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毒使い【最終章、始動】  作者: キタノユ
第四部 ―幼龍編―
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ep. 52 早春の白露(6)

 その刹那せつな、戦局が大きく揺らいだ。


 ――シャアアアッ!

 ――ゴッ……!


 鋭く甲高かんだか咆哮ほうこうの直後、水流がせき止められたかのような濁音だくおんが谷間に響き渡る。


 露の牙に食らいつかれ、川辺へと押し伏せられていた焔大蛇ほむらのおろちが、猛然と黒き巨体を振り払った。

 激しく水飛沫が上がり、露の口元が紅蓮の鱗から引き剝がされると、激しく絡み合っていた二柱の巨蛇は、ついに互いの身を離した。


 焔大蛇は巨体を波打たせつつ身を起こし、天をくように頭部を掲げた。異様に肥大した顔面が裂け、大口がぱっくりと開く。


 次の瞬間――焔の大蛇は、赤黒い火炎を一直線に放ち、露へと叩きつけた。

 火炎を浴びた露は、悲鳴とも怒号ともつかぬ声を上げてのたうち、水中へ潜る。

 熔流ようりゅうのような炎が飛び散り、河岸や斜面に降り注いだ。


「うわっ!」

 青の行く手に火球が落ちた。

 着弾の瞬間に草も土も焼き溶かされ、剥き出しとなった地中の岩肌が黒く焦げ付く。

 どろりとした火塊が地を這っていた。


「溶岩……?」

 思わず足が止まる。

 青は焦げた岩肌にこびりついた残火のもとで身を屈めた。まるで鍛冶場の坩堝るつぼで熔けた鉄のような半液体が、じわじわと焦土を広げていく。


「ただの炎じゃない……」

 腰の道具入れから符を一枚取り出し、溶流の塊に近づけた。符は紫を帯びた黒煙をあげてあっという間に燃え尽きる。


「何してるんだ、危ない!」

「っ!」

 後ろから怒鳴られると同時に、腕を引っ張られて体が引き上がった。

 首を回すと、肩越しに豺狼の顔がある。


「――あ、その、あれが」

「いいからこっち」


 強引に腕を引かれて、斜面に突き出た岩場まで連れてこられた。

 岩場の先端には猪牙の背中も見える。


「あれを」

 促されて、水上に屹立きつりつする焔大蛇を見上げる。

 紅い体表から、落葉のように鱗が剥がれ落ちていた。露の牙に穿たれた箇所を中心に、つづけざまに新たな鱗が芽吹くように再生してゆく。


「脱皮?」

「再生が早すぎる」


 脱皮や再生能力に優れた性質は、爬虫の性を持つ妖魔にしばしば見られるものだが、この焔大蛇のそれは、豺狼の知見をもってしても異常の域にあった。


つゆ公、浮かんでこねぇな……」

 同じ岩場の先端に立つ猪牙が、川上の水面をにらみつけている。


 水底から大小の水泡が湧き上がった。

 そこへ、焔大蛇が大口を開けて水中に突っ込む。


「っ!?」

 河川敷に降りた凪隊へ、夕立のような水飛沫が降り注いだ。


 水面が激しく沸き立ち、ふたたび二柱の巨蛇が絡み合う。形勢は逆転し、焔大蛇がのたうつ露の胴を、のこ状の牙が並ぶ顎で深く噛み締めていた。


「!」

 豺狼が岩場から飛び降り、河岸に向けて斜面を駆け降りる。同じように、数人の隊員たちも動き出した。


「まずいな……猪牙貫路いのきば・かんじの名のもとに命ず!!」

 猪牙の呼びとともに放たれた式符しきふが、大量の白煙を吐いた。


 ――ブゴォオオオオオ!


 咆哮がとどろく。

 煙の奥から姿を現したのは、凪の森に棲む三ツ目猪をも凌ぐ巨体の、猪。濁声を響かせながら、水飛沫を撒いて河中へと突進する。


 ――ブゴッ!


 巨猪はその巨躯のまま、露の胴に食らいついていた焔大蛇の面貌めんぼうへ、横から体当たりを見舞った。


 ――ギシャッ!


 衝撃に耐えきれず焔大蛇が仰け反り、そのあぎとが露の体から剥がれる。

 露は巨体をよじらせ、水面下に消えた。

 巨猪は勢いのまま対岸へと突き抜け、砂煙を巻き上げて大地を削ると、巨体を翻して再び突撃の構えをとる。


 焔大蛇は首をわずかに引き、巨大な口腔こうくうをふたたび開いた。

 式猪もまた、ひづめを深く踏み込み、頭を低くして突進した。


 向かってくる猪を目掛けて、焔大蛇は再び炎を吐く。鮮やかな紅炎の幕を突き破り、猪は大きく開いた大蛇の口腔に頭から突っ込んだ。


 山と山が、激突する。


 ――ブゴゴゴゴゴゴゴゴッ!

