第十二話『金腕のニナ その④』
時は夕暮れ。山並みのように連なる大小様々な鉄筋コンクリートの裏に、火の玉のような真っ赤な太陽が妖しく呑み込まれていく。そんな空からこぼれる赤が、ゲッペル家の機械工房をも満たしていた。
「全員、壁に手をついて並べ!」
工房に押し入って来た軍人たちの中でも、とりわけ歳を重ねたような、中年の兵士が手近な壁を手で示した。
「待ってください!これは何かの間違いです!私たちは何もしてない・・・!」
中年の兵士に訴えようと近寄るエーミールだが、すぐに複数人の兵士に両腕や首を掴まれてしまう。そして抵抗虚しく、壁のほうまで引きずられると、勢い良く顔面を壁に押し付けられる。
その場にいたニナも例に漏れず、近くにいた兵士に突き飛ばされて壁際に立たされた。
「お前たちがレジスタンスの兵器を整備していると通報が来てるんだ。調べもついている。家族五人、全部いるな?」
中年の兵士が言いながら他の兵士から資料を受け取る。すると、別の兵士が一人足りないようだと耳打ちした。
「おい、どうなっている!最後の一人をどこに隠した?」
エーミールの顔面を壁に押し当てている兵士が怒鳴るが、当のエーミールは姿勢のせいで口を開くことさえままならない。
ここまで黙って軍人たちの命令に従っていたフベルトが、そんな息子の代わりに兵士たちに教える。
「息子の妻、サラです。妊娠中で病院にいるんです。お聞きしたい事は全てお話しするんで、どうか暴力はおやめください。」
フベルトの言葉を聞いて、中年の兵士がエーミールを離すようにと合図を出す。それを受けて兵士たちがエーミールを離すと、青年は素直に壁に手をついた。
「・・・まあいい。その妻とやらの事は、あとで調べさせろ。」
言いながらペンの先で手近な部下を指すと、その兵士は短く返事をして頷いた。
「本題はジャゴだ。お前ら、ジャゴを扱っているな?この戦争なき時代に、民間で兵器を扱うというだけでおかしいんだ。しかもレジスタンスどもが頻繁に使う旧式機と来た。ほとんど黒みたいなものだが、一応『中』を検めるぞ。」
面倒くさそうに言う中年の兵士。先ほど渡された資料をパラパラと捲りながら、工房の奥へ踏み入ろうとする。
そんな兵士たちに待ったをかけるように、壁を向いたままニナが声を上げた。
「ジャゴはあります!でも、非合法なものは一切扱ってません!私なら、それを証明出来ます!」
足を止める中年の兵士。彼に従って歩き出そうとしていた他の兵士たちも、中年の兵士に合わせて足を止めた。そして、ニナとすれ違おうとしていた兵士が、少女の髪を鷲掴みにして自分の方まで引き寄せる。
「ガキは黙ってろ!」
ニナの耳の中に、最大限の声量で怒鳴り込む兵士。そのままボールでも投げるような軽さで、ニナを再び壁の方へ突き飛ばした。
殴られたような衝撃が鼓膜を破り、キーンという怪音がニナの左耳を支配した。ほどなくして、耳から一筋の流血が首筋をなぞる。
振り返るニナ、
———スズメバチのような視線が、兵士の眉間を射抜く。
兵士は蹈鞴を踏みながら後退り、本能的に腰のホルスターから拳銃を抜いた。少女の眉間を狙っている銃口は、僅かながらに細かく振動している。逆に少女は全くの不動。指一つ屈せば勝負は決すると分かっているのに、兵士は猛獣でも相手取っているかのような緊張を味わっていた。
その様子を遠目に見ていた中年の兵士は、気味悪いガキだと思いながらも、部下の銃に手を置いて武器を降ろさせる。
「そこまで言うなら見せてもらおうか、え?証拠とやらを。」
再びペンを手に取ると、二人の兵士を指名する。兵士たちはホルスターから拳銃を抜くと、ニナの背後に回って、後頭部と背中に銃口を押し当てた。
