同行者
涼しく過ごしやすい日和になってきましたね。
部屋に入るとまず思い浮かんでくる言葉は、『ひどい』だ。まず、言っておくがフリージアの止まっている宿はこの辺りでは普通の部類に入る。現代の宿とは違い、値段によって露骨に待遇が違う。具体的に何が言いたいかと言うと。六畳も無い程の狭い部屋。宿の外見と同様、床もぼろぼろ。所々、抜けている場所もある。きわめつけは寝具が無い。あるのはこれまたぼろぼろの椅子だけ。とても人が泊まれる場所じゃない。良く言って休憩室。悪く言えば物置部屋だ。
『おいおい。ブタ小屋よりひでぇな。さすがの俺様もちょいとばかしこいつに同情しちまうぜ』
「...」
「あの...その、ごめんね。自分で誘っておいて...汚い...よね?」
「...そうですね、この部屋、いえ、この宿は衛生状態があまり良くないと判断します。......しかし、貴方様の経済状況を鑑みると致し方ない事でしょう。それより、依頼の完遂をよろしくお願いします」
「っう! ――...はい。じゃあ...こ、この椅子に座って」
壊れないか手のひらで何回か押し、座っても崩れない事を確認すると、慎重に腰を落とす。ギシギシと撓る椅子を気にしながらミハイルに視線を戻す。因みに今回は魔槍を置いたら床が抜けそうだから膝に置くことにした。
「...では、まず現在の貨幣の価値をお教えください」
ベルトポーチから適当に硬貨を取り出し、ミハエルに見せる。
「えーと...僕は田舎出身なのであまり、お金を使ったことが無いんだけど」
「...」
『いきなりこけたな』
「だ、大丈夫! 知識としては知っているから。大体、銅貨五枚で銀貨一枚、銀貨十五枚で金貨一枚。でも、国によって貨幣の価値は若干違うからあまり参考になるかどうか...」
自信のなさそうな小さな声で答えるミハエル。両手の人差し指同士でつんつんしながら顔を赤らめチラチラとフリージアを見ている。
「違う国同士だとどれだけ価値が違うのですか?」
「価値が違うと言うのも使っている材料の量が違うだけだから――例えばこっちの大きなメゾキア金貨はこっちの小さなアストラペー金貨の倍の価値があるんだ。簡単に言うと大きい硬貨の方が価値があると言う事だね」
手に乗せてある金貨を指差す。
「...では、金貨一枚でどれだけの事が出来ますか?」
硬貨を全てベルトポートに戻すと質問を続けた。
「うーん。...一人でなら余裕をもって一ヶ月は生活に困らないかな。大抵の物は買ってもお釣くるよ」
あっちの方の貨幣とこっちの方の貨幣は違い過ぎて良く分からなかったが、思っていたより金貨の価値が高い事に驚いた。ミハエルの言う通りであれば当分、いいや、国を渡る時に高確率かつ高頻度で盗賊やならず者と出会う。そんな奴らから奪い取っていくと活動していく分には永遠にお金は無くなる事はないだろう。
『そんなもんか』
「...そう言えばご主人様の時はお金は無かったのですか?」
『あったんじゃねぇか? 俺様は金なんか払った事ねぇから分かんねぇ』
「え? 何か言った?」
「...いえ、独り言ですのでお気になさらず。次は旅に関しての事です」
「旅?」
「私はある目的の為に色々な国を回らなくてはなりません。それにあたり何を用意すれば良いか。何を気を付けなければいけないかなど詳しくお教えください」
「そうだね...まずは入れる物が必要だよ。食料や医療品、国々を頻繁に渡るのであれば道中色々な物が必要になってくるからね」
「...これだけだと不足でしょうか?」
ベルトポートを叩きながら問いかけると、ミハエルは難しい顔で考え出した。
「お金を払って商人の隊商に乗せてもらえば道中の必要な物は全部を隊商の方で出してくれる。だからそのベルトポーチで事足りるんだけど...。余りおすすめは出来ないよ?」
