141.死体は誰か
ケルベディウロスとの話の後、話し合いは一旦終了することにした。
結局、トートセンクとセフィリアオンデスは会話に戻ってこなかった。
やはり通信が途切れてしまっていたのかもしれない。
もう朝の時刻だった。
イシュデン領主・イングスは、妻サリシュのいる隠し部屋を一旦退出し、息子アトロスを息子の部屋まで運び、ベッドに寝かせてやった。
息子アトロスはなぜか幸せそうな顔をしてスヤスヤ眠っている。
その顔にイングスはふっと安心した。いくら疲れていても、親にとって、子どもの幸せそうな様子は活力になる。
さて。通常ならばすでに朝の業務を始めている頃合だ。
とはいえ、この数日は様々な事が起こりろくに睡眠を取れていない。
自分も仮眠を取った方がいい、とイングスは考えた。『様々な事』は今もなお続いている。途中で倒れる事の無いように、少しずつでも休んだ方が良い。
そこでイングスは、談話室のソファで仮眠を取る事にした。
自室に戻らなかったのは、そこで眠った場合、うっかりぐっすりと寝過ごしてしまいそうに思ったからだ。
対して、食堂に続くこの談話室のソファなら、誰かが必ず自分を見つけるだろうし、必要ならば何としてでも起こしてくれるだろう。
ソファに横になってフゥ、と息を吐く。その直後、イングスはもう眠っていた。
***
二時間後。イングスは、自分の補佐をしてくれているグィンに声を何度も何度も呼びかけられ、起こされた。
ソファに身を起こす。ある程度眠れたのは良かったが、まだ少し頭がはっきり動かない。
イングスは、額に手を押し当てながらグィンに頼んだ。
「うぅむ・・・すまない、もう一度言ってくれないか」
「イングス様」
グィンは、要望を受けて、もう一度丁寧に伝えてくる。
「今日は、モリジュの、葬儀をしていただきます」
イングスは額の手を止めた。頭の中で言われた事を繰り返す。
モリジュ・・・モリジュお婆さんの、葬儀。
葬儀を、行う。
モリジュ。目の前のグィンの義母。料理や家事をしてくれているマチルダの実母。息子アトロスの身の回りの世話をしてくれているメチルの祖母。
モリジュの・・・? 葬儀だと。あの、元気なモリジュお婆さんが、亡くなったのか・・・?
額から手を離して、イングスは目の前少し離れた位置に立つグィンを見上げた。
グィンはいつもと変わらないように見えた。
いや、気のせいだろう。変わらないはずがない。グィンは、自分の家族が亡くなった、と、言っているのに。
イングスは立ち上がる。
イングスの様子に、説明の追加が必要だと判断したのだろう。グィンは丁寧に付け加えてきた。
「昨日、北西の池-石見の鏡-にて死体が発見されました。商人の娘かと思われましたが、イングス様、デルボ、商人の男性とで舟を出された結果、遺体は回収できなかったものの、老人の体だと確認されました」
「・・・あぁ。そう・・・だったな」
イングスは自分の記憶を辿った。
「朝、イングス様のお姿が見えなかったもので、また、必要になりますので、行方不明になった者がいないかを、先ほどまで町に確認しに行っておりました」
冷静な判断と行動力。グィンらしい。
「結果、モリジュ、が、行方不明です。ただ一人だけ。」
「・・・モリジュお婆さんが? 町全体で確かめたのだな・・・?」
「はい」
グィンはただ静かに頷いた。
「家は無人でした。義弟たちに確認しましたが、昨日は池の騒動もあって姿を見ていないと言います。・・・モリジュは、90を超える老人です。・・・石見の鏡で発見されたのは・・・あの池で亡くなっていたのは・・・モリジュとしか考えられません」
確かに、その判断は自然だと思える。
老人が一人行方不明で、池では老人の死体が見つかった。
「だが・・・モリジュお婆さんは、どうして石見の鏡に行ったのだろうか・・・。危険だという事は知っているはずだ・・・」
町の誰よりも長くイシュデンという土地を知っている老人が、池に迷い込み溺れてしまうというのは、何か奇妙だ。
グィンはかぶりを振った。
「昨日、子どもたちが、モリジュが石見の塔に入っていくのを見たそうです。石見の塔の外で、モリジュを待っているという子どもたちを、大人たちが見て、話も聞いています」
「運命の日か・・・」
イングスは息を吐いた。
モリジュは運命の日を迎え、石見の塔に行き、帰りに道を過って石見の鏡―池―に落ちてしまったのか。
確かに、その可能性はある。
そう、死体が池にあった以上・・・そうなのだ。死体があった以上、誰かが亡くなっている。
町で唯一姿が見当たらないモリジュ。ならば、その死体は。
商人の娘も未だに行方不明だが、死体は老人のものだった。
それにイングスは知っている。商人の娘は、『祭壇』を通った向こう側の世界に行ってしまっているのだ。
ならば・・・モリジュが運命の日を迎え・・・そして石見の鏡―池―で亡くなったとしか考えられない。
「・・・大丈夫か、グィン」
イングスはモリジュの身内であるグィンを気遣って尋ねた。
グィンはじっとイングスを見つめた。
「・・・マチルダと、メチルは、すでに町に行かせていただきました。・・・申し訳ありませんが、今日は居城の事などは許していただきたい。立っていられないほど泣いています。本当に慕っていたのです」
「あぁ、勿論だ」
目を落としうつむいたグィンの肩を、イングスはなぐさめるために何度か叩いた。
「まだ『運命の日』を迎えていないから、まだずっと元気なのだと・・・マチルダもメチルもいつも楽しそうに言っていたのに・・・!」
弱音を吐いたり滅多に感情を見せないグィンが、悔しそうに呟いた。
イングスは、グィンの肩を叩いてやる事しかできなかった。