「両手を頭の上に。怪しい動きはせず、ゆっくりした歩幅で歩け!」
そのうち一人が命じると、ニナは素直に従った。ギシギシと床板を鳴らしながら一歩一歩進み、工房奥のデスクの方に向かう。
今この瞬間も動き続ける複数の機械や、規則正しく並べられた工具の棚を通り過ぎる。そして次第に景色は、所狭しと機械が立ち並ぶ鋼の林から、本棚や戸棚が立ち並ぶ書斎めいた風景に様変わりした。
やがてデスクの前に辿り着くと、ニナはピタッと足を止めた。
「ここに、証拠になる記録が揃ってるよ。一番分かりやすいのが受注記録だから、それだけ取らせて。」
背中に押し当てられている銃はそのまま、後頭部に押し当てられていたものだけが離れる。
「ダメだ。我々が検める。お前はどれがその資料か、言葉で言うだけでいい。」
銃口は常にニナに向けたまま。兵士は机とニナを回り込むようにして移動する。ニナはそれを横目で観察し、兵士の動きに合わせて視線を流した。
「じゃあ、うん。その緑の・・・」
「これか!」
ニナの話を最後まで聞かず、兵士は奪い取るようにして緑色の表紙の冊子を取った。その勢いで、何枚かの書類が卓上からこぼれる。
「・・・じゃなくて、その下の分厚い方!デカデカと『依頼・受注』って書いてるでしょ?」
言い終えると同時に、ニナの背後兵士が背中に強烈な前蹴りを放つ。
「紛らわしい言い方をするなっ!」
小柄で軽いニナの身体はいとも簡単に吹き飛び、顔からデスクに強打した。それで再びデスクから書類がこぼれ、ニナの頭上にも何冊かの冊子が振り注いだ。
兵士はパラパラと冊子を捲っていく。しかし捲れば捲るほど、読み込めば読み込むほど、兵士の顔は引き攣っていく。無理もない事だ。簡単に不備を見つけられると思っていた兵士は、あまりにも綿密に積み重ねられたエビデンスの絶壁に突き当たったのだから。
依頼主の名前、住所、生年月日、個人ナンバー、持ち込まれた機械の登録番号にシリアルコード、有効ライセンスナンバーに、その有効期限まで。それがページの端から端まで。隙間なく、びっしりと。捲れど捲れど、それは変わらず。
———これでは本当に、非合法なものは何も扱ってない事になってしまう。
そんな焦燥と恐怖に歪んだ兵士の顔を、頬を吊り上げた少女のしたり顔が見上げていた。
「足りないなら、もっとあるよ。引き出しの中には決済証明、そっちに落ちたのはうちで扱ってる機材の有効ライセンスをまとめたもの。嘘書いてない事だって、今すぐ証め・・・ッ!」
「もういい、黙っていろ!」
兵士の太い腕が、ニナの細い首筋に巻きついて締め上げる。それで座り込んでいた少女は無理矢理立たされ、再び銃口を背中に突きつけられた。
「・・・めぼしい資料は掻き集めておけ。俺はコイツを向こうに連れて行く。」
「おう。」
短いやり取りをすると、兵士は再びニナに命じて、今度はエーミールたちが並んでいる壁の方へ歩かせる。その間に、もう一人の兵士は両手で持てる限りの資料を掻き集めていた。
やがてニナは家族の列に戻り、壁に両手を当てる。横目で家族の方を見ると、怒りに顔を歪ませる兄エーミール、耐え忍ぶ父フベルト、そして無力に啜り泣く母マアンナの姿が見えた。その間に、兵士たちは暫く資料を読み込んでいたようで、何か大きな動きを見せる気配がない。
ある者は備品と資料の齟齬を調べ、ある者は記述の矛盾を調べ、またある者は小手先の偽装を疑った。しかし、その全てが無意味だった。調べれば調べるほど記述は正しく、本当に少女が言う通り、非合法な営業の証拠は存在しないと認めざるを得なかった。
しかし遂に、中年の兵士が嬉しそうな声を上げた。
