼びかけに応えていれば、国の英雄と呼ばれ大いにもてはやされたものを、自らの手で破滅を選ぶとはな。いますぐ我が軍に協力するというなら、弟子や町人、錬金術師の命だけは助けよう、さあ選べ」

「選ぶ必要などない」

 テオは静かに告げる。

「目障りだ……散れ」

 瞬間、風が将に襲いかかる。どす、と重い音で落ちたのは将の首だった。

 鋭い風の刃は切って返してその胴も切り裂き、血飛沫が雨のようにテオの髪に、頬に、服に落ちる。絶命した将の体だったものは、肉片と化して馬の上から崩れ落ちた。

 主が倒れ落ちた黒馬は未だ吹き散る血に驚き脚を上げ、駆けていく。

 将を失い狼狽える軍兵達に、テオは「全員がこの様になりたくなかったら、さっさと撤退するがいい」と声を張り、未だ黒煙を上げている森へと走った。

 人の命を奪ったのは初めてだった。恐ろしいことをしてしまったというのに、心が麻痺したようにそれに対しては何の感情も浮かんでこない。ただひたすらに、ダンと、人々が無事かどうかを知りたかった。

『──王は喉を潰し、腕を折れと的確な指示をなさった』

 想像しても身の毛がよだつ。とにかく森へ。森へ急がなければとテオは地を蹴り続ける。





 地獄があるとしたら、今の風景こそが地獄だとダンは思った。

 火矢が雨のように降り注ぎ、聖域であるはずの森は燃え上がった。

 町の正面に陣を張っていた兵たちは囮で、本隊は森のそばに隠れていた。森に逃げ出してきた町の人々を待ち伏せしていた。読まれていたのだ。

 森に逃げ、息を潜めていれば、聖域である神の住む場所に手出しをしてくることはまずないと思っていたのに、その考え自体が間違っていた。

 兵士達は森を恐れるどころか笑い飛ばし、森に逃げ込む町人達に向かって矢をつがえた。

 それを阻止しようと、テオの門下生の一人が呪を結び、突風を浴びせる。砂混じりの風に目を痛めた兵士が怯んだところで「風上へ!」と避難民を誘導したが、別の兵士に捕らえられてしまう。もがいてもう一度魔法を放とうとしている門下生に降ってきた言葉は「喉を潰して腕を折れ」という上官の命令だった。

 その門下生が呪を結ぶよりもはやく、羽交い締めにされ、兵の持つ矢の先で声帯部分を掻き切られた。悲鳴にならない悲鳴を上げるよりも先に、羽交い締めにされた腕が嫌な音を立てて折られた。

 倒れ伏して血を吐き続け、苦しみのたうつ魔法使いの弟子を見定めながら、上官は「やはり王の仰せになったとおりだ。喉と腕を潰せ!魔法使いの門下生はそれで役立たずになる」と高らかに言い放った。それが暴虐の始まりだった。

 軍は捕虜をとるつもりも、手を上げて降参した者を許すつもりもなかった。幼子を抱きしめて「この子だけは」と兵に向かってひれ伏す婦人を嘲笑い、幼子もろとも斬り捨てた。

 森に逃げ込み、地の利を活かして木々の中に身を潜めた者たちに対しては火矢を浴びせ、火と煙で苦しんで炙り出された所でまた残虐の限りをつくした。

 どうして、とダンは思う。なぜこのような酷いことが許されるのか。戦うすべを持っていない者のほうが圧倒的に多いこの町を、潰す勢いで攻めてきている王宮軍の考えがわからなかった。

「水よ!」

「呼びかけに応えたまえ、水よ!」

 テオの門下生が必死に水を呼び、森の火を鎮めようとしている。

「なぜこんなことに……」

 門下生の一人が悔しげに呟く。水の波を呼び寄せ、火を消しても兵が襲ってくる。自衛といえども兵の命を奪うことにためらいがある者と、明らかな殺意をもって武器を振りかざす者では、圧倒的な差があった。

 ダンは門下生達に向かって叫んだ。

「魔法を使える者は、腕と喉を狙われている。気をつけるんだ!相手は俺達を生かすつもりはない、こっちも抵抗しないと全員殺されるぞ!」

 それに対して門下生は、衝撃を受けつつも震える声で「はい!」と返事をし、ある者は風を呼び刃として斬りつけ、ある者は水に魔力を更に込めて氷柱にし、喉を狙って弓をつがえる兵に放って突き刺した。

