71.エピローグ
月日は流れて、秋となった。
クロエは新作のケーキにさっくりと銀のフォークを入れて、口の中にぱくりと入れる。
「んー、美味しい!甘酸っぱ~い」
今日は近隣の農家から仕入れた栗を使い、マロンのロールケーキを作っている。
朝食代わりにケーキを平らげ、仕事の準備だ。
ロールケーキに飾付用の葉っぱクッキーを添え、ぎっしり籠に詰める。
クロエはカルルに乗り込んだ。
アルベールに習った通りに、カルルを操作する。
「えーっと、手綱を引いて、あぶみで両側から腹を押す……」
ドラゴンの敏感な腹がクロエの指示をキャッチし、ふわりと空へ舞い上がった。
「わわわっ。毎回緊張するー!」
まだ竜に乗り始めたばかりなので、毎回焦りながら乗りこなしている。
右に体を傾けると、くるんと右回りに旋回した。
「王都は……っと」
空へ舞い上がると、王都の王宮と聖母教会が良く見える。
「……あっちか」
クロエはそのまま、ある場所を目指した。
王都の外れにある竜の停留所にカルルを繋いでおく。
そこから町なかへ歩いて行くと、目指す場所が見えて来る。
洋菓子店ラベイユ。
裏手のドアを叩くと、相変わらずなぜかイライラしているライナーが飛び出て来た。
「遅いっ」
「ごめんなさい、まだ竜に乗り慣れてなくて」
「今日のケーキはいくつある?」
「新作のロールケーキが5本。それに添える葉っぱクッキーは30個。これを6等分に切り分けたら、生クリームを接着剤代わりにして頂上に乗せて提供してちょうだい」
「分かった。他には?」
「ガレットが20個。蜂蜜のパウンドケーキが4本ぶん」
「ま、今日は平日だし、どうにかなるか……」
ライナーは全ての菓子を引き取った。
「明日は休日だから、焼き菓子を2倍作れ」
「あなたとそういう契約はしていないから作らないわ。パウンドケーキだけなら増やせるって最初に話し合ったじゃない」
「ちっ」
「……別に、山奥カフェとラベイユとの契約を切ってもいいのよ?」
クロエがしたたかに微笑むので、ライナーは歯ぎしりをした。
「クソッ。なんでうちに帰って来ないで委託販売一択なんだよ……!」
「私は陛下からアルベールの監視を頼まれているもの、王都にいるわけにはいかないのよ。それにあなたの作るお菓子より、私のお菓子の方が売れるんだからこの形態でいいじゃないの。ラベイユは繁盛店に戻ったわけだし、私のお菓子であなたを食わせてあげてるんだから感謝してよね」
「……やっぱむかつく」
多忙なクロエは、こんなところで水を売っていられない。
「じゃ、アントンのおじさんにもよろしくね!」
「はぁ……」
ライナーが厨房へ戻ると、アントンが水を得た魚のようにショーケースに菓子を並べ、立ち働いている。
「オレンジピールのパネトーネはここでいいか?今日のケーキは、チョコ系は無いのか?おい、ライナー!」
ライナーはもう一度、深いため息を吐いた。
クロエは再びカルルに乗り、山へと帰る。
山奥カフェには、早速アルベールが〝出勤〟していた。
「おはよう、クロエ」
「おはよう、アルベール!」
二人はひしと抱き合った。
アルベールはリネンのシャツを着て、黒いギャルソンエプロンをくるりと巻く。クロエは内心、彼の制服さばきに毎回新鮮にときめいている。
クロエは白いエプロンをしながら彼に尋ねた。
「今日の予約は?」
「ランチタイムに二名様が登山がてらご来店するわ。メニューの変更点は、メインを鹿肉のブルーベリーソースがけに、デザートはチーズケーキにしてほしいそうよ」
「カフェタイムは?」
「女性のお客様が三名。今日のメニューはロールケーキかアップルパイのみ。商工会から役所の竜を飛ばして連れて来てくれるって」
「分かった」
いつものようにテーブルを拭き上げると、アルベールはブルーベリージャムと赤ワイン、塩とハーブを煮詰めて鹿肉用のソースを作る。簡単なものなら、彼も作ってくれるようになった。
アルベールは釈放後、モイズの屋敷に監禁という名の寝泊まりをしていた。今でも幽閉は続いているが、彼は旧ギヴァルシュ領の中なら自由に動いてもいいことになっている。なので、自然とクロエの山奥カフェを手伝う流れになった。カフェのメニューを充実させるためにも、猟は未だ欠かさず続けている。
山奥カフェはランチタイムとカフェタイムのみの完全予約制だ。商工会の協力もあって、予約の管理は全てブレニッツ町役場で受け付けている。クロエは宿屋にパウンドケーキを運ぶ際、予約状況を聞く。客には先に町でメニューを見て決めてもらい、予約当日その通りに作るのだ。