 ――ギギギギギギギギギッ!


 両者の力がぶつかり合い、河の真中で激しい押し合いが続く。


「がんばれ猪……! ……あれ?」

 手に汗を握って猪を応援していた青の目が、違和感をとらえた。

 猪にくらいつく焔大蛇の頭部の形状に、変化が生じている。 肥大化が目立っていた頭部が、今は平たくしぼんでいるように見えるのだ。


「……ということはやっぱり……」

 ぶつかり合う巨大な影が埋め尽くす空を見上げ、青は目を細める。


「!?」

 ごぼり、と質量のある水音に河の水面へ目をやると、露の黒い巨体が天に昇るように伸び上がった。

 その体からボロボロと、鱗が剥げ落ちる。


「再生できていない……」

 青も岩場から飛び降り、河岸に向けて斜面を下った。


 露の黒い体を水が螺旋らせんを描きながらせりあがる。

 黒曜こくよう色の顔が天を仰ぐ。


 ――ォオオオォオォォオオ……!


 咆哮とともにきしむ体を捻り上げたかと思うと、幾重もの水柱が焔大蛇を撃った。


 ゴウッ、と硬質な衝撃音――水弾を食らった焔大蛇が、なおも猪に喰らいついたまま水面に叩きつけられる。

 露は、力を失ったように落下して水中へと潜った。

 河面がうねり、大量の水が高波となって、凪隊が降り立った河岸へと押し寄せる。


「地神・嶂壁しょうへき!!」

 河岸に駆け出た豺狼が、地術を発動。

 大地がうなり、河岸沿いに岩壁が連なり地響きをもってせりあがる。押し寄せた激流が激突し、白き泡となって砕け散った。


「次!」

 東岸に立つ士官ふたりと、西岸の豺狼がほぼ同時に動いた。言葉を交わすこともなく、三人は一斉に術に入る。


封獄ふうごく……!」

 号令とともに岩壁が砕け、土塊が両岸から勢いよく隆起りゅうきする。

 山のような土壁が、うねるように前へと押し出された。

 奔流ほんりゅうのごとき土が左右から焔の大蛇を包み込み、その巨体を呑み込んでゆく。


 ――プギィイイィィィィィ〜〜〜


 哀れな猪の絶叫も、土塊の奔流に呑まれてかき消えた。


 河をまたぐように、こんもりと盛り上がった土の山がそびえ立ち、さきほどまでの騒ぎが嘘のように、あたりは水音さえも遠のいた。


「……まあ……別にいいけどよ……式だし」

 猪牙は複雑そうな面持ちで、猪ごと焔大蛇を呑みこんだ土の山を見上げる。


「相変わらず、凄まじい術力……」

 青は周囲の者たちが距離をとって成り行きを見守る中、その隙を縫って前へと進む。


 懐から符を取り出し、両のてのひらで土壁の面に押し当てた。

 目を閉じ、全神経を掌へと凝らし、意識を土の内奥へ沈めてゆく。


「峡谷上士……彼は何を?」

「毒術師・シユウ」との任務経験のない隊員が、測るような視線を青へ向けている。

「大丈夫だ。彼に任せよう」

 豺狼の断言に、隊員はわずかに肩の力を抜いた。


 信頼、期待、そしてかすかな不安――様々な眼差しが青ひとりに注がれる中、


「――封縛ふうばく


 その一声とともに、じわじわと腐食が始まったかのように符が溶け、土壁へと吸い込まれてゆく。

 やがて、青の手が触れている箇所からゆるやかに、土塊は色を変えはじめた。


 表面から滲むようにどす黒く染まり、土の性質そのものが変化を始め、圧をはらんだなまりのように密度を増して、大蛇――ついでに猪も――を土塊の中心に沈めて閉ざした。


「これで時間が稼げれば……」

 青はため息一つとともに顔を上げ、小山から手を離す。


「今のは、白兎の沼の妖魔を封じた時と、同じものか?」

 一息を吐いたところを見計らい、豺狼が声をかけてきた。

 青は肯き、振り返る。


「封印を強化した。けど……、奴の毒腺どくせんが満たされたら破られる。時間の問題だろうと思う」

「毒腺?」

「毒蛇の頭部にある、毒を分泌する器官のことだよ」


 豺狼の問いに、青は自らのこめかみのあたりに指先を添えた。輪郭をなぞるようにして顎下までなぞり下ろす。


「奴は頭部がかなり膨らんでいて、それが、露へ炎を浴びせたと同時にしぼんだ。溜め込んでいた毒素も吐き切ったんだ」


 この地に到着してから青が「観て」きたもの。

 焔大蛇が吐き出す炎には二種類ある。

