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風の行方  作者: 晴雪


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はじまる波

はじまる波

 

 

 1

 北国に、待ち望んでいた春が訪れようとしていた。雪に埋もれていた地面から、雪割草などの小さな花々が顔を出し、渡り鳥が帰ってくる。緑の気配が濃くなり、ゆるやかであたたかな風が吹く。

 まだ石畳の道に寄せられた、日陰の雪の塊は灰色に凍っておりまだ溶けきらないものの、明るい日差しと首都の人々にも、明かりが差したような活気が宿りつつあると知ってダンは嬉しくなった。

 目の前の二階建ての建物を仰ぎ見る。店内の様子が見えるよう切り取られた前面の殆どが格子でつないだ硝子張りの飾り窓だ。その硝子は手入れをされず曇っており、中は見えない。店内に入るための扉も古びていて、蝶番が外れかけている。

「俺らの、店かあ」

 感慨深くじっくりと眺めていると、横に立っていた金髪の元魔法使いが「気に入った?」と柔らかく微笑んだ。

 商業区のはずれにあるその建物は古く、大通りから横に入った細い路地の横丁、その隅に位置する。飲み屋や宿屋、小さな商店が軒を連ねている端にあった。

「大通りの、もっと立派な店舗を買ってもよかったのに」

 テオが言うと、「これくらいが良いんだよ」とダンは歯を見せて笑った。

「最初から立派な店なんて持て余しちまう。俺とお前がやっていくのに最低限の収入があればいいだろ。売り物も何も決まってないし」

「まあ、建物の古さで言ったら立派な部類に入るけどねえ」


 テオとダンは首都へ到着してから、宿場に停泊しながら、まず貸し部屋や売り家を扱う商人を探した。仲介してもらった商人に、テオの所持している貴重な鉱石や貴金属から換算した予算を提示したところ、商人はその金額に目を見開きながら、富民区の一等地に値する大げさな商店に空きがあると勧めてきた。

 何も考えずにそこを買い求めようとしているテオに「待った」をかけたのはダンだった。

「お前、ほんとそういう所、浮世離れしてるよなあ。どんな店をやるのか分からないのに、一等地を買ってどうするんだよ。これからの資金繰りだってあるんだから、もっと手頃で安い物件にしようぜ」

「そういうものなのかな、じゃあ、ダンが気に入ったところにしようか」

 何のこだわりもなく頷くテオは、まるで何もかもが初めてのことのように浮かれていた。それに対してダンが自身の好みを連ねていく。

「まず、年季が入ってる建物がいいな。歴史や情緒を感じさせる雰囲気があるところ。首都は城下を中心にして栄えてきたみたいけど、その中でも古い通りに面した古い建物がいい。頑丈そうでいいだろ?敷地面積はそんなに大きくなくていいから、二階がある所がいい。俺らが上の階に住みたいから。あと馬を二頭持ってるから、厩舎が近くにあると尚いいな」

 ダンの要望を洋紙にまとめながら、不動産商人は頷いた。

「雰囲気は少し暗い場所だが、『烏羽横丁』の売家が旦那方の条件にあいそうだ。興味があるなら案内しよう」

 商人に紹介された『烏羽横丁』の店舗兼住居となる建物を、ダンは一目で気に入った。場所は横丁の出入り口に面した角地で、路地を抜けると広場にぶつかる。そこには中規模の厩舎があり、シェリーとキールを預けられそうだった。

 建物は堅牢な石造りだが、石の色が明るい色合いなので重々しく見えず、少々年季が入りすぎて弱っている出入り扉を挟んで並んでいるのは、美しい格子の入った大きな飾り窓だった。

「窓側に色々並べて、商品が見えるように飾ったら楽しそうだな」とダンは言い、商人に中に通してもらって内部のがらんとした様子を見て、「掃除と改造のしがいがありそうだよ、ここ、いいな」とテオに笑った。

 それに対してテオは「ダンにおねだりされたら逆らえないよ」と返し、その物件を購入する旨を商人に伝えた。

 支払いはテオが所蔵していた、王族が喜びそうな宝飾品を数個手放したのみで済んだ。鑑定をした職人が「これをどこで手に入れた、素晴らしいものだ」と喜び驚き、大量の金貨と交換してくれたからだ。

「処分せずに持ってきて良かった」というテオに「あれだけの貴金属に埃を被せてたのは誰だよ」と、ダンはチクリと刺したのだった。


 そして宿に一泊した翌日の現在。「まずは掃除からだなあ」とダンは古びた扉に鍵を差し込み開けた。蝶番が外れかけているその扉はギシギシと鳴り、今にも外れてしまいそうだ。

「扉も頼んで替えてもらおうか、蝶番だけだったら直りそうだけどドアノブも外れそうだし、あちこちガタがきてる」

 テオの声にダンも同意する。首都の職人区にいけば良い材木職人に出会えるだろう。

 二人が手に入れた店舗兼住居は、元々は素晴らしい建物だったことを彷彿とさせた。床板は歩くと足跡がつくほど埃が白くつもってしまっているが、頑丈で経年劣化による剥がれも歪んでいる様子もなく、靴先で埃を擦ってみれば美しい木目のようなものが覗き見える。

 窓は曇っているが割れている箇所はなく、分厚くて透明度も高い上等な硝子だ。目隠し布がそのまま残っていたが、所々に虫食い穴が空いていたので、それは買い替えたほうがよさそうだと、二人で購入予定品目を小さなメモに連ねていく。

 二階への階段もしっかりしていて、のぼってみれば一階と同じように埃まみれだったものの、見事な木材で作られた据え付けの棚や机があり、薪で火を起こす直火の台所もあり、何よりも広々としていた。寝台が一つしかなかったが、それはまあ問題ないだろう。

「ざっと整えただけでも快適に暮らせそうだ。テオの山小屋ほど広くないけど、いいよな?」

 ダンが言うと、テオは泣きそうな甘さを含んだ声で応える。

「……俺は君と生きられるなら、どこだって幸せだよ。ダン」

 それに照れたダンは「ばーか」と返し、テオの金髪をぐちゃぐちゃに混ぜてやった。

 

「ドアの交換と掃除用具の調達、とりあえず住むには困らない程度の追加家具、窓の目隠し布と寝台のシーツ、最低限の調理器具も必要か。食事は暫く夜店か食堂でもいいけれど、お茶くらいは入れられるようになりたいよな」

