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幽鬼幻想紀  作者: 風光
3/12

第3話「狂気の立証」

 やっとぉ、中間テストも終わったんだぁ。せっっかく、あれだけ我妻に教えてもらったのにぃ…結局、震えっぱなしだった。我妻は何も言わないけどぉ……今日返却されるテストを見たら、…怒るだろうなぁ……

 学校に行くのが嫌になっちゃう。もう遅刻しそうなのにぃ、全然走る元気が無い。

「おい、急がなくてもいいのか?」

 我妻がぁ、肩の上から声を掛けてきてくれる。あたしが何も答えなかったら、我妻はぶっきらぼうに言ってくれた。

「気にするなよ。確実に、明美は頭が良くなってるんだからな」

 あぁ〜あ。それは分かってるんだけどなぁ…我妻ってぇ、変なところで優しいんだもん。文句は言わないんだけどぉ…あたし、逆に困っちゃう。

「さぁ、嫌なものは、さっさと片付けようじゃないか」

「…あは☆ そうだねぇ」

 そう、早く済ましちゃぉ! くよくよしたって、仕方無いんだもんねぇ♪

 あたしが気を取り直してぇ、校門に向かって走ろうとした時、突然あたしの肩を誰かが叩いたの。驚いて振り返ってぇ……あたし、あんまりびっくりして叫んじゃったんだ…「中田のお兄ちゃん!」って…

 数ヶ月振りに会っちゃった…お兄ちゃんはぁ、戸惑ってるあたしに、静かな目で笑い掛けながら尋ねてきたの。

「勉強はどうだい?」

「え? あっ、うん…」

 でもぉ、お兄ちゃんは返事も待たないで先に走って行っちゃった。大事そうにぃ、大きな黒い鞄を抱えてる。

 その時…急にぃ、体の中心から震えが広がってきたの…あたし、必死で抑えようとしたんだけどぉ……梨香の顔が思い出されてぇ………

 そう…あたしぃ、お兄ちゃんに勉強を教えてもらってたんだぁ…あんな事さえ…無かったらぁ………

「おい、明美。大丈夫か?」

 不意に心配そうな声で、我妻が顔を覗き込んできたの。あたし、はっとして急いで視線を逸らしちゃった。

 あんな事、我妻にだって言えないよぉ…

「誰なんだ? あいつ」

 すぐに目を上げてくれた我妻はぁ、嫌なものでも見たように尋ねてくる。

「…近所に住んでた人なの…」

「ふ〜ん。で、好きだったんだな?」

 茶化すように我妻は言ってる。あたしが小さな声で「…分かんなぁい」って言ったらぁ、我妻、びっくりしてた。


 その日はぁ…あたし、一日中びくびくしてた。誰にもあたしの後ろには立って欲しくなかったしぃ、…恐かったから……我妻にも何度も視線を送っちゃったの…でもぉ、その度に急いで顔を背けたんだぁ…だってぇ…、あたし、我妻まで………でもぉ…

 何度も、我妻は心配そうに声を掛けてくれた。授業中に、代わってやろうか、なんて…でもぉ、ここで我妻に甘えちゃいけなかったんだぁ…だってぇ、我妻はいつまでも、あたしと一緒にいてくれるわけじゃないんだもん…震えを無くすにはぁ、あたしが頑張らなくちゃいけないんだもん…

 だからぁ、あたし、決心したの。今日、中田のお兄ちゃんに会いに行こう、って…


 学校が終わってからぁ、あたし、校門の前で我妻を見上げて頼んだんだぁ。

「お願い、ついてこないでねぇ…」

 どうしてもぉ、我妻と一緒には行けなかった。我妻はびっくりしてたみたいだけど、それでも頷いてくれたの。

 我妻がぁ、あたしから離れて先に家に帰っていく…それを見送ってたらぁ、あたし、急に恐くなっちゃった。ずぅっっと、避けてきたのにぃ……でもぉ、大好きな我妻の為にもぉ……そう思った瞬間、あたしぃ、慌てて周りを見渡しちゃった…