「ん?おっ、これだ!ここに空白があるぞ!何かを隠蔽してる証拠に違いない!」
それは、ありえない事だった。そうならないようにニナは寝る間も惜しんで事務作業に没頭したし、エーミールが資料を見た時も必要情報が欠けていた場所など一つもなかった。
存在しないはずのものを指して、鬼の首を取ったようにはしゃいで見せる兵士に、遂にエーミールの怒りが限界を迎えた。
「そんなはずはないっ!」
中年の兵士の上着を掴み、大声で詰め寄るエーミール。工房内でバラバラに散らばった兵士たちは慌てて駆け寄ったり銃を向けたりするが、こうも上官に密着されては迂闊な事は出来ないようだ。
この状況を利用して、エーミールは中年の兵士が開いているページに視線を移す。いったいどんな『空白』とやらを見つけたのか。
———酷い話だ。それは、不備でも何でもない『揚げ足取り』だった。
この戦後の時代、戦時中に幼くして両親を失ったまま、誰の子かも分からないまま大人になってしまった人は少なくない。そう言う人々は、多くの場合『自分の苗字』、いわゆるファミリーネームを持っていない。あるいは持っていても、それが正しいと証明する術がない。そんな人々でも役所で手続きが出来るように、苗字は省略しても構わないという『改正戸籍法』が何年も前に施行されている事は周知の事実だ。
その『苗字の空白』を、事もあろうに、この男は『隠蔽の証拠』だと主張している。
「横暴だ!苗字がないだけで・・・!こんなものが証拠だなんて・・・ッ!」
中年の兵士は特に動じる様子もなく、ホルスターから静かに銃を抜く。
———パンッ
乾いた銃声。容赦なく青年を黙らせる。
膝を撃ち抜かれたエーミールは、静かにうめき声を噛み殺しながら膝を折った。
たった一発の鉛玉だと言うのに、撃ち抜かれた方の足にも、撃ち抜かれなかった方の足にも、全く力が入らないのを痛感する。撃たれるというのは、これほどの事かと。
感慨もなく、中年の兵士は跪いたエーミールの胸を蹴飛ばした。すると、何度か後頭部を床に叩きつけながら倒れ伏した青年が、幾人かの兵士たちの足元に転がった。
「そのゴミを黙らせておけ。」
号令を聞いた兵士たちはエーミールの頭に革袋を被せ、素早く紐を引いて首の位置で縛る。そして青年を何度も踏みつけながら手近な工具を手に取ると、暴れて動き回る革袋目掛けて思い思いの工具を振り下ろした。
「やめてくれっ・・・やめっ・・・!」
弱々しく訴えるフベルトだが、羽交い締めにされて上手く言葉を発音する事さえ出来ない。マアンナは壁に張り付いたまま、泣きながら神への祈りの言葉を紡いでいた。
銃声が響いた時、ニナは本能的に駆け出した。目指す先はたった一点、あの憎たらしい中年の兵士だ。武器になるものなんて何も持っていないが、一発殴らなければ気がすまない。
そんなニナにいくつもの銃口が向く。しかし発砲に踏み切る者はいなかった。いざ子供にサイトを合わせて見ると、不思議と誰もが、他の誰かが先に撃つだろうと考えてしまったのだ。
「クソッ!このガキ・・・!」
ある兵士が銃を放り投げ、ニナを追うように駆け出した。歩幅の差は歴然で、鍛え抜かれた大男が小柄な少女に追いつくのは造作も無かった。
兵士は少女の背中にのしかかり、倒れ込むニナの両腕を取る。受け身を取れないままニナは顔から床に突っ込み、少しも動けないように関節を固められてしまった。
———何度目かの金属音。何度目かの、硬いものが砕ける音。
それが何を意味するのか、ニナは否が応にも分かってしまった。動けないなら動けないなりに、関節の痛みさえ無視してニナは暴れる。声を上げる。
「兄ちゃん!兄ちゃん!兄ちゃん!兄ちゃ・・・」
