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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第1章:落ち着きのない子

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8話:観察

 約束通り、シェイラは中庭で開かれる体術の授業を観察することになった。

 担当教師は体術の専科であるマヌル師。四十から五十くらいの背幅(せはば)のがっしりとした筋肉質の男だった。長外套を羽織っておらず、あまり見覚えのない装いをしている。



「マヌル師は、少し斎王国(さいおうこく)かぶれなのです」



 隣にきたキルシュ師が言った。空き時間は大切な時間であるはずなのに、シェイラと一緒に体術の時間を見てくれるらしい。



「なるほど」



 シェイラは疑問が解消して、瑠璃の耳飾りを、ちりんと弾く。


 異文化の国——斎王国。サージェシア大陸の東の果てにある。鎖国をして、斎王と呼ばれる女王が治める国だ。一番近い共和国としか交易を行っていない。


 マヌル師は、その国の道着を着ていた。足なぞは裸足である。

 シェイラが修養しつづける瞑想もまた、斎王国からやってきたものだったけれど、師のガザンと異なり、その地を訪れたことはない。

 マヌル師は興味深い対象だった。


(いけないです、いけないです)


 頭のなかで首をふる。観るべきはマヌル師ではない。今日はユートを観に訪れているのだ。己の焦点を切り替える。


 体術は、まず走ることからはじまった。色々な型を取ること、組むことが中心だった。

 走っている瞬間、赤銅色のユートは満面の笑みで、手を振ってくれる。



「このあいだの先生じゃん!」



 きゅんっとする。

 ——なんとかわいらしい。

 体全身を全力で動かして、気持ちよさそうだった。



「持久力があるんですよ、あの子」



 走るのは得意な様子だと、隣のキルシュ師が言う。

 

 シェイラはその様子を、じっと《《観た》》。

 特に、筋肉、関節、体の平衡感覚、肩や腰からの四肢(しし)、指先までの、流れや動きに目を凝らす。ユートは、全身に力を込めて走っていた。


 思考が活性化する。無意識に考える時のくせが出る。人差し指で耳飾りを弾く。


 次は、格技。

 今後、学年が進めば、魔法や魔術での実践や、馬上試合などのあらゆる基礎になる。なめてはいけない。……シェイラは苦手な分野だ。

 その格技も、シェイラは熱心に観る。ひとつの動きも逃すことなく、観た。あらゆる動きに力を出し切っている姿を。



「……やっぱり」



 シェイラがつぶやくと、キルシュ師が怪訝な目を向けた。


 あえて、なにも言わなかった。

 体術の様子だけでは明確に判断できない。先週同様に思う。



「このあとは算術でしたっけ?」

「ええ、その通りです」



 キルシュの返事を受けて、シェイラはひとつ注文を追加する。



「今日は、算術を見たあとはちがう学年に行かねばなりません。来週、初級魔法の実践を観ることはできますか?」


「はい、もちろんです。むしろ、ぜひお願いしたいです」



 危険な時間でもありますので、とキルシュ師が苦笑する。


(たしかに危なさそうです)


 今日の体術の様子を見ているだけでも、それはわかる。

 体の力加減が身についていないのだ。


(さて、算術はどうでしょうか)


 指先を使うのだ。予想はできる。



「——ああっ、やってらんねえよっ」



 ユートがそう言って、写本中の本を投げた。投げた拍子に墨壺(インクつぼ)が転がる。どばあっ、と(インク)が石床に広がった。


 算術の授業は、ただ算術を行うだけではない。教本からの写本が多い時間でもある。計算尺などの道具を使う日であれば、ユートは楽しいだろう。けれど、写本の時間は苦痛にちがいない。

 算術でならう写本は、中等部以降に学ぶ魔法陣に通じる。丁寧な写本が求められ、貸し出される墨も、魔導の力を発現させる高価なものだ。


 北部雪スズメの羽。

 東部砂岩に落ちる貝殻。

 西部マイスリー医術国から参じる魔獣の血液。

 さらに、南部ヴェッセンダリアとの海峡断崖に咲くベラリアの花。


 それらを一緒くたに鍋に加えて、(かまど)で三日煮る。煮終えて()した液と、竈の底に付いた(すす)、さらにオルリア聖王国に生える針葉樹の樹液を混ぜることで、墨となる。

