30.赤い鳥
鏡の通信を切り、ネリーはつい先日旅立った詩人を思った。
「セレスがまだいてくれたら、話を聞けたのに」
彼女は、誰も知らないような伝承や物語を知っていた。世界各地を旅するなかで、少数民族に伝わる話や、一つの家に代々伝わる話などを聞いてきたという。
もしかしたら、その中に知りたい情報があるのではないかと思った。しかし、彼女は今遠い旅の空の下。引き留めるにももう遅い。
「手が届かなくても、声は届くかしら」
たった今魔力を切った鏡に、再び魔力を込める。
映っていたネリーの顔が霧に巻かれたように消えていき、代わりにぼんやりとした像を結び始める。シルフィの時よりも時間がかかったが、鏡はやがてはっきりとした景色を写し出した。
広々とした海原を進む船上の船縁に、その人はいた。身体にマントを巻き付け、背には歪な形の袋を背負っている。
「セレス」
ネリーの呼び掛けに、彼女は空を仰いだ。
「妖精?」
「いいえ、私よ、ネリーよ。サフィの魔法道具の鏡で話しているの」
「なんと、素晴らしい性能ですね。ここまで魔力が届くとは」
「近くに穏やかな水面か鏡があれば、私の顔が映るわ。顔を見ながら話ができるのよ」
「それはすごい」
セレスは懐から小さな手鏡を取り出し目の前に掲げた。ネリーの顔が映し出される。
「セレスに尋ねたいことがあるの」
「なんでしょう?」
「精霊樹の寿命についてよ」
「それはまた、壮大な」
ネリーは、セレスが旅立ってからの出来事を手短に説明した。
「エルミアには、会ったことがありますよ。マヨラナ国へ行く船の上でした。魔法の力に憧れていましたが、妖精や精霊と出会って、魔法が使えるようになったみたいですね。まさか、守り人になるとは思いませんでしたが。エルミアが、樹は病に侵されていたと言っていたのですね。そして、それを治癒したと。――確かに、その事実は看過できませんね。もし、エルミアが治さなければ、そのまま病が広がっていたかもしれないのですから。私は、樹の寿命や病に関することは残念ながら知りません。ですが、それを知っていそうな少数民族を知っています。ケムリ国へ行ったときに、ついでに寄って話を聞いてみましょう」
実は『ついで』で簡単に行ける場所ではないのだが、ネリーはそれを知らず、セレスもあえて言わなかった。
通信を切った後、希望が湧いてきたネリーは図書室に向かった。
「精霊樹の病気と寿命についてじゃと? はてさて、そのようなことが書かれている書物はあったかのう。かつて、世界中に生えていた精霊樹が、なぜ枯れたのかさえ、分かっておらぬのじゃ。もし、そのことが分かるような記述があれば、わしが忘れるはずはないのじゃがなあ。いや、しかしまだ全てを読み尽くしたわけでもない。どこかに、あるやもしれんな。この古文書とて、まだほとんど解読できておらんのじゃ」
ブルーレースは、机の上に置かれている古文書を指差す。今は閉じられて、色褪せかけた表紙には短い文章が書かれている。
「この文字は、湖月さまの守り紐に刺繍されていたものですね」
「そうじゃ、よく似ている。しかし、意味を知り、文章としての繋がりが分からなければ、書かれている内容を理解することは難しい」
ブルーレースは机に立て掛けられていた杖を手に取ると、あちらこちらの棚に向けて振った。書物は宙を飛んで来て、机の上に積み重なった。
「思い付く限り、関連のありそうな書物を集めたが、載っているかはわからぬよ」
ネリーは、にっこりと笑った。
「助かります、ブルーレースさん。見つからない前提でしたから、むしろ、こんなに載っていそうな書物があって驚きました」
早速いつもの席で読もうと書物を手に取りかけた時。
「そうじゃ、精霊樹といえば、わしは昔、幼い頃にこんな伝承を聞いたことがあるぞ。わしは最近のことはとんと忘れっぽくなって、一昨日会った人の顔も、昨夜に何を食べたかも憶えていないが、昔のことばかりを鮮明に憶えているものでな。詩の中の一節じゃった。《――ソラースの英雄眠りし地に、歳降りた精霊樹は守り人を使わして新しい苗を植えた。それは大地に根を張り、瘴気を吸うごとに背は伸びて、地上に魔素の恵みをもたらした――》まあ、それだけなんじゃが。なにか、参考になればよいが」
「歳降りた精霊樹……やはり、精霊樹も歳を取るのですね」
「そうじゃなあ。普通の木と同じように、しかしそれよりも遥かに長い」
「では、やがて枯れることもあるのですね」
「無いとは言い切れまい」
その言葉に、どきりとした。
もし、その時が今の時代だったとしたら。
シルフィは、それを危惧しているのかもしれない。
◇◇◇◇◇◇
フィーディの父は研究が急に進みだしたのを喜ぶよりも先に訝しんだ。『こんなに上手くいくはずがない』という思いと『これで悲願を達成出来る』という思いがせめぎ合う。
何代にも渡り研究者たちが生涯をかけて続けてきた開発が、この時代についに完成する? その進展は、光明か、はたまた、何度も繰り返してきた失敗の一つと成り果てるのか。
あまりに急過ぎて、信じきれずにいた。
気になることはもう一つある。近頃、同僚の研究員の雰囲気が変わったように感じる。時折見せる仕草や表情が別人のように思えるのだ。人の顔より研究対象の方を重要視するあまり、奥さんや子供とはすれ違いが多かったので、他人への観察眼は自分のことながら信用ならないが、それでもやはり、違和感があるのだ。