 熱いくらいに、顔中が真っ赤になってるのが分かる。…絶対にぃ、我妻にこんな事、知られたくない。

 …でもぉ、…そう、あたし、我妻が気になってるんだぁ…我妻の為に勉強してるしぃ、我妻を悲しませたくないから、お兄ちゃんに会いに行こうとしてる……あんなに生意気でぇ、人の無鉄砲を笑えないくらい無茶するのにぃ…どこか格好良いんだぁ…どうしてだろぅ? 中田のお兄ちゃんも大好きだったのにぃ…我妻が後ろに居ても、どうして恐くないんだろぅ………


 大きな川伝いに歩いて行くと、綺麗な緑の丘が見えてくるんだぁ。その低い丘と豊かな川に挟まれてぇ…病院はあるの。

 …何度、受付だけ見て帰ったんだろ…今日はぁ、その奥に入んなくちゃいけないんだ。

 明るく開かれた受付にはぁ、いつも通りに丸顔のおじさんがいる。

「中田雅史さん、今日はいますかぁ?」

「えぇ、いますよ。今日は調子がいいみたいですからねぇ、面会も出来ますが」

「…、お願いします」

 大きく息を吸い込んでぇ、あたしはそう言ったの。

 渡された鍵を持って、お兄ちゃんの部屋に向かう。不思議なんだけどぉ、足取りはしっかりしてるの…あれだけ恐がってたのにぃ、気持ちも落ち着いてる。

 緑色に塗られたドアの前に立ってぇ、あたしは大きく深呼吸してみた。

 さぁ、一回だけ…そう、一回だけこの場を耐えればいいのよ。

 あたしが鍵を差し込んでドアを開けると、中はとても大きな部屋になってた。

 長い机が幾つも並んでる。…その一つにぃ、中田のお兄ちゃんが座ってたの。ドアが開く音に振り向いたお兄ちゃんはぁ、あたしを見て嬉しそうに手招きしてくれた。

「やぁ、来てくれたのか。元気そうだな」

「…うん☆」

 お兄ちゃんは立ち上がってぇ、あたしに椅子を出してくれる。まだぁ、あたしには優しいんだ……

 ほっとしちゃってぇ、あたし、喜んで椅子に座ったの。お兄ちゃんもあたしの前で、楽しそうに話し掛けてくれた…

「勉強の方はどうなんだい?」

「うん。随分出来るようになったんだよぉ?」

「それは良かった。明美は昔から頭が悪かったからなぁ」

 我妻より一つだけしか年上じゃないのにぃ、お兄ちゃんの方が大人びて見える。(悪かったな、どうせ俺は子どもだ)

「学校の勉強にちゃんとついていけてるだけでも、凄いことだよ」

「お兄ちゃん! あたしだって成長するんだからぁ」

 ちょっと怒ってみせる。お兄ちゃんの言葉には、我妻みたいに嫌味なところが無いの。(…おい、明美。喧嘩売ってるのか?)

「よし、じゃぁ一度試験をしてみるか」

 お兄ちゃんがそう言った瞬間、あたしはびくっと体を震わせてしまった。そしてぇ、用意してたみたいに問題用紙を取り出すお兄ちゃんを見上げたの…でもぉ、中田のお兄ちゃんは視線を合わせてくれない…体の底から…恐怖が沸き起こってきちゃう……

 ここは病院だもん、大丈夫だよぉ…そうは思ってもぉ、あたしの体は大きく震えてしまう…並べられた試験用紙と鉛筆、消しゴムを見ながらぁ、あたし、必死に自分を抑えようとしてた。逃げ出したいよぉ…でも、そんなことしたらぁ、いつまでもお兄ちゃんと試験を恐がってなくちゃいけない……

