2、聖霊と聖霊術
窓の外がうっすらと明るくなる。風が木々を揺らし、雨が窓に打ち付ける音で目が覚めた。あと少しすれば、メイドが起こしにやってくるだろう。
それまでは、いつも通り過ごすことにした。
椅子に座って目を閉じ、体内のエネルギーのめぐりを意識する。体の中心に集めたり、体表を覆うように薄く延ばしたり、指先に塊をつくったり。目には見えないが感じることができる。手のひらに水の球体を出現させ、花やカップなど様々な形に変形させる。
この手遊びを続けて早約4年間。もちろん、屋敷の誰にも知られないよう注意している。
なぜなら、”聖霊術を使えるのは聖霊が実体化してから”だから。
◇
約4年前、6歳の僕は屋敷の中を走り回って遊んでいる途中、妹のサラスティアの部屋からメイドが出ていくのを見かけた。専属のメイドといっても、24時間付きっ切りというわけにはいかない。メイドの疲れた後姿を見送り、僕はサラスの顔を見に部屋に入ることにした。
部屋の中には、2歳の子供には大きすぎるベッドがあった。サラスはその中央ですやすや寝息を立てているが、寝る直前まで遊んでいたのか、ベッドの上や周囲にはたくさんの人形やおもちゃが散乱している。2歳になった最近では走れるようになり、輪をかけて元気いっぱい遊ぶ妹に、メイド達は一日中振り回されている。メイドを心の中で労い、ベッド脇に膝をついて天使のような妹の寝顔を観察した。
しばらく堪能し、そろそろ部屋を出ようと扉へ向かう途中、床に散乱するおもちゃに躓いて、大きな音を立てて転んでしまった。
「ぐ!!いった…、あ、サラス起こしちゃった?」
「んぁー…んん。にぃ?にぃ!!」
大きな音に目を覚ましたサラスは、僕がいることに気が付くと、両手をついて立ち上がり、おもむろに走り出した。
「あ!?ちょっと待って!!」
サラスがいるのは、大人が使うのと同じベッドの上である。周りに柵などはなく、このまま走れば、床に真っ逆さま。床にはおもちゃが散乱し、落ちれば怪我は避けられないだろう。部屋も広く、扉付近にいる僕が走っても間に合わない。
どうにかしなければと、一瞬の内に考えを巡らせるが、何の解決策も浮かばなかった。それでも何とかならないかと立ち上がり、全力で走りながら精いっぱい右手を伸ばした。
サラスの足が空中に踏み出し、身体が前に倒れるように落ちていく。顔面が床に到達する寸前、落下地点からぶわっと風が吹きあがり小さな体が浮き上がった。
僕には何が起こっているのか分からなかった。ただ、ゆっくり着地した妹に駆け寄って抱きしめた。本人は何も気にした様子はなく、無邪気に笑っている。違和感の残る右手と急激に襲う疲労感で、僕はメイドが戻るまでその場を動けずにいた。
その日以来、なぜか聖霊術を操れるようになったのだった。
◇
初めて聖霊術使った日のことを思い出していると、メイドが扉を叩く音が聞こえた。用意された桶で顔を洗い、教会に向かうための正装に着替え、家族そろって朝食の席に着いた。
食事の席では、その場の一番上の者が言葉を発するまで、話してはいけないというマナーがある。今は父が黙っているため、お喋りな姉妹はそわそわしながらも黙って食事を進めている。
昨日養子だと判明したばかりで、少し居心地が悪い僕としては都合がよかった。今まで通りに接するつもりでいるが、感情とは難しいものだ。
チラチラ視線を感じ目線を上げると、不安そうな表情の母と目が合った。一先ず安心させるため、精いっぱいの笑顔を返すと、一瞬驚いた表情の後に微笑みを返された。
食事を終えると雨が上がっていた。馬車の準備ができるまで庭を散歩しようと外に出る。
特に大きな庭ではないが、様々な花が咲き手入れの行き届いたこの庭は、僕にとって居心地の良い場所だった。花壇の脇に屈み、雫を纏った花々を見つめていると、後ろからタイルを踏む軽快な足音が近づいてきた。