しかし、それも終わり。別の兵士が腰からベルトを引き抜き、猿ぐつわのように噛ませてきつく縛る。ニナを黙らせるためだ。
その頃になると、あれだけ暴れていたエーミールも動かなくなっていた。だらりと横たわった身体はマネキンのようで、息遣いさえも見て取れない。
「よーし、そこまで。」
号令を聞くと、兵士たちはそのままの姿勢で動きを止める。
満足気に片手を上げて『止め』の合図を出す中年の兵士だが、他の兵士たちの背後からこちらを睨めつける、抜き身の刃のような視線を感じ取る。事もあろうに、それは取り押さえられた少女のものだった。今にも喉笛を噛み切らんとするような、怒り狂った猛獣の形相だ。
中年の兵士は本能的に背を向け、ニナの姿が目に入らないようにしてから先を続けた。
「えー、我々は親レジスタンス派の工房で隠蔽工作の証拠を突き止めた。そこで逆上した戦争主義者の激しい抵抗に遭い、やむなく!あくまでも、やむなく!これを鎮圧する運びとなった・・・まあ、調書の概要はこんなところでいいだろう。」
チラチラと周りの兵士たちと目を合わせる中年の兵士。そんな上官の言葉に、部下たちは同調して見せた。
———その間もずっと、中年の兵士はニナの視線を背後に感じていた。飢えた獣の、殺意に満ちた視線・・・殺意に満ちた息遣いだ。
中年の兵士は、努めてそれに気づかないフリを貫き通す。
「この後、どうしますか?」
若い兵士が質問し、中年の兵士はペンで指しながら周囲を見回した。
「ガキは連れて行く。女は何かと使えるからな。くれぐれも『顔』にはあまりキズをつけてくれるなよ?価値が下がるからな。」
最後までニナの方は見ずに指示を出すと次は倒れ伏したエーミールにペンを向ける。
「アレも死んでいるわけではあるまい。若い男も連れて行け。」
指示を出し終えると、兵士たちは簡易的な敬礼をしてからエーミールの足首を片方ずつ掴んで持ち上げる。そして、砂袋でも引きずるようにして工房の外に向かった。
ニナはその間にも目一杯暴れようとしたが、大男に羽交い締めにされ、口に噛まされたベルトを馬の轡のように引かれてはどうしようもない。暴れながらも一歩、また一歩と工房の外に近づいていく。
「うむ。あとの処理は清掃班に任せておけばいい。我々は撤収だ。」
その合図を受けて、銃声が鳴った。
パンッ———と、後頭部に一発ずつ。
パンッ———と、倒れた二人の背中に、もう一発ずつ。
フベルトとマアンナは、それで事切れた。
丸い傷口から染み出した赤黒いものが、ジワリジワリと衣服を蝕んで赤色に染め上げる。二人が横たわる床にも赤色の輪が広がっていき、やがて二つの輪が繋がって一つの血溜まりを成す。それは二人が、手でも繋ぐように。
———瞬間、ニナは激しく暴れ出す。
ベルトを噛み切らんばかりに歯を食いしばり、内容を聞き取り得ない罵詈雑言を吐き散らしながら激しく身体を揺さぶった。
その目に浮かんでいたのは涙ではなく、まばたきも忘れて浮き上がったいくつもの毛細血管だった。獣の形相で暴れる少女の力は、その小さな身体のどこにそれほどの力を隠していたのかと目を見張るほど。
そして遂に、兵士が捕らえている腕の片方が抜けそうになる———
「このガキッ!」
ニナの抵抗を留めたのは、身体が浮き上がるほど強烈な腹への拳打だった。顔はやめろと言われたので、兵士は渾身のボディーアッパーを少女に叩き込んだのだ。
瞳孔が開くほどの衝撃。喉をせり上がる腹の中のもの。少女は天地がひっくり返るほどの激痛と、身体の電源が落ちたかのような無条件の脱力を経験する。
———しかし、睨む。ぐったりした身体で、目の焦点も合わないのに、それでもニナは兵士を睨みつけていた。