 震える指先で鉛筆を持った時ぃ…あたしの後ろでカチッて高い金属音が響いたの。

 …あたしは恐怖で大きく目を見開いたままぁ、後ろを振り返ったんだ…何時の間にか、ドアも閉められてる……

 ……そしてぇ、…お兄ちゃんが…拳銃を持って、冷たくあたしを見てた……

「…中田の、お兄ちゃん…?」

 お兄ちゃんの足下にぃ、今朝の黒い鞄が転がってる…

 あたし、動きたかったんだけどぉ、体が動いてくれなかったんだ……

 …あの時もぉ…同じだった……

「明美も死ななくちゃいけないんだ。梨香が殺されたように、な」

 あたし、大きく震えたまま何も言えなかった…

「俺と親しい奴は皆、そうなるのさ。いや、ならなくちゃいけないんだ」

「…ど、どうしてぇ…」

 あたしぃ、やっとそれだけ言ってた。

「梨香だけが、何故殺されるんだ? そんなはずがあるものか。きっと、俺と親しい奴は全員殺されるんだ。梨香は、ただその『一番目』になっただけさ」

 今迄ぇ、あたし、説得しようなんて思った事も無かった…

 でもぉ、今日は叫んでた。

「お兄ちゃん、止めてぇ! あたし、あたしが、梨香の代わりになるからぁ」

 その言葉に、中田のお兄ちゃん、冷たく笑ってた…

「無理だな。明美は俺と寝たりしないからな」

「…! まさかぁ…!」

 あたしぃ…びっくりして…信じられなくてぇ…言葉を無くしちゃったの……

「そうさ。俺は妹の、梨香の体を愛おしく抱いていたんだ」

 その言葉はぁ…冷たい銃口よりも、あたしには恐かった…絶対、信じられないよぉ……

 でもぉ…あたしの震えを無くすにはぁ……

 …あたしの為にもぉ……ううん、…我妻の為にぃ………

 あたしが凄い決心をして口を開こうとした時、急にあたしの後ろで我妻の厳しい声がしたの…

「止めておけ、明美」

「我妻ぁ?」

 あんまり びっくりしてぇ…あたし、気を失いかけてた。

 我妻の落ち着いた声でぇ、今迄張り詰めてた気が急に緩んじゃった…不思議なの、我妻が前に立ってくれただけで、体の震えが小さくなる…安心するんだぁ…

「誰だ?」

 そう、今、我妻は可視化して中田のお兄ちゃんにも見えてる。

「見ての通りさ。明美に憑いている幽霊だ」

「幽霊?」

 そう言えばぁ、我妻、どうしてここにいるんだろぅ? ついてこないでって言ったのにぃ……

「今朝からずっと、おかしかったからな。ほっておけないだろ」

 って事はぁ…心配してくれたんだぁ。

 嬉しかった。昨日までだったらぁ、きっとあたし、約束を破った我妻に怒ってるのに…今日はとっても嬉しかった。

「それより、明美。さっきこいつに何を言おうとしてたんだ?」

 我妻の問いにぃ、あたし、思わず体を小さくしちゃった。…我妻、分かってるはずなんだもん…

「正直言って、あの時の明美は許せなかったな」

「ごめんなさぁい…」

「こんな奴に抱かれようなんて、二度と考えるな」

 我妻の真剣な声って、とっても厳しい。…正しくってぇ、何も言えなくなる。

「なら、死んでしまうんだな」

 中田のお兄ちゃんがそう言って、拳銃をあたしに向けてくる。あたしの前には我妻がいるけどぉ、我妻、幽霊だもん。弾は通ってしまう…

「冗談じゃないなら、お断りだ。聞かせてもらおうか、何故明美は死ななくちゃいけないんだ?」

 どうしてぇ、我妻ってこんな時には真面目になれるんだろぅ? あたしぃ、こんな我妻が誇らしいんだ、きっと。

 …胸の中でぇ、外に聞こえそうなくらい、鼓動が響いてる。

「梨香は、殺されたんだ。だから、俺と親しい明美も『二番目』として、死ななくてはいけないんだ」

「お前、明美を抱いた事はあるのか?」

 我妻の言葉にぃ、お兄ちゃんは驚いたみたい。…あたしも、びっくりしてた。我妻ぁ、何を言うつもりなんだろう?

