魔王、勇者というものを思い出す3
「ほう?」
戻ってきた小魔物からの報告を聞いて、ぐうたらしていた気分が一気に上がった。
「アッサンダ、イグリー、カナードで縄張り争いが続いている、か」
人の集落を襲ったあとの縄張り争いはいつものことだ。ちょっとはしゃぎすぎてしまうと、魔素を減らしたと見られて襲われるのだ。
だが通常それはすぐに終わる。戦いが続けば続くほど魔素を失うのだから、縄張りの主も挑戦者もさっさと勝負をつけたいのだ。そして挑戦者が勝てば元の主を食って力をつけ、すみやかに縄張りの支配者になる。戦いが長引いたり、第三勢力が関わって揉め続けることもあるにはあるが、三か所同時で揉め続けるのはレアケースすぎる。
なにか特別な要素があったのだ。
(たとえば……付近の魔物があらかた勇者に倒された、とか?)
俺はわくわくしながら城を飛び出した。魔素でできた魔物の体は軽い。魔王が軽いというのは前世のイメージからすると微妙だが、どこへでも簡単に飛んでいける。
地図を頭に思い浮かべるまでもなく、強い魔素溜まりの場所は感知できる。そしてそこに強い主がいないことも。
「本当に争っているようだなあ?」
それも魔素量の少ない、砂粒のような魔物ばかりだ。これは本当に、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
「魔素溜まり周囲の魔物を一層するほどの強い人間が……」
ああ、嫌でも期待が増してくる。
「邪魔するぞ」
興奮を抑えて、俺は小魔物たちで溢れる魔素溜まりに降り立った。何匹か踏んづけたようだが問題はない。
「キッ!?」
「まお、さま」
「お、話ができるか? ちょっと聞きたいんだが」
一応「魔王様」らしき発音ができたやつがいたので、俺はそいつに魔素をやりながら聞いた。魔素を受け取った魔物は俺の望んだとおり声帯を進化させる。よしよし。
やっぱり会話できるやつは賢いと思うんだよな。賢さも強さだろうに、魔物の中で会話能力はあまり人気のないステータスなのだ。
「ここはなぜこんなことに? ええっと、確かグラウィドゥの配下の、なんとかってやつの縄張りだったはずだが」
「おおきな、まもの、いなく、なった」
「いなくなるところは見たか?」
「見て、いない」
「なるほどな。で、後任になるような強い魔物もいなかった、と」
「はい、そう」
「ふむ、わかった。ご苦労」
「ギャッ!」
俺はそいつをとりあえず食って、次の魔素溜まりに向かった。こんな面白いことが起こっているのだ。ちょっとの魔素でも無駄にしたくない。
(人間社会でこんなことしてたら、ついてくるやついなくなるだろうなあ)
現世の記憶があるものだから、そんなことを思った。信頼第一。お客様第一。信用されればそれが財産になる。馴れ合いこそが命綱。
だが魔物の世界では裏切りが当たり前だ。
裏切ったところで問題もない。なぜなら小魔物は、とにかく魔素をくれるやつについていくしかないのだ。魔素を手に入れる以外に、強くなる方法なんてないのだから。
「そう、にんげん、にんげん! 汚れたにんげんメ! ラギアックさまのまそ、盗んだ!」
「……ははっ! そうかそうか、やっぱりなあ!」
二か所目の魔素溜まりで決定的な話を聞くことができた。汚れた装備で身を固めた人間が、ラギアック様こと魔素溜まりの主をはじめ、周辺の魔物をことごとく討伐したのだ。
「それは一人だったんだな? ああ、どうしてくれよう!」
俺は笑いをおさえられなかった。
本当に、こんなことがあるのだ。俺が思い出したこのときに。いや、だからこそ思い出したのだろうか?
「それこそは勇者! 困難に立ち向かい、決して諦めず、魔物を討伐するもの!」
たった一人で多くの魔物を打ち倒す、それは全く勇者と呼ぶべき所業だ。
ああ、かつての俺はそちら側だった。現実ではない、だが現実くらいに胸を踊らせ勇者を操って、強大な魔王を打ち破っていったのだ。
今の俺は魔王だ。勇者の敵、特等席で勇者の活躍を見るものだ。
「ふふ、ははは! 脆弱な人の願いを叶えるもの、希望の星、否応なく荷を背負わされるもの。そのものが我らを滅ぼすだろう」
周囲の小魔物たちがざわめいた。俺はいっそ優しい気分で、そいつらに教えてやった。
「それが勇者だ。我らの宿敵。勇者を倒さねば我々に未来はない。よく広めよ、よく探せ、見つけたなら殺せ。一欠片の肉も残すな」
「キィッ」
「キィィィイィィッィイ!」
「コロせ!」
「殺せ、殺せ!」
「勇者!」
「ユウシャ!」
「にっくきユウシャ!」
俺は笑う。
ああ、なんて俺は親切なのだろう。
こんな小魔物どもに勇者が倒されるはずがないではないか?
だが勇者にはそれが必要なのだ。
(育てよ、育て)
小さな敵を、弱い敵を倒すたびにひとつひとつ、一歩一歩と前に進む。塵のような経験を積もらせて強くなるのだ。
魔物と同じだ。勇者にはほどよい餌が必要だ。
(どんなふうに育つのだろう。魔物を斬って斬って斬って斬って斬って、まともな人間でいられるのか? いいや、いてもらわなければ。勇者は優しく強くなければな。……ああ、早く見てみたい)
まずは魔物たちに勇者の話を広げて探そう。人間の移動速度ならまだこのあたりにいるだろうが、そうでなくとも魔物は世界中にいるのだから、どこにいたって見つけてやる。魔物を倒すものが勇者。簡単すぎる。
(焦るなよ)
冷静に、自分に呆れてみせた。まだだ。まだ、なんともいえない。
(まずは姿を見てからだ)
それから考えよう。どんなふうに育てるかを。
期待に溢れた日々はなんて楽しいのだろう。
まるで人間に戻ったような気持ちだ。だいたい魔物の喜びなんて人間を殺すときと、魔素を奪うときくらいなのだ。こんな、わくわく、うきうきと飛んでいきたい気分はない。
俺は支配下にある魔物の全てに勇者捜索を命じてしまった。うっかりだ。俺の周囲から魔素が減ったことを嗅ぎつけられて、城に魔素泥棒という侵入者が増えた。まったく。
まあ、勇者が見つかるまでそわそわして仕方なかったので、ちまちまちまちま食ってやった。あれだ、プチプチを潰す感覚に近い。心を落ち着かせよう。
(勇者が見つかったらどうする? 目標は? ……いやテンションぶち上がっちゃったけど、そもそも勇者なんて本当にいるのか?)
強く優しく、大した報酬もないのに人々の願いに応えて魔王を倒す。何があろうとも決して諦めない。傷ついても死んでも家族をなくしても友に裏切られても、休むことなく戦い続ける人間だ。
「……いないんじゃないか?」
だいぶ頭がおかしい。
「いやいやいやいや。勇者はいる、いるはずだ。あの子供が言っていたんだから、そういう概念がこの世界にあるはずだ」
もうちょっと詳しく話を聞いておくべきだった。
この世界の勇者とは?
というか、前世の勇者もわりと謎の言葉だ。職業ではないよな勇者って。そうだよな? いや……どうだろう。ゲームが世に出回って数十年、もはや元々の言葉の意味なんてわからない。