あたかも
派手な展開よりも、人と人との関わりや心の移ろいを静かに描いた物語です。
読んでいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
「誰もあいつがなぜあんなに金持ちなのか知らねえ」
酒臭いにおいをまき散らす髭の男が、明らかに舌が回っている様子で言い放った。テーブルにもたれかかり、体を左右にふらつかせ、今にも酒樽に転げ落ちそうだ。
「まるで金が空から降ってきて、あいつだけにぶつかるみてえな」
テーブルの席で誰かが一声笑ったが、真剣な笑いではなかった。
「あいつらが税金を吊り上げた時、誰がクラインから金を借りなかった?もしあの金が全部法外な利子で稼いだものだと言うなら、私たちこそあいつの神様じゃねえか?」
笑い声が広がり、すぐに潜まれた。
「小声にしろ」と、崩れ落ちそうな体を踏ん張り、頭を振ってバランスを取り戻そうとする男が言った。「あいつ、執念深いんだ」
私は肩をすくめ、少しでも疲れを払おうとした。
酒場ではいつもクラインの話が出る。この金持ちの商人は、ほとんどの人間よりも、まるでここの常連のようだ。
ただ一つ、私も彼らと同じだ。クラインのことが好きではない。
「へえ、そうなの」と私は笑った。「金持ちの嫌な紳士」
「そうだ、その通りだ」髭の男がグラスを差し出す。「金持ちの嫌な紳士!ほら、これ一杯、お前にやる。――クローズ」
私はそっとグラスを押し返した。「ありがとう。酒は飲まないんです」
彼は笑ってグラスを引き戻し、またみんなの話題に戻った。
窓から差し込む日差しはすでに向きを変え、黄金色に染まっていた。人々も帰り始める。店主がいないのを確かめ、私はついに我慢できずに酒場を抜け出した。
テーブルに残された一杯のビールを手に取り、一気に飲み干す。苦みが喉を伝って落ちていき、私は何度か咳き込んだ。
扉を押し開けると、涼しい風が頬をなで、酒精が毛穴から一層蒸発していく。まるで私を目覚めさせようとするかのように。
薄暗くなり始めた空を見上げ、低くつぶやいた。
「紳士は徹夜するだろうかな」
夕暮れの通りはいつも狭い。道端のボロ家の影が、異常に長く伸びていた。
酔っ払いたちが塀にもたれてくだらないことを話し、声が空気に張り付いている。道の真ん中、石塀の下に小柄な影がしゃがみ込み、うつむいたまま、地面のひび割れでも数えているようだった。
私は横をすり抜けようとした。つま先が彼女に触れそうになった。
彼女は頭を上げなかった。
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呼びかける牧師のそばに立ち、人が帰り尽くすまで待った。部屋の中と外の光が入れ替わるのを見届け、私は出発した。
薄暗い灯りの下、ベッドで眠るクラインが目に入った。
横向きに深く眠り込んでいる。やせ細った顔には光沢のある汗が浮かび、夜の暑さなのか、それとも夢の中で何かに責め立てられているのか。
彼は身を翻し、首を少し動かした――その唐突な癖のような動作が、私には強く印象に残った。
寝室は異常に殺風景だ。
目を一回りやらせても、まともな高価な物が一つも見当たらない。本棚にはぽつんぽつんと古い本が数冊置かれているだけで、全く目立たない。
紙切れや貨幣を本の間に挟むやつは少なくない。こんな小悪魔的なやり方は珍しくない。
だが最後のページまでめくっても、紙同士が擦れる微かな音がするだけだった。
ページの角の折り目はそのまま。意図的なのか、ただの癖なのか。
私は余計な痕跡を残す気はさらさらなかった。
狭い木の梯子を降りると、貯蔵室の空気が一気に重たくなる。
蝋燭を灯すと、炎がゆらめき、埃が黄みがかった光の中で舞い、目がしみる。
貯蔵室の天井は低いため、細い糸くずがびっしりと垂れ下がっている。茅の残りか、蜘蛛の巣かは分からない。
ただ隅の樽に続く道だけが、異常にきれいだった。
私は足音を殺し、樽の方へ近づいた。
「きゅう――」
音が地面を這うように伝わってくる。
私はほぼ反射的に影に身を隠し、しゃがみ込んで音の出どころを探った。
蝋燭の炎がそっと揺れた。
しばらくして、細かな物音が壁際を通り過ぎ、闇の中に消えていった。
ネズミだ。
私はすぐには立ち上がらず、低く息を吐き出した。だが心はまだ完全には緩んでいない。
このちょっとしたアクシデントで、神経が張り詰めすぎていた。
改めて周りを見渡す。低い天井、垂れ下がる糸くず、踏み荒らされた床。
一気に不安が掻き立てられた。
さっき本の角の、意図的なのか偶然なのか分からない折り目が頭をよぎる。
私はその場に立ち止まり、樽の周りを見下ろした。
地面に樽が動かされた大きな痕跡はない。樽はずっとここに置かれていたのだ。
あそこだけがきれいなのは、クラインが行くたびに蜘蛛の巣を払っているからだろう。
後から考えれば、もし罠があるのなら、他人に気づかせるようではいけない。痕跡を消し、罠で保険をかけるのが普通だ。
私は深く息を吸い込み、まるで理性を取り戻したかのようだ。
やたらと神経を尖らせていた自分に、苦笑した。
それでも私は外に出て戸締まりの掛け金を外し、扉を少し開けたままにした。
もしもの時は、逃げやすくするためだ。
樽の中には空気以外、砕けた瓦礫が少し入っているだけだった。
私は手を樽の縁にかけ、ゆっくりと横にずらした。
案の定、下の木の敷板は固定されておらず、それをどけると隠し扉が現れた。
上にはただ防潮用の古い布がかけてあるだけ。