 テオと暮らす我が家となる物件の扉に鍵をかけたあと、ダンは石畳の道に靴音を鳴らし、束になった購入予定品目のメモを見ながら言った。空気は春を含んで甘く感じ、日差しがあたたかい。

 あまり思い出すことはもうないが、自分の名と一緒に消えてしまった故郷の村と比べて、首都は格段に過ごしやすい陽気だった。

 まずは職人の集まる区画に赴き、木工師が作業をしている工房を尋ねる。

 店舗軒自宅の場所を伝え、扉を発注する見積もりを取りに来てもらう約束をつけ、前金を支払う。ついでに良さそうな家具を数点購入し、見積もりの際に一緒に運んできてもらうように頼んだ。 

 あとは商店の集まる商業区へ向かい、消耗品や掃除道具、布製品や衣料品、調理用品と少しばかりの食料を買えば、二人の両腕はいっぱいになってしまった。持ちきれないものは後日届けてもらうよう手配をする。

 溢れんばかりの大荷物を抱え、並んで歩く姿はいささか滑稽にうつるだろうが、テオとダンは楽しかった。笑顔で家となった場所に帰り、ギシギシと鳴って今にも外れてしまいそうな玄関の扉を開いて室内に入る。

 荷物を埃で白いままの床の上に置いてから「おかえり」と「ただいま」を言い合い、また笑い合った。

「……帰る場所ができたね」

「うん、俺達の家だからな」

 道を違えてばかりで、情けない限りの自分を迎えてくれる場所ができた。いまは殺風景に見えるこの場所も、二人で手を加えて居心地の良い空間に変えていくのだろう。杖を折った元魔法使いは、それがこの上なく幸せで仕方なくて、いまにも涙が零れそうになる。

「テオ、お前ほんと泣き虫になったよな」

 そう茶化してくるダンの声は、どこまでも優しい。甘えるようにして、抱きしめたダンの肩口に額をこすりつけ、「そうだね」と呟いた。


 それから一週間ほどの間で、住まいは慌ただしく充実していった。新しい家具や、注文していた物品が届きはじめる。二人は手分けをして二階一階ともに床を磨き上げ、窓すべてを布で拭き清めた。目隠し布も新しく、寝台には羽毛布団が追加された。台所は調理ができるよう、埃と煤まみれだった炉の中を掃除し新しい薪をくべた。

 青い塗料で店の前面、正面扉の上にあたる木板の看板部分を塗り替え、金文字で店名を描いたのはテオだった。

「魔法陣で筆の扱いには慣れているから」と言っていたにも関わらず、とろみのある塗料と刷毛で看板を塗るのは勝手が違ったようだ。結局、頬や手先や衣服にべたべたと青い模様をつけることになり、ダンに笑われながらもなんとか作業を終えることができたテオは満足そうにしていた。

 木工師に発注をした玄関扉がその頃に届いた。硝子窓が嵌め込まれている美しい樫材で、ワニスを重ねた艶のある仕上がりに二人で手を叩いて喜んだ。後金の支払いには色をつけたので、職人も「また何かあればよろしく」と嬉しそうに帰っていく。

 無事取り付けがおわったその真新しい扉の上の外壁に、用意してあった吊り下げ看板を打ち付ける。黒い鉄の鎖でぶら下がる看板に描かれたのは湧き出す金色の泉。店名は旧い言葉で泉をあらわす「フォンス」と二人で前から決めていた。

 最後に、扉には磨かれた真鍮のベルを下げる。

「……できたね」

「うん、できた」

 新しく息を吹き返した商店の誇らしげな佇まいを、二人は心地よい疲労と充実感で胸を満たしながら見上げていた。

 鳥たちが巣へと戻るためにと小さな影が横切る空は、群青と茜色に染まり、太陽が西へと下る頃合いだった。



 粉のような雪が降り続ける中、デュークとハリスは馬に騎乗し山道を進んでいた。ジェームズから譲り受けた馬は「脚が強い」という言葉の通り、北国の雪などものともしない力強さで足を進めていく。雪化粧をした針葉樹と、周りが白すぎるばかりに灰色に見える空。そこから降り注ぐ粉雪は睫毛に、頬に、深く被った毛織のマントのフードの上に静かに留まり、溶けることを知らない。

 首都付近から、町、村へと人口が少なくなっていく僻地へ、途中で宿を取りながら進み続けて二週間ほどが経過した。ハリスは顔を上げ、目の前の景色に目を細める。「竜の背」の名の通り、北端にはその背びれを表すかのような山脈が連なっていた。

 ジェームズと別れを告げて町を出る前に、首巻や手袋等の防寒具を追加で用意したものの、北上すればするほど寒さは厳しくなり、手綱を掴む指先は冷え切ってかじかんでいる。

 デュークが銅の振り子と地図で先導していく道のりで、ハリスが後方から声を上げた。

「なあ、あとどれくらい進むんだ?」

「もうすぐ麓の村に到着するから、そこで一泊していこう。この天気で凍え死なれても困る」

「それは助かるな、馬が元気でも乗ってる人間のほうが参っちまうよ」

 そう言ってハリスは、首巻きを鼻の位置まで上げた。

 地図から名前が消えた村から一番近い集落である「麓の村」は、想像以上に廃れていた。

 過去はそれなりに大きな村だったのだろうとハリスは予測する。ここから山脈のなかにある小さな集落や、消えた村へ向かうはずの行商人や、旅人達の中継地点になっていたからだ。  

 それは地図からの情報で読めていたから、もう少し活気のある様子を期待していた。しかし灯っている明かりが圧倒的に少ない。天気のせいもあるのだろう、どの民家の扉も堅く閉ざされていた。

「宿屋…は、ここか?」

 馬を引いてハリスが訝しげに眉を顰める。

 寒冷地に適した果物を栽培している果樹園は、いまは雪をかぶって黙り込んでいる。そのそばにある宿屋の吊り看板は鎖が外れ、ぶらぶらと揺れていた。

「明かりもついていないし人の気配もしない。……嫌な雰囲気だ」

 デュークも同じく顔をしかめた。

「宿屋が開いていないなら、どこか泊まらせてくれる所を探すしかなさそうだね」

 そう言って手近な、厩のありそうな民家の扉を叩く。閂が開けられる音がして薄く扉が開くものの、目を合わせるまもなく「他所者は出ていけ」と吐き捨てられ、扉は荒々しく閉められてしまう。デュークとハリスは肩をすくめて他の民家をあたるものの、扉が開くことはまずなく、開いたとしても冷たい言葉を投げつけられて終わりだった。

