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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【第一部完結】  作者: 稿 累華
第1章:落ち着きのない子

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10話:〈魔導呪法〉

 基本的に淡々とつまらないように教科書を読み上げるキルシュがそんな声を出したとは、全員思わなかった。ユートはびっくりしすぎてこぼれ落ちそうになったものが引っ込む。シェイラも我に帰って、隣のキルシュを見る。


 怒鳴られた少年が一番びっくりして、キルシュ師を見返していた。

 担任の教導師には未だ憤怒が浮かんでいる。


「なんという言葉を使うのですか! 学友に対して! お前はその言葉の意味をわかって使っているのですか!」

「ご、ごめんなさい……っ」


 少年の高い声がふるえる。涙がいっぱいになってこぼれ落ちる。


「私に謝るのではありません! ユートに謝りなさいっ! 恥を知りなさい! その言葉は一切合切(いっさいがっさい)使われて良いものではありませんっ!!」


 キルシュから吐き捨てるように叱られて、当の子は、ごめんなさああい、と泣きじゃくりながらユートに近寄った。ユートはびっくりしすぎて、言葉を返すのを忘れている。


「……はあ、申しわけございません」


 キルシュが目の前で怒鳴ってしまったことを詫びるようにシェイラに頭を下げる。


「いえ……その……」


 シェイラはなんて言えばいいのかわからない。

 わからないが、シェイラはとても大事な場面に出逢った気がした。


 きっとおそらく、ユートが一番それを感じている。ちらっちらっと、恥ずかしそうにキルシュ師のことを窺うようにしながら、大泣きして詫びる子に思い出したように「もういいよ」「気にしてないよ」と声をかけている。


「——はい、では皆さん授業に戻って」


 教師として当然のことをしたと言った様子で、キルシュが(きびす)を返して子どもたちに静かに指示をする。浮かんだ怒りはどこからも感じられなかった。

 シェイラは、そのキルシュの年嵩の背を見て、心で頭を下げる。敬意を表する。

 なんとなく苦手意識や合わなさを感じていたキルシュ師に対して、シェイラがひとりの人間としてきちんと対話をしたいと思ったできごとだった。




 シェイラは講堂を出て、初等部学舎に戻る柱廊(ちゅうろう)の道すがら、〈穢民(サジェノス)〉という言葉を反芻(はんすう)する。


 〈穢民〉——サジェノス。サージェストに導かれる資格を持たない穢れた者たち。魔法や魔術を使えない者たちに対する蔑称(べっしょう)だ。

 きちんとした家では、その言葉を使うような人間とは親しくなってはいけないと育てられる。


 八百年前の魔導大戦を経て、帝国から分かたれた十二の国々。そのうちの二国、旧ユベーヌとノザリアンナは、その魔術の異端さから他の国々から攻め滅ぼされた。

 滅びた二国の民が、〈穢民〉と称される。〈導脈〉を持たず、代償と犠牲を払って魔を行使する呪術。ユベーヌとノザリアンナは呪術を得意とする国であり、民であった。

 〈ユベーヌの呪い〉と〈ノザリアンナ呪術〉。

 オルリア聖教で異端とされる古い魔術。

 〈導脈〉を持たず罪を犯したことから、大魔導師サージェストに導かれる資格はないという意味だった。


 その意味では、さきほどの男児がユートに放った意味と異なる。よく知りもせず、聞きかじった、罵倒する言葉を使ったのだろう。ばかとか、あほとか、めがねとか、そういう言葉と同列で使ったにちがいない。

 男児をひとり残して、その言葉をなぜ使ってはいけないのか教えるキルシュ師にまた頭が下がる。


 はあ、とシェイラは大きな溜息をつく。

 いやな記憶が思い起こされてしまった。忘れて、どうでもよいと思っていたはずなのに。思い出してしまうと、シェイラの記憶力は当時の映像と感覚、感情を呼び起こす。

 ただただ苦い液体を飲んだような心地が、胃ノ腑を逆撫でするようだった。

 そしてだいたい、いやな気分の時には、いやなできごとが重なるものである。


 心ノ理学(こころのりがく)からすれば、それはたまたまであり、偶然の代物であり、事実の取捨選択の結果による偏りに過ぎないと言えるが、人間とはしばしば、感情的なできごとが記憶に残りやすい。事実の偏りが起きるに決まっている。

 そんなどうでもよいことに思考が移ろっていたのは、シェイラのこれまでの修練の成果とも言えた。



 ——カーンッカンッ、カカンッカーンッ!