「———気持ち悪いんだよっ!」
次は、蹴り。拳打の時と同じように力を込めたので、脚の方が腕より力が強い分、こちらの方が強烈な威力で少女の小さな身体を突き上げた。
ニナの意識は、そこで途切れた。少女はコンテナの中に放り込まれ、兄とは別方向に連れて行かれた。エーミールもまた、車両でどこかへ連れて行かれる。
明け方、ゲッペルの家と機械工房は大火事に見舞われて焼失した。家族は誰一人助からず。『火の元に用心せよ』と、新聞の一角にて消防が呼びかけたという。
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女王暦八十五年から九十五年という時代、このような事件は決して珍しいものではなかった。
———『キャメロット計画』と名付けられた、極秘計画がある。
この世の権力を地獄の釜に例えるなら、それは釜の底の更に下、釜を焦がす業火をも見上げるほどの深淵に位置するところに、奴らは人知れず君臨している。
『アルビオン大陸の全てを恒久的に支配する』———などという、荒唐無稽。しかし、それこそが彼らの目的だ。
それが出来るだけの資本、
それが出来るだけの武力、
そして、それを求めるだけの歴史がそこにある。
僅かながらでもレジスタンスの疑いがある者やレジスタンスに協力する『親レジスタンス派』の疑いがある者を、同盟軍を使って徹底的に弾圧する。たとえ疑いがなくても、でっち上げてでも。
———そうすれば、必ず『レジスタンス』は行動を起こす。
元より寄せ集めの有象無象に、生まれたての真新しい組織に、指令系統などあってないが如しだ。
国中のレジスタンスたちは、こういった『ゲッペル家』のような事件を目ざとく嗅ぎつけ、義憤に駆られて報復行為に及ぶ。そうやって反乱分子をあぶり出し、それを同盟軍が圧倒的な武力で叩き潰し、愚か者として晒し上げるのが第一段階。
レジスタンスを挑発し、あえてテロ行為に踏み切らせる事で、同盟軍はこの『平和な時代』に効率よく戦闘行為が出来るようになる。それは戦闘経験を積む事、そして戦闘データを集積する事を意味していた。この、敵さえ利用したデータ収集が第二段階。
その全ては、第三段階を達成する為だ。旧三国の残党という過去の遺物も、レジスタンスという新たな脅威も、例外なく全て踏みつぶす最強の騎士団———『センチネル』を完成させる瞬間を迎える為の、銃声と悲鳴で奏でる壮大な序曲が執拗なまでのレジスタンス弾圧だった。
この弾圧行為は極めて大規模に、国中の至る所で行われた。多くの人員を必要とした為、正規軍は土着のマフィアとも結託し、徹底的に、執拗に、そして極めて残忍な手口で『レジスタンス』と決めた者を弾圧し続けた。作戦中には『討伐手当』というボーナスが発生していたので、連行する理由がない者は皆殺しにされるのが当たり前だった。
そんな同盟国の『レジスタンスとの戦い』は、女王暦九十五年の『センチネルシリーズ』ロールアウトの日以降も続いている・・・
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ニナをコンテナに詰めた車両が、粗い舗装の道路をガタガタと揺れながら疾走している。その運転席には若い兵士と、彼の上官である中年の兵士が座っていた。
「そう言えば君は、治安維持の実務に当たるのははじめてだったね。」
中年の兵士が切り出した。
「ここには君と私しかいない。何を聞いてもここだけの話だ。だからってわけではないが、若い世代の率直な意見と言うのを是非聞いてみたいね。」
嘘だ。
———会話は全て録音されている。
「そうですね・・・」