「まずいな、このままだと野宿だぞ……」

 ハリスの焦りが見える言葉に、デュークは応える。

「この麓の村は、名の消えた村となにかしらの交流があったはずだ。近隣の村に何かが起こって、ジェームズの言っていたように……村人が全滅するような事件があったのなら、警戒するのも当然だと思う。とにかくこの気候での野営は自殺行為だ、厩でもいいから軒先を借りれないかもう一度聞いてまわろう」

 デュークが肩を落とし気味に言って振り返ると、先程まで明かりがなかった民家の一つにあたたかな灯りが揺れていた。

 よく目を凝らせば扉が開き、小柄な人影がこちらをみている。粉雪にけぶるその人影に誘われるようにハリスとデュークは馬を引いて歩み寄ると、明かりを背にして立っていたのは、まだ幼さが残る少年だった。

「兄ちゃん達、旅の人?」

 おずおずと問われて、ハリスは笑顔を見せる。

「おう、首都からここまで馬できたんだよ。すごいだろ」

 デュークはハリスが余計なことを言わないよう、先に口を挟む。

「僕たちは山頂付近に生えてる薬草を取りに来たんだ。魔術に使うから」

「そっか、そっちの兄ちゃんは魔法使い……なんだね」

 少し顔を曇らせた少年に、ハリスは首を傾げる。

「どうした、魔法使いが怖いのか?」

「……ぼくが小さい時に、怖いことをした魔法使いがいるって聞いたから」

 怯えたように菩提樹の杖を見やる少年に、デュークは膝を落として目線を合わせる。

「僕は何もしないよ」と、無愛想ながらも柔らかく言い、そして「君、お父さんとお母さんは?僕らは一晩泊まる場所を探しているんだ、雪と風が防げるなら馬小屋でも構わない。ご両親に聞いてもらえないかな」と問うた。

 デュークの問いに少年は、「父ちゃんと母ちゃんは居ない。ばーちゃんならいる」と答え、「入りなよ、ばーちゃんは許してくれると思う。馬は小屋があるから大丈夫だよ」とデュークの手を引いた。


 馬房に馬をつなぎ、少年に引かれるまま家屋の中に入ると、あたたかな生活の匂いが鼻をくすぐった。暖炉の火が暖色に部屋の中を彩っており、炎が揺れる度に影も踊る。

 石造りの暖炉の前、安楽椅子に腰を落ち着けている老年の婦人は、デュークとハリスを見て「あらまあ」と少し驚いたようだった。

「こんな寂れた村に来るなんてねえ……旅人さんかい?」

「魔法使いの兄ちゃんと、そのお友達みたいな人。山をのぼって薬草を採りに行くんだって。宿屋がなくて困ってたみたいだったから。ばーちゃん、泊めてあげてもいい?」

 少年は安楽椅子の老婦人のそばに行き、皺の入った手の甲をさする。

「魔法使いの兄ちゃんだったら、父ちゃんと母ちゃんを探せるかもしれないし、ねえ、いいでしょ?」

 一生懸命に頼み込んでいる少年に、老婦人は「そうねえ、」と首を傾げる。

「頼みごとはともかく、こんなに寒い中を旅してきて宿がないのは困っているだろうね。私の娘夫婦が使っていた……この子の父親と母親の部屋があるから、良かったらそこに泊まって行きなさい。何もない家だけれど、寒さくらいはしのげるでしょう」

 老婦人が言うと、少年は目を輝かせてはしゃいだ。

「やった!ねえ兄ちゃん達、旅の話を聞かせてよ、あとぼくの父ちゃんと母ちゃんがどこにいるか占ったりしてほしいな」

 少年が目を輝かせながら、玄関の戸口付近に立っているハリスとデュークに「こっちにおいでよ」と手まねきする。

 古びた卓と椅子が置かれた、暖炉の奥に位置する食事場に誘導される。

「ねえねえ、魔法使いってどんなことができるの?もう一人のお兄ちゃんは剣術が使えたりするの?色々教えてよ、ぼくききたいことがいっぱいあるよ。ここ座ってよ」

 無邪気な問いを重ねてくる少年に、老婦人が微笑みながら声をかける。

「坊や、旅人さんが心地よく休めるように、お部屋を整えてきてくれるかしら。あたたかい毛布を出しておあげ」

「わかった!」

 元気よく少年は返事をし、食事場を後にする。その小さな背中を見送り、デュークとハリスから雪で湿ったマントを受け取って暖炉のそばに干したあと、老婦人は悲しげに首を振った。

「先に言っておくけれど……私の娘とお婿さん……あの子の両親はね、もう居ないのよ」

 その言葉の意味を悟って、デュークとハリスの表情は硬くなった。まだ幼い少年にその事実を突きつけるのが辛く、話していないのだと老婦人は言う。

「もう四年になるかしら。山の中にちいさな村があったのだけれどね、冬の蓄えを作るために物を売りに夫婦二人で出かけて、そこで運悪く疫病にかかったらしくて」

 『疫病』という単語がでてきたことに、二人は顔を上げて反応する。その様子を見て、老婦人は「あなた達は薬草を採るのではなく、そこに行こうとしているのでしょうね」と見抜いたかのように言った。

「娘夫婦は、あの子や、私に感染させまいと山を下りることを諦めて、そのまま山の村で亡くなったらしいわ。あの子と私に宛てた手紙を遺して」

「……全滅した村から手紙が届いたんですか?」とハリスが問うと、老婦人は「いいえ」と再度首を振った。

「春になってから、行商人が村の様子を見に登ったのだけど……誰も居ないもぬけの殻になった村をみたとか。娘夫婦が滞在していた宿に手紙が置かれていたのを見つけて、私に届けてくれたのよ」

