第二十話 故郷
その日の夜、星空に吸い込まれていくように飛ぶ鳥がいた。何も知らない人が見たらただのカラスだと思うだろう。しかし、彼はカササギである。更に言ってしまえば、彼は本当は鳥ですらない。
俺はかつてないスピードで空を切った。一刻も早く、織姫に会いたい。その想いだけで俺は翼を動かしていた。
クラスのみんなにほとんど何も言わずに去ってしまったのは申し訳なく思っている。しかし、今日去らなければ長月や春川は今度こそ殺されてしまうかもしれない。……それに、今日は七夕だ。自分の願いを優先させたって罰は当たらないはずだろう。
夏だというのに、自分の羽根が何枚も抜け落ちたせいで今にも凍え死にそうだ。しかしもう後には引けない。この気持ちを捨てるくらいなら死んでも良い。
月が手に届きそうなほど空高くまで飛び──見えてきた。俺の……織姫の故郷。
「……ただいま」
俺はそう呟いた。返事が来ることなど期待していない。
「よう。お帰り、ドブネズミ」
しかし、返事は返って来た。返ってきてしまった。振り向かなくても分かる。奴だ。
「また殺されに来たか。織姫様に二度と会うなと言っただろうが」
殴りたくなるほどに腹が立つ。俺は疲れた身体に鞭を打ち、織姫を探す為に飛ぼうとした。しかし、奴は俺を嘲笑うように言った。
「良いのか?お前の大切な友達を助けなくて?」
大切な友達。その言葉で思わず振り向くと、奴はニヤニヤと嗤っていた。
「確か長月真帆とか言ったっけなぁ?人間界の男にあの女とその想い人を焼き殺すように洗脳したと言ったらどうする?」
「……てめえ……!!」
俺は奴に殴りかかろうとした。しかし、今の姿のままでは敵わず、首元を掴まれてしまった。苦しい。
「これで終わりだドブネズミ!!お前のせいで、お前が織姫様の友達になったせいで!!俺はただの平民に成り下がった!!お前なんぞを殺した罪でなぁ!!」
様々な記憶が甦る。走馬灯というやつだろうか。織姫の悲しそうな顔。泣きそうな目。あの日のカボチャコロッケ。長月の報われない片想い。春川の笑顔。……死ぬわけにはいかない。
ここでまた死んでしまったら、織姫はどうなる?
「……うぁぁぁぁぁ!!!」
その時だった。俺の翼は人間の腕に変わり、捕まれていた細い首も、羽毛に包まれた身体も、人間のそれに変わっていった。もう二度と、この姿になるつもりは無かったのに。
なぜ意図せずこの姿になれたのかは全く分からないが、人間の姿になれたならチャンスだ。俺はすぐさま反撃し、奴を倒した。またカササギの姿にならなければ。そう思ったその瞬間だった。
「……デネブ?」
それは、俺が地上に転生してから二十年余りの間ずっと聞きたかった、名前を呼ばれたかった声だった。
俺は振り向かなかった。振り向けなかった。こんな泣き顔を彼女に晒すわけにはいかない。
「……織姫」
その声を聞けただけでもう充分だ。とにかく、すぐに地上に戻って長月達を助けなければ。二度と会うまいと思っていたが、今となっては別だ。俺はカササギの姿になろうとした。
しかし、何故か俺の身体は人間の姿のまま変わることはなかった。まるで何かに封印されているような感覚がした。……まさか。
考えられる可能性は1つ。エゴの魔法だ。
「……あの馬鹿野郎」
目から大粒の涙が零れ落ちた。全く、自分勝手な奴だ。
「デネブ……!生きてたのね?夢みたい!」
振り向かずとも彼女が泣いているのが分かる。彼女の泣き顔を見るのなんてもう御免だったのに、俺はまた彼女を泣かせてしまった。
走り去ろうとした俺の腕を、織姫は掴んだ。俺と彼女が初めて出会った日のように。
あの日と違う、何とも綺麗な泣き顔だった。
「織姫。……ただいま」
「お帰りなさい。私の大切な友達」
彼女は俺を抱き寄せた。俺が望んだ意味でないことは分かっていたが、それでも嬉しかった。
子供のように泣きじゃくっていると、昔の織姫にそっくりな小さな少女が俺の元に駆け寄ってきた。
「お母さん!この人だぁれ?」
「お、お母さん?」
俺が戸惑っていると、織姫は微笑んだ。
「私の娘。可愛いでしょう?」
無邪気に笑う少女を追いかけて、うっすら見覚えのある青年もこちらに走ってきた。彦星だ。
「あなた!……私の友達、帰って来たわ!」
織姫がそう言うと、彦星は心から嬉しそうに笑った。
「君がデネブ……!お帰りなさい!」
初恋の相手と、その旦那と、その娘に抱き締められ、俺と織姫は大泣きした。
まるで、幼い頃に戻ったようだった。