「いや、ない」

「じゃぁ、おかしいじゃないか。その時点で、明美はお前の妹と違う位置付けになるんだからな。

 きっと、梨香って子は、お前に抱かれた者として、殺されたんだろう」

 我妻ぁ、中田のお兄ちゃんの考え方を変えるつもりなんだ。そう言えば、我妻ぁ、いっつも説得してる。絶対にぃ、力任せになんてしてない。

 お兄ちゃんは、ちょっと黙ってる。

 でもぉ、暫くしたらにやっと笑って変な目であたしを見てきた。

 恐い……それにぃ、とっても悲しかった…お兄ちゃんが、あんな目をしてあたしを見るなんて……

「じゃぁ、簡単な事だ。俺が明美を襲えばいい。そうすれば明美も死ななくてはいけなくなるからな」

 その言葉にぃ、あたしだけじゃなく、我妻もびっくりしたみたい…ううん、我妻ぁ、少し笑ってる…

「そんなに明美を殺したいのか」

 我妻の言葉にぃ、お兄ちゃん、何も言わずにあたしに近付いてくる…あたしぃ、恐くなってまた震え出しちゃったんだぁ…

 でもぉ、その時とってもびっくりしたんだけどぉ…あたしぃ、我妻が来てから今迄、ずぅっと震えが止まってたの……

 我妻はぁ、あたしと中田のお兄ちゃんの間に入って、とっても厳しい声で言ってる。

「おい、そんなに妹の死を事実として認めたくないのか」

 お兄ちゃんが、びくっとして体を止めた。

 あたし、分からなくて我妻を見上げたの。だってぇ、お兄ちゃん、梨香が死んだからぁ、それを認めてるから、あたしを殺したいんじゃないのぉ?

 我妻はあたしを見下ろして、静かな声で言ってくれた。

「梨香の死は、彼女一人の死なら『死』で終わる。だが、それが『こいつに親しい者は殺される』と定まっていた事だとしたらどうだ?

 つまり、生まれた時から梨香は殺される事になっていた。それなら、梨香は最初から生きていたんじゃない。死ぬべくして死んだんだ。だとしたら、その死を悲しむ必要も、認める必要も無い。

 だが、そう思うには何か証拠が欲しかった。『親しい者』? その時、こいつの頭には、一番に明美が浮かんだんだろう。

 明美を殺せば、自分の考えた仮定は立証される、そう思ったのさ」

 中田のお兄ちゃんはぁ、恐いくらいに黙り込んでる。混乱してるみたい、顔が歪んでしきりに何か考えてる。

 その様子を見て、我妻は冷たく言ったの。

「おい、また明美を殺す理由なんて考え出すなよ」

 そんなにまでしてぇ、あたしを殺したいのかな…とっても悲しくなる。

 …だってぇ、あたし、お兄ちゃんの事、大好きだったんだもん…

 初めて拳銃を向けられた時ぃ、あたし、あれは夢なんだと信じようとしてた…だってぇ、それまで、あたしは中田のお兄ちゃんを本当に信頼してたんだもん…信じてた人に急に裏切られても、その目に見えてる事実を、すぐに信じられるはず、ないよ。まして、それが初恋の人なんだもん……