「村が、もぬけの殻とは一体……」

 ハリスが想像していた光景と違う。疫病で村人が全滅したという言葉だけを聞けば、倒れた遺体の一つや二つは転がっているだろうと思っていたからだ。

 老婦人はハリスの言葉の意味を汲み取って頷き、続ける。

「ええ、誰も村にはのこっていなかったの。その代わり、墓地が前よりも拡がっていて花が咲いていたらしいわ」

「花……ですか?」

「誰かが丁寧に埋葬をして、花の種を撒いたのだろうと行商人は言っていたわ。誰も生き残っていなかった、というのは嘘で、誰かが疫病から生き逃れたのかもしれない……あるいは、山の奥に住んでいた魔法使いがそうしたのかも、と。当時はそういう噂になったわねえ……」

 老婦人からの情報に、デュークは身を乗り出して問う。

「僕たちは、その……お気づきの通り、名前の消えた村に行こうとしています。なぜその村が疫病で全滅するに至ったのかということ、それに魔法使いが関与しているのかどうかを確かめたくて」

 デュークが言うと、老婦人は悲しそうに微笑んだ。

「魔法使いが疫病を拡げたという話は、この麓の村でも有名な事実よ。一時期はこの国の偉い人たちもその魔法使いを探していたの。詳しいことは知らないのだけれど、地図から名前を消すことを決めたのは、この国の王宮付き魔法使いだそう。名前を消すことで疫病の根本を絶とうとしたとか」

 デュークはその言葉に考え込んだ。

「名はその対象の本質を表します。それが人であろうが村であろうが、個を示す名前であれば、祝福を授けるも呪詛をかけるも思いのままだ。村で起こった惨事を『無かったこと』にしたければ……たしかに村の名を消すのは魔術的に有効だと思う。だけど、数年ほどで人の記憶の全てからその村の惨事を消すことはできないし、疫病自体も消えていない。政府の試みは失敗していると考えたほうが良さそうですね」

 そうね、と老婦人はこたえた。

「失敗と言われればそうかもしれないわ。四年前の当時は軍が赴いて大規模な捜索をしていたのだけれど、結局はその魔法使いを見つけることはできなかった。軍が全滅した村と麓のこの村を行き来したせいで、菌が移動したのでしょう、ここでも疫病に罹る人が大勢でてしまった。だからこの村の人達は閉鎖的で、他所者を今でも警戒しているのよ」

「なるほど……」と、ハリスは顔色を暗くしながら問う。

「宿屋が閉まっていたのは、やはり……?」

「疫病にかかって、ご主人も奥様も、継ぐはずの息子さんも亡くなったから」

「そうだったんですか……」

 他にも数多くの村人が疫病の影響で命を落としたと老婦人は言う。しかし、村全体が死滅するほどではなく、防疫対策をし、人同士で距離を置くことで、今のところは新しい罹患者はでていないと語った。

「話しづらいことだったでしょうに、すみません」

 デュークが謝ると、老婦人は困ったような顔を見せた。

「確かに疫病を蔓延させて村一つを消したということであれば、その魔法使いは大罪人でしょう。けれど、私はね……村の人達ひとりひとりを埋葬して、花を供えるようにして種を撒いた魔法使いに、何か『そうしなくてはならなかった』理由を感じずにはいられないのよ。哀しみと、苦悩の果てにそうしたような、何かがあったのかもしれない……なんて、年を取ると色々考えてしまって、駄目ね」

 その言葉の意味を聞こうとしてデュークが口を開いた瞬間に、「ばーちゃん、部屋の支度おわったよ!」という少年の溌剌とした声が響き、小さな背丈が跳ねるようにして近づいてきたので、慌てて口を閉じた。続きを聞きたかったが、子供の前でする話ではない。

「あれ。ばーちゃん、兄ちゃん達に食事とか出してやってないの?旅人さんならお腹空かしてそうだけど」

 不思議そうに首を傾げる少年に、「あらあら、そうだったわ」と老婦人が笑う。

「まずはお茶を飲んであたたまってもらいましょう。残り物で申し訳ないけれど、熱いスープも用意しましょうね」

 その言葉に少年は機嫌よく頷き、「じゃあスープができるまで、ぼくとお話しようよ」と、笑顔で卓についたのだった。

 食卓で熱いスープとパンを出してもらい、感謝しながらそれを口に運んでいる合間も、少年はデュークとハリスに次々と質問を投げかけた。

 どこから来たのか、どこへ行くのか、何が目的なのか。

 北国の閉ざされた村の景色しか知らない少年は、デュークやハリスの祖国の話にとりわけ目を輝かせていた。

「魔法使いって学校にいって勉強するんだね、すごいや」

「西国は魔法使いの学校が多いんだよ。だから魔法使いの数も多い。実力は皆ばらばらだから、偉い魔法使いと偉くない魔法使いで貧富の差が激しい。お勧めしないよ」

 デュークが苦笑しながら言うが、少年の憧れの前ではそれすらも魅力的に映るようだ。

「へー、でも、ぼくも西国にいってお勉強してみたいなあ。あ、あと北東国で戦い方も習ってみたいや」

「北東国は伝統的なものといったら剣術の他に槍術がある。あとは石弓か。成人すると兵役を何年かしなくちゃいけないから、大変だぞ」

「軍隊って厳しそうだけどかっこいいよ、お兄ちゃんも戦えるの?」

 少年の問いに、ハリスは「んー」と声を上げた。

「まあまあ、かな。槍よりは剣のほうが握りやすいか」

「すごい、すごい!」

 手を叩いて喜ぶ無邪気な少年を無下に扱えず、デュークは簡単な魔術で暖炉の炎の色を変えて見せることになり、ハリスは食事のあとに簡単な護身術を教えることになった。

 旅人に構ってもらえるのが嬉しくてはしゃいでいる少年に、老婦人が「もう寝る時間よ、坊や」と声をかける。

「ばーちゃん、ぼくまだ起きていたいよ」

「旅人さんもお疲れなのだから、困らせては駄目よ」

「はあい、ぼくも早く大人になりたいな」

「君が思っているよりも、大人になるのはすぐだよ。おばあさんを大事にして、よく食べてよく眠るといい」

 デュークが言うと、少年は嬉しそうに頷き「おやすみ!」と自分の部屋へと帰っていった。老婦人もこれ以上語ることはないようで、デュークとハリスに床につくよう勧めてくる。それに有り難く礼を言って、少年の両親が使っていたという寝室に移動した。

