001.前の日
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「アトロス。明日がお前の『運命の日』だ。明日、石見の塔に行きなさい」
アトは、突然父にこう告げられた。
このイシュデンという町の北西に、石見の鏡という名の池がある。時々霧がかかって何も見えなくなる。結果として池に落ちて命を失う事故も起きてしまうため、あまりその近辺には近づかないようにと領主である父が町に指示を出しているぐらいだ。付近は森で、三つ頭の鹿や、赤い小さな実を栽培する蜂や、蛇を飲み込む花といった様々な生き物がすんでいる。
池の傍を通ってさらに北西に進んでいくと、森の中、石造りの頑丈な高い塔がある。石見の塔だ。そこには一人、老婆様が住んでいる。
扉はいつも閉まっている。何をしようが開かない。
ただし、人は一生に一度だけ、中に入れる。『運命の日』だ。一生に一度、自分の運命を知るために赴く。
それが、明日。
すでに遅い時間だ。友達に言うのは諦めて、アトは、身の回りの世話をしてくれている、自分より少しお姉さんのメチルに言ってみた。
「メチル。僕、明日が運命の日なんだ」
メチルは、目を丸くして、「まぁ」と驚いた。
「おめでとうございます、アト様! 私はまだだから、羨ましいです」
「うん」
運命の日は、人によって訪れる時が違う。皆がその日を心待ちにしているけれど、早い人もいれば遅い人もいる。
「アト様。私のおばあちゃん、もう90だけど、まだ運命の日を迎えてないんですよ」
「えっ」
メチルはアトの驚きに同意するように頷いて、続けた。
「おばあちゃんね、『もしかして、塔に一度も行くことができず、死んでしまうかもしれない』なんて言うんですよ。でも、そんなことってありえないですけれど」
「そうだね」
アトは頷く。人は必ず、運命の日を迎えるものなのだから。メチルは笑った。
「だからおばあちゃん、ものすごく長生きなのかも! でもやっぱり羨ましい、アト様、早く行けて良かったですね!」
「うん。ありがとう」
メチルが出て行ってから、アトは疑問に気が付いた。
90歳を超えた人に、誰が「塔へ行け」と告げるのだろう? 親か保護者など・・・もう亡くなっていていないのに。
そうだ。明日、石見の塔に行って、石見の塔の老婆様に会ったら、メチルのおばあちゃんのことを聞いてみよう。
***
明日が運命の日。その前夜。アトは珍しく、ハッキリとした夢を見た。
小さい頃の夢だ。アトは友達4・5人と遊んでいる。
石見の塔を見上げ、石が積み上げられた塔の壁の、石と石の隙間を手掛かりに、幼い両手で、塔をよじ登ろうとする。
自分の両手と、空へと高く続く石見の塔の壁。案外登れてしまうんじゃないかという気がした。
夢の中、世界が変わった。石造りの部屋だろうか。壁が明るく優しい光を放っている。もしかして、塔の中に入ったのだろうか?
高いところに、とても美しい女の人がいた。宙に浮いたように立っていて、アトを見ている。人間とは思えなくて、お話に出てくる精霊のようだ。
夢の中、その人が降りてくる。両手で、アトの両腕・・・すでに途切れている両腕に、そっと触れる。
“アトロス。あなたの両手は何でも掴むことができる”
とても奇妙な内容だ、と、アトは思った。
“見えない手は、見えないものを掴むのだから”
何かを掴んでいるような感覚が、した。
***
目が覚めると、朝が来ていた。
アトは少しボゥっとして、普段と変わりない自分の部屋を見回し、それから自分の腕を持ち上げて眺めた。
アトの肘から先の腕は無い。
バカみたいな夢をみた、と、思ったが、そういえば、小さい頃は自分には両手があったんだな、と、思い出した。
いつ、どうして自分は両手を失ったのだろう。事故かなにかだっただろうか。失った日は幼すぎて思い出せない。
アトは夢の名残を振り払うように少し息を吐いてから、ベッドから降りた。
着替えのために、メチルを呼ぶための鈴を鳴らす。腕を輪にひかっけて引っ張れば良い。
もし、肘から先があったなら、この輪っかは手で掴んでいるんだろうな、なんて思って、アトは自分がおかしくなった。不便を感じる日々じゃないのに。
部屋の扉が開いて、いつものように、メチルが元気に着替えをもってやってきた。
「アト様! おはようございますー!! 今日はいよいよ運命の日ですよっ!」
***
着替えをすませて木製の義手をつけ終わったアトに、メチルがワクワクと尋ねてきた。
「いつ石見の塔に行かれるんですか?」
「朝ごはんを食べたらすぐに行くつもり」
「そうですよね!」
メチルは楽しそうにルンルンと部屋を出て行った。どうやらアトより浮かれている。
それからアトは食堂に向かう。
着席して待っていると、しばらくして父も現れた。長いテーブルのもう一方の端に座る。
基本的に、食事は二人で食べる。領主としてのマナーを身に着けるためであるのと、他に家族がいないからだ。
いつものように、アトは義手の角度を食事用に固定して、スープを飲み、スライスされたパンを食べる。
運命の日だけれど、変りの無い朝だ。
「いつ行くのだ」
父がメチルと同じ質問をした。
アトは答えた。
「この後、すぐに行きます」
「そうか。気をつけてな」
「はい」
「今日は天気が良くて良かった」
と、父が言った。
***
さぁ、石見の塔に行こう。
アトが玄関から出ると、白い大きな生き物、フォエルゥが嬉しそうにグルグルと喉を鳴らして近寄ってきた。フォエルゥは、白くてもこもこしたアトの相棒だ。犬に似ているけれど犬ではない。随分と大きくて、大人がその背に乗る事もできる。
なんでも他の地域の生き物らしい。アトが幼く両手を失った頃に、父がアトのための『お伴』として取り寄せてくれたのだと聞いた。
「フォエルゥ、おはよう」
アトは声をかけて、フォエルゥと顔をこすり合わせた。
フォエルゥはなんだかワクワクしていた。こんなに朝早くからアトが居城から出てくるのが珍しいからだろう。
「フォエルゥ。今日、僕、運命の日なんだよ。えーと、どうしようかな」
アトは少し考えた。
「ごめん、フォエルゥ。運命は一人で聞きに行くから、待っていてくれる?」
フォエルゥは、アトが『おいで』と言わずに去る様子に、理解してくれたようだ。
帰ったら、フォエルゥにも是非運命の内容を聞かせてあげよう。