 その時ぃ、中田のお兄ちゃん、急に大きな声で笑い出したの。

 その冷たくて乾いた感じに、あたしぃ、身震いしちゃった。我妻も身構えてる。

 お兄ちゃんはひとしきり笑っちゃうと、拳銃を構え直してあたしを睨んできた。

「理由なんてどうでもいいさ。俺は明美を殺したいだけだ。梨香が死んだのに、明美がちゃんと生きてるのは許せないからな」

 お兄ちゃん、躊躇いもせずに引き金を引こうとしてる。

 それを見てぇ、我妻はあたしの前で物質化して守ってくれようとしてた。それに気付いて、あたし、びっくりして叫んじゃったの。

「我妻ぁ?」

 いくら幽霊だって、物質化して弾が当たったらぁ…

 でも、我妻ぁ、真剣な表情であたしを睨んできた。その目を見たらぁ、あたし、何も言えなくなっちゃったの。…優しくって、静かで…厳しいんだぁ。

 お兄ちゃんはぁ、別に我妻を気にしてない。

 …このまま、我妻が傷付くなんて…そんなぁ……前にも、あたしを守る為に自分のエネルギーを使ってぇ……

 そんな事を考えたら、あたし、急に腹が立っちゃった。

 そしてぇ、あたし、手に持ってた鉛筆を構えて叫んだの。

「格好つけないでよぉ!」

 そうだよ、勝手に傷付いたりしないでよぉ! こんな、あたしなんかの為にぃ……

 我妻と中田のお兄ちゃんがびっくりしてあたしを見た瞬間にぃ、あたし、鉛筆を拳銃に向けて投げてた。うまくいけばぁ、お兄ちゃん、拳銃を落としてくれる。

 そう思ってたのにぃ、お兄ちゃんにも分かっちゃったみたい。飛んでくる鉛筆を、お兄ちゃん、拳銃で払うと床に叩きつけて……

 …その時ね……何かが、…微かに、軋んだ気がする……

「見るな!」

 我妻がそう叫んで、あたしを床に押し倒したの。

 …でも、あたし、その直前に見えたの…

 ……大きな音がして……拳銃が爆発して……お兄ちゃんの体に、…沢山の破片が突き立って……真っ赤な血が噴き出して………

 …中田のお兄ちゃんが倒れていく様子は、…どんな悪夢より、はっきり見えてた……

 気付いたら、あたし、大きな声で悲鳴を上げて泣きじゃくってる。…そんなあたしを、我妻はしっかりと抱いてくれてて、…あたし、その体温の無い腕にしがみついてた…

「明美、よく聞くんだ! あれは、明美のせいじゃない。拳銃の改造に失敗したからなんだ。いいな? 明美のせいじゃないんだからな!」

 ぼんやりと、我妻の声がしてる……


 その後、家に帰るまで、あんまり覚えてないんだ…すぐに、人が駆けつけてくれたみたいだけど……



 二、三日はぁ、何をしても駄目だった。

 中田のお兄ちゃん…あの恐い情景が、何度も目の前に浮かんでくる……

 …我妻も、その事には触れないでいてくれたんだぁ…

 でもぉ、…我妻にも何かを言わなくちゃいけない……何故かそう思ったからぁ、あたし、何日も後になってから、我妻に小さな声で言ったの…

「…これでぇ、あたしの震えを無くせる人がいなくなったんだねぇ……」

「…いや、そんな事はないさ。俺が、きっと治してやる」

 その言葉があんまり優しかったからぁ、あたし、思わず泣き出しちゃった。

 …肩にぃ、そっと手が掛かってる。

 その時、…あたしぃ、言わなくちゃいけない事を思い出したの…だから、「ありがとぅ…」って……

 そしてぇ、あたし、確信したんだぁ。…我妻ならぁ、あたしの震えを止めてくれる……きっと、って……




 暫くして明美が落ち着いてから、俺はあの男について尋ねてみた。そう、俺はあいつがどんな事をしたのか、全然知らなかったんだな。梨香って言う女の子の事も知らないし…いやぁ、よく説得しようなんて思ったもんだ。なんて無謀なんだろう。反省、反省(が出来ればいいんだけどなぁ。まぁ、いつもの事だし)。

「まず、梨香はどんな事をされたのか話してくれないか」

 …明美は、まだ辛そうにしている。そんな仕草は可愛らしいんだけどなぁ。

 俺、本当にこんな奴に慣れていくのが恐ろしい。随分ひどい性格をしてるからなぁ…まぁ、初めて会った時よりは良くなってるけど、…あれ? これって、若しかすると、否定する理由を探してるんじゃ……