 寝台が二つ並んだだけの簡素な部屋だが、少年が整えてくれた室内は埃っぽさもなく、シーツは新しいもの、そして厚手の毛布が畳まれて置かれていた。

 デュークとハリスは旅装を解き、寝台に座ってお互いの顔を見る。

「やはり、目的地の名前の無い村には……魔法使いが絡んでいたようだね」

「そうだな。まさかこんなに大きな情報が手に入るとは思わなかった。亡骸のない村の様子に、花が咲いてる墓地か……明日さっそく向かおう。自分で見ないと納得がいかない」

 頷きあってから、明日に備えてもう寝ようと言い合う。そこでふと思い出したことがあって、ハリスはデュークに問うた。

「そう言えば……ジェームズの町で飛ばした『式』は帰ってきたのか?」

 地脈に潜り、一晩で世界を駆け巡る疾さをもった魔術ではなかったか。ジェームズの元から旅立ってもう二週間以上が経とうとしているのにもかかわらず、デュークから式の話がでなかったことを不思議に思っていたのだ。

「帰ってきていない」

 デュークは素っ気なく言う。

「アンタに言うと大騒ぎしそうだから黙っていたけれど、『壊された』可能性が高いんだ。式の手応えが無くなったから」

「え」とハリスは声を上げる。

「それは、いつ頃のことだ」

「気がついたのは一週間前くらいかな。式は『杖をもっていない魔法使い』という情報だけを頼りに捜索にあたっていた。だけど、迷っているようだった。通常なら一晩で情報を持って帰ってくる……それに該当する者が見当たらなかったのかもしれない。それならそれで該当無しとして帰ってくればいい。なのに一向に帰ってこない上、いつの間にか式に意識をまわしても式の存在を感じることができなくなっていた」

 重さを感じない平坦な言葉に、ハリスは「お前なあ」と頭をかく。

「そういう大事なことは共有するくせをつけてくれよ」

「ハリスに言っても不安を煽るだけだと思ったからね」

「いらぬ気遣いっていうんだ、そういうのは」

 「俺はお前の主人なんだろう、建前上だけでも」と言うと、「魔術に疎い者に報告したところで、何もできやしない」とデュークは言い返す。

 ハリスがそれに非難の目線を向けると、デュークは息を吐いて言葉を続けた。

「……ジェームズの町に細工を仕掛けた『杖を持っていない魔法使い』が式に気がついて壊したのだとしたら、探りを入れたことに対して報復を考えてもいいはずだ。だから何かしらの動きがあると思って待っていた。けれど、不穏な動きは今のところ何一つない。僕も手の打ちようがなくて悩んでるんだ」

 言って、デュークはあくびを噛み殺す。

「式を作り直してもう一度飛ばしてもいい。でも、隠密に特化して情報だけをうまく探る式を作るのは時間がかかる。それすらも気づかれて壊されたとしたら、こちらの手の内だけを晒し続けることになるし、色々と面倒だ。とりあえず明日は例の村跡にいくのだから、そちらに意識を集中させていたい。……以上、僕からの話は終わり」

 乱暴に言葉を終わらせたデュークは寝台に体を倒して、毛布にくるまってしまう。その背中にハリスは声を投げる。

「なあデューク、お前……もうちょっと俺を頼りにしないか。何のために旅の同行を許したんだよ。確かに俺は魔術には疎いけどな、全部一人で抱え込むのはしんどいだろ」

 それに対してデュークからの返事は無かった。

 やれやれとハリスは背伸びをし、自身も寝台に横になる。どうにもやりきれない気持ちが消えず、なかなか眠りにつくことができなかった。

 翌日、老婦人に謝礼を渡し、少年と別れを告げる。

「また来てくれるよね、ぼくも大きくなったら旅人になって、兄ちゃんたちに会いに行くから。きっとだよ」

 その言葉に笑顔を返し、ハリスとデュークは馬に騎乗する。粉雪がちらつく中を、別れの言葉は敢えて告げずに出発した。



 馬で山を登り続ける間に、変わりやすい天気は晴天へと転じた。

 青空とは対象的に、名前を消された村は沈黙している。石造りの建物は酷く朽ちた様子も荒らされた様子もなく、時間の概念から外れた不思議な物のようにハリスは感じた。

 馬から降り、村の家屋ひとつひとつに入って中を探っていく。麓の村の老婦人が言っていた通り、どの家もがらんとして人の気配が感じられず、遺体らしきものも無かった。廃村と言うには清潔すぎて、うまく当てはまる言葉が見当たらない。

「静かだな」

 ハリスが言うと、デュークも同じ感想を持っていたのか「うん」と短く返した。

「……だけど、ズキとガルジが緊張している。何か大きな魔術の名残があるのかもしれない」

 墓場に行ってみよう、と提案されてハリスは頷くいた。二人で村を横切り、高台にある集会所と思しき場所を目指す。

 その建物の裏手、山の斜面に位置する場所に墓場はあった。

 鷹が空の高い所を悠々と旋回していて、雪をかぶった山林が下の方に見える。

 素晴らしい眺望だと息をつきたくなる理由は他にもあった。花だ。

 老婦人が教えてくれたように、墓場には一面に花が咲き誇っていた。花弁は白く、雪を割り、太陽の光をうけて輝いているように見える。

 雪に閉ざされた季節の北国で、花畑のような光景を眺めることになるとは思わず、その奇異にハリスは唸る。

「……極寒の地で咲く花って、北国の品種なのか?初めて見たぞ」

 しゃがみこんで花弁に触り、「本物の花だ」と呟いたハリスに、デュークは言う。

「この花は……魔力を注がれて作られた品種だとおもう。多年草で寒さに強く、年間を通して咲き続け、四季で違う色の花が咲く」

「詳しいな」

「ガルジが今、教えてくれた。この植物を作り上げたのは魔法使いだ」

 不意に『主、』と女の声が響く。地中から聞こえたようなその声は、デュークが懇意にして従えている魔族のものだ。

「ガルジ、どうした」

『この山村から更に上、森の奥に強力な魔を感じます。恐ろしくて近づけません、向かうおつもりでしたらわたくしは此処に留まらせて頂きたく』

「……わかった。ガルジはここで待機していていい。ズキも好きにしていいよ」

 デュークが言うと、『申し訳ありません』と女の声が消え、右肩に張り付いていたズキもそこから下りる。迷ったように雪の上を這い回り、墓場から遠ざかって見えなくなった。

「おいおい……お前のオトモダチが怖じ気付くような何かが、森の中にあるのか?」

 ハリスが問うと、デュークは難しい顔をした。

「ズキもガルジも、魔族の中では『強い』部類に入る。それなのに怖がるなんてことは基本ないと思うのだけどね……一体何が森の中にあるんだろう」

「お前は何か感じないのか?」

 デュークはしばし考えるようにして顎に手をやる。

「……人間は魔族ほど敏感ではないんだ。確かに目の前の花からは魔力を込めて作られた、自然界から逸脱した性質のものってことは感じるし、違和感を覚える。けれど、ここから遠く、森の中にある『魔』に関しては何も。その場所に行ってみないとわからない」