若い兵士はハンドルを切りながら、つい十数分前の出来事を思い返した。
「ショッキング、ではありました。どこにでも居るような家族でしたから、驚きもあったと思います。しかし、そう言う場所にこそ悪魔は潜むのだと勉強させていただきました。」
「正直だな。分かっていると思うが、二度とそんな感想を口にするなよ?『ショッキング』などと・・・君も奴らに理解を示す、親レジスタンス派に疑われてしまうからね。」
「は!すみません。撤回し、お詫びいたします・・・」
怯えているのか、前だけを見て運転に集中しようとする若い兵士。中年の兵士はそれを見ると、満足気に窓枠に頬杖をついた。
「構わんよ、ここだけの話だと言っただろう。」
そしておもむろに人差し指を上げると、講義でもするかのような口調で続けた。
「こう考えると良い。奴らがレジスタンスだったなら、君はテロを未然に防いだヒーローだ。素晴らしい事じゃないか。」
得意げに言う中年の兵士に、若い部下は「はい。」とだけ答える。
「もしレジスタンスでなくとも、その協力者だったなら、やはり君は間接的にレジスタンスのテロ行為を防いだ事になる。」
「はい。」
「そして、もしレジスタンスでも親レジスタンス派でも無かったとしたら・・・」
若い兵士は固唾を飲んで先の言葉を待っていた。ここまでの話はどこか他人事のようだったか、ここから先は『今回の件』に直接関係ある気がしたからだ。
「・・・君はやはりヒーローだ。レジスタンスの戦争主義者どもがあの施設を利用すれば、またどこかでテロが起きたかも知れない。奴らは戦争が大好きだからな。それを未然に防ぐ事が、正義でないはずがない!違うかね?」
言い終えて、上官は若い兵士の方を見る。
「確かに、そう考えると妥当ですね。」
煮え切らない答え。中年の兵士は、もう一押し必要と見る。
「これはな、もはや人と人との戦いではないのだよ。我々兵士が戦って打倒しなければならない相手が人間だった時代は、三国大戦と共に終わったのだ。
・・・これは、人が戦争を倒す為の戦いなんだよ。」
「ハディー・マク=アベル晩年の最後の著書『人が戦争を倒した日』の引用ですね。」
「ほう、お前はマク=アベルを嗜むのか。」
「学生時代に少々。」
「良い心がけだな。私は、あれほど戦争を憎んで平和の為に尽くした人物を他に知らない。だからこそ、戦争の時代を復活させたいレジスタンスは根絶させなければならないのだよ。『悪魔見たらば・・・』と言うやつさ。」
博識な部下の存在に喜ぶ中年の兵士。そんな部下の知恵袋を試して見ようと、もう一件の引用でカマを掛けてみる。
「『悪魔見たらば、聖水を打て。退かぬと言うなら百の鞭打ち、千の鉄槌を。それでも足りぬと言うのなら、地獄の業火こそ相応しい。』新代聖言第十三章二節の三十三番、救世主ヨズアの帰還ですね。」
「ほほう!信心深いようで何よりだよ。」
「うちは代々グロリア正統派ですから。」
グロリア聖教とは、同盟国が正式な国教として定める普遍的宗教の事である。元はイグラの国教だったものが長い歴史の中でアイラやスコラにも広まり、広まった先で土着の信仰と交わり、本来のグロリアの教えとは違ういくつもの教派に分かれたという経緯がある。同盟国成立にあたって、その全ての教派を正しいと認める代わりに、出身地のグロリア教会に入信して洗礼を受ける事が全ての国民に義務付けられている。
「頼もしいな。グロリア聖教も最近はよく分からん教派が増えてけしからんと思っていた。君のような正しい若者がもっと増えてくれればな・・・」
そうして文学談義に花を咲かせながら、車両は舗装の粗い道路を抜け、更に路面の凹凸が激しい山道に突入するのだった。
つづく