「…うん。…梨香ね、…あたしと同級生だったんだぁ。…中学一年生まで、中田のお兄ちゃんに、一緒に勉強教えてもらってたの……あの日が来る迄は、ね……

 その日ね。…梨香ぁ、友達の家に遊びに行ってたの。その帰り道に、…公園で、…一人の知らない男に誘拐されたの…

 …梨香ってぇ、中学生にしては、とっても小さくて可愛かったの。おとなしかったから、…きっと、何も言えずに連れ去られたんだと思う……

 事件が解決してぇ、犯人は捕まったんだけど、……ただ可愛かったからぁ、梨香を攫ったんだ、って……そんな理由でぇ、あたし達、こんなに苦しんでるんだよ……?」

 少し、言葉が途切れる。可哀相に…犯人に対する怒りよりも、悲しみの方が明美の心には強く残っているらしい。…俺まで、変な気分になってしまう。

 俺は、思わずそんな明美の髪を優しく撫でてやっていた。

「…梨香ねぇ、一度だけ、あたしに会いに来てくれたの…

 ……乱暴されて、……身も心もめちゃくちゃにされてぇ、……気を失ったまま、海に沈められた、んだ、って………」

 明美は、啜り泣きを必死に抑えようとしている。思っていたより酷い話だな……

 俺は本気で怒っていた。珍しく、口もきけないくらいに憤激していた。

「…明美、泣きたければ泣けばいいんだ。涙を流すことは、悪い事ばかりじゃないからな…」

 俺の言葉に、明美は小さく首を振って話し続けた。

「…梨香ねぇ、…そんな事を、泣きながら話してくれたんだぁ…でもぉ、その時にはあたし、もう何も出来なかったの…何をすればよかったの? 犯人は捕まってぇ、判決も出たの……でもぉ、あたし、そんな刑罰じゃ我慢出来なかった。…だからってぇ、その人をあたしが殺せばいいの? …そんな事、出来るはずもないのに、…あたし、幾晩も真剣に考えてた……」

「…それでいいんだよ、明美。真剣に考える…それしか出来ない事だって、この世の中には沢山あるんだ。法を犯した男のために、明美までが法を犯す必要は無いんだ。例えそれが梨香のためになったとしても、邪に邪を以て対処する必要は無いんだよ…

 じゃぁ、何をすればいいのか。そんな事、誰にも分からないんだ。赦せって言う奴もいるかも知れない。だけど、そんな奴が赦せるか? 或いは、黙って耐えろって言うのか? そんな事じゃいけないんだよ。その痛みを他人に分け与えたり、これ以上、同じ様な事が広がらないように世の中で活動していく…人によったら、そんな方法もあるだろう。

 明美は、明美の方法を見つけなくちゃいけないんだ。

 ただ、直接犯人を呪って、手も届かない牢獄にいる奴に仕返しする…そんな方法を考え続けて生きるのも、否定はしないが俺は嫌いだ。その力は幾つもの道で、自他を後押ししてくれる存在になれるはずだ。そんな力を、無駄にする必要は無いからな。被害者だって、そうなんだよ」

 そこで、俺は一つ息をおいた。

「もっとも、これだって第三者の『他人』から見た意見なんだろうけどな…」

 明美は何も言わない。

 明美の場合、犯人に対する矛先を別のものに向ける前に、あの中田って奴の記憶が入ったんだろう。だから、良い意味で明美は梨香の事件を忘れられたんだ。忘れなかったら…あの中田みたいになっていたかも知れない……あの中田は、事件で受けた衝撃を、自分自身に向けて狂人になったんだとも言える。

 明美が初めて俺と会った時、人質の子どものことであれ程怒ったのも、この事があったからなんだろう…『大人』の勝手で捕らえられていた子どもは、明美に梨香を思い出させたに違いない。


