003.帰り道
意味が分からない。疑問のために、アトは尋ねようとしたが、少し口を開いた瞬間、目の前の景色がブレて真っ暗になった。
「・・・」
何も見えない。アトは瞬きをして、それからパっと後ろを振り返った。扉の形に切り取られた外の景色が見えた。
えっ、と思った突端、パァっと柔らかい光が辺りに満ちた。
ギョっとアトが前を振り向くと、目の前に閉じられた扉が見えた。
「……えええええええええええええええええっ!?」
アトは叫んでいた。
「・・・ちょ、開けて! 開けてください!!」
必死で、扉を腕で叩き、表面を探った。ついには、思いっきり目の前の扉を蹴りつけた。しかし、木製のはずの扉は、石のように硬くて、きしむ音さえ出さなかった。
「あっ・・・こっ・・・っ!!」
アトは最後には言葉を失って、口をパクパクさせるだけになった。
信じられない。もう、塔の外に、出されてしまった。
生涯、待ちに待っていた瞬間が、こんな内容で、こんな風に終わるなんて。信じられない!!
***
何度も未練がましく後ろを振り返る。けれどどうしようもなくて、アトはとぼとぼと居城に戻る道を歩った。フツフツと怒りが湧く。なんだか酷すぎる。
『あなたは世界を救うだろう』『すぐに旅立ちなさい』
告げられた言葉が頭の中でぐるぐると回る。
黙々と歩き続けて、行きには気づいた『復讐ガエル』が、まだ地面にへばりついているのに気付くのが遅れた。
あ! マズイ!
と思った瞬間にもう踏んでいた。ピシャッと、靴に青いカエルの体液が飛び散った。
瞬間で、空気が唸った。殺気が膨れ上がった。
まずい!!
アトはダっと走り出した。
前から後ろから地中から、仲間のカエルたちが体当たりをしてくる。避けようがない。集団で襲い掛かってくる。
顔にも飛び掛ってくるのを払いながら、ただただ、全速力で走って逃げた。
***
ようやく振り切ったのは、石見の鏡、入り口の墓の付近だった。
息を切らしつつ、アトはむせた。全身にカエルの体液が付着していた。全身ベトベトで酷い臭いだ。
カエル、踏まれたくないなら道の真ん中になんか居るなよ! 集団で踏まれにやってくるな!! 生き物としてあり得ない。
「今日は最悪」
アトは呻いた。
本当に最悪。超最悪。朝は、最高だと思っていたのに。
どん底の気分で、アトは帰り道を再び歩き出した。
「ん?」
アトはピクリと顔を上げた。墓の向こう、後ろになった池を見やる。霧が出始めていた。
何かが、気になった。
アトはよく見ようとして、瞬いた。まぶたがネチャネチャと音を立てた。開けづらい。
それでも、池をじっと見つめた。
何かが浮かんでいるように見えた。
墓の向こう・・・。なんだろう。墓から声が聞こえてきそうに思えて、アトはぞっとした。慌てて、居城への道を走り出した。
走ったアトの頭の中で、先ほどの言葉が反響した。
『あなたは世界を救うだろう』
どういう事。そうだ、僕は、領主の息子だ。僕が領主になった時に、何かが起こるのかもしれない。それを僕が機転を利かせて危機を救うのだろうか。
そんなこと言われなくても、僕は頑張る・・・父のように領地を治めてみせる。
『旅立ちなさい。今すぐに』
どうして。ちがう、領主になるには、色んな勉強が必要だから・・・きっとそうだ。
僕は。
と、アトは思った。
あの言葉を、信じるのだろうか?
あの、老婆を、信用するんだろうか。あんな風だったのに?
運命? そんなの知らない。
不安を吹っ切るように唐突にアトは思った。
僕は僕がなりたいようになる。『運命の言葉』なんて関係ない。
“ ァ ト ・・・・・・ ”
どこかで呼ばれた気がした。
ちがう、そんな気がしただけだ。
居城に駆けて戻る。フォエルゥが気付いて、ゴォフッと一声あげて、喜びを表して駆け寄ってくるのが見えた。
その姿に、アトはほっとした。
***
フォッ!?
フォエルゥは、だぁっと走りこんできたくせに、驚いてビョン、と後ろずさった。
「・・・?」
アトは、歩調をゆるめ、訝しげにフォエルゥを見た。
フォゥ! フゥッ!! グルゥ!
フォエルゥは、甘え声を出しながら、驚いて飛びのく、という不可思議な行動をとっている。ついには、まるで『飛びつきたいけど無理!』とでも言いたげに、困った様子でアトを見あげた。
まるで、アトの周りに見えない防御壁でもあるみたいだ。塔に行ったことで何かが変わったのだろうか?
「フォエルゥー? どうしたのー?」
声が聞こえたらしい。玄関の上、テラスから、メチルが顔を出した。
「あっ! アト様!!」
メチルはパァ、と喜んだ。しかし直後に身を乗り出すようにして、妙な目でアトをジィと見つめた。
「あれ・・・今日のお召し物はクリーム色だったはず・・・」
という、メチルの呟きが丁度流れてきた風に乗って聞こえた。
風向きが変わった。
「わぁ! カエル臭い!!」
メチルは後ろに飛びのき、それから再びテラスから身を表した。
「アト様!! カエル踏んじゃったんですか!!」
言うなり、メチルはテラスからまた飛びのいて姿を消した。
そんなに臭いかなぁ。と、アトは肩のあたりを嗅いでみた。自分ではもう分からなくなっている。
いつのまにかフォエルゥが、ジリジリとやってきていて、顔をアトの義手につけた。
「フォエルゥ」
アトは嬉しくなって、義手でフォエルゥをなでようとしたが、木製の義手が緑色に染まっているので思いとどまった。なお、あのカエルの青い体液は、時間が経つと緑色に変色して、粘り気を増す。
「フォエルゥ、真っ白なキミの毛が、緑色にからまっちゃうから、撫でるのは我慢するね」
仕方なさそうに笑いかけると、フォエルゥは、匂いに耐えながら、アトの傍でアトをじっと見上げていた。