「テオ先生がこの状況を放置しておくはずがない、それまで耐えるんだ!」

「町の人達は風上へ!このまま進むと川がある、そこには火の手が追ってこない!」

「血で穢れることを厭うな、生き残るためにはなんだってするんだ!」

 門下生たちに連携がうまれはじめた。民を先導し、森の更に奥の川に進む者、民を守り結界を張る者、しんがりを務めて追いすがる兵の追撃を防ぐ者。一丸となって生きるために戦い始めた。

 ダンも逃げ回るばかりではない。兵を倒し、もぎ取った剣と盾でしんがりの一端を担う。盾で兵を突き飛ばし、鈍器のような重さの剣で殴るようにして振り下ろす。命を奪うまではいかないが、昏倒させることはできる。剣術などを習ったことのない見様見真似の戦いかただったが、やらないよりはましだった。

 負傷者を庇いつつ「森の奥へ、煙が届かない風上へ」と誘導し、迫る兵の一人を剣で薙ぎ払った。

 ふと、森の木の幹が交差した奥に弓をつがえる者と目があった。こちらを狙っている。ダンの体勢は剣を大きく横に振ったところで、立て直す暇がない。矢がこちらを向いている、避けなければ自分に当たる。盾を構える余裕さえない、どうすれば。遠くて聞こえないはずの、弓の弦が鳴る音が聞こえたような気がした。


「ダン!」

 聞き慣れた声が耳に飛び込んで我に返る。突風が吹く。未だ放たれている矢は風に煽られ、ダンの体の横をそれていった。次いで『散れ』と力ある音が響いたと思えば、迫る兵が次々と血を噴き出して倒れていった。しかし、ダンの目には霞んでよくわからなかった。

 体の所々が灼熱に焼かれているようだ。自分の体を見ればうっすらと、体から棒状のものが生えてるようにみえる。そこから熱と激痛が走っていて、射られたのだ、と気がつく頃には意識が遠くなりかけていた。

「ダン、ダン…!しっかりして!」

 酷く優しい手が自分を抱き起こす感触がした。何でこんなに傷だらけなの、誰がやったんだ、と涙で震える声がぽろぽろと降ってくる。

「テオ、お前……こんなに血で汚れて……」

 怪我じゃないのか、大丈夫か、と聞こうとしたが声が掠れてでなかった。

「やっと追いついたと思ったところで、こんな、こんな……ことって……」

 テオの声色が怒りを含み始めたことをダンは感じ取る。怒るな、お前らしくもない、と言ってやりたかった。

「いますぐ手当をすれば間に合う……ダン、持ちこたえて、死んだら嫌だよ」

 強く握ってくる手を、握り返す。

 ──泣くな、他にもこうやって命を奪われた人が沢山いるんだ。

 ──俺ばっかりを見てないで、助けるべき人を助けてやってくれ。

 そう、ダンは思った。

 その言葉はテオに届いていない。テオはダンを抱きかかえ、森の奥に向かって歩き出す。追手の兵は、先程テオの魔力で沈められた者たちの血の海になった惨状を見て、進むのを躊躇しているようだった。

「何をしている、例の魔法使いだ!討ち取れ!」

「弓兵を前に出せ、あの魔法使いは負傷者に気を取られている、今のうちだ!」

 弓兵からの矢が雨よと放たれるが、空間がねじ曲がったかのようにテオには届かない。テオに降り注ぐはずの弓矢は跳ね返るようにして、弓兵の上に落ちてその身を貫き、叫び声が上がる。

 頑強な兵が怒号を上げ突進し、斧を振り下ろそうとするが、斧がテオに当たる前にその腕ごとが断ち切られ、血飛沫がまた上がった。

 魔法使いは周りの景色を見ていないようだった。矢も斧も、剣も、何も通さないような仄暗い空気を纏い、斬られ落ちた腕を石ころと同じように踏み、何の感動もなく相棒の錬金術師を抱えて歩いていく。

 倒れている兵だけではない。焼け死んだ獣、燃え燻っている木の枝、兵によって殺された町民の遺体にさえも目をくれず、ただひたすら壊れたように「ダン、死んじゃいやだよ」「もうすぐ川だから、傷口を洗おうね」等と呟き続けている。