 やがて、気持ちが落ち着いたのか(そんなはずはないが、明美は俺に心配させたくなかったんだろう。…なら、俺もそれに応えてやらなくちゃいけない)明美は再び話し始めた。

「…中田のお兄ちゃんはねぇ、いつも通りに勉強を教えに来てくれたの。

 …そしてぇ、…試験をしてみよう、…って……

 あたしぃ、何とも思わずに机に向かってたの。でもぉ、その時…後ろで、変な音がしてぇ…あたし、振り返ったんだぁ……

 …あは、我妻に分かるかなぁ…あたしがそれを、…拳銃を見た時の気持ち……あたし、うまく言えないよぉ。…びっくりして、恐くて……その他にも、沢山の気持ちが一瞬の間に浮かんだんだぁ………」

 分かる…とは言えないな。本人である明美が、全然説明出来ないんだから。きっと、俺に分かるのは、明美が感じた何万分の一の気持ちでしかないんだろう…

「…その時からぁ、あたし、試験を恐がるようになったの。…ううん、恐いって気持ちもあまり感じないでぇ、…どう言えばいいのかなぁ…」

「…こうか? 拳銃も恐かったが、震えはそのためだけじゃない…」

「うん…そう、…あたしぃ、試験してても拳銃が後ろにあるのを恐がってたんじゃないの。ううん、それも恐怖感としては残ってるんだけどぉ…それよりも、あたしに親しい、心から信じてる人があたしを殺すんじゃないか、って、…裏切るんじゃないか、って……

 そうなった『事実』:が思い出されて、あたし、震えてたの……」

 ここで、俺は一つ残念そうに溜め息を吐いてみせた。

「俺も、いつか裏切るかも知れない、そう思ってるんだな?」

「あは☆ まさかぁ……」

 だが明美は正直なもので、語尾があやふやになってしまった。視線を逸らせて、俯いてしまってる。

 少し、厳し過ぎる言葉だったかなぁ、と今更ながらに思うが仕方が無い。これで、明美の震えを無くす一つの道が示されたんだから。

 そう、絶対に、俺一人であっても明美を裏切ってはいけない。例え、それが冗談でも、だ。俺が、あの中田の代わりにまでなれるかどうかは分からないが、せめて出来ることはしていこう。

 俺は黙ってしまった明美に向かって、明るく話し掛けた。

「悪かったな、辛い傷を開けてしまって。だけど、開いてしまった分、早く塞げるようにしてやるぞ。

 それより、どうだ? 少し外に出ようじゃないか。今日は久し振りに、気持ち好く晴れてるぞ」

「…うん☆」

 明美は嬉しそうに顔を上げた。明美の欠点でもあり、また良いところはこの切り替えの速さだな。

 大きく伸びをして、素早く涙を拭っている。

 …もう、大丈夫だろう。


「しっかし、明美に対する考え方が、どんどん変わっていくなぁ」

 明るい日差しに抱かれながら、公園で遊ぶ子ども達を幸せそうに見て歩いている明美の肩の上で、俺はそう言った。

「そうなのぉ? じゃぁ、始めはどんな風にぃ、あたしの事、思ってたのぉ?」

「俺に、悪口を言わせたいのか?」

 にやにやと笑う俺に対して、明美は脹れてしまった。

「なによぉ、全部悪口ぃ?」

「最初は、な」

 俺はそう言って、片目を瞑ってみせた。

 おや? 夕陽のせいかな、明美の顔が少し赤くなった気がする。

「…じゃ、じゃぁ、…今はぁ?」

「う〜ん、そうだな。…あんまり変わってないかな」

「我妻ぁ!」

「あははは」

 離れて逃げ出した俺を、明美が怒って追い掛けてくる。

 しかし、これは周りから見たらおかしいぞ? なにしろ、明美の追いかけてるのは幽霊で、俺は誰にも見えないんだからなぁ。

 さてと、明美が調子を取り戻すのもすぐだろう。次はどんな事が起こるのやら。あっ、その前に、期末試験を考えなくちゃいけないのかな?

                                                                     第3話「狂気の立証」 おわり


                                                                     《夢中、また、その夢を占う》

                                                                                 ・・・荘子



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