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ep. 55 調伏(1)

 凄まじい嵐が過ぎ去った翌朝。

 白狼王は一命を取り留めたものの、いまだ意識は戻らず、国全体は未だ緊迫した空気に包まれている。

「此度の助力、まことに感謝申し上げる。我らの不徳ゆえ、多大な労をかけてしまった。いずれ日を改めて、翡翠の一色大使殿を通じ、必ずや報せを送らせよう」

 狩莅しゅりハク、二人の白狼王の子たちに深々と頭を下げられ、猪牙一行は一旦、東へ引き上げたのであった。


 一方のせい豺狼さいろう、ホタルの一行は――


 白狼ノ國の国土の大半を占める白く乾いた大地の上を、四つ足の獣の影が西へと空を駆けていた。

 それは、巨大な一体の白鹿だった。牡鹿の神々しい姿は天上の獣を思わせ、陽光を浴びて金色に輝く角は、幾重にも枝分かれして見事な王冠を形作っている。

 その背に跨るのは、豺狼と青の二人。青は鹿の太い首にしがみつくようにして立派な角の根元を掴み、その後ろで豺狼が青の外套を片手で握り、揺れる体勢を支えていた。空気を切り裂いて駆ける鹿の背の上では、ごうごうと風が唸りを上げ、息もままならない。

「ホタル一師! そこの! 断層の! 横穴です!」

 眼下に目的の場所を見つけ、青が鹿の耳元で声を張り上げる。大鹿は心得たとばかりに首を一振りすると優雅に急旋回し、森と白い岩盤地帯の境目へと舞うように降り立った。

 二人がその背から飛び降りて着地したのを見届けると、鹿は前脚の蹄で軽く地面を掻き、一つ大きく伸びをする。次の瞬間、その全身が真っ白な煙にふわりと巻かれ、煙が晴れた後には、白い頭巾を被ったホタルの姿が現れた。術者自らが式をその身に降ろす――極めて高等な式術だ。

「誰かを乗せるなんて、うちの子以来だわ。やっぱり男の子二人は重たいわね」

 こきりと首を鳴らしながら、ホタルが呟いた。

「申し訳ありません。まさか、一師の背に乗せていただけるとは……」

「いいのよ。期限も短いことだし」

 青の恐縮した声に、ホタルはこともなげに答える。その後ろから、豺狼が感嘆の息を漏らした。

「それにしても、美しい式でした。あのように大きな白鹿の式を、私は見たことがありません」

「そうね。凪の式術師で白鹿ノ國まで足を伸ばした者なんて、私くらいではないかしら」

 こともなげなホタルの言葉に、青と豺狼は顔を見合わせた。

「式術講座は、また今度。シユウ一師、その獣鬼隊の拠点というのはどこに?」

「はい、えぇっと……こちらです」

 青は懐から一枚の書き付けを取り出して広げ、改めて辺りを見渡した。青が直接知っている獣鬼隊の拠点は、蒼狼の要塞付近の一つだけだ。探索へ発つ前に、狛が知る限りの拠点をいくつか書き記してくれていた。それを東側から順に西へ移動しながら、一つずつ当たっていく。今の青たちが獣鬼隊の行方を探す方法は、それしかなかった。

 一箇所目の拠点である横穴は、空だった。

 横穴は、巨大な岩盤が裂けてできた断層の狭間に口を開けている。周囲には、銀色の葉を持つ背の低い灌木がまばらに根を張り、足元の白い砂利が陽光を眩しく反射していた。

 黒々とした森と、白の大地、二つの世界の境界線にぽっかりと空いた洞窟の闇は、まるで何もかもを飲み込んでしまったかのように、静まり返っている。簡易的な食糧保管庫、寝床などの設備がしばらく使われていなかったまま、うっすらと白砂に覆われたままになっていた。

「黒鉄さん! ミツキー!」

 獣鬼隊の面々で知る限りの名前を呼んでみるが、反応は無い。青の声は、乾いた風に乗り、白い岩肌に吸い込まれて消えた。



 一箇所目に続き、二箇所目、三箇所目も空振りに終わる。

 どこか安全な地下空間に逃げ込んでいるのか。それとも、あの凄まじい妖気の波に飲み込まれ、跡形もなく消えてしまったのか――四箇所目へと向かう道中、青の脳裏に最悪の結論がぐるぐると渦を巻いていた。

「西へ進むほど、あの嵐の影響が色濃く残っているな……」

 大鹿の背から下界を見下ろし、豺狼が呟いた。指し示す先、眼下に広がるのは白い大地を巨大な爪で引き裂いたかのような、深い涸れ谷だ。谷底には影が色濃く溜まり、昼なお暗い。

 荒れた大地の裂け目のあちこちから燻るような黒い靄が立ち昇っていた。靄は風に流されるでもなく、まるで意思を持つ生き物のように蠢き、時には苦悶する人の貌や、何かを掴もうとする腕の形を象っては、すぐにまた霧散していく。

「ここまで距離を伸ばすと、さすがに王の神威も届かないみたいだね…あ、ホタル一師! 次の拠点は、その先の、涸れ谷の岩陰あたりで――」

 青が大鹿の背から身を乗り出し、谷の一点を指差した、直後だった。

 直下の地表で、何かが強く光を反射した。

「っ!」

 その瞬間、背後の豺狼が青の体を逆側へ突き飛ばした。寸前まで青が身を乗り出していた空間を、眩い光の槍が下から上へと貫いていく。

「わ、ぁ!」

 体勢を崩した青と豺狼はもろとも大鹿の背から落下する。間髪入れず、第二射の光が地上から放たれた。大鹿は鋭い鳴き声を上げると、空中でしなやかに身を翻してそれを避ける。

「風神……っ」

 片手で青の体を抱えて落下しながら、豺狼はもう片方の手を地面へと突き出した。途端、その手を中心に風がつむじを描き、二人の体に浮力をもたらす。

 風術が衝撃を和らげ、涸れ谷の底への激突は免れた。豺狼は猫のように軽やかに着地したが、青は受け身を取りきれず尻餅をつくように一度後ろへ転がり、砂にまみれながらようやく立ち上がる。

「いてて……もっと体幹を鍛えないと駄目だ……」

 黒い外套に付いた灰色の砂を手で払いながら、青はすでに武器を抜いて周囲を警戒する豺狼のもとへ駆け寄った。ホタルの姿を探す間もなく、頭上から一羽の小鳥が舞い降りる。それが青の足元に着地したかと思うと、ふわりと白い煙を吐き、見慣れた白い頭巾姿のホタルへと変わった。

「さっきのは、襲撃?」

「流れ弾です」

 豺狼が谷の奥を見据えながら答える。

 視線の先、蛇行する涸れ谷の奥から岩が崩れる音や人の怒声が、途切れ途切れに聞こえてきていた。誰かが、今まさに戦っているのだ。

「獣鬼隊の拠点が、この先にあるはずなんです」

 三人は目配せを交わすと、風の流れに逆らうようにして気配を殺し、音のする方へと慎重に進み始めた。


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