「化物だ……こんな化物を、国は飼っていたのか……」

 その言葉に、ふとテオは振り返った。

「……バケモノが欲しいなら、いくらだってそうなってあげるよ。お前らはもう帰らせない。森から出ることも、再び家族にあうことも出来ないものと思え」

 そして『森よ、怒れ』と力の言葉を口にした。森の空気が一変する。

 

 一人は、兵としての役目を放棄し逃げようとしていた。森から出るため、明るい方へと向かって走っていく。燻っている森の木々と倒れた人、その光景は夢に出そうなくらいに、その者の心に焼き付いていた。森は神聖な場所だと知っている。そこに火を放ったのは自分を含めた弓兵達だった。「きっと罰が下る、その前に逃げないと」と、口の中で呟く。王が、軍師が悪いのだ。森に火を放てと命じ、その中で人を殺せと命じた。一兵卒のその者にはそれに抗う勇気も地位もなかった。

 その瞬間、足を取られて転び、前のめりになって顔から地面に突っ伏した。木の根などは避けて進んでいたはずなのに、何につまずいたのだろうと不思議に思う。そして顔を上げた時、恐怖でその顔が歪んだ。「助けて」という間もなく、その者は『何か』によって命を奪われ、叫び声だけが残った。


 数人は、森の空気が変わったと気がついた。その証拠に、霧のようなモヤが立ち込め、森が焼けたはずの熱が残っているのにもかかわらず寒く、息が白く凍りはじめたのだ。遠くで絶叫が響いた。何が起きているのか分からなかった。焼けたまま立ち尽くしている木々の向こうから視線を感じ、武器を構えても相手の姿形は見えない。

 視線に影が横切る。目玉を動かして追うも、早すぎて影は見えなくなる。またしばらくして影が横切る。先程よりも近い場所で見えた。

「お、おい……」

「わかってる、油断するな」

 数人はお互いを鼓舞しあい、背中を預け合いながら固まる。恐ろしいことが起きようとしているのは何となく分かっていた。

 また影が踊る。数が増えている。見えているはずなのに視界に捉えられない影は、間合いを詰め、数人の男達の目と鼻の先でまた横切る。獣の匂いがした。

 一人が耐えきれず悲鳴を上げた。

「ごめんなさい、許して下さい」と叫びながら固まりから抜け、影から逃げるように走り抜けていく。その後姿に影が襲いかかった。逃げた者の首が飛び、悲鳴も出さず残された身体だけがゆらゆらと揺れ、ゆっくりと血を噴き出しながら倒れていく。その後に飛んだ首がどさりと音を立てて落ちた。それが合図だった。影が踊り、集団に襲いかかり、また絶叫が森の中に満ちていった。


 テオは、皆が逃げ込んだ森の奥とは別方面に向かって目的の場所へ出た。

 苔むした樹齢の高い大木の、露出した根の上に傷ついたダンを抱きしめたまま腰をおろす。腕の中の体温とその脈が少しずつ弱くなっていくことを感じていた。彼の限界が近いのだ。

「……ダン、覚えてるかな。初めて俺達が会った場所だよ。ここでダンに会えなかったら、俺はこうして生きていなかった……」

 けれど、とテオは目を伏せる。

 もし自分に魔を操る才能がなかったら、きっと本当の両親にも捨てられず、平凡な一生を送ることが出来たかもしれなかった。

 その平凡な者としてダンに出会えていれば、魔法使いと錬金術師としての相棒にはならなかったとしても、恋に落ちて一生添い遂げることができるかもしれなかった。

 魔法使いとして国の玩具にされず、ダンをこのような形で傷つけることもなかったはずだ。

「ダン……死なないで……お願いだよ……」

 こんな自分のせいで、自分の魔力のせいで、最愛の人を巻き込んで傷つけ死なせることなんて望んでいない。何ももう要らないから、命だけは助かってほしかった。

「テオ……、」

 ぼろぼろと涙を零し続けるテオに、うっすらと目を開けたダンが唇を動かす。

「泣くな……、目が溶けちゃうぞ」

「ダンが助かるなら、目なんて要らない……お願いだから死なないで……」

 テオの懇願に、ダンはこたえようとして咳き込む。もう自分は持たない、テオを一人にしてしまう。残された時間は僅かだから許して欲しいとばかりに、小さなわがままを言った。

