勇者ルカ8
「はぁっ……これで、終わり、か……?」
勇者ルカは額の汗を拭った。
蟲王を倒したとしても、蟲がすべて消え去るわけではなかった。残党が寄り集まって大きな魔物になったりもする。ルカは森に分け入り、それらを斬り捨てていった。
「ええ、依頼はこれですべてですわ」
アンシーも息をついて頷いた。
通常の魔物と違い、蟲たちは突然に寄り集まって強敵となる。気の抜けない討伐だった。
元々大量の蟲がいなければそういうことも起こらない。これでしばらく、この付近の人々は安心して暮らせるだろう。
「良かった……」
蟲王ギルビートを倒したルカはまた英雄のように扱われた。刺し違えて意識を失ってしまったのであまり実感がないのだが、多くの物を捧げられたし、親切も受けた。できるだけのことはしたい。
まだ次に向かうべき場所を決めていないというのもあった。魔王城の場所はおそらくここだろうという目星はつけられた。しかし平坦な道のりではないだろうし、八億とも言われる大量の配下の力を削がねばならない。
魔物の数は大きな問題だった。蟲のような弱い魔物に囲まれてさえ命の危険を感じる。正面から魔王城に向かうのは難しいかもしれない。
「まだ蟲はいるようですが、人々が対処できるでしょう」
「うん」
もとより小さな蟲は人間たちの知恵で倒されてきた。ルカがあちこちを飛び回るより、その地での駆除が有効になるだろう。
「じゃあ次は……」
ルカは遠い空を見上げて考える。一般の人々にとって脅威なのは上位の魔物の方で、そちらを倒していくべきかもしれない。
(あの魔物にも、今なら……)
世話になったルベの町を焼いた魔物の姿を思い返す。今もはっきりと覚えているのだ。必ず倒す。あれを放置していては、きっと他の町や村にも被害が出る。
「強い魔物の情報は……いくつかあったけど」
「そうですわね。たくさん……」
アンシーが困ったように首を傾げた。
勇者として頼りにされるようになってから、あそこの魔物を倒してほしい、あの魔物は手に負えない、などの情報はよく入ってくる。ありがたいが、どこに向かえばいいのか迷うところだ。
「とりあえず、改めて話を……アンシー! 後ろに!」
気配に気づいてから一息の間もなかった。
「ぐっ!?」
鉤爪を受け止めたルカの剣がざらついた悲鳴をあげる。
重い姿が急に視界に入り込んだのだ。それから強烈な一撃。とっさの防御が間に合っていなければ、ルカの命はなすすべなく鉤爪に引き裂かれていただろう。
受け止めてさえあまりに重い一撃だった。剣を握った腕がぶるぶると震える。骨がきしむ。
「貴様が勇者だなぁっ!」
「なっ……?」
「わはははは、なんたるひ弱!」
「ルカ様!」
獣型の魔物の腕が膨れ上がり、ルカの体は吹き飛んでいた。
「やはり人間など……!」
そのまま獣は前傾姿勢で突き進んでくる。巨体が空気を押しのけ、信じがたい速度でルカの懐へ滑り込む。
(かわせない! ならば……!)
そらすしかない。
まともに食らっては体が潰されるほどの力だろう。ルカは剣を握った。斬る必要はない。まともに受けては剣が折れると想像できた。
短く握った柄を前に押し出す。
ぶつかってきた巨体に触れる。
(耐えろ!)
どう足掻いても衝撃はある。一瞬だけで手の感覚は失われたが、強引に体を捻って岩のごとき重さをずらす。わずかでいい。
「っぅ、ああああああ!」
そのほんのわずかのために、ルカは全身の力を振り絞った。視力さえ失われた一瞬ののち、巨体はルカの後方に流れていった。
かすむ視界に、視線が絡む。
どおんと凄まじい音がして、巨体は樹にぶつかったようだ。一息吸うのと同時にルカは振り返り、足を踏み出す。
「はぁっ……!」
折れていない腕と剣を確認しながら力をこめる。
と、メキメキと爆ぜ割れる音がして、悲鳴をあげながら樹が倒れていった。その前に巨体の獣は立っている。
「ふんっ、やはりおまえが勇者だな、なるほど、人間にしてはやるようだ……」
話を聞いてやる義理もない。
ルカは雷を呼びながら斬りかかった。力で勝てないのであれば足止めが必要だ。びりびりと空気が鳴く。木の葉にぶつかって燃え上がる。
「はっはぁ! くすぐったいな!」
しかしわずかな雷では巨体を足止めすることは叶わなかった。
(また、来る!)
そして凶暴な突進が繰り返された。前に、前に、落下ほどの速度でルカに向かう。ルカの起こす雷光でさえ、まるでその巨体から発せられるようだった。
「甘く見るなよ勇者ァ! 我は獣王バックス! 貴様がごとき偽物の強さはここで終わり……っ?」
ただ前だけに進んでいた巨体に、避けようがなく何かがぶち当たった。
ぴしゃりと彼の顔を濡らす。
「ぬう!?」
巨体がびくりと震え、飛び上がった。
アンシーの投げた聖水瓶がぶつかり、うまく中身がかかったのだ。ルカはそれがなにか知っている。
『本来の虫を殺してしまってはいけませんから』
それは集落で売られていた甘い水だ。
蟲を駆除する前に、その聖水瓶の中身で確かめるつもりのようだった。魔物であれば甘い水に呼び寄せられることはない。
とはいえ、余裕があるわけではない戦いの中で、今まで活用されてはこなかった。
「ぐはっ、こ、これはっ、なんだァっ!? ぐぅっ!」
それがどういうわけか、獣王バックスの動きを止めるに至っている。
「……」
意味はわからない。わからないが、この機を逃すわけにはいかない。ルカは剣を握り、獣王に挑みかかった。