Voice (声)
その日の夜。
ノブレス・オブリージュ美術館のサロンで、着飾った人々の談笑を質素な椅子に座りながら聞き流していたモートは、閉館時間まで辛抱強く待った。
徐々に人々が帰り始め。閉館時間が迫る。いつもの黒い服装を着たモートが様々な武器が描かれた壁画からずっしりとした大鎌を静かに取り出すと、お客の接待や挨拶などを終えたオーナーが大扉から歩いてきた。
モートは一枚の絵画に向かって、「母さん。行ってくるよ」と抑揚がない一声をかけた。
オーナーもモートの傍に心配して寄って来た。
モートの背中に手を押し当てて忠告をした。
「くれぐれも罪人以外は狩ってはいけませんよ。さあ、御行き。この街の夜にはあなたがどうしても必要なのよ」
ここホワイトシティは、夜になるとその風貌が一変する。
平和な街だが遠い国からあらゆる犯罪が流入してきていた。
美術館の外は、凍える夜風に乗って粉雪が舞う。狩りの夜には、決まって夜空に真っ白な満月が浮かぶのだ。まるで、のっぺりとした無表情な顔の月が街全体を見下ろしているかのようだ。
モートはノブレス・オブリージュ美術館の屋上から、空を見上げて呟いた。
「今日は、なんだか不思議な月だ……」
モートはアリスの家まで空を勢いよく飛翔した。
Voice 2
暖房が行き届いたサロンの一角に、今までモートが座っていた椅子に腰掛け、美術館のオーナーのヘレン・A・クリストファーは、モートを狩りに行かせたことを半ば後悔していた。
この部屋だけは、使用人に任せずに自分でやっている30個の東洋の壺の配置を元通りにすることや、みずみずしい花に水をやることも忘れていた。
あの夜。モートが産まれた絵画に描かれた女性の過去は、この世の誰も知る人はいないと思っていたが、偶然、一年前に聖パッセンジャーピジョン大学付属古代図書館の館長から気になる本があると聞いた。
その本は未だ貸出中で、ヘレンは今までそのことをずっと訝しんでいたのだ。誰が借りた? ……のではなく。何のために? 借りたのだろう? サロンの暖房で十分に暖まった身体が震えだしたヘレンは両肩を摩って堪えた。
その本は、決して一般人は借りてはいけない本だったのだ。レファレンスルームにあるその一冊の本は、死神に関して書かれた古代の本だと内密に聞きだしたのだ。ヘレンと図書館の館長は仲が良かったので、モートの出生の秘密も共有していた。
すぐに本を借りに行った日。ヘレンが図書館へと向かうと同時に、借りた人がいたのだ。
館長の話では、その借りた人は男だったという。信じられそうもない不思議な出来事だった。貸した図書館員も老いているわけではなく。ましてや金を渡されたわけでもない。
真面目な若い女性だったという。だが、自然と決して貸してはいけない本を、その男に貸してしまったのだという。
偶然にしては全てができ過ぎのように思えた。まるで、運命の歯車がいびつにピッタリと合わさってしまったかのような。
ヘレンはその男もモートと同じような不思議な男なのではと心の片隅で思った。
椅子から立ち上がり。このサロンの窓の外を覗くと、巨大で真っ白な満月が天空に浮かんでいた。
ヘレンはいつもこんな夜だと思った。
そう、モートが狩りに行く日は。
Voice 3
モートはデパートや三角屋根の連なる霜の降りる住宅街。真っ白な雪の中の郵便局。銀世界から来たような凍った銀行やビルディングを飛び越えていく。その姿はさながら大鎌を持つ死神だったが、モートは建物を壊さないようにとかなり気をつけていた。
しばらくして、アリスの家が見えてきてヒルズタウンへと到着した。
アリスの家は、家というよりは豪邸だった。
普通の家が60個くらい一緒になったような大きさの豪邸を見回して、モートは不思議に思い首を傾げた。こんなところで黒い魂が関係しているのだろうか? アリスの性格からして家族も友人も円満のように思えた。
