ep.5 同級生(1)
学校は、本では学べないことを、たくさん教えてくれた。
「入学おめでとうございます」
一学年百名ほどの生徒は二十人ずつ、五つの学級に分けられ、それぞれに担任の教官がついた。
「一年間、皆さんの学級の担任になります、小松美雷です。よろしくお願いしますね。術の授業も担当しています」
青が振り分けられた三組の担当教官は、若い女だった。
法軍人が身につける胸当てと腕章を着用しているが、小柄で華奢なため、軍服に着られているような印象を受ける。
教員の出自は様々だ。
小松先生のように教員資格を持つ軍人もいれば、民間の学者や職人もいる。
一般教養は担任が受け持ち、神通術や運動科目は現役もしくは退役した法軍人、調理・裁縫・工作などの技術科目は職人や技能師が受け持つ。
「はーい! センセーは何歳ですか?」
さっそく、お調子者の生徒が手を挙げた。
教壇を中心に半円を描く座席の真ん中に座る女子だ。
「先生は先日、二十歳になりました」
お母ちゃんより若い、姉さまと同じくらい、ぽつぽつとそんな声が上がる。
そういえば母さまは何歳だったのだろう、などと考えながら青は教室内を眺めた。
「先生って、ショクイは何?」
今度は男子が声を上げる。
「先生は中士です」
ショクイ(職位)とは、法軍における階級を示す。
「チューシか~。しょっぼ! 父ちゃんはジョーシだぜ」
ケラケラと、生意気な笑い声が教室に響いた。
軍の職位は、下から下士、中士、準士、上士、特士と続く。
悪態をついた男子の父親は、位の高い人物のようだ。
霽月院から支給された質素な服を着ている青と異なり、彼は見るからに上等な上着を身に着けている。
トゲのようにあちこちの方向へハネる髪が、奔放な性格を表しているようだ。
「だっせーの!」
男子生徒の嘲笑に、いくつかの笑いが同調する。
小松先生は、両目を微笑の形に細めたまま、教室を見回していた。
生徒たちの中には、気まずそうに俯く子もいれば、男子たちの軽口に嫌悪感を露にする子もいる。
「だっせーのはそっちでしょ!」
唐突に、青の隣から声が上がった。
「え」
驚いて振り向くと、隣の席の女子生徒が立ち上がっていた。
緑がかった髪を、横で一つ結びにしている。
馬の尻尾のように揺れる髪が、いかにも勝ち気で利発そうな雰囲気を醸し出している。
少女は腕を組みながら、態度の悪い男子生徒たちを一人ずつ睨みつけていた。
「何だよてめぇ!」
「先生に謝りなさいよ!」
「うるせぇブース!」
――轟音が落ちた。
「ひっ!」
情けない悲鳴がして、教室が静まり返る。
生徒たちの視線が、一斉に教壇へ向いた。
小松先生が、青い光を帯びた片手を顔の横に掲げている。
雷の術を使ったのだ。
誰も怪我はなく、室内に焦げ跡もない。
だが、脅しとしては十分に効果的だった。
「もう二つ、自己紹介を忘れていました」
小松先生は笑顔を崩さないまま、続けた。
「先生、得意技は雷の術です。それから……お友達の悪口を言う子には、怒っちゃいますよ」
翌日から、小松先生は「カミナリの小松」と恐れられるようになった。
ついでに、暴言を吐いた男子生徒の父親が学校の小松先生を訪ね、ペコペコと頭を下げにきたことは、余談である。
*
同世代の子どもが集う場所は、青にとって新鮮だった。
入学初日に起きた通称「カミナリの小松、激怒の落雷事件」も衝撃的だったが、それ以上に、同じ子どもでも、性格や出自が様々である事にも興味を覚えた。
青や霽月院の子たちのような孤児もいれば、全てに恵まれた子もいる。
授業が始まれば、その「違い」は更に明確になった。
「術の相性というのは、人それぞれです」
神通術の授業初日。
中庭に集められた子どもたちを前に、小松先生が最初に発した教示だ。
「先生は、雷の術が得意です」
一部の女子生徒の間で、笑いが起きる。
一部の男子生徒たちが膨れっ面をしているのは、言うまでもない。
「水もまあまあ得意かな。でも雷に比べて、炎や風は強くありません。だけど、これは忘れないでください。術が使えるかどうかは、誰が上か下かの問題ではありません」
どういうことだろう、と首を傾げる子どもたち。
「例えばとある特士の方は風術しか使えません。他の術とは相性が悪かったのですね。でもその風術に特化して術力を鍛えて、唯一無二の強さを得ました。反対に、全ての術を平均的に使える特士もいます。術を組み合わせて、巧みな戦術を可能としました」
青をはじめ、子どもたちは小松先生の話に聞き入った。
無駄話をする子は誰もいない。
穏やかな語り口が、心に染み行くように頭へも流れてくるのだ。
「では早速、やってみましょうか。先生のマネをしてくださいね」
小松先生は片手を顔の前に、手のひらを上向けて掲げた。
「神様の中で、自分が一番好きなのを思い浮かべてください。火水風地雷の五つから選びましょう」
青は火を選んだ。
出逢った日の夜、藍鬼が青を救うために用いた術であるからだ。
「思い浮かべたら、自分の手を見つめながら、想像してみてください。例えば火なら、ロウソクの小さな灯りが指先にぽっと点く、みたいに。水なら雨粒が手のひらに溜まっていく様子、風なら――」
言われた通りに、生徒たちは自分の手のひらをじっと見つめ始める。
青も手のひらを見つめながら、炎を思い描く。
「思い浮かべましたか?唱えてみてください。火は「炎神」、水は「水神」、風は「風神」、地は「地神」、雷は「雷神」、最後に「ギョク」」
「炎神・玉」
言われたままの言霊を唱えた。
手のひらから指先へ向かって、熱が駆け抜ける感覚がした。
「あれ」
だが、炎は出ない。
周囲からも「出なーい」と落胆する声と、「出た!」と喜ぶ声と半々だ。
「出なくても大丈夫ですよ。慌てないでくださいね」
術を出そうと試行錯誤する生徒たちの間を歩いてまわり、小松先生は一人一人に声をかけていく。
その時――
「うわあっ!!」
悲鳴と同時に生徒たちの間から炎柱が上がった。
「!?」
「センセ……っ」
腕が炎に包まれた、男子生徒の姿。
初日に暴言を吐いた子だった。
術が、暴発したのだ。
「榊君!」
いち早く小松先生は、騒ぎ慌てる生徒たちをかき分ける。
「消えない……! どうしよ、」
焦りがますます術を暴走させ、炎柱がうねり始めた。
「水神・瀑!」
唱えると同時に小松先生は男子生徒―榊の腕を抱き込む。
ジュウと蒸発音がつんざき、水蒸気が噴霧した。
「小松先生!?」
異変に気付いた他学級の教員達も学舎から飛び出してくるが、中庭は水蒸気の霧に包まれて何も見えない。駆けつけた教員の誰かが風の術を使ったのか、一陣の突風が横切り視界が急に晴れた。
炎柱は消失していた。
そこには、しゃがんで蹲る男子生徒の背中を抱いて「大丈夫ですよ」となだめる小松先生の姿があった。
先生の、肩に垂らしていた黒髪の先が少し焦げていて、白い頬の片側が煤と火傷で薄く黒ずんでいた。
「ご、ごめん……先生、ごめんなさい」
男子生徒、榊は体と声を震わせている。
腰を抜かしているのか、立ち上がろうとしない。
小松先生はただ側に膝をついて震える背中を抱き、「大丈夫ですよ」と繰り返した。




