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家に着くころには、あたりはすっかり暗くなりはじめていた。
優太は帰って早々奏恵の部屋に戻り、抱えていた荷物を下ろして床に寝そべった。
「はぁ、疲れた」
『おつかれさま』
奏恵は優しい口調で言った。優太は黙って天井を見つめる。
『なに黙って。どうかしたの?』
「いや、なんか奏恵ちゃん、優しいなって思って」
『なにそれ』奏恵は笑った。『言われるまでもなく優しいと思うけど』
二人は笑いあったあと、続ける話題がなくなり静かになった。
しばらくしたあと、奏恵が小さな声でつぶやいた。
『……ねぇ、優太』
「なに?」
『優太って音楽やってるんだよね』
「うん。やってるけど」
どこか探るような奏恵の声色に、優太は不思議がりながらも答えた。
『作曲もしてたりする?』
「もちろん」
『じゃあさ、その、聞いて欲しいものがあるんだけど』
「聞いて欲しいもの?」
優太は戸惑いながらも奏恵に促され、パソコンデスクの前に座った。
「あれ? これ……」
朝は慌ただしくてよく見ていなかったが、パソコンデスクの脇には布が掛かった電子ピアノが置かれていた。
『パソコンつけて』
優太は奏恵に言われるがままパソコンをつけた。
『次、タスクバーの一番左にあるソフト立ち上げて』
「え、これ……。DAW入れてんの?」
優太はモニターに映し出されたアイコンを凝視した。
『だう? 入ってるのはロジックだけど』
「いや、ロジックもDAWなんだけどさ……」
優太は手慣れた手つきでソフトを立ち上げた。これを開かない日はほどんどない、PC上で音楽を作れる、今の時代の音楽家には必須のソフトだった。
『やっぱり優太、こういうのに詳しいんだ』
「一応ね。これでアレンジまで一通りやってたし」
『ちなみに、DAWってなに? DTMとは違うの?』
「DTMはデスクトップミュージック、DAWはデジタルオーディオワークステーション、だったかな? つまり、DAWで作ったものが基本的にDTMってこと」
『ふぅん。まぁいいや。これ選んで』
「う、自分から聞いておいて……」
優太は奏恵に言われるまま、プロジェクトを起動させた。
「DTMを立ち上げろ……?」
『あー! そこは読まなくていい!』
「ああ、タイトルか」
『もう、最悪!』奏恵がその場にいたら頭を抱えているだろう。そんな、絞るような声色だった。
「ちなみに、さっきの話でいうと、立ち上げるのはDTMじゃなくてDAWね」
『うぅっ!』奏恵がついには呻きだした。『恥ずかしい……。こんなことだったら言わなきゃよかった』
優太はそんな奏恵を尻目にソフトが立ち上がったことを確認する。
「えっと、このまま再生してもいい?」
奏恵はしばらく唸ったあと、静かにつぶやいた。
『うん。でもそれ、まだ、作り途中だから……』
「オッケー。じゃあ、再生するよ」
『あっ、でもやっぱり――』
優太は奏恵の声を遮るようにヘッドホンをつけ、楽曲を再生した。ジャンルはポップスだろうか。軽快なリズムに王道のコードがのっている。ピアノ以外はパソコンで打ち込みをしているのか、お世辞にも上手いとは言えなかったが、これといった不協和音もなく、しっかりと音楽の素養があることが感じとれた。メロディも歌声も、アレンジの雰囲気に合っている。
ワンコーラスのみ作られていた楽曲を聞き終え、優太はヘッドホンを外した。
『ど、どう……?』
奏恵は恐る恐る尋ねる。
「楽曲自体はすごくいいと思う。まだラララだけの仮歌だけど、メロディもいい。声は奏恵ちゃんかな? コードも簡単だけど工夫はしてて、飽きないようにしたいんだなっていうのは伝わってくる」
『ほ、ほんと……?』奏恵の声は震えていた。
「うん、あとは演奏面かな。ピアノは大丈夫だけど、ドラムとベースが結構怪しい。これってクオンタイズしてないでしょ」
『クオンタイズ?』
「ええっと……。音符を拍に合わせる機能、って言えばいいかな。今のだとほら、全体的にリズムが拍に比べて微妙に前後してる」
『なるほど。でも、その方が生演奏っぽくない?』
「実際に演奏するならね。これは打ち込みだし、できるならクオンタイズした方がいい。わざと崩してグルーブだすやり方もあるけど、キックがちょっともたっているのにベースがちょっと早かったりしてるから、正確なタイム感を把握したうえでやった方がいいかな。あと、そもそもこの音源って――」
『ストップ! わかったから!』
奏恵に制され、優太は口をつぐむ。
「あっと、ごめん。つい……」
『ううん、聴いてって言ったのは私だし……。でも、いきなりすぎてほとんど頭に入ってこなかった』
「そうだよね。ごめん」
『だけど、優太って本当に音楽やってたんだね』
奏恵は感心している様子で言った。
「むしろ、なんでやってないって思ったの?」
『だって、音楽やってる人ってみんなスマートじゃない? 余裕があるというか』
