第九話 緑の町
夜が明けても、町は暗かった。
太陽の光は地面に届く前に、空高く伸びた茎と葉の層に遮られている。
その葉の表面には、無数の顔が薄く浮かび、夢を見ているように目を閉じていた。
たまに瞼が開き、通りを見下ろす。
その瞬間、地上の人影——いや、“元人間”たち——が一斉に同じ方向へ首を向ける。
建物はすでにほとんど緑に覆われ、形だけを保っている。
アパートの外壁にはつるが絡み、窓からは草の房が垂れ下がる。
しかしその房の先端には、今も暮らしているはずの住人の顔があり、口がかすかに動いていた。
意味のない音節を繰り返しているように聞こえるが、耳を澄ますと、それは町中でひとつの旋律になっていた。
直志はその旋律を知っていた。
幼いころ、母が寝かしつけの時に歌ってくれた子守唄。
ただし、どこかが違う。
音が一つ余計で、言葉がほんの少し歪んでいる。
それはまるで、“似せた”何かが歌っているようだった。
足元の地面はやわらかく、踏むたびに土の下から息が漏れる。
その息は甘く、吸い込むと頭が霞み、まぶたが重くなる。
眠れば、そのままこの町の一部になるだろう。
それは恐怖ではなく、むしろ懐かしい帰郷のような心地よさを伴っていた。
中央広場に着くと、巨大な芽が一本、空へ向かって伸びていた。
幹の太さはビルのようで、その表面には町中の顔が寄り添うように埋め込まれている。
その中に、自分の顔も見つけた。
笑っていた。
目は閉じているが、その笑みは“こちら側”に向けられたものだった。
——おいで。
耳ではなく、胸の奥に直接届く声。
それは、芽の群体全体から発せられているのがわかる。
拒否すれば、この町で唯一の“個”でいられるかもしれない。
受け入れれば、孤独は消えるが、自分もまた“群れ”になる。
直志は一歩踏み出した。
次の瞬間、足首から根が突き破り、体内の芽と絡み合った。
その感覚は、痛みではなく——完全な帰属感だった。
最後に見えた空は、もう緑色だった。