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勇者のセーブデータが私の日記帳に上書きされるんですが  作者: 四宮 あおい


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第七章 令嬢の怒り

 シーラが王都に帰還してから十日後。今度は馬車ではなく、騎馬の一隊が街道の向こうに砂煙を上げた。


 先頭を走るのは、金髪をオールバックに撫でつけた男だった。隙のない軍服。翡翠色の目。口元に浮かぶ慇懃な微笑。軍旗を掲げた護衛騎兵が四騎、後方に続いている。


 王国騎士団第三師団長、アンドレイ・エスターライヒ。ルディの直属上司だった。



 ティナは薬草畑から騎馬隊を見つけ、胸騒ぎを覚えた。シーラの報告が王都に届いたのだろう。封印の話、日記帳の話、そしてルディのセーブポイントの話。それが軍の上層部に伝わったということは、何らかの「対応」が動き出したということだ。


 ティナは泥のついた手を井戸水で洗い、エプロンを外し、領主館の玄関でアンドレイを迎えた。


 予感は的中した。


 アンドレイは応接間に通されるなり、テーブルの上に一冊の書類を広げた。「凍牙の迷宮封印修復作戦計画書」と表紙に記されている。赤い封蝋で封がされた、軍の正式文書だ。表紙の端に騎士団長の署名がある。上層部の承認済み。つまり、これは提案ではなく通達に近い。


「ロッシュ嬢。突然の来訪をお許しください。私は騎士団第三師団の――」


「エスターライヒ師団長ですね。ルディさんの上司の方」


 アンドレイは微笑を浮かべたまま、わずかに眉を動かした。自分の名前が知られていることへの驚き――というよりも、相手がこちらの出方を把握していることへの感心に近い反応だった。


「ええ、よくご存じで。お噂はかねがね」


「セーブデータで読みました。『師団長アンドレイが今日も無茶振り。穏やかな声で非人道的なスケジュールを告げてくる。ラスボスより怖い』と書いてありました」


 アンドレイの微笑がほんの一瞬だけ引きつったが、すぐに元に戻った。


「……なるほど。ルディ君は私をそう評価しているのですね。参考になります」


 この人は常に表情をコントロールしている、とティナは思った。仮面だ。ルディが「勇者」の仮面をかぶるように、この人は「冷徹な指揮官」の仮面をかぶっている。ただし、ルディの仮面がセーブデータで剥がれるのに対し、この人の仮面は今のところ微動だにしない。


 アンドレイは作戦計画書を開き、ティナの前に置いた。


「本題に入ります。シーラ・ドルレアン殿の報告により、凍牙の迷宮の封印劣化と、封印修復に記録親和の魔力が必要であることは確認されました。そして現時点でその条件を満たす唯一の人間が――あなたです、ロッシュ嬢」


「承知しています」


「王国としては速やかに封印修復作戦を実行したい。そこで作戦計画を策定しました。ご確認いただけますか」


 ティナは計画書を受け取り、最初のページから読み始めた。


 読み進めるうちに、指先が冷たくなっていくのを感じた。


 計画は緻密だった。迷宮の各層における戦力配置、補給線の確保、撤退ルートの設定。シーラが提供した魔力分析データも組み込まれている。層ごとの予想所要時間、必要物資の数量、緊急時の対応手順。軍のプロフェッショナルが本気で立案した、隙のない作戦計画。ティナは帳簿を毎日読む人間として、この計画書の完成度の高さを認めざるを得なかった。


 しかし――一箇所だけ、ティナの目が釘付けになった。


 第四章「戦力運用計画」の中段。表形式の数値一覧の中に、他の数字と同じフォントサイズで、さりげなく記載された一行。



「勇者の推定消耗回数(ロスト数):47回」



 47回。


 補給物資の数量や行軍日数と並列された、ただの数字として。ポーションの本数と同じ列に、人間が死ぬ回数が記されている。


 ティナはゆっくりと計画書を閉じた。


 閉じる動作が、いつもの帳簿を閉じるときよりもずっと静かだったことに、アンドレイは気づいたはずだ。静かさは怒りの前兆だ。ティナは帳簿の数字が合わないとき――つまり、誰かが嘘をついているとき――いつもこういう静けさをまとう。


「エスターライヒ師団長」


「はい」


「ここに記載されている『推定消耗回数47回』というのは――ルディさんが47回死ぬ前提の計画、ということですか」


 アンドレイは表情を変えなかった。


「定点回帰の発動回数の推定値です。ダンジョン攻略において、未知の脅威への対応にはロスト――つまり、HPゼロからの復帰――が不可避であることは、これまでの攻略データが示しています。第20層までのロスト回数が38回。残り30層の未知領域を加味した上で、層の深度に応じた危険度の増加係数を適用すると、47回が妥当な推定値になります」