 特殊な調子の、されど学園全体に鳴り響く鐘の音だった。教導館の鐘楼からの音だ。青緑に変色した鐘である。


 ——〈(むし)〉の襲来を報せる音だった。



「——〈蜈蚣(ごこう)〉だーっ!!」



 どこからともなく胴間声(どうまごえ)が轟いた。


 教師や教導師だけでなく、子どもたちの動きもはやかった。授業と授業の合間の時間、初等部の子どもたちは恐怖から混乱しそうになったなかで、担任たちが急ぎ屋内に誘導する。シェイラといた三年生も、ユートを含め、顔に恐れを浮かべながらも学舎に移動した。

 日頃からの、訓練のたまものだった。


 教導師たちが中庭に集まる。まだこういった事態に慣れていない教師たちが子どものところに残り、中堅以降のもの——教導師が〈蜈蚣〉の撃退について会話する。キルシュも講堂から出てくると、近くにいた教師にさきほどの男児を預けて、集まった。


(さて、どうしましょうか)


 一瞬、教導師のお手並みでも拝見するか、と思ったが、シェイラは首を振った。鍛錬された感覚で〈蜈蚣〉が近いことを知る。


(十……三十……四十七といったところかしら)


 〈蜈蚣〉は霧から発生する蟲のなかでも弱いほうに類するが、数が多いと厄介だ。教導師たちを——敬意を抱いたキルシュを怪我させたくない。


「わたしにお任せくださいな」


 シェイラはキルシュ師をはじめとした教導師たちに声をかけると、妖艶(ようえん)な笑みを浮かべた。

 浮遊する。旋回は必要ないので、ただ足元に{浮遊}を描いた。


 上昇し、鐘楼(しょうろう)を越え、屹立(きつりつ)する一番高い塔の、尖塔(せんとう)よりさらに高くまで昇る。

 遠い雲海、春霞の消え去った向こうのほう、かすかに蠢動(しゅんどう)する〈蜈蚣〉の群れを感じた。いやな、あまいにおいを鼻腔に感じる。


 視力を{強化}する。

 瑠璃の双眼に銀色の魔力がのり、ぐんと視界が拡がって先々まで間近で見ている感覚を得た。

 ムカデの頭部、セミの胴体、ヘビの尾を持ち、その頭部の印象から〈蜈蚣(ごこう)〉と称される蟲の群集を見つけた。数もあやまっていない。



「——さて」



 シェイラは利き腕を上げた。右手の人差し指で天を示す。

 己の〈脈〉から力を練り上げる。銀色の魔力が、指の第二関節、第一関節まで迫り上がってきて、そうして指より先から滲み出る。


 古代の——線上に刻まれるユベーヌ文字が、指先を円環する。次に古代帝国の記号文字が広がり、上部を回る。最後に現代のガルバディアの音声文字がまろかって拡がった。

 放たれる魔導は、元素魔術の火炎。

 異形の翅を焼き尽くす炎。

 火炎が収斂し、細い管のようになった。

 管のまま、〈蜈蚣〉の群れを一閃(いっせん)する。

 瞬きのあいだに、業火が上がった。消失していく。〈蜈蚣〉の頭から爪先までが灰になり、灰から煙が上がり、そして霧散(むさん)する。


「ふう」


 硝煙(しょうえん)を吹き消すかのように、シェイラは人差し指を吹いた。

 笑顔で下方を見やって、一切の被害も許さなかった。


「おおーっ!!」 


 喝采(かっさい)が教導師や窓から覗いた子どもたちから響き渡った。

 これがシェイラだけの魔導。魔法を礎にし、魔術を破り、そして、シェイラを導師たらしめた力——〈魔導呪法〉。



 異端の、〈ユベーヌの呪い〉を孕んだ魔導だった。

 

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