 露に浴びせた赤黒い炎と、式猪に放射した鮮やかな炎。


 前者は熔流ようりゅうのような粘度ねんどの高い半液体であり、燃焼性が極めて高い。

 後者はいわゆる気体の熱であり、式猪が耐えられるほどの火力でしかない。


「奴は歯の構造が普通の蛇と違う。蜥蜴とかげに近いようなのこ状だった。だから、毒腺は牙ではなく、のどあるいは口腔内のどこかに通じているはず。吐き出される炎は、その途中で毒腺の分泌物と混ざり合って、熔流のような粘性と異常な高熱を帯びる――」


「……」

「……」

 青の説明を聞きながら、豺狼と猪牙が視線を交わした。


「なるほど。一度吐き切れば充填じゅうてんされるまでに猶予ゆうよがある、ということだな」

 豺狼の碧い双眸そうぼうが、ふたたび青をとらえる。


「……ぼ……私の見立てでは」

 青は頷き、唇を引き結んだ。


 凪の面々は、焔の大蛇を封じた土塊を見上げる。

 あたかも墓標のごとく、微動だにせず、ただ沈黙のままそびえている。


「――露は」

 口を開いたのは、豺狼だった。

 水弾を放ったのち河へと身を沈めた露は、それきり姿を見せていない。


 気配を求めて一同が河の流れへ目を凝らすも、水面には泡ひとつ立たず、ただ不気味な静けさだけが漂っていた。


「死んじゃあ、いねぇよな」

「河の神が死んだら、水が枯れてしまうものでしょうか?」


 猪牙に応えるように、隊の誰かが、ぽつりと呟く。


「水底で体力を回復させているとか」

「もうすぐ、陽が沈む」


 仰ぎ見る連嶂れんしょうの向こうへ陽が沈みかけ、河面は徐々に黒みを帯びていた。


「封印を破られたとして、先ほどと同じ手が通じるとは思えない。次の手立てを今のうちに講じておこう」


 豺狼の言葉に、一同が頷く。

 自然と河岸の一角に面々が集まり、豺狼と猪牙を中心に半円を描いた。


「毒を吐き切らせることができれば、脅威を大きく削ぐことができる、というわけですね」

「式が焼き豚にならなかったことを思えば、通常の火力は、さほどのものではない」

「だから豚じゃねぇんだわ」


 即席の軍議に、小さな笑いが生まれる。


「それより厄介なのはあの脱皮と再生力だ」

「露が本領発揮したとして、抵抗できるのか……かなり消耗して弱ってるしな……」


「……」

 軍議の外側で、青はひとり、山側の森を眺めていた。


 斜面のあちこちから、広範囲において白い煙が細く立ち上っている。消火団によって、火の手は全て鎮められたようだ。


「白妙の村は……無事なのかな……」


 村があったはずの森の一帯には、目立った被害は見られない。

 斜面を覆う木々は静かに連なり、遠目に見える梢の揺れも穏やかだった。

 火球が、あたかもその一角を避けていたかのようですらある。


 あるいは、あの村もまた、山吹の庵と同じく、ただそこに“在る”ように見えて、実際には異なる理に包まれた空間なのかもしれない――。


 そんな青の思案に、か細い声が横切った。


 ――つゆ……


「え……?」

 視線を山裾へ落とす。森の入り口、木の幹から小さな体を半分だけ覗かせている、白い影が映る。


 白髪、白い肌、白い着物――そのすべてが、赤黒く染まりかけた西日の影に、浮かび上がっていた。


「あ、あの子は……!」

 青の様子に気づいた隊員たちが、次々に振り返る。


 かつて猪牙隊の西方開拓任務に加わっていた者たちの口から、その名がつむがれた。


 白妙しろたえ、と。


「白妙って、『例の』村の、か……?」

 隊列の端で、雲類鷲うるわしが、声を潜めて隣の檜前ひのくまに問う。


「ああ……惣太そうたがいる村の、主だ……」

「惣太……っ」


 雲類鷲は思わず足を踏み出しかけた。

 が、わずかのところで、動きを押し留める。

 幼馴染を見捨てるほかなかったあの夜の記憶が、今なお胸を離れたことはなかった。


 早春の冷たい風が山野を吹き抜け、地の気は冷えを帯びる。

 東西の境界は、逢魔おうまどきの薄闇に包まれ始めていた。


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