金持ちだからといって、決して黒い魂が関与するわけではない。
モートは窓際の雪をどかして、アリスの部屋の中を注意深く観察することにした。失礼だとは思うが飾ってある花瓶に顔を出して、部屋全体を覗いた。
何故なら複数の男の話し声がしたからだ。
モートは壁や天井、床を通り抜けることができるのだ。
どうやら、許嫁や求婚者などの婚姻関係での話だったようだ。
だが、五人もの男がアリスの部屋にいて、アリスそっちのけで激しい言い合いをしていた。
その一人は内ポケットに毒薬を隠しているのを、モートは気が付いた。長期間に渡って、普通の状態からいつの間にか心臓発作を起こすような毒の類だった。けれども、その男の魂は黄色だった。
何故? 黄色の魂なのだろうか? と、モートは首を傾げた。黄色は喜びを表わしている時だ。花瓶のところから、次第にモートは謎を解き明かそうとしていた。
部屋は徐々に五人の男たちの話し合いが、激しい口論に変わってきていた。アリスは困惑しているようだ。これまで、恐らくは一度もなかった体験だったのだろう。
最初に結婚を申し込んだのは……誰だ?
モートは考えた。
毒薬を隠している男の魂の色が黒に近い灰色になりだした。
激しい口論の中で、その男が多額の借金の返済に困っている節がでていた。ホワイト・シティでは、借金の返済に困るものには、黒い魂を持つものもいる。そこまでモートは考えた。
アリスが死亡した場合の遺産は莫大な金額だろうし、いずれにしても結婚後は借金の返済に困ることはないはずだ。
無論、その男が最初にアリスと結婚をすると言いだせば、他の男も黙ってはいなかったのだろう。黄色の魂はアリスと結婚できるんだという。一時だけの安堵感からくるものだったようだ。毒薬の用途は違う使い道にも応用できるのかも知れない。いずれにしても、魂の色は罪を表わす黒に近いのだ。
そこまで考えたモートだったが……。
Voice 4
アリス・ムーアは頭を抱えて考えた。こうなってしまったのは、最初の一通の便箋からだった。遠い国から次々と求婚者がやってきた。
リステル、ヘイトマ―、ジョン、シルバー、それとヘイグランド。そのどちらが先だったのかはわからない。
アリスが見る限り、皆お金に困っているが、若くてハンサムで将来有望な人たちだった。その誰かから便箋が来た。きっと、滅多に行かない社交パーティーでアリスを知ったのだろう。知らない男だが五人とも、アリスが社交辞令で「隣国にはとても興味があります。病弱だし静養にも丁度良く。是非、行ってみたい。暮らしてみたいです」というようなことを言ったのが、これだけ大きくなったようだ。便箋には確か「こっちへおいで」のような文章だった。隣国は南に位置していて、ホワイト・シティとは真逆の常夏の国だ。
病弱だからか、この広大な屋敷で二人だけで暮らしているからか。家族や親族は冗談でもなく誰もいないのだ。皆、血筋で身体が弱かった。
溜息を吐いて、シンシンと降る窓からの雪景色をアリスは見つめた。無音に降る雪で心を落ち着かせようとした。だが、アリスは誰が最初だったかを、思い出そうとはしなかった。
その時。ふと、アリスは部屋の片隅の花瓶にモートの面影を見い出した。それは、モートの顔のようで、こちらを心配そうに見つめている感じがした。
アリスは何気なく「心配しないで」と、無意識に花瓶に向かって優しくウインクをしていた。
だが、モートの面影はいきなり一人の男に飛び掛かった。
突然の出来事だった。モートがヘイグランドの右手を締め上げていたのだ。
アリスは驚きのあまり酷く混乱し眩暈がした。その場で卒倒しそうな状態の中で、モートは外へ男を静かに連れ出そうとしている。アリスはそれが何故かヘイグランドにとって危機的状況だと感じ真っ青になった