「お兄様。今日もお花を見ているのですか?」
「ああ、この庭の花はとてもきれいだから。アイリッシュ姉様もサラスも、好きでしょう?」
「そうですね。私もこの庭がとっても好きです。特にあの、ピンクの花を付ける木が。」
サラスの後ろをゆっくりと付いてきたのは、長女のアイリッシュ。成人間近の14歳の彼女は、3人の姉の中で一番僕を可愛がってくれている。彼女の左肩には、もこもこと羽を膨らませて丸くなった白い塊がいた。ピンクの嘴と、目を囲う赤いアイリングが特徴の小鳥の聖霊だ。
アイリッシュが庭の木を指さすと、肩の聖霊も片目を開いて頷いた。そんなアイリッシュ達を見て、サラスは目を輝かせている。
「ねえお兄様。この後教会で洗礼を頂くけれど、お兄様はどんな聖霊がいい?私はお姉様の子みたいにふわふわモコモコの可愛い子が良いなぁ。」
「え?うーん、考えたこともない。聖霊はその人に最も適した姿を取って現れるものだ。僕がどんな見た目を望んだって変わらない。僕のパートナーで居てくれる、それで十分だと思っているよ。」
「アラインの言う通りよ、サラス。聖霊は私たちの魂なの。生まれた瞬間からずっと一緒に居て、洗礼までは見えないだけ。今の言葉をあなたの聖霊が聞いていたら、希望の姿になれなくて悲しむかもしれないわ。」
僕は姉達に、両親や他人の目が無いところでアラインと呼ばれている。姉弟だけの愛称だ。
6歳のサラスは、聖霊のことをまだ詳しく学んでいない。
興奮して早口になり、アイリッシュの聖霊にグイグイ顔を近づける。そんな妹の様子に、アイリッシュは困った表情で僕を見つめて来た。
仕方がなく、サラスの肩に手を置いて引き寄せる。
「でも、永く一緒にいる子なら可愛い方が良いと思うの!
みんなそう思っていると思うわ!」
聖霊と人間は一心同体であり、思いを共有し会話ができる。聖霊同士でも会話は可能だが、どの聖霊も自分の人間が1番で、人間同士が相当仲良くなければ、それこそ家族の様な距離でなければ話すことはない。
また、聖霊は他の人間とは基本的に話さない。基本的にと言うのは、稀にいる物好きな聖霊や、家族にだけは危機を知らせるなど、例外もあるのだ。先程アイリッシュの言葉に頷いていたのも、弟妹の前だからこそだろう。
そのため僕は、姉アイリッシュの聖霊はもちろん、家のどの聖霊とも言葉を交わしたことはなかった。
聖霊に関して学ぶ際、最も重要だと何度も良い聞かされることがある。それは、他人の聖霊に触れることは禁忌であるという事。
たとえ人間同士が婚姻関係血縁関係にあっても変わらず、触れられた瞬間、聖霊も人間も激しい嫌悪感と恐怖、心臓を握られたような感覚に陥ると言われる。さらに、触れた側も相手の聖霊から全力の威圧をぶつけられ、失神する事もあるそうだ。力の差がありすぎると、それだけで死に至ることもあるらしい。気軽に試そうとする者が出ないよう、何度も何度も聞かされる話だ。
だから、他の聖霊には必要以上に近づかない。サラスの遠慮のなさに戸惑う姉は、不快感とまでは言わなくとも、不安と緊張が高まっていたのだろう。
アイリッシュの精霊はいつの間にか首元に移動し、父譲りの美しいブロンドの髪の中に隠れてしまっている。
「ほら、そろそろ馬車の準備が出来たみたいだよ。お父様達が来るまでに、馬車の前で待たないと。サラス、そのまま出発できるかい?」
「あ、本当ね。もう準備はできているわ。行きましょうお兄様、アイリッシュお姉様。」
聖霊の話はそこで終わり、サラスの気持ちは憧れの教会へ行ける喜びへ変わった。力強く僕たちの腕を引っ張り、馬車の前に連れて行くのだった。
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