布をめくると、四角い空間に証書や帳簿がぎっしりと詰まっていた。高利貸しの証文、取引の記録らしきもの。
これだけなのか。こんなものでは換金するのも手間がかかる。
私は身をかがめ、役に立つものを探し回った。
その時、一冊の本が目に留まった。
教典だ。
商人が教典を持っているなんて、信じられない。まるで彼の家に金貨が一枚もないのと同じくらい、驚きであり、不条理だ。
(注:このような教典は宗教書を広く指す。教会は精神的な価値や宗教生活を重んじ、富や物質的な利益を追い求めることに対して慎重、あるいは反対の姿勢を示す。農業経済が栄えた時代には、商業活動自体が貴族から差別されることも多かった。教会権力と貴族権力の対立の中で、教会の勢力拡大を抑えるため、聖職者の商業従事は禁じられていた。)
ページをめくると、突然、本の中が軽くなり、数枚の銅貨が背表紙から滑り落ち、板の上に短く乾いた音を立てた。
「……っ」
「見栄っ張りの紳士の財産か」
私は苦笑した。
やはりそうだったのだ。あいつは金を神殿騎士団か銀行に預けているに違いない。
だが、価値が最も低い貨幣とはいえ、この程度なら庶民がしばらく困らないで済むだけの額だ。
銅貨を仕舞う。考えが一瞬よぎったが、すぐに押し込めた。
もう行こう。
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家に帰った時は、夜も更けていた。
戸口から半分外に身を乗り出し、しばらく待った。路地裏には人影がなく、壁の隙間を風が通る音がするだけ。
誰も後をつけていないのを確かめ、扉を閉め、掛け金をかけた。
一晩中張り詰めていた神経が一気に緩み、疲れが骨の隙間から滲み出てくる。
考える暇もなく、ベッドに倒れ込むと、意識は闇に飲み込まれた。
目が覚めた時、西の窓から光が差し込んでいた。もう翌日の夕暮れ時だ。
しばらくぼんやりして、やっと十数時間も眠ってしまったことに気づいた。
寝返りを打って起き、床の隅の目立たない隠し戸から昨夜の獲物を取り出す。
むしろを敷く。
銅貨が一枚ずつ落ちていき、重たく確かな音を立てる。
その音はまるで胸に響くようで、どうしても口元の上がるのを抑えられなかった。
「あの紳士、意外と手持ちが潤ってたな」
私は低く笑った。
数えてみると、計十三枚。クラインにとっては、失くしても気にしない程度の額だろう。
だが私にとっては、酒場で雑用をしなくても、一週間は楽に過ごせる。
銅貨を仕舞い、指腹で凸凹した表面をなぞる――刻み目がある?
改めて一枚を取り出し、残りの光でよく見る。
銅貨の縁には、整った細い線が数本刻まれている。隠そうともしないほど、あからさまに。
勘が告げた。これは偶然じゃない。
だが考えは一瞬過ぎただけ。
金なんて、流通させてしまえば、痕跡など意味がなくなる。
私はまたベッドに横になり、背伸びをする。関節がかすかに音を立てた。
それから起き上がり、銅貨を確りと仕舞い、扉を開けて出て行った。
落日の光が町の石板道に降り注ぎ、一つ一つのひび割れまで長く伸ばしている。
子供たちが街角で押し合いへし合いしている。
その中に、小柄な影が塀際に押しやられ、押されても、叫ぼうともしないようだった。
通り過ぎる時、押し倒されたその小柄な影が、私にぶつかりそうになった。
私は何も言わず、足速めて酒場へ向かった。
それと同時に、支えようとしかけた手を引っ込めた。
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酒場に戻る。
「この野郎」
振り返ろうとした瞬間、力強い掌が肩に食い込んだ。
反応する間もなく、力が一気に締まり、肩に鈍い痛みが走る。
「いててて――」
痛さで体をよじり、あがいて、まるで獲物を噛んだまま離さない“大きな口”のようなその手を叩こうとする。
「おじさん、ちょっと、手を離してくれ――」
店主は全く離す気配がない。
たぶん、私が一日来なかったもので、一人で忙しくてカッカしているのだろう。
「クローズ」と、店主は鼻で笑った。
「何度も言ったろ?羽根が伸びて、この飯を食わなくてもいいと思うなら、早く言えばいい」
言い終わると、そのまま私を押しやった。
私は二、三歩よろけて立ち止まり、肩をさすりながら、すぐに笑顔を作って近づいた。
一言も断らなかったのは確かに私の非だ。
ただ、一日中眠っていたなんて、私自身も予想していなかった。
「いや、絶対そんなことないですよ」と慌てて手を振る。
「本当に用事があって遅れてしまったんです」
こんな言い訳はとてもつじつまが合わないように聞こえたが、私には分かっていた。
店主は本気で気にしているわけではないのだ。
「運が良かった」と店主は手を振り、怒りの色はだいぶ消えていた。
「今回は許してやる。さっさと皿を洗え」
「はい、すぐ行きます、すぐに!」
返事をしながら、カウンターの横の柵を開け、厨房へ入った。
やっと静かになったかと思った瞬間、背後から柵が勢いよく開ける音がした。
――やばい。
考えるまでもない。昨日の早逃げがバレたに違いない。
今日の無断欠勤も重なれば、数罪並べて、ひどく叱られるのは必定だ。
だが彼がさらに言いかける前に、外で酔っ払いが騒ぎ始め、注意がそちらに逸れた。
そういえば、随分前に店主に連れて帰られてから、私はずっとここで雑役として働いていた。
町の雑役はたいてい食宿だけで、定給もなく、仕事もずっと厳しい。
長くいるうちに、店主も私のようなやつに慣れてくれたのだろうか。