けれども、アリスはその場面が一斉に崩れ出すことを言うことにした。
「ごめんなさいね……この人が、私の恋人なの……」
ニッコリと微笑んだアリスはモートの左腕を強い力で引き寄せた……。
アリスは掴んだモートの左腕を決して離さないことにして、微笑んでは、モートの左手を頬に摺り寄せた。
(そうですよね。こんな不思議な人なら私の人生を救ってくれるかもしれない。今まで独りで暮らしていたけれども、もう男たちに言い寄られるのはまっぴらなのよ。お金はあるわ。でも、それだけじゃない。モートなら何でも知っていそうだし、いつも助けてくれそうだし。……顔もいいし……。)
アリスは遠い国からの犯罪が年々、ここホワイト・シティに流れ込んでいることも知っていた。実際、藁にも縋る気持ちだった。この街で一番に狙われやすいんじゃないかと思った日も……何度もある。
だからアリスはモートに靡いた。
相手が何ものかはさっぱりわからない。けれども、これだけは言える。モートはとても良い人だ。と……。
Voice 5
モートは考えた。こうすることで、アリスは犯罪に巻き込まれることもなくなるだろう。
後の4人の男たちは、真っ青な顔で仰天していて、黒い服のモートを見つめていた。何かの手品か魔術師とでも思っているのかも知れない。
モートは、髪の毛が真っ白になりそうなほど青ざめた顔のヘイグランドの手を放した。ポリポリと鼻を掻く。この男の魂は黒。
だが、何が起きているのかさっぱりわからないところがあった。考えてもわからない。アリスは何を言っているのだろう? 恋人って誰と誰がだ?
モートは途方に暮れ、窓の外の雪を眺めた。自分の盲目の人生は、更に暗く静かな無音な道になりそうだった。だが、一筋の光。モート自身もわからない光が自分の空の心を照らしていた。ただ、この場にいることが、不思議な気持ちにさせていた。
翌日。
朝日が久しぶりに昇ったホワイト・シティで、モートはアリスと共に大学へと登校していた。アリスの屋敷からノブレス・オブリージュ美術館はかなり遠い。だが、聖パッセンジャーピジョン大学はクリフタウンにあるので、ヒルズタウンからは更に数十ブロックもあって、もっと遠かった。
そのため、アリスは少しだけ早起きして、ノブレス・オブリージュ美術館行きの路面バスへと乗ったようだ。
あの夜は、モートをアリスは手品師だと言って、見事に5人を煙に巻いた。
5人とも突然に現れた不可思議な男のモートを恐れてもいたが、何も言わずに遠い国へと帰って行った。
その日は、まったく収穫のない日だった。
モートは毒薬を密かに捨て、黒い魂である罪人を狩ることをしなかった。モート自身、自然に自分が変わっていることが信じられなかった。
狩らない日は、今までまったくと言っていいほどなかったのだ。
ヘイグランドは改心し、借金返済後は新しい事業を立ち上げ真面目に働くんだと言いだした。
「ねえ、モート。いつもノブレス・オブリージュ美術館にいるようだけど、あそこに住んでるの?」
「……」
「ねえ、モート。ヘレンさんがあなたのお母様?」
「……」
「あら? モート。聖パッセンジャーピジョン大学に白鳩の群れが飛んでいったわ」
「……」
「モートのお父様って、どんな人?」
「……」
アリスの今日はとても機嫌が良かったようで、モートはアリスの声全てに耳を傾けていた。
自分の何が変わったのだろう。今のモートには永遠にわからないことだった。ただ、アリスの声が大好きな音楽や音よりも自分にとって大切で親近感の湧くものだった。
これからの狩りは、モートだけの狩りではなくなった。二人での狩りだ。そんな思考がモートの頭を占めだした。