「...その理由は?」
「国を渡る事にお金が必要になってくるよね。その出会った商人によるけど大体、銀貨十枚から金貨一枚。冒険者も依頼の都合上、国を渡る事はあるけど殆どの人はそのあまりの余りに高い値段だからみんな使わないよ」
「その手段をとらない場合は必要ですか?」
「食料、医療品、火打ち石に研ぎ石。一番場所を取るのは食料ですがそれを抜いて、現地調達にしてもそのベルトポーチだけではどうしても無理があるよ」
食事も要らない、傷ついても身体が勝手に直すので医療品も必要じゃない。休みもしないので火打ち石も不要。最後に――
「...ご主人様は研ぐ必要あるのですか?」
『あ? あの場所にある武器防具は全部特別な材料で出来てんだ。だから錆びもしねぇし、刃が欠けたりする事もねぇ』
研ぎ石も不要。
「...分かりました。それでは気を付けなければいけない事はありますか?」
「やはり魔獣と盗賊ですね。森や夜活動するのであれば通常は五人以上でチームを行動し、交代で睡眠や休息をとるのが良いのですが、旅に他に同行されるのですか?」
「...いえ、私一人だけです」
「一時的に一人で行動する事があっても一人で旅をする人は珍しいんだ。どうしても一人で夜を越さなければならなくなったらみんな木の上に上って身体を縛り付けて寝る。そうすると魔獣や盗賊みたいな連中に出会わなくてすむからね」
魔獣は兎に角、盗賊に出会うのは寧ろ好都合だ。だから、私にとってはさして危険ではない。危険ではないと言う事は気を付ける必要はないと言う事。
「...分かりました。今回の依頼はこれで達成とします」
金貨を二枚取り出すと。ミハエルに差し出す。それを、なぜか申し訳なさそうに受け取る、
「本当によかったの? こんな質問に金貨二枚なんて」
「...問題ありません。私には先の知識は金貨二枚を払うに相当すると判断したので」
普通はおかしいと思うだろう。誰でも知っている事に金貨二枚なんて。でもフリージアにはその価値があった。やろうと思えばそこいらに居る人に聞くことも出来た。しなかったのは単純に信用することが出来ないからである。フリージアが危惧していた事は情報の漏洩。『さっきおかしな槍を持った女の子がおかしな事を聞いてきた、しかもお礼にたくさんお金をくれた』そんな事がこの町に広がったらきっと面倒な事になるに違いない。人の伝達速度は光の速さと同じぐらい早い。この町には聖騎士だっている。それに、トリエラの件もまだ終わっていない。だから保障が欲しかった。その情報提供者が回りにフリージア達の事を漏らさないと言う保障が。
「そうなんだ。えっと、そのぉ...僕からも一つ質問してもいいかな?」
「...何でしょう?」
「あそこに居た人たちはどうなったの?」
「...貴方と捕まっていた女性達以外、みんな殺しました」
「そう、...なんだ......。じゃあ、その中に頭領は居た?」
「...頭領? お頭と呼ばれている者は見ましたが殺した死体の中に彼は居ませんでした」
聞いた途端、顔が曇る。手に持っていた二枚の金貨を握り締め。何かを決心したのか先程とは違う真っ直ぐな目でフリージアを見る。
「お願いがあるんだけど!」
「...何でしょうか?」
「僕を...僕を鍛えてくれないか!? いや、鍛えてください!」
「...ご主人様」
『んなことしてる時間も余裕も今はねぇっつの』
「...申し訳ありませんが私には貴方様を鍛えるだけの時間がありません」
「僕は強くならないといけないんです! どうか! どうかお願いします!」
膝を付き、ドレスに縋り付くミハエル。どんどん黒い気配が大きく、それでいて黒くなっていく。
『虚無牢にいる時に感じたお前の気配と似ている。あぁ、美しい...最高に綺麗だ』