「なるほどなあ、強力な魔力があるのなら気をつけたほうがいい気もするが、ここで花を眺めてても何も進まない、行ってみようぜ」

 何かあったら護ってやるよという軽口を叩くハリスに、デュークは「ハリスに守られるほど弱くはない」と冷たく言い返した。


 銅の振り子を頼りに、馬に騎乗して二人は森の中を進んでいく。しかし、道行きはあやしく、なかなか目的地にたどり着くことができない。

「なあ、この辺……さっきも通らなかったか」

 ハリスが言うと、デュークは愛想のない声で応える。

「通った。振り子が示す方向へ進んでいるはずなのに、同じ所をぐるぐると回っているみたいだ」

「……前から聞きたかったんだが、その魔道具は何を示すものなんだ?」

「僕が潜在的に知りたいと思っていることや場所について、目に見える形で示してくれる道具。強い魔力がある場所に連れて行けと指示しているはずなのに、うまくいかないんだ」

 そう言ってデュークは「駄目だ」と呟いて振り子を懐に仕舞う。

「強い魔力、か」

 呟いて、ハリスは木々の枝が交差する天を見上げる。広葉樹は葉が落ちて裸の枝が多く、針葉樹の深い緑が申し訳程度に空を隠そうとしている。枝の上に広がる空は晴天の青さを保っているにも関わらず、どうにも薄暗く感じるのが不思議だった。

「強い魔力といっても、お前のオトモダチが勘違いをしている可能性はないのか?」

「それはない」とデュークが言う。

「魔族は僕らが思っているよりもずっと、弱肉強食の世界で生きているんだ。格上の魔族が格下の魔族を取り込んで喰ってしまうのが日常。だからガルジが怖がって行きたくないと言って、ズキもついてこなかったということは、それなりに厄介な……脅威になりえる存在を感知しているということだ。格上の魔族が住んでいるのか、強大な力を持った魔法使いでもいるのか」

 おいおい、とハリスが手を上げる。

「格上の魔族に、強大な力の魔法使いだって?そんな奴らに出くわしたら無事じゃ済まないだろう、俺達は大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。もし悪意を持つ魔族がいるのなら、この森に入った途端に襲われているはずだ。もし魔法使いだとしたら遠視で僕たちを見て、縄張りに入られたくなかったら手を打ってくるだろう。幸いにして、いまはそのどちらも起こっていない……ということは、魔力の塊のようなものだけが、ただ存在していると考えられるんだ」

「魔力の塊ねえ……魔族に関してはさっぱりわからないが……魔法使いだとしたら、魔力の塊になりそうなものっていったら、杖か指輪か?」

 その言葉に、デュークはハッと顔を上げた。

「そうか。杖……、杖だ」

「どうした、何か気がついたのか?」

 ハリスの声を無視して、デュークは銅の振り子を懐から再度出す。

「『持ち主のない杖』の在り処を示せ」

 力ある言葉で短く命じると、振り子は迷ったように揺れていたが、突如としてきりきりと鎖を引っ張り、重力に逆らって方向を示した。もう片方の手でデュークは「得たり」と拳を握る。

「ありがとうハリス、初めて役に立ったね」

 笑顔の割りには失礼な事をいわれて、ハリスは憮然とする。

「お前のそういうところ、ほんとになあ……で、何か分かったのか?」

「うん。ハリスの言葉で思い当たった。きっと、ジェームズの町を訪れた『杖を持っていない魔法使いのような人物』と、『村を全滅させた魔法使い』は同一人物だ」

 手綱を握り直し、振り子が示すまま馬を進めるデュークに、ハリスは慌てて付いて行く。

「待て待て、そいつらは確かに同一人物かもしれないって話にはでてたが……結局、別人として考えようって話したじゃないか。実際、目撃された話によると黒檀の杖を持っている魔法使いが村を全滅させたんだろう、違うのか?」

「うん。黒檀の杖を持っている魔法使いは、村を全滅させたあと、杖を放棄したんだと思う。そんな気がして『持ち主のない杖』を振り子に探らせたら、この通り道を指している」

 デュークの目線の先にはきりきりと鎖を引っ張り、方向を示す銅の振り子が鈍い光を返している。

「杖を放棄した……?俺にはよくわからんが、それって魔法使いあるまじきことなんじゃああないのか」

 魔力や詠唱を増幅させる媒体であり、魔術の反動の盾にもなりうる魔法使いの杖。それは魔法使いにとっては象徴とするだけではなく、唯一無二の相棒にも等しい。

「元々杖を持っていない別人の可能性だってあったんだろう?」

 ハリスの問いに、デュークは首を振る。

「いや、そもそも魔術を杖無しで行使出来る人間なんて居ないに等しいんだ。魔術の才があったとしても、その使い方を学ばずに我流で扱える人間はそうそう居ない。大体は魔の力をうまく扱えずに飲み込まれて命を落とす……と考えれば、『杖を持っていない魔法使いのような人物』も、元は杖を持っていたと考える方がしっくりくるんだ。杖を媒体にせずに町におおがかりな忘却術をかけたことに関しては、恐ろしさを感じたけどね」

 そして、とデュークは続ける。

「杖を持たない魔法使いは大きく二つに分けられる。大半は魔術の世界から追放されて杖を折られた者。杖を折られた者は、基本的に処刑されて命を落としているから頭数に数えないとして、もうひとつ。極少数に、自ら杖を折る者もいる。魔法使いであることを辞めたいと思った場合がそうだね」

