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ep. 54 狼の背骨(4)

 明朝の出発を決め、一行はそれぞれに与えられた部屋で休むこととなった。皆が客間を後にする中、青は一人、その場に残る。


 ゆっくりと室内を歩き回り、東方では見ることのない石造りの館の構造を、改めてその目に焼き付けていた。


 昼の熱が大地から抜けきり、ひやりとした夜気が満ちる時間。吹き抜けから降り注いでいた陽光が途絶えると、昼間のうちにたっぷりと光を蓄えた壁の発光石が、広い室内を真珠のような淡い光で静かに照らし出していた。


「火を使わなくとも部屋を明るくできる。とても理にかなった技術よね」

 そこへ、一度は部屋へ向かいかけたホタルが引き返してきた。


「はい」と、青は頷く。

「空気や水を汚すこともない。水が貴重なこの地であるからこその、技と恵みなのでしょう」


 青は自然と、吹き抜けから星空を見上げるホタルの隣に並んだ。二人の間に、心地よい沈黙と、地下水の清らかな音だけが流れていた。


「……不謹慎かもしれませんが」

 しばし空いた間を埋めるように、青はしみじみと語り始める。

「白狼王の神獣としてのお姿は、まさに荘厳そのものでしたね」


 ホタルは振り返ることなく、空を見上げている。

「まさに王の威厳と呼ぶに相応しい神威だったわ。同じ神獣の中でも、格というものは厳然として存在するのよ」


「格の違い、ですか」

 青の胸中に、その言葉の真意がゆっくりと染み入っていく。


 王位継承者ではないと自ら称する狛と、そして現王と後継者・狩莅しゅりの間には、神獣へと変異した際の力において圧倒的な隔たりがある。

 それは青の目にも明白であった。


「西方の国長たちは皆そうなの」

 ホタルの声は、西方の多くを見てきた者の理解を帯びていた。


「格の高さ――すなわち強大な力を有するということ。町であれ村であれ、里や集落といった共同体においても同じこと。その一帯で最も強い力を宿す『血』を持つ者が長となるのが常。それが『王血』とか『覇王印』とか……呼び方や現れ方は色々だけど、長に相応しい者を示す兆候や特徴を持つの」


 どこからか吹き抜ける微かな風が、ホタルと、青の外套の裾を揺らす。


「強者が権力を持つ……」

 青は、誰に聞かせるともなく呟いた。


 ――半端もの、とは。

 ――持たず与えられず生まれ落ちた、力なきものたち。

 ――力あるものが導き、生と死の意味を与える。それがししの世のことわり


 唐突に、青の脳裏に過去の声が突き刺さる。

 それは、要塞で対峙した蒼狼あおがみの高官が滔々と語った言葉だ。


 目の当たりにした白狼王の神威。

 あの絶対的な力は言い方を変えれば、蒼狼が口にしていた一見して傲慢な思想そのものを体現した姿でもあった。


「強き者が、弱き者を率いるという構図ですね……」

 畏怖いふと、かすかな抵抗感が胸の内で混じり合う。


「『今の』神通祖国からすれば、旧い体制然と聞こえるでしょうね」

 青の心の揺らぎを察したのか、ホタルが静かに言葉を続けた。


「でも西方において王や長とは、文字通り体と命をかけて国や境界を護る者のことよ。そのために、強くあらねばならないし、強いものがその座になければならない」


 その声には、諭すような響きがあった。

 穏やかな老女に見える翡翠の国長くにおさも、有事にはあのような神威をもって脅威を蹴散らす力を持っているのだろうか。などと考えながら、青はホタルの話に耳を傾けていた。


「神通祖国を創り上げたとされる七柱の神も、太古の昔は、今の西方の国長たちと同じだったのではないかしら」

「……あ」


 それを耳にして、青の中で何かがに落ちる音がした。

 今まで別物として考えていた東方の神話と、西方の国の在り方が、線で繋がる。


「そういえば……そう、ですよね」

 青は、どこか呆然としながら相槌を打った。


「とすると、国、すなわち境界を護る……それは、露流河つるかわつゆと同じなのでしょうか」

 青の問いに、ホタルは一瞬だけ思案するように目を伏せた。


無渡霊わたらずのたま、か……。役割としては同じね。露のような自然の理の化身は、もっと原始的な存在、つまり神そのものだと思うの。それなら、神通祖国の神話に出てくる守護神も、どちらかといえば無渡霊の方に近いのかもしれない」


 凪之国の守護神は、水蛇だ。

 今は社の奥に祀られた御神体や、古びた絵姿でしかその姿を知ることはない。

 だが遠い昔の凪之国にも、露流河の露のような生きた「神」が存在していたのだろうか。


「西方には、そんな原始の存在や理が多く残っているの」

 ホタルの声に、遠い昔を懐かしむような色が滲んだ。


「三人で旅をしてようやく、私もこの世界を成す神話の理を理解し始めたところよ。私たちの常識で是としていたことが、西方では非であることもある。でもどちらが正しいとも、言えないの」

「ホタル一師……」


 青が何かを言いかける前に、遠い星空を見つめていたホタルの視線が、口元の小さな笑みと共に、不意にこちらを向いた。


「今日はもう休みましょう。あまり、考え込み過ぎないことよ」

 青の返事を待たずに、ホタルは割り当てられた自室へと続く廊下へ、静かに歩み去っていく。


 一人残された青も最後に一度、天窓から夜空を仰いだ。

 そこには、夜の闇を白く塗りつぶすほどの、圧倒的な星々が輝いている。


 その光を目に焼き付けると、青も広間の中央から静かに踵を返した。


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