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毒使い【最終章、始動】  作者: キタノユ
毒使い 序章
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毒使い 序

 その日、ただひとりの手によって、いく百もの命が静かに消えた。

 


 巨大な要塞ようさいをぐるりと囲む黒々とした壁の上に、ふくれた月が白く冷たい光を落としていた。


 壁を見上げる暗い森の中から、ひとつの影が姿を現す。

 人影は、夜の闇に溶け込むような色の外套がいとうをまとい、頭巾ずきん覆面ふくめんで顔を隠している。


 その体つきから、男であることがうかがえた。

 

 壁へと続くやぶの草地を、風が横なぐりに吹き抜ける。

 足元までを覆う外套のすそが、大きくあおられた。


 風が通り過ぎるのを待ってから、男はそで無しの外套の前をわずかに開ける。

 ゆっくりと、黒い手甲てっこうに包まれた片手を、顔の前にかざした。


 甲には銀の板がはめ込まれ、そこには勇ましい神獣しんじゅうの模様が彫り込まれている。

 手甲から覗く指先には、長方形の紙片が数枚、挟まれていた。


「シユウの名のもとに命ず」


 男は低くつぶやくと、紙片を足元へばらりといた。

 次の瞬間、紙は白い煙を立て、またたく間に土色のイタチへと姿を変える。


「行け」

「ギャギャギャッ」

 男のひと声に、鼬たちは鋭い鳴き声をあげて四方へと散っていった。


 やがて、風もないのに藪がざわめき始める。

 男の足元を、小さなネズミが走り抜けた。ざわめきは水面の波紋はもんのように広がり、大きなうねりとなって要塞へと向かっていく。


「ギャギャッ」

 暗闇を裂くように、鼬の威嚇いかくが鳴り響き、ネズミたちを追っていく。

 追われる無数のネズミが、壁の下へと潜り込んでいった。


 鼬たちの働きを見届け、男もまた移動を開始する。

 壁の内へと続く川のほとりに膝をつき、腰の袋から薬の瓶を取り出して、そっと前へ掲げた。


「――」

 ふたたび、男は何か短い言葉をささやく。

 すると、瓶の中から無色の液体があふれ出し、水玉となって宙に浮かんだ。


はしれ……」

 短く、静かな命令とともに、水玉はするりと蛇のかたちに姿を変える。

 水蛇は、川の流れに乗って水底へと沈み込み、井戸や湧き水へとつながる水脈に溶けていった。


 命あるものに血がめぐるように、葉の隅々に水が行き渡るように――男の放った毒は、要塞の隅々へと染み渡りはじめる。


「……っふう……」

 男はひとつ息を吐き、空となった薬瓶――猛毒薬が閉じ込められていたもの――を見つめた。


 水を介して送り込んだ毒薬を、ネズミがさらに拡散してくれる。

 井戸の水も、湧き水も、流れる川の水も、やがては蒸発し、毒が風にのって要塞内に満ちわたる。


 日が昇れば、人々はいつも通りの朝を迎えるだろう。

 水を浴び、朝餉あさげの支度をし、畑に水をまき、掃除をする。

 誰もが、水に触れ、口にし、毒はしずかに体へと染み込んでいく。


 毒は即死にいたらない。

 誰一人として逃さぬよう、時間差まだ計算し、精密に調合されている。


 その日の夕暮れ時。

 この頃になってようやく、異変が生じ始める。


 だが、それもまだ、ほんの小さなきざしにすぎない。

 頭が重い、少し熱っぽい、体がだるい、軽い咳が出る。


「今日はどうにも疲れたな……体の節々が痛む」

「あら、歳のせいかしら?」

せきが出始めたわね、風邪でもひいたかな」


 そんな日常の言葉を交わしながら、人々は心地よい眠気に抗うこともなく、床にく。


 ――そしてもう、目を覚ますことはない。


 やがてその城は、音のない死の要塞へと変わる。

 数日もすれば、人の気配が消えたとに気づいた獣やむしがはびこり、賊が忍び入ることになるかもしれない。

 ちまたで、「疫病えきびょうだ」「たたりだ」との噂も、広がるだろう。


 ただひとりの毒使いが、たった一夜のうちに要塞を落としたなどとは、誰も知るよしもない。



 歴史の闇にひそむ、毒使い。

 その頂点をめざす男の物語は、遠い幼き日の記憶から始まる。


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