「テオ、笑ってくれ……」

 最後に見る景色は、お前の笑顔がいい。

 そう言われ、テオは顔を歪めながらどうにかして笑った。涙が止まらない。視界が水で溢れてダンの顔がぼやけてしまう。何度も目を擦ってダンの青碧色の瞳を見つめた。

「テオ……ありがとうな、」

 そばに居てくれて、手遅れになる前に来てくれて。森を、皆を守ってくれて。

 心から愛していると、そう言いたかった。テオを安心させてやりたいのに、それが出来ない自分が悔しかった。先程から意識が途切れがちで、必死で意識を浮上させようとしているのにもかかわらずそれができない。

 テオが泣きながら、それでも笑ってくれた。充分すぎるほど幸せだった。

「ダン……、」

 力の抜けた手がテオの腕から滑り落ちた。呼吸が途絶えて、脈がなくなり、ダンの身体が急速に冷えていく。

「嘘だ……ダン、起きてよ……」

 何度確かめても、同じだった。冷たい肌。閉じた瞼。人形のようにだらりと力の無くなった四肢。テオは震える指で抱きしめたダンの頬をなぞり、嗚咽を漏らす。

「嘘だ、嘘だ……許さない、こんなことは……」

 年老いて迎えるものならば、一生懸命生きようとした結果そうなってしまうものならば、まだ納得がいく。しかし、このような形で、人から奪われる形で彼を失うことなど許せなかった。

 自分に魔力を授けた世界も、それを利用しようとした王も、何もかもが憎い。腹の底が燃えたぎるように熱くなっていく。彼の死を悼む気持ちよりも呪いを吐き出しそうになる。

 いま命を落とした愛しい人はきっとそれを望んでいない、自分が捻れた考えを抱いているのは分かっている。それでも憎いという気持ちを押さえることが出来なかった。

 自身に魔を授けた世界を魔法使いは呪った。こんな力がなければと嘆く反面、この力があるのであればと歪な考えが浮かんでくる。命の抜け殻になった愛しい相手の身体を強く掻き抱きながら、彼は言葉にならない哀しみを叫んだ。

 小さな村で育ち、一度は実父に消されかけ、助かった命。その命に名前をつけてくれた最愛の人物。その人と過ごした優しい時間と、奪われたもの。

 いつの間にか、晴天だった空に一滴の宵闇が落ちる。

 魔法使いの呼びかけに応えるように、嵐が訪れようとしていた。


 突如として発生した嵐は、一国を丸ごと飲み込んだ。次元が荒れ狂い、海が逆巻いて港を潰して流し去った。暴風が木々や建物を薙ぎ倒し、稲妻が槍のごとく大地を貫き、火の手があがる。雨は山を削り落とし、土砂が麓の村を潰していく。

 テオの門下生であった者、生き残っていた錬金術師や町の者も、嵐という災害を前にして、等しく命を奪われていった。

 魔法使いの存在を使って国を太らせようとしていた王は、果たして気がついただろうか。己の私腹を肥やす計画が事の発端を呼び、王宮もろとも風と稲妻に破壊されていき、国を破滅に追いやることになる、その事実を。

 全てが洗い流され、ひとつの国が消えようとしている中で、魔法使いの吠え叫ぶ声だけが明瞭に響いた。

「憎き神どもよ、俺の望みを聞くがいい!聞かないならば、お前の世界を俺が壊してやる!」

 捻れた時空の中で、強い思念の脅しに創造主は応える。

 始祖である魔法使いから死の概念を消し去り、巡る命の中で愛しい者を引き寄せ、その手で掴んでみせよと、挑戦してきた。

 ただし、輪廻を越えた生命との接触はかならず歪みをもたらす。生まれ変わった者の生きる行方を捻じ曲げようとするならば、今度はこちらが世界を壊すであろうと魔法使いに言い放った。

 ──金の髪の魔法使いは、こうして死ぬ術を失った。愛した命の輪廻を追い、寄り添うことを望むだけの存在になった。それを知る者も、哀れだと慰める者も居ない。

 いつしか、その手には最初に愛した者が設計した杖が握られるようになり、いくつかの時代を経て、魔法使いの始祖として伝説に描かれるようになった。

 今は誰も知らない、遠い時代の物語だった。


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