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彼とする恋は苦くて甘い  作者: 史音
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一緒に働くなら

段ボールを届けた後、私は成瀬さんに資料室へ連れて行かれた。

てっきり質問攻めか怒られるかと思っていたけれど、本当に探す資料があったみたいで、二人で探し物をしながら棚から資料を取り出す。だけど、今回は背の高い成瀬さんが棚からファイルを取り出して、私はそれを両手で持つだけだった。


「あとは、これだな」

「はい」

私の両手で抱えているファイルの一番上に成瀬さんはもう一冊ファイルを載せた。

「重くない?大丈夫?」

「大丈夫です」

決して厚くないファイルが5冊で、重くはない。すっかりいつもの成瀬さんに戻っているから、もう、あの話は終わったのかな、とほっとした時だった。

「で、柳原さんと何があったの?」

見上げると成瀬さんは棚に背を預けてニッコリ笑った。それを見て、忘れているはずがないか、と密かに心の中でため息をついて、ごく簡単に事情を説明する。

まとめてしまえば、重い荷物を代わりに持ってくれただけで、やましい事はない。

話終わってチラリと上を見上げると、上司は少し不機嫌そうな顔をしたまま、腕を組んでいた。


「怒っていますか?」

「怒っていない」

素っ気ない返事だけど、でも不機嫌そうだな。と思っていると、隣からため息が聞こえた。

「そもそもどうしてあんな大荷物を運ぶことになったんだ。あんな重いもの、営業にヘルプを頼めばいいのに」

当然の指摘に私は肩を竦めた。確かにあの段ボールを持った成瀬さんが営業に入ったら、ちょっとしたざわめきが起きた。本人は涼しい顔をしていたけれど、周りの方が焦っているのが何だかおかしかった。

「それに、柳原さんの言っていた、ひどい時っていうのは、どういうこと?」


やっぱり来たか、と諦める。

「柳原さんに教えてもらったのですが」

私は視線を下げた。何だか告げ口のようで気が進まない。

「秘書課には成瀬さんの事を思っている人がたくさんいるから、これは、ええと…」

そこまで言ったところで、成瀬さんはため息をついた・

「もういい」

「すみません…」


成瀬さんは苦い顔をして私を見た。

「始まりは俺のせいだから。悪い事をした」

「いや、成瀬さんのせいではないので」

「こう言う事、たくさんあるのか?」

頭の中で少しだけ、考える。引き止められて注意されたりすることはあっても、こんな直接的なことは初めてだった。それに、変に話が大きくなるのも困る。

私はあえて明るく笑った。

「いえ、こんなことないです」


私の返事に、済まなそうな顔をした後で、だけど、と続ける、

「だけど、それを柳原さんに指摘されるなんて」

そう悔しそうに苦い顔をする。

「たまたまですよ」

そう答えると、隣からため息が聞こえる。

「そうかな。あの人、そんな事をする人じゃないよ」

柳原さんのことはよく知らない。

とりあえず成瀬さんに強い敵対心を持っていることと、以前から私にとても嫌な態度をとっていることしか知らない。

「少なくても荷物を代わりに持つなんてしない。誰かに連絡して終わりにするタイプだよ」成瀬さんは肩を竦めた。その後で顔を私に向けて、じっと見つめてくる。


その視線に耐えきれなくて、私は少し後退した。

「な、何ですか?」

しばらく無言で私を見ていた成瀬さんは、視線を外して息をはいた。

「柳原さんは、君を助けようとしたのかもしれない」

その意見に私は大きく首を横にふった。


あの柳原さんが私を助けるなんて、ありえない。だから私は必死になって否定する。

「偶然ですよ。本当にそれしかないです」

「そうかな。逆にそう考えれば、全てが理解できる」

私はもう一度大きく首をふった。強く否定したくて、思わず大きな声が出る。

「私をアシスタントにしたいって言ったのも、始まりは成瀬さんへの嫌がらせですよね。そんな事を言う人がそんな…」

ありえない、と言おうとした時、隣の成瀬さんが動いて、私の顔の隣に成瀬さんの両手が置かれた。


成瀬さんは高い背をかがめて私を覗き込む。だから私は彼にすっぽり包まれているようになった。そのことに思わず顔が赤くなって、そして心臓はありえないくらい早く鳴った。だけど、私を見るその顔はとても鋭かった。