研究が進み始めた頃からだ。何かが、おかしい。そう思いながら、やはり研究が進めば楽しいので、そちらに意識が持って行かれて、その小さな違和感は頭の隅に追いやられた。
◇◇◇◇◇◇
夕方、部屋に戻ると鏡を取り出す。
聞いたことや調べたこと、会議などの様子も伝えた。
「シルフィは、気になっていることが樹の寿命以外にもあるのでしょう? それを、教えて」
「どうして、わかったの?」
「なんとなくよ」
「……確かにあるけれど、これ以上ネリーの手を煩わせるわけには」
「私は、この国の未来の王よ。国と人々のことを考えるのに、これ以上正当な理由はないわ」
「そうだね、君には言っておいた方が良いかもしれない」
今日はシルフィの方も、外国から来た患者の話を聞いたり、町へ出てみたりして色々と調べていたらしい。
「トケイ国とケムリ国では、最近とみに魔物が増えているそうだ。もしかしたら、その二国には精霊樹に守り人がいないのかもしれないんだ。樹の力が弱まって、魔界の扉が開きかけているのだとしたら、あまり猶予がない。もし、扉が完全に開いてしまったら、この国も無事ではすまないだろう」
「それは、困ったわね。私が行って守り人になるわけにはいかないし、そもそも、精霊樹に辿り着ける人はめったにいないのでしょう?」
「トケイ国の樹はどこかの湖の中に生えている。ケムリ国の樹はどこにあるのか全く知らない。どちらも、辿り着いた人の話を聞いたことがない」
「……魔物は、人に憧れて、地上に出ようとしているのよね?」
「魔王は、そう言っていた」
「人と魔物が、共存できないものかしら」
「え?」
「あ、あの。突飛に聞こえるかもしれないけれど、もし、そういう方法があれば、上手く収まるんじゃないかと思って……でも、無理よね。あれば、もうとっくにやっているはずだもの。今の話は忘れてちょうだい」
「共存……」
湖月の脳裏には、流れ星のように現れては消えていく魔人と人間が、少しずつ造り上げた町のことが思い浮かんだ。
「難しそうだね。どちらにとっても、負担になるだろうから」
「そうよね」
「魔物が扉を開くのを、なんとしても、阻止しないといけない。でもきっと、こういうことは王様たちも考えていて、何とかしようと行動しているのに違いないんだ」
「私たちで出来ることはないのかしら」
「きっとある。ネリーにしかできないこと、私にしかできないこと。……でも、まだ思い付かない。会議では、蓄魔力装置の開発を急ぐことになったらしいけれど、その装置は完成したら魔力を溜められるの?」
「そうよ。私も詳しくは知らないけれど、サフィがそう言っていたわ。魔力を少しずつ溜めていって、必要なときに沢山取り出すことができるの。これがあれば、治癒魔法の途中で魔力切れになったりすることもなくなるし、今よりも沢山の人を治療できるようになるわ。今は外国からの患者さんが増えていて、このままでは神殿では受け入れ切れなくなると会議でも議題の一つになっていたわ」
「なるほど。魔力の回復に役立つんだね。でも、その機械は、戦争にも使われる可能性があるんだろう?」
「どうしてそれを」
シルフィは、ふいと顔を横に向ける。
「その……以前、ネリーに抱えられて隠し部屋に入った時に聞いてしまったんだ」
「あ」
ネリーは、すっかり忘れていた。そういえば、ただの猫だと思って抱えたままサフィの作りかけの装置のところまで行ったのだった。
「わざとじゃないんだ。決して、秘密を探ろうなんて考えていたわけじゃ」
「ええ、わかっているわ。私が勝手に連れていっただけだもの。大人しいのをいいことに、もっと抱いていたいからといって」
「え?」
「あ、いや。なんでもないわ」
ネリーは顔が赤くなるのが自分でわかった。咄嗟に鏡を伏せる。
「ネリー、水面が暗くなったけれど」
「ちょっと、魔法道具の不具合みたいね。そのうち戻るから大丈夫よ。それで、なんの話だったかしら? 蓄魔力装置の用途について?」
通信水面が暗いまま、シルフィは話す。
「うん。今は、魔法三国はどの国もその装置の開発を急いでいると思う。その力を、対魔人用に使おうとしているんだ。魔力の格段に高い魔人に対抗するには、それが一番の近道だろう。しかし、もしそれが、それこそが魔人の思惑だったらどうだろう?」
ネリーは、目を見開いた。
「魔人が、蓄魔法装置を完成させようとしている?」
「ただの想像でしかないから間違っているかもしれない。でも、私にはそうとしか考えられないんだ」
水面が明るくなり、ネリーの顔が映る。シルフィは、考えを全て話した。
「魔人はわざと目立つように暴れて、力を見せつけ、人に危機感を抱かせる。人は、魔物に対抗するためにより強力な武器を作ろうとする――。完成した装置がどのように作用するのかわからないけれど、もし、この考えが当たっていたら、良い結果にはならないだろう」
「大変。私、この事をお父様に知らせるわ」
ネリーは鏡を持ったまま部屋を走り出た。
「ネリーさま、廊下を走ってはいけませんよ!」
誰かに注意されたので、走るのは止めて早足になった。しかし、速さは走っていた時とそう変わらない。
後ろから着いていくへリアは見た。
ネリーが突然小鳥の姿になり、窓の外に飛んでいくのを。
カラン……と落ちた鏡を、柱の影から手が伸びて、誰かが拾い上げるのを。
微かな瘴気を感じて剣を投げつけるが、そこにはすでに誰もおらず、柱に突き刺さった剣だけがあった。
◇◇◇◇◇◇
「詮索は身を滅ぼしますよ、姫君。そして、トケイ国の王子」
魔人は、鏡を川に沈めた。