 ふと神妙になったハリスの視線に、デュークは手を振る。

「ああ、以前僕が『魔法使いを辞めたい』と言ったことはただの愚痴。今のところ杖を折るつもりはないよ」

「そうか、ならよかったが」

「杖を失ったら、杖からの恩恵が得られなくなるから派手な魔術は使えなくなるし、魔に属する良くないものに隙を突かれて、飲み込まれてしまう危うさもある。魔法使いを辞めたくなったとしても、杖は折らずに魔術から身を引いて隠居するのが一番安全なんだ。だから、なぜ杖を折るに至ったのか……そこだけが不可解かな」

 ふむ、と相槌を打ってハリスは首を傾げる。

「例の人物が、わざわざ杖を放棄したことには何か理由がありそうだな」

「うん、その理由については僕もわからない。けれど、僕の問いに対して振り子は反応している。『持ち主を失った杖』という魔力の塊が、この山奥のどこかにあるんだ」

 デュークの言葉に応えるようにして、風が吹き、梢が鳴った。枝に積もった雪片が落ちてくる。

「話は分かった。早めに見つかればいいな。山の天気が変わりそうだ」

 先程までの晴天から曇天へと変わりつつある雲の流れを仰ぎ見て、デュークとハリスは両足で馬の腹を叩いた。

 山奥に広がる森の中を進んで半時ほど、伸びた木の枝の向こう側に、建物の気配を感じた。

 煙突と屋根のようなものが見え、近づこうとしたものの倒木が多く、回り道をしてやっと辿り着く。二人の目の前に現れたのは、古びた石造りの山小屋だった。

 家の裏側に積まれた薪、小さめに造られた窓や雪が落ちやすいように直線や直角を多用した家の造りは、まさに雪国で暮らす者の知恵が詰め込まれているが、人の気配は無かった。

「……ここか?」

「そうみたいだ、振り子はこの辺りを示してる」

 馬から降り、数年は放置されていると思しき建物の入口に足を掛け、少々警戒しながら扉に手をかけたが、何事もなくそれは開いた。

 山小屋の中の明かり取りの窓から入る光は乏しく、暗い。雪景色の白い明るさになれた目では家の中がよく見えなかった。デュークは腰に下げていたカンテラに呪を結び、光量の強い明かりを灯して掲げる。

「誰かが住んでいた形跡があるな……」

 ハリスは埃と蜘蛛の巣がかかった暖炉の前に立って言った。わずかだが、何かを燃やしていたのであろう灰と、くべられることのなかった薪が側に残っている。

「オイルランプの油も残っている、乾燥してるから火が点くかもしれない」

 打石を取り出して何度か擦り合わせるようにして打ちつけると、火花が散ってオイルランプの芯に火が灯った。僅かだが、暖色の明かりが増えたことで部屋の全貌が見えてくる。

「魔法使いの家だ……」

 がらんとした屋内にデュークの掠れた声が響いた。

「ここ魔法使いが住んでいたのか?それらしいものは何も見当たらないぞ」

 何かの魔道具や魔術書、魔法陣、薬を調合するための道具等、魔法使いの家といえばそういったもので埋め尽くされていると連想するが、ここにはそういった物は何もない。ハリスからすれば、誰かが去った後の打ち捨てられた山小屋しか見えなかった。

「ここは……人工的につくられた龍穴だよ。龍脈から流れる力が溜まるように緻密に計算されているんだ」

「家具の配置も細かく調整されている」と言われたがハリスには理解不能だった。

「北東国の『時知らずの城』が、時間の流れを極端に遅くさせる作用のある建物で、魔法使いが建築を指揮したものだと聞いたけど……この建物も魔法使いが意図して作り上げた空間だとわかる。ここは自然の力が溢れるくらい流れ込んでくるようになっているんだ。大掛かりな魔術を使おうが、反動の強い魔法を使おうが、自然の力が打ち消してくれるんだろう。こんなに清らかで強い力が充満する空間を作れる魔法使いを、僕は知らない……。ガルジもズキも嫌がるはずだ。空間に流れる力を捻じ曲げられるような存在がいた跡地になんて、僕だって知っていたら極力近づきたくないもの」

 両腕を抱え、擦っているデュークに、ハリスは何と声をかけて良いかわからなかった。それでも疑問におもう気持ちは抑えられず、怒られるのを承知で聞く。

「あのよ、俺には全然なにも分からないんだが……ただの山小屋にしか見えないぞ」

「鈍感すぎる」

「すいませんねえ」

 息を一つついて、デュークは顔を上げる。

「……簡単に言うと、ここは魔法使いが作り上げた『縄張り』なんだ。主がどんな人物かはわからないけれど、とにかく力が強い……僕なんて、足元にも及ばないくらいに」

 いつになく弱気な発言に、ハリスは片眉を上げる。

「お前も結構強い部類に入るんじゃなかったか?」

「自分で言うのも難だけどそう思ってた。でも違う……ここに住んでいた魔法使いは……桁違いだ」

 寒気が止まらず、腕を擦り続けるデュークをなんとか励まし、山小屋を出る。

 「魔力酔いを起こした」と言うデュークを馬の側で休ませようとしたが、頑固な魔法使いは首を縦に振らない。「裏手の貯蔵庫に異様な雰囲気を感じるんだ。僕らが探している『持ち主を失った杖』があるかもしれない」と、言い張って聞かなかった。

 「探してこようか」と言えば「素人に任せられない」と言い返され、仕方なくハリスはデュークと共に、裏手の貯蔵庫を漁っている。

 デュークは相変わらず顔色が悪いままで、要の銅の振り子も、龍穴の強い力に振り回されてくるくると回ってしまう体たらくだった。

「保存食みたいなものが残ってるな……牛脂か?野菜やら肉やらが固まってる。あとは干し肉に魚の塩漬けか。いま食えるものじゃなさそうだが、人がいた痕跡はあるなあ」

 ハリスは言いながら、埃を被った棚をあらためている。

「こっちは掃除用具入れ。箒と雑巾とバケツ……っと、」

 足に何かが引っかかって転びそうになる。その拍子に、床板の一枚が剥がれた。

「あっぶね、なんだよ……ガタがきてるのか」

「ハリス、待って」

 床板を蹴り戻そうとしたハリスを、デュークが止める。

「中に、何かある」

「え?」

 ハリスの足元に駆け寄ったデュークが恐る恐る覗くと、そこには二つに折れ分かれた木材のようなものが見えた。

「これ……杖か?折れてるけれど」

「うん……」

 「探し物が見つかったじゃないか」と、お目当てを発見できたことに喜ぼうとしてハリスはデュークを見る。しかし杖を覗き込んだ魔法使いは、唇を震わせていた。

「ただの杖じゃない……、これは、この杖は……」

 怯えと驚愕の間で揺れ、「まさか」という言葉だけが耳鳴りのように響く。自分の目にしているものが信じられなかった。

「……二十四の比率の白金、漆黒の黒檀は百年間の月光を浴びて力を蓄える。数億年をかけて育った水晶は……ない。外された形跡があるけれど……なんてことだ……でも、まさかそんな」