 声に感情がなかった。数字を読み上げるように、淡々と。方程式の解を述べるように。


 ティナは手元の帳簿を閉じた。比喩ではない。応接間にも仕事を持ち込んでいたのだ。帳簿の代わりに、自分の手を膝の上で組んだ。ペンを持たない指が所在なく重なる。


「エスターライヒ師団長。47回とおっしゃいましたね」


「はい」


「あの人が47回殺される計画を、あなたは淡々とお立てになった」


 アンドレイの微笑が、初めてかすかに揺れた。揺れは一瞬で、すぐに元に戻った。しかしティナは見逃さなかった。記録親和の目は、一度捉えた変化を忘れない。


「ロッシュ嬢。勇者の定点回帰は――」


「存じています」


 ティナの声は震えていなかった。震えないように全力で抑えていた。声が震えたら、言いたいことの半分も伝わらない。帳簿の計算を間違えたときと同じだ。感情で数字を歪めてはならない。だから――冷静に、正確に、言葉を選ぶ。


「HPが0になれば戻れることも知っています。体が全回復することも。でも――あの人のセーブデータを、私は毎晩読んでいます」


 ティナは日記帳を手に取った。ページを開く。ルディのセーブデータが並ぶページ。戦闘ログの合間に、ぽつぽつと漏れる本音の断片。


「『3回死んだ。2回目が一番痛かった。槍が腹を貫通する感触がまだ残ってる。ステータス上はHP全快なのに、腹を押さえる癖が治らない』」


 ティナはルディの言葉を、一字一句正確に読み上げた。記録親和の力が、一度読んだ文章を完璧に再現する。ティナの声を通して発される言葉は、ルディの声ではない。しかし、ルディの痛みそのものだった。


「『今日は5回。もう数えたくない。でも数えないと次の対策が立てられないから数える。5回。5回死んだ。つらい。つらいけど、つらいって書いても誰も読まないから、まあいいか』」


 アンドレイの翡翠色の目が、わずかに見開かれた。


「『死ぬのに慣れるわけないだろ。体は治っても、死んだ瞬間の記憶は消えない。痛みも恐怖も全部残る。でも誰にも言えない。勇者なんだから当たり前だろって顔されるから。師団長も、兵士たちも、みんなそういう目で俺を見る。消耗品を見る目だ』」


 ティナは日記帳を閉じた。


「――エスターライヒ師団長。あの人は数字じゃありません。47回でも、38回でも、1回でも。死ぬたびに痛みと恐怖を記憶して、それでも立ち上がっている人間です。あなたの計画書に書かれた47という数字の一つ一つに、あの人の痛みがあります」


 応接間が静まり返った。壁時計の振り子の音だけが、規則正しく時を刻んでいる。


 アンドレイは長い沈黙のあと、初めて微笑を消した。仮面が外れた。その下にあったのは、ティナが想像していたよりもずっと疲弊した顔だった。目の下に薄い隈。口元の皺。この人もまた、眠れない夜を重ねている。


「……では聞くが、ロッシュ嬢。彼が一度も死なずに済む方法を、君は持っているのか」


 ティナは口を開き――閉じた。答えられなかった。


 ルディの死に戻り能力なしで第50層まで到達する方法。そんなものは今の時点ではない。20層までで38回死んだ。残り30層の未知領域。47回という推定は、確かに「妥当」なのだ。ティナ自身が日記帳を通じて攻略データを分析してきたからこそ、それがいかに困難かは誰よりもわかっていた。


 アンドレイは立ち上がった。窓辺に歩み寄り、辺境の鉛色の空を見上げた。


「私は冷酷な人間です。そう思っていただいて構わない。――しかし一つだけ弁明させてほしい」


 アンドレイの声が、初めて揺れた。慇懃無礼な仮面の下にある、生身の声だった。


「私はルディ君を消耗品だとは思っていない。思いたくない。しかし軍上層部は――この国の指導者たちは――『死んでも復活する勇者』を、文字通りの無限リソースとして扱っている。四十七回の消耗を計画書に書いたのは、上層部が望む『効率的な攻略』を形にしなければ、作戦そのものが承認されないからだ。この数字を書かなければ、作戦は実行されない。実行されなければ、封印は崩壊する。封印が崩壊すれば――もっと多くの人間が死ぬ」


「つまり――作戦を通すための数字であって、本意ではないと?」


「本意であるかどうかは、もはや問題ではない。計画書に書かれた数字は、そのまま実行される。――ロッシュ嬢、私は板挟みの中で最善を選んでいるつもりだった。しかし、最善がこれならば――」


