190話:戦闘
日除けがあった。小部屋につづいているようで、不思議とそこだけ隔絶されているような気配がする。
「シェイラ」
イディオンが呼ぶ。
シェイラは肯いた。香る先はそこから。呪術の気配を感じる。
短い呪文をつぶやく。それから、すうっと息を吸って、そのまま止めた。垂れ下がる日除けをめくる。
その時、シェイラとイディオンのあいだを残影が抜けていった。
まるで、シェイラたちに反応したかのように、速度をもった動きは扉を開け放って、出ていく。
疑問より先に体が動いた。ぱっと身を翻して、外へ出る。
影が、細い路地の壁を左右に跳躍していきながら、上へとのぼっていくところだった。
「イディさん!」
シェイラが呼ぶよりも先に、イディオンは動いていた。飛翔して影を追う。
シェイラもまた、{跳躍}からの{疾速}を描く。連動する魔術に、右親指の太い金輪が反応する。叩いただけの加工が施された指輪。つづいて、左中指。連動するのは、身体魔術。菱形の紫金石の大きく嵌まった指輪が、輝いた。
視界が開ける。
紺青になりかけた黄昏色と、広がる赤屋根色が、渦を描く。
少し先を、影がいく。臙脂色の影は、〈気高き魔女の騎士団〉の紋章──荊棘の剣を背に負っていた。イディオンが、肉薄する。
(逃がしません)
シェイラは、{疾速}からの{転移}をした瞬間、右人差し指より元素魔術を描いた。六色の貴石を束ねた指輪が輝く。
大地と炎、水から、細い、だが太くもある針を練り上げ、右手で握りしめる。
それを、{転移}した先の人物に、突くように薙いだ。
避けられる。
なおも、身を翻そうとする魔女の騎士の行く先を、イディオンが塞いでいた。シェイラとイディオンに挟撃された騎士の足が止まる。
「どうされますか」
シェイラは尋ねる。黒土を使った赤瓦の屋根は、足を踏みしめやすい。瓦自体が波打っていても、滑らなかった。かんっ、と踵が音を鳴らす。
束の間が、あった。
それからすぐに騎士が動いた。人差し指をイディオンに構える。
シェイラは見定めて叫ぶ。
「鏡を……っ!」
瞬間、騎士の指先から、赤黒い光が放たれた。──〈呪い指し〉だ。身体魔術の{強化}とは異なり、指した相手を病で呪う。
イディオンの反応は、はやかった。魔導で現出させた鏡で、〈呪い指し〉の光をそのままに跳ね返す。
騎士は反応できない。反射された呪いに崩れ落ちる。
シェイラは、そこにすかさず飛び込んだ。
(もう少し、打撃を!)
手に掴んだ針を構える。同時に、騎士が長外套に手を入れた。なにかを掴む。小瓶が、ふたつ。
ひとつ目が弾ける。
「シェイラっ!」
霧砂、だ。蟲の遺骸のようなもの。細かく、ふわっと白が舞う。
シェイラは考えるより先に、突風の魔術を描く。散らそうとして、それよりも先に、もうひとつの小瓶が硝子を散らした。
赤だ。蟲の血。白と赤が混ざって、ぬうっと顔を出すように、黒い影がいくつも出現する。
──〈蝙蝠〉。
複数の目玉。六枚の翅。群集で、襲ってくる。シェイラが魔術を描く前に、イディオンの閃光が、翅を撃ち抜いていく。
シェイラは迎撃をイディオンに任せた。
身を屈めさせて、騎士のほうに再度詰め寄る。放たれてきた〈呪い指し〉を、腰袋から出した手鏡で弾く。騎士は弱っている。拘束する。
光の縄を、放つ。
一弾指のうちに、縄が弾かれた。
戦斧。横から現れた戦斧が縄を断った。
{転移}で現れたのか。もう一人、臙脂色の長外套をまとう人間が、斧を振り回す。
「失態だ」
低く、重たい中年の男の声だった。
「……すみません」
「申し開きは団長にしろ」
男が言って、戦斧を上から振るった。シェイラは跳び退る。瓦が弾け飛んだ。
手練れだとわかる。ただの騎士ではない。
シェイラは見極めて、水の魔術を描く。
(斧の無力化を)
渦潮を描き、ふたりの騎士へ。
だが、対する男がさらに大きく斧を振るった。その瞬間、潮を飲み込むようにして大きな大地の波が現れる。土が、水を呑み込む。
シェイラは、驚愕に息を呑んだ。圧倒される大地の高波と粉塵に、束の間、反応を忘れる。
その間がよくなかった。
男は、呪いを返されたもうひとりを連れると、{転移}の光で、あっという間に姿をくらます。
土塀のような高波を、手の平から出した木の根で吸い取るようにして消し去る。あとは呆然と、立ち竦むしかなかった。
「シェイラ!」
〈蝙蝠〉を殲滅したイディオンがシェイラに合流する。
「怪我は……?」
「ないです。……すみません、逃げられました」
答えを聞くと、イディオンがほっとする。
シェイラは、歯噛みした。
「もう少しでしたのに……」
「怪我がなくてよかった」
「……イディさんのおかげです」
ひとりで蟲を相手しながら、呪了師を捕まえるのは難儀だったろう。結局、逃げられてしまったが。
「くやしいです」
シェイラはぽつりと言う。
「捕まえられませんでした」
「ちがうよ」
イディオンが否定する。
「情報は得られた。捕まえられなくても、わかったことはあるだろう?」
「…………」
「それを整理しよう。大丈夫だ。まだ、大きな犠牲は出ていない」
「……はい」
「落ち着いた場所で話そう」
冷静なイディオンに、シェイラは肩の力が抜ける。
たしかに、そうだ。シェイラの思考も、戦闘の興奮から落ち着きが戻ってくる。
「そうですね」
肯くと、ふたりは風琴亭への帰路についた。