「成瀬さん…?」

「牧野さん、それ、誰から聞いたの?」

「え?」

「今の話、誰から聞いたの?」


そこでようやく、自分が余計な事を言ったことに気がつく。

柳原さんが私をアシスタントにしたいと言った事は、課長から聞いたけど、成瀬さんには言っていなかった。言わない方がいいと思ったから。


なのに、今、勢いで言ってしまった。

思わずしまったと言う顔をすると、成瀬さんは私をじっと見つめた。逃げられない、と私は口を開く。

「課長から聞きました…」

それを聞いて、成瀬さんは今度こそ苦い顔をして横を向く。

「あの人は、本当に余計な事を」

ため息をついて肩を落とした。

「成瀬さんは誰から…」

私の質問に、成瀬さんは顔を上げて私を見た。


「柳原さん、本人」


予想もしなかった答えに、私は息を飲む。

そんな事を本人に言うなんて。


言葉を失った私の方を見て、成瀬さんは苦笑いした。

「少し考え方を変えた方がいいかもしれない」

「どう言うことですか?」

「いや、柳原さんの目的は俺じゃなくて…」

そう言って私を見て、そこで視線を止めた。


綺麗な黒い瞳が、私の目をまっすぐに見る。お互いの呼吸がわかるくらい近い距離に、私はこんな時なのに、胸がドキドキしてしまう。

何を言われるのか緊張して待っていると、成瀬さんはにこりと笑った。

「この話はやめよう」

「え?」


私は目を丸くした。突然の展開に驚く。

「また何かあったらいつでもすぐに教えて」

「え?」

「アシスタントを守るのは上司の役目だからね」

成瀬さんはすっかりいつもの成瀬さんだった。なのに、私を囲む腕はそのままで、今話していた問題だってそのままで、やっぱり落ち着かない。

だけど、成瀬さんは驚いた私の顔を見て、いつものように優しく笑う。


「全く。君は俺のアシスタントなのに、君はいつでも他の人のことばかりだ。他の人の手伝いをして、他の人の方ばかり見ていて」

成瀬さんは一歩私の方へ近づいた。

「いつか他の人のところにいってしまいそうだ」

そう、呆れたように笑う。

「君を見つけたのは俺なのに、不公平だな」

「そんな」


私の一番は成瀬さんだ。それはきっと、いや絶対に変わらない。

本当なら、そう言ってしまいたい。

他の人とではなくて、あなたと一緒にいたいって。


だけど、そう言える自信はなくて、だから黙って俯いた。

「牧野さんは?」

そう言って成瀬さんは探るように私を見た。

「俺の下で働きたい?それとも柳原さんの下の方がいい?」

私はすぐに首を横に振った。

「私は成瀬さんの下で、働きたいです」

私は必死になって、じっと成瀬さんを見上げた。


「俺も、一緒に働くなら、君がいい」

成瀬さんは私の返事を聞いて、嬉しそうに笑ってくれた。

その顔は、とても甘くて。

思わずそれに目をとられてしまったから、腕の中のファイルが一冊こぼれ落ちそうになる。

「あっ」

急いでファイルを抱え直そうとするより早く、私の横の腕が動いた。顔を上げると成瀬さんの顔が近くにあって、そして、その腕はファイルと、私の腕を掴んでそのまま自分の方へと私を引き寄せた。


彼に抱きしめられるのは、二度目だった。

だけど、それは一度目の時よリも、強引で、そしてしっかりとしていた。


「こうしていたら」

「え?」

頭の上で、成瀬さんの声がした。

「こうしていたら、君はどこにも行かないのかな」


どこにも行かない。

だって、どこにも行きたくないくらい、行けないくらい、あなたのことが好きなんです。

そんな言葉が出てしまいそうになって、私は急いで口を閉じる。


気持ちが強くなりすぎて、好きになりすぎて、その気持ちがもう今にも溢れてしまいそうだった。


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