 アンドレイは言葉を切った。


「この作戦は間違っている。私にはわかっている。だが、代替案がない」


 ティナはアンドレイの横顔を見つめた。この人の苦悩は本物だ。冷徹な指揮官の仮面の下で、この人もまた追い詰められている。上層部の要求と、現場の現実と、ルディの痛みの間で。


 ――この人を責めても、何も解決しない。責めるべきは、勇者を数字として扱う構造そのものだ。しかしそれは、今ここでは変えられない。


 今ここで変えられるのは――計画だ。


「エスターライヒ師団長。代替案がないとおっしゃいましたね」


「ああ」


「では、私が作ります」


 アンドレイが振り返った。


「代替案を。ルディさんが一度も死なずに最深部に到達する方法を、私が作ります。――少しだけ、時間をください」


 アンドレイはティナの琥珀色の目を見つめた。そこに浮かんでいるのは、感情的な反発ではなかった。帳簿の赤字に対処するときと同じ、冷静な決意。「問題がある。なら、解決する」――ロッシュ家の令嬢は、そういう目をする人間だった。


「……三日でいい。三日で代替案を提出します」


「三日か。……わかった。三日待とう」


 アンドレイは微笑を浮かべた。今度の微笑は、仮面ではなかった。


「期待している、ロッシュ嬢」



 その夜。ルディがダンジョンから戻ってきた。通常の帰還だった。書斎のテーブルで薬草茶を啜りながら、セーブデータに何か書いていた。


 ティナが書斎に入ると、ルディが顔を上げた。


「ティナ。師団長が来てたんだってな」


「ええ」


「で、47回プラン。護衛の兵が廊下で話してるの聞こえた。『勇者殿の推定ロスト数47回だそうだ』って」


 ティナは向かいの椅子に座り、日記帳を手に取った。ルディが今しがた書いたセーブデータが見えた。



「アンドレイの47回プラン、聞いた。まあ妥当な数字だと思う。20層のボスだけで8回死んでるし、そこから先は未知だから倍率かけたんだろ。合理的な計算だよ」



「合理的だと思いますか。本気で」


「そんなもんだよ。47回は多いけど、無理な数字じゃない。一層あたり平均1回以下――」


「ルディさん」


 ティナの声が静かに遮った。ルディは口を閉じた。


「……俺は最初から消耗品だ」


 ルディの声は淡々としていた。自嘲でも怒りでもなく、ただ事実を述べるように。


「この能力を持って転生した時点で、そういう役回りなんだよ。前世でも似たようなもんだった。便利だから使われる。断れないから押し付けられる。サークルの雑用も、飲み会の幹事も、就活の情報共有係も。『頼人ならやってくれるだろ』って。――こっちの世界でも同じだ。死んでも戻れるから使い潰していい。でもまあ、誰かがやらなきゃいけないしな」


 ティナは黙ってルディの手からペンを取り上げた。ルディが「おい」と声を上げる前に、日記帳を自分の手元に引き寄せ、大きな文字で一行だけ書いた。



「あなたは消耗品ではありません。――以上、添削完了です」



 ルディは目を見開き、日記帳の一行を声に出さずに読んだ。ティナの丁寧な筆跡。記録親和の魔力が込められた、消えない文字。


 ルディは俯いた。マフラーに顔を半分埋め、長い間何も言わなかった。


「……ずるいな、お前」


「何がずるいんですか」


「俺が一番聞きたかった言葉を、添削のふりして書くのがずるい」


「……添削です」


「嘘つけ」


「添削です。あなたの自己認識が間違っているから、正しい認識に修正しただけです」


「じゃあ正しい認識って何だよ」


「あなたは――大切な人です」


 ティナは言ってから、自分の口から出た言葉に固まった。合理的な添削の範疇を完全に逸脱している。帳簿で顔を隠したかったが、帳簿は別の部屋にある。仕方なく、自分の手で顔を覆った。


 ルディもマフラーに顔を埋めたまま動かない。書斎には沈黙と、二人の早い鼓動だけが満ちていた。


「……ティナ」


「はい」


「ありがとう」


「お礼は不要です。添削ですから」


「大切な人って言ったの、添削に含まれるのか?」


「含まれます。広義の添削です」


「広義って何だよ」


「うるさいですね。忘れてください」


「記録親和の持ち主に忘れてくれって言われても」


「自分で言ったことは記録対象外です」


 論理が完全に破綻していた。しかしティナは構わなかった。破綻していても、伝えたいことは伝えた。消えない文字で。




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