「俺、スマートな方だと思うけど」
奏恵からの返事はなかった。優太は咳払いをする。
「で、この曲はなんの曲なの?」
『さっきのカフェで店長さんが言ってたやつ』
「え、あのコンペの?」
『うん。ちょっと前に楽器屋でチラシ見てね……。前からちょっとずつ曲は作ってたし、いい機会だから応募してみようかなって思ってて』
「なるほど。だからDAWを立ち上げろってタイトルな訳か」
『そう。どうせコンペならテーマに沿った方が良いと思って……』奏恵の声は段々と小さくなっていった。
「いや、狙ってる当たりとしてはかなり良いと思う。ワンコーラスで作るっていうのも、ちゃんとコンペを意識してる感じだね」
『やっぱりワンコーラスなんだ。ネットで見て本当かなって思ったけど』
「審査する方も時間がかかるからね」
『ワンコーラスで本当に分かるのかなって感じだけど』
「それはまぁ、制作側の意見としてはそうだね。お互いの都合の落とし所がワンコーラスなんじゃないかな」
『確かに、言ってることは分かるけど……。でも、それくらいの時間くれてもいいのに』
「まぁ、そうかもね」
優太は曖昧に同意した。すべて聴いてもらいたい奏恵の気持ちも分かるが、優太はどちらかというと審査側の気持ちの方が理解できてしまう。
『店長さんは狙い目だって言ってたけど、実はネットでも公募してるみたいで、すでに応募が結構きてるんだって』奏恵は不安そうにため息をついた。『だから、通らないとは思うけど』
「それはやってみなきゃ分からないよ」
優太は一度コンペを諦めた自分を戒めるように言った。
『まぁ、そうかもしれないけど……』
「ただ、コンペに出すならもう少し整えたいところだね」
『だよね』奏恵はうなだれたような声をだした。『私、なんだかんだ曲を完成させたことなくて……。ここからどうしていいのか分からないんだよね』
「へぇ。でも、それにしてはよくできてるよ」
『本当? だけど――』
奏恵の言葉を遮るように優太は楽曲を再生してしまう。一時停止をしたが、奏恵からいいよと言われ、再び楽曲を再生した。
「やっぱり、まずはドラムの打ち込みからかなぁ」
優太はそう呟きながら、ドラムトラックを編集し始めた。
『え、やってくれるの?』奏恵は驚いた様子だった。
「え、そういうことじゃないの?」優太も同じように驚く。
『そりゃぁ、やってもらえたら嬉しいけど』
「じゃあ、やる」
優太はドラムトラックに打ち込まれたデータを整えていく。
「この感じだと、基本的に八分でクオンタイズしちゃって大丈夫だと思う」
『へぇ』
「あとはベロシティか」
『ベロ?』
「ベロシティ。音の強弱のこと。この場合、エイトビートのドラムだからハイハットの裏拍はちょっと弱めに。キックはまぁ、少しだけ強弱つければいいか」
それから優太は夢中で奏恵の楽曲を編集していった。初めは奏恵も悔しそうにしていたが、優太の知識と技術を目の当たりにし、次第に感心するような素振りになった。
「ここなんだけどさ」優太はメロディが入っているピアノトラックを開く。「サビの真ん中らへん、メロディは他の演奏よりも一拍早く入ってるんだけど、ここってあえて早く入れてる?」
『うん。そのつもり』
「なるほど。でもここは、メロディも演奏と同じタイミングにしたほうがよくない?」
『メロディは変えたくない』奏恵はきっぱりと言い放った。
「そ、そっか……」
優太が奏恵の語気におされてメロディトラックを閉じたとき、下の階から奏恵の母親の声がした。
「奏恵! ご飯できたよ」
「ごめん、あとで食べる!」
『え、あ、ちょっと優太!』
反射で返事をした優太に、奏恵は今までにないくらいに動揺していた。
「あ、ごめん。つい……」優太は慌てて奏恵に謝る。
『それよりも早く返事して!』
奏恵がそう言った直後、階段を上る足音が聴こえた。
『やばい、パパだ』
「パパ?」
『DAW落として!』
「え、データが……」
『あぁもう! それじゃあ、えっと、モニター! モニターの電源落として!』
優太がモニターの電源を落としたのと同時に部屋のドアが静かに開いた。恐る恐る振り向くと、鬼の形相をした奏恵の父親らしき男性が立っていた。
「降りて来なさい」
奏恵の父親の威圧感に当てられた優太は、首が取れそうになるほど何度もうなづいた。
「始めからそうしなさい」
「ご、ごめんなさい。寝ぼけてて、つい……」
奏恵の父親はため息をついて部屋を見回した。
「机で寝てたのか」
「うん、ちょっとうとうとしちゃって……」
奏恵の父親は、いつもと様子が違う娘を訝しげに見たあと、何も言わず下の階に降りていった。
優太は張り詰めた糸が切れたようにイスにもたれかかる。
「なに、あれ」
奏恵はため息混じりに言った。
『パパ。厳しいの、うち』
「厳しいとはまた違う気がするけど……」
優太は張り付いて剥がれない苦笑いをしたままモニターをつけ、しっかりとデータが保存されたことを確認したあと下の階へ降りた。