「……質問していい雰囲気じゃなさそうだな」

 何もわからないハリスが肩を落としながら呟くと、デュークはそれに問いを被せる。

「一般人でも読める魔術書。入門編でも読んだことないの」

「残念ながら、ないな」

 折れた杖に視線を釘付けにしながら、デュークは解説する。

「通常……魔術の才ある者は魔術学校で学び、その後に師のもとで独り立ち出来るまで修行を重ねる。独り立ちする時に、師から杖と指輪を、流派に沿った名前をもらう」

「……それくらいなら、俺でも知ってるが」

「けれど、この杖の持ち主は、杖を自分自身で作っている」

 こわごわと、デュークは真っ二つに折れてしまっている杖に指先を伸ばし、意を決して掴んだ。雑に投げ込まれていた床下から拾い、持ち上げる。

 そこに残っている強烈な魔力の残滓に目眩がした。指先から冷気のようなものが自身を侵食しようとしているのがわかる。漆黒の黒檀の磨かれた表面を、指でたどって目を細めた。この杖はまだ生きている。

「それは、我流で技を磨いた……いわゆる師のいない魔法使いってことか?」

 ハリスの問いが耳に入っているのか、デューク自身にもわからなかった。どこか遠くで響くような、水響に近い感覚でそれを捉え、絞り出すようにして答えた。

「半分、当たりかな。師がいないのではなくて、必要無かったんだ」

「はあ、」

「子供向けの魔術書におとぎ話のように描かれている杖があってね。それがこの杖だといえば分かりやすいか」

「……は?」

「芯は二十四段階に比率を変えた白金、漆黒の黒檀は百年間の月光を浴びせており、数億年をかけて育った古代の水晶を杖の先端に嵌めている。子供の読み物にはそう書いてある。その持ち主は『世界の始まりに等しい伝説の人物。魔術の始祖』と書かれる。……僕たちが目の前にしている折れたこの杖は『最初に生まれた魔法使い』のものだ、間違いない」

 二人の視線が交差する。余りに大きすぎる情報に、頭がついていかなかった。

「ちょ、ちょっと待て。ぱっと見ただけでそんなことが分かるのか?魔力の違いを感じているのなら分からんでもないが、早計すぎやしないか。同じ杖を模造品として持ってる愛好家だったとしたら」

「有り得ない」

 デュークはきっぱりと言い放つ。

「この世界に、白金の比率を変えるような技術は存在しない。漆黒の黒檀だけならまだ手に入るけれど、無垢の黒檀に白金の芯を入れる方法、ハリスはわかる?」

「……いや、想像もつかないな……」

「僕の杖は、菩提樹の朽ちた倒木から削り出したもので芯は入っていない。特出した要素と言えば、溶かした琥珀を艶出しに使っているくらいだ。そんな簡素な作りに見える杖ですら、通常の魔法使いは持て余す」

「つまり……有るはずのない技術で作られた未知の杖で、その魔力もデュークが震え上がるほど膨大ってことか」

 そう、とデュークは頷く。

「未知の技術というよりは、失われた技術、と言ってもいい。いまの文明は成り立ってから数千年しか経っていないと言われている。そこで思い出して欲しい、カウンバルの天秤のことを」

「天秤……ああ、今となっては懐かしいな。世界の理の傾きを知らせる魔道具だ」

「今まで数千年の記録では、創造主の意向で天秤が傾いたことはないと僕は言ったはず。じゃあその前に文明があったとして、創造主の意向で壊されていたとしたら、どう思う?」

「どう思うって……その壊された世界でも生き残った奴がいるから、また文明を一から興しなおすことができて、今があるのかな、と」

 デュークは手にした杖を、そっと床板の上に置いた。

「おおむねその解釈で間違いはない。古代に栄えた文明は、船が空を飛び、言葉がなくても人や動物が通じ合うことができ、天にも届くような高い建物がそびえていたという」

 夢物語のような言葉の羅列に、ハリスは苦笑する。

「……それ、おとぎ話の本に書いてあるやつだよな」

「おとぎ話には史実が隠されていることが多いんだ。僕の言いたいことは……つまり、破壊される前の文明は、魔法使いの杖に白金を芯に仕込めるほどの力と技術があったのではないかということだよ」

「失われた技術で、現在の人間の手では作り得ないシロモノの杖。それがなぜかいま目の前にあるという不可解に向き合ってるのか、俺らは」

 彼の言いたいことが段々と掴めてきたハリスの顔も、自然と険しいものになる。デュークの中では仮説がもう出来上がっているようで、額には緊張の汗が見えた。

「災厄を生き残り続けた魔法使いの始祖が……この杖の持ち主が現代にも生きている可能性があるということも加味しなければならない。本来なら、この杖を扱える魔法使いはこの時代に存在してはいないはず。なのにこの杖は持ち主を失っても『生きている』、数年前には魔力が流れていた名残があるんだ。杖は持ち主を失うと枯れてただの木の棒になるはずなのに……」

「何千年も生きる、そんなことが出来るのか?」

「わからない、時から外れた賢者の言い伝えが残っているけれど、まさかそれが史実になるとは夢にも思わなかった。魔法使いの寿命は通常、人と変わらないからね」

 「それに、最も悪い予想が残っている」と、デュークは呟く。

「……何だ?」

「数百年に一度起こる『罪人による災厄』の原因は、その魔法使いの存在から起こっているかもしれないってことだよ」



──後編に続く──




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