ケーキで有名になった山奥カフェだったが、アルベールという協力者を得ると〝王子様が給仕してくれるカフェ〟として別の角度からも人気になっていた。確かに、王子バレした今となっては所作や言葉遣いも完全に王族がえりしているし、人気が出るのは致し方あるまい。なので、クロエはちょっと若い女性客を警戒しつつある。
クロエは接客ノートを確認した。
「んーと。今日のランチのお客様は……エメ、さん?」
それは、クロエにとっては見覚えのある名前だった。
昼になると、ようやく予約客が訪れた。
山の下の方から、付き添い人を伴った老修道女がゆっくりと坂を上がって来る。
クロエはカフェから出ると、懐かしの人物を出迎えた。
「あなたはやっぱり、エメ先生……!」
「とっても久しぶりね、クロエ。ああ、素敵なカフェだこと!」
エメは感慨深そうに、教え子の経営する山奥カフェを見上げる。
クロエが自作したギンガムチェックのカーテンが風にたなびき、鉢植えの植物が軒先からぶら下がっている。床は磨き上げられ、うっすらと服の裾を反射していた。
そして壁にはひっそりと、額縁に入れた〝王室御用達〟の証がかかっている。
エメはそれらを確認すると、ホッと息を吐いた。
「よくここまで来たわね。一時は行方不明になって、どうなることかと思ったけど……こんないいお店を持てて、本当によかったわね」
「はい!」
晴れた秋空に、枯葉交じりの涼し気な風が吹く。
その風の合間を縫うようにアルベールが歩いて来て、テーブルクロスの上にミモザサラダを置く。
それが終わるとクロエが入れ違いにやって来て、今度は温かいかぼちゃのポタージュスープに、火で少し炙ったカリカリのパンを添えて出す。
アルベールがやって来て、胡椒をまぶして焼き上げた川魚の燻製を提供する。
次は鹿肉を炭火で焼かなければならない。クロエがキッチンに引っ込むと、エメは皿を引き取りに来たアルベールに尋ねた。
「あなた、伯爵家に幽閉中の身なんですってね?」
アルベールは姿勢を正す。
「はい。その通りです」
「風の噂で聞いたけど……王子様は、この山奥のパティシエールと恋仲なんでしょう?」
「……」
「あなた、クロエを幸せにしてあげられるの?」
エメの視線が、値踏みするように彼を鋭く刺す。アルベールは答えた。
「はい。私は、彼女の家族になるつもりですから」
エメはぽかんと口を開ける。そして、合点がいったようにふふっと笑った。
「そう。クロエの過去を、よくご存知なのね」
「孤児院も修道長もエルマーさんも、クロエにあげたかったものは、ただひとつだと思うんです」
「……」
エメは、静かにうつむいた。
「そこまで分かっているなら、きっと大丈夫ね」
「……」
「クロエをよろしくね、王子様」
「かしこまりました」
アルベールは王子から一介のカフェ店員に戻ると、さっと厨房に引っ込んで行く。
今度は、クロエが張り切って鹿肉のブルーベリーソースがけを持って来た。
「こちら、鹿肉のブルーベリーソースがけでございます!」
「まあ、美味しそう」
エメが骨付きの鹿肉にナイフを入れると、さらりと脂が皿に広がった。
それを食べながらエメは言う。
「そうそう、クロエ。今日の新聞は見た?」
「あ。ブレニッツは、王都より一日遅れの情報しか入って来ないんで、多分まだ……」
「そうなの。実は、ビッグニュースが飛び込んで来てね。あの王妃アデリナ様が懐妊したそうよ」
クロエは驚いた。
「え!」
「まだ先の話だけど、その際は聖母教会で洗礼式を行うわ。で、今までの慣習からすると、きっと洗礼式には参列者にドラジェを配ると思うのよ」
クロエはめいいっぱい微笑んだ。
「わっ。洗礼式のお菓子、やってみたいです!」
「もしかしたらその内、アデリナ様からご依頼があるかもしれないわね。クロエとまた教会で会えたら、楽しいわね──」
エメが去ってから数日後、秋の空を一匹の竜が飛んで来る。
それは王国からの使者だった。
クロエが出て行くと、見慣れた封蝋を施した美しい封筒を差し出される。
それを開けると、手紙にはアデリナの美しい字でこう書かれていた。
〝山奥カフェの店主様へ。
ちょっとお願いがあるんだけど……男児が産まれたらブルーのドラジェ、女児が産まれたらピンクのドラジェを用意して欲しいの。
出来るかしら?〟
クロエは封筒を胸に抱くと、その場で喜びに小さく飛び跳ねるのだった。
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