274話:智と書架の{索引}
辿り着いた場所に足を踏み出す。ファブロ老師に案内された場所。そこが、ヴェッセンダリアへと戻ってきた理由だった。
──〈中央図書ノ塔〉最上階、大図書館〈智ノ間〉。
通常は入ることが許可されない。魔法の{登録}時に申請をするが、入室を許されているのは老師たちと、司書と呼ばれる魔導師だけだ。唯一、老師三名の許可証があれば、認められる。
「ここからは、あなたたちだけで行ってね」
ファブロ老師は、案内を終えると、降りていった昇降機をあと追いするように、ぴょんと飛び降りていった。
目の前には葡萄唐草の文様が施された金の両扉。両脇に、書物の肩留め徽章を付けた、司書の魔導師。片方に、老師たちの署名が入った羊皮紙を渡す。そうして確認が終わると、無言のうちに合図をしたかのようにふたりの魔導師は動いた。
両扉の把手が引かれる。
シェイラたちは、足を踏み入れる。
──十階分は吹き抜ける巨大空間であった。
壁という壁。十二面に書架が連なり、積み上がり、高すぎて見えない天井までつづいている。
収納されているのは、魔導書。古今東西の魔導書だけだ。粘土板、石板、竹簡、木簡、羊皮紙、仔羊皮紙、ルペドの植物紙。数多の素材で作られた魔導書が収まっていた。
シェイラの前で、重たい石の擦れる音がして、どこかの石板が、べつの書棚へ{浮遊}し、飛んでいく。今度は、羊皮紙の書が鳩のように開いたかと思うと、同じように引っ越す。つづいて、竹簡がカラカラと音を立てながら。今度は、ルペドの魔導書が、優雅に浮き上がり、羽ばたいて書架と書架のあいだを移っていく。
「分類……か?」
「おそらく……」
シェイラとイディオンは見上げながら、判断する。
魔導書たちは、自分たちで相談をしながら、居るべき場所、収まるべき場所を決めているようであった。
そうして、大図書館の中心。蔦を模した、螺旋の階段めいた柱が、三馬身ほど伸び上がった頂点に、大きな書見台があった。石造の魔導書が、置かれている。開かれたそれは、ぽうっと光を宿す。ぺらり。石のはずなのに、頁がめくられる。
《──まだ、足りん。まだ、足りん》
聞こえてきたのは、耳の奥か、頭の中か。それとも、巨大空間への木霊だろうか。
重く低い年老いた、されどしっかりとした男の声音であった。
《──〈法〉は礎、〈術〉は守株を破りて、離れし先に、〈導〉とならん》
ぺらり。頁がめくられる。
《魔導へと至る道は、いずこか》
ぺらり。また、めくられる。
《我が師サージェストの望みは、あらゆる魔法・魔術・魔導のあふれる世界……まだ、足りん。まだ、足りん》
気づけば、男がひとり、シェイラたちの近くに立っていた。
ぼんやりと靄のような光をまとい、黒い長外套を被った老爺が、佇んでいる。
「……ヴェッセンダス……老師?」
シェイラは、たしかめるように尋ねる。
ぎょろっと濁ったように見える灰色の目が向けられた。見ているようで見ていない、そういう目だった。
《我が名は……ヴェッセンダス。十二番目……記録の役目。外部観測者……》
靄が霞むと、男の──ヴェッセンダスが、かき消えた。書見台の近くに姿が移る。
《まだ足りん……まだ、足りん……》
うわ言のように聞こえる。
亡霊のようだ。
(いえ)
思念体、なのだろうか。もはや、生きている姿には見受けられなかった。
(千六百年)
精霊女王エレンシアと同じだけを生き、なにかに取り憑かれているようだった。
シェイラは、ヴェッセンダスがぶつぶつとつぶやく内容を思考する。
「魔導師ヴェッセンダス! そなたに尋ねたい!」
イディオンが隣で、柳弦の声を反響させた。
「〈朧竜〉とはなにか!」
シェイラは、ヴェッセンダスの反応を観察する。
《……〈朧竜〉》
ぴたっと、うわ言が止まった。同時に、ぼやっと、ヴェッセンダスの姿が揺らぐ。
《〈朧竜〉……〈朧竜〉……朧の、竜……》
ひたすら、噛みしめるように、繰り返される。
シェイラは、つぶさにヴェッセンダスを観る。
《……{登録}か》
また、動きが止まると、灰色の濁った目が、イディオンに向けられる。
「いや……」
イディオンが困惑したように、シェイラに視線を向ける。
ヴェッセンダスの智と書架の魔導における{登録}は、既存にない新しい魔法を刻むものだ。原典──おそらく書見台に置かれている石の魔導書がそれだろう──にあるかないか確認し、なければ刻まれる。そうすると、各国大学府にある写本に、転写されるのだ。
数多くの魔法を分類し、記録する。それが、{登録}のはずであった。{登録}を受けることはめったにないことで、魔導師たちの目標だった。
「いいえ、ちがいます」
シェイラは、イディオンの言葉を継ぐ。
「わたしたちは、精霊魔術の使い手、エレンシア女王を訪ねました」
《エレンシア……》
ぽつりと、ヴェッセンダスが繰り返す。
「魔導師エレンシアが、ヴェッセンダスを訪ねよ、と」
シェイラは再度、訊く。
「〈朧竜〉とはなんですか、老師ヴェッセンダス」
幾分、間があった。それから、しずかに尋ねられる。
《……{索引}か?》
「え?」
《それは、{索引}か?》
ヴェッセンダスの問いに、シェイラも戸惑う。
{索引}は、語が並んでいるものの一覧にすぎない。〈朧竜〉は、魔導書に書かれているものではない。{索引}に当たったところで、シェイラたちの求めるものは得られない。
「ああ、そうだ!」
けれど、イディオンは首肯した。なにか、確信めいた顔をしていた。
「{索引}だ」
《…………》
石造の魔導書が、ぺらぺらとめくられていく。依頼に、応えたように見える。ややもせずに、表紙近くで止まった。
《……〈朧竜〉とは──》
答えがあった。
《──種別〈大魔導〉》
そのまま、沈黙になる。
「……詳細を」
イディオンが問う。
「詳細を教えてくれ、ヴェッセンダス」
また頁がめくられる。今度はさほど時間がかからなかった。記され、{登録}されたものを読み上げる声が、あった。
《──朧竜。種別〈大魔導〉。大魔導師サージェストらによる、サージェシア唯一の〈大魔導〉である》