 この墨で記した写本は、完成すると、学徒の脳裏にすべてが記憶として刻まれる。


 ヴェッセンダリアが認める、最高峰の魔導のひとつだった。


(……ただし、算術の暗記に限られますが)


 ユートには、関係ないだろう。椅子を蹴り飛ばし、だんっと長机を拳で叩く。周囲の子たちが怖がって身を引く。ひそひそとユートを見る。

 シェイラは予想していたことが起きて、確信めいたものを得た。起こることが予期できていただけに、少し罪悪感がもたげる。



「ユートさん!」



 キルシュ師が怒鳴って、ユートに油をそそぐ。

 きっ、と毛を逆立てた猫の目になった。


(もう、限界ですね)


 シェイラは動く。ユートに声をかける。



「少し休憩しませんか? わたしの仕事がどういうものかわかったので、こっそりお話しましょう」



 片目で目配せをすれば、ユートの猫目が少しやわらぐ。小さく、肯く。



「——キルシュ先生、ちょっと休憩してきます」



 なにも言えなそうなユートに代わって、シェイラは声をあげた。キルシュが戸惑ったように瞳を揺らして、ひとつ、肯いた。


 他の子どもたちから、シェイラは怪訝な目を向けられる。けれど、キルシュが許可するのを見ると、先生がいいならいいのか、とひとりひとり写本に戻っていった。

 シェイラはユートに笑顔を向ける。それから小さく皆の邪魔にならないように「行きましょう」と声をかけ、教室をあとにした。



「……先生、また下に行きたい」



 ぽつりと、ユートが言う。シェイラは首を縦に振った。



「行きましょう。気分転換は大事ですからね」



 シェイラの言葉に、ユートの顔がぱっと上がる。許可を出されて、喜びを覚えているようだった。


 お先に、と言うと、ユートはひらりと三階から飛び降りた。三段の階段から降りるような気軽さで身を翻すので、シェイラは度肝を突かれた。


 おそらく落ちたり着地する時の感覚が鈍いのであろう。


 これまた仮説に合致すると思いながら、シェイラも三階から一階まで飛び降りる。翅を用いずに、着地時の衝撃を緩和させる大地の魔法を施した。

 ユートはもう生き物を探していた。シェイラも歩をそろえる。

 きらきらと輝いている目には、さきほどのいらだちは雲散したように見えた。



「ねえ、ユートさん、ちょっと聞いてもいいですか?」



 テントウムシを探しながら、シェイラは何気なさを装って尋ねる。


「いいよ。先生の仕事のこと?」


「はい。聞いてみれば、わたしの仕事はユートさんを含め、みんなと仲よくなることが仕事のようです」


「へえ、そんな仕事あるんだ」


「です。それで、わたしはユートさんと仲よくなりたいので、質問をしたいのですが、いいですか?」


「いいよ」


 ユートはアブラムシを探しながら軽快に言う。



「ありがとうございます。——ユートさんはもしかして……写本をしている時に、腕がひどく疲れたり、指先がじーんとしたり、肩がかちこちになったりしませんか?」



 シェイラが尋ねて一匹のテントウムシを探し終えるのと、ユートがばっと振り向いたのは一緒だった。

 青色の目がこぼれ落ちるのではないかと言うくらい見開かれる。



「なんでわかんの?」



 心底、びっくりしたような顔だった。



「今まで、だれも信じてくれなかったのに」


「……そうですか。それはいやでしたね。腕が疲れたりしたら、それは書くのいやですよね。まちがえると面倒ですし」



 わかりますわかります、とシェイラが言うと、ユートがにじり寄ってきた。



「先生って……おれと会ったの二回目だよね? 心でも読めんの?」


「いえいえ、読めません。観察することは得意ですが、心を読むことはできません。読もうとがんばっている変人は知っていますけどね」



 ヴェッセンダリアの知り合いの姿が思い浮かぶ。

 応えると、ユートは興味をなくしたように、ふーん、とだけ言った。またアブラムシを探しはじめる。探しながらも表情は少しほっとしているようだった。



「もう一個、いいですか?」



 シェイラが聞くと、ユートは明るく許諾してくれる。



「ちょっと、腕をまくって見せてもらえることできます? 少しさわって確認もしたいです」


 

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