第1章 風の通り道
―リオとカレンの恋模様―
Ⅰ.朝のリリィ堂
朝靄の残る城下町。
リリィ堂の軒先から、カレンはホウキを手に通りを掃いていた。
露に濡れた石畳を見て、ふと笑みを浮かべる。
――この時間がいちばん好き。
人の気配がまだ少ない朝。
パン屋の香りと、香草の匂いが混じるこの空気が、
カレンにとっては一日の始まりを告げる合図だった。
そこへ、甲冑の音を鳴らしながら、
門兵の青年・リオが歩いてくる。
「おはよう、カレン。今日も早いね」
彼は、笑うときだけ子どものような顔をする。
「おはようございます、リオさん。
今日は当番、南門ですか?」
「うん。朝一で点検があるんだ。
……その、いつもの香袋、もう少しもらっていい?」
そう言って差し出した手のひらには、
擦り切れた小袋があった。
中には、カレンが調合した“疲労を和らげる香草”が詰まっている。
「また徹夜ですか? 本当に無理しすぎです」
小言を言いながらも、
カレンは新しい香袋を手早く包み、そっと渡した。
彼女の指先が触れた瞬間、
リオの顔がわずかに赤くなる。
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Ⅱ.風の噂
リリィ堂には、王城からの噂がよく届く。
最近では「王妃が庶民出身だった」という話題で持ちきりだった。
「ねえカレン、もしあんたが王子に見初められたらどうする?」
「やだ、想像つかないわよ」
同僚たちは笑って茶化すけれど、
カレンはそのたびに、リオの背中を思い浮かべてしまう。
王子ではなく、ただ真面目に門を守る兵士。
立場も違えば、未来もわからない。
それでも、あの笑顔を見るたびに――胸が温かくなる。
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Ⅲ.雨の日
夏の夕立が町を包んだ日。
カレンが店を閉めようとした時、扉が勢いよく開いた。
「カレン! 無事か!」
ずぶ濡れのリオが立っていた。
息を切らせ、雨に打たれながら。
「い、いきなりどうしたの!?」
「南門が……落雷で……! でも大丈夫、けが人は出てない」
安堵と疲労が入り混じった声。
カレンは慌ててタオルを取りに走り、
リオの肩を拭いた。
その手が止まる。
リオが、真剣な眼差しで彼女を見つめていた。
「……怖かったんだ。
もしまた、何かあって……
君のところに来られなくなったらって」
その言葉が、雨音の中に溶けた。
カレンの喉が詰まる。
答えを探すより早く
リオの手が彼女の頬をそっと包んでいた。
「カレン、俺は――」
言葉は、雷鳴にかき消された。
けれど、
その瞬間、ふたりの心は確かに通じていた。
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Ⅳ.風が晴れた朝
翌朝。
雨が止み、町には清々しい風が吹いていた。
門の前に立つリオが、
遠くからリリィ堂を見上げる。
軒先には、昨日の花束が干してある。
カレンがこっそり束ねてくれた香草――
“想いを伝える風花”だ。
その香りを感じたとき、
リオは静かに笑った。
「……また会いに行こう。風の通り道を通って」
白い風が吹き抜ける。
その風は、王妃ミナが残した“優しさの風”と同じ香りだった。