「...ご主人様?」
『こいつを鍛える余裕はない。だが、話ぐらいは聞いてやっても良いだろう』
「...かしこまりました」
片手でミハエルの腕を掴むと、立ち上がせる。そして、胸を見ると。...確かに、黒い。何だろう...見ているとすごく心が穏やかになる。昔、テレビで絵画を見た事があるが。綺麗だとか、すごいとかまったく感じた事が無かった。だがこれは、この黒の気配は――。
「...凄く綺麗です」
「あの...えっと...。僕の胸に何かありますか?」
思わず胸を触っていた事に気づくと、そっと置いていた手を離す。そして、顔を真っ赤にしながら困惑するミハエルを椅子に座らせる。
「...私は貴方様が何をしたくて力を欲しているのか分かります――復讐したいのですね?」
「ッ! ...どうして。いや、何で......はい。貴方の言う通り、僕は復讐の為に強くなりたいのです」
左手を強く胸の辺りで握る。
「...私が代行して貴方様の復讐を果たす事も出来ますが?」
「それじゃダメなんだ!!」
「...」
「あ! すみません! 怒鳴るつもりは無かったんです...すみません。これは僕が自分の手でやらないとダメなんです。じゃないと復讐になりませんから......」
『これは困った』
「君も復讐は為にならないって言うんですか?」
「...君も?」
「昔、あの盗賊団に村を襲われました。その時に、父さんと母さんは殺され、妹は...僕は家族の墓の前で誓ったんです必ずあいつに復讐を果たすって。なのに、村の人達は『君の為にならない』、『復讐は何も生まない』って。...そんな事はわかってるんです」
「...いいえ。為にならないなんて所詮、弱者の言い訳に過ぎません」
「え?」
私は知っている。復讐したい程、憎んだ事にしか分からない悲しさを。どんな病気より厄介なものだ。どんな薬にも癒せない。どんな魔法でも治せない。癒せるのは唯一つ、復讐を果たす事だけ。その為に憎しみは想像絶する力を与えてくれる。そして、復讐を果たしや時、初めて本当の自分を取り戻す事が出来るのだ。
『...こいつ、連れて行くか』
「...私達に同行させる場合、貴方様の命令を遂行する事が難しくなる可能性がありますが......」
『本来、黒を育て、芽吹かせるのが邪神の本懐。折角あのクソ溜めから復活出来たんだ。邪神としての本来の役割を果たすとしよう』
ご主人様が結論を下した。なら私のする事は唯一つ。
「...私は人にこの技を教える事が出来ません」
「そう...ですよね。見ず知らずの人に技なんて教えられませんよね」
「...いいえ。そうではありません。...私のこの技は生まれもって備わったもの。故に、人に教えようにもどういう原理でこの技を使う事が出来るのか分からないのです」
首を振り、優しく否定すると続けてこう言った。
「ですが。貴方様が私の技を見て、吸収し、技を習得出来ないとも限りませんですから――」
――私と一緒に旅をしませんか?
「た、び?」
「貴方様は家族の仇が何処にいるか分かっているのですか?」
首を横に振る。
「分からない様にずっと一緒に居てたんだ。だけど、君が壊しちゃったから...今はもう何処に居るか分からない」
私は邪魔をしてしまったのか?
「なら、一先ず一緒に私の旅に同行するのはどうでしょう。私の目的の片手間になら貴方様の復讐の手伝いをして差し上げる事も出来ますよ? ...貴方様にとってこれ以上の条件は無いと愚考します」
ミハエルにとってその申し出はまたとない機会だった。無論、考えるまでも無い。頭で考えるより先に口に出ていた。
「い、行く! いや行かせて下さい!」
『決まりだ』
ご主人様のその声はどことなく闇の孕んだ感じがした。