再起
ひゅん、と音を立てて刃が振るわれた瞬間。
私の目の前でカルロ・アルファーノの首が転がり落ちた。
「……ッ……!!」
悲鳴を上げなかったのが奇跡だと思う。
声を上げたら殺される、と思ったから。
声を上げなくても、殺されるだろうか。
私が何が起こったか理解できないままクロウの様子をうかがう。
部屋の中には私とクロウ、そしてカルロの亡骸しかいなかった。
「……え、え……?」
クロウは剣にこびりついた血を軽く払い、刀身をゆっくりと鞘に納める。
そして私を見下ろした。
「娘よ、感謝する」
「……え? それは、どういう……」
「彼奴はおまえにかつてない執着を示した。それがかつてない隙となった」
「……え、えっと……私を、助け、て……?」
「否。我は我が目的を果たした」
クロウは首を横に振り、淡々と言った。
彼は違うと言っている。けれど、私を手に掛けようとする素振りもない。
なら、結果的に私の助けとなったのは間違いなかった。
「ど、どうして、です……?」
「語るに及ばず」
クロウは、私の問いをすぐさま撥ねつける。
それは断固とした拒絶。
彼の内面に踏み入ることを一切許さないような、全く感情がこもっていない声だった。
「……こ、これから……どうするんです……?」
クロウは床に転がったカルロの首を拾い、どかっと机の上に載せる。
まるで彼が死んだことを誇示するみたいに。
「死だ」
「……へ?」
「〝勇者〟に殺されるなら本望」
私は思わず言葉を失う。
どうしてそうなるかが全くわからなかった。
クロウはカルロを殺した。
なぜかはわからない。恨みがあったのかもしれないし、あるいは大した理由なんて無いのかもしれない。
けれど、何らかの目的があったことだけは確かだ。
なのに――目的と言えるものを果たしたのに、どうして死を選ぶのか。
「……ま、待ってください。なにも、そんな必要は――」
「手出しには及ばず」
ひゅんっ、と。
風が鳴る音とともに剣が抜かれ、切っ先が私に突きつけられた。
私はそのまますとんと腰を落としてしまう。
……そうだ。
クロウは私をここまで連れてきた張本人の片割れ。
彼自身の目的に私を利用するためだったとして――それは、手段を選ばずともカルロを殺したかったということ。
「さもなくば、おまえの命の保証はあらず」
彼の邪魔をするのなら、それこそ手段は選ぶまい。
その時、クロウは私の首も刎ねるだろう。
「……わかり、ました」
「逃げるには及ばず」
「……はい」
こくり、と頷く。ふとするとカルロの首を目に入れてしまいそうで視線を伏せる。
クロウはそのまま背を向け、抜き身の剣を引っさげて部屋を出て行く。
……どうして、こんなことになったのだろう。
身体に傷ひとつ無いのは僥倖だけれど、それでも嘆かずにはいられない。
今の私にできるのは、アシュレイさんの無事を祈ることばかりだった。
*
「そういう、ことだったか。……良かった。生きていてくれて」
アシュレイさんが私の背中をゆっくりと撫でる。武骨な掌の感触が今は心地よい。
これまでの経緯を一通り話し終え、気分はだいぶ落ち着いていた。
私はゆっくりとアシュレイさんから離れて深呼吸する。
「大丈夫か。無理はしなくていいぞ」
「……だ、だいじょうぶです。……けど、ここは……」
「……空気が悪いな。離れるか」
「……は、はい」
カルロの死体といつまでも一緒にいるのはごめんだった。
いい加減に蝿がたかってくるかもしれない。
私はアシュレイさんの手をぎゅっと握り締める。
暖かくて、ごつごつとして、力強い掌。
手を握り返されるとアシュレイさんの体温がよりはっきりと伝わる。
助けに来てくれたんだ、と私は今さらのように遅れて実感した。
「……ありがとうございます、アシュレイさん。……助けて、くれて」
「言っただろう。……俺が不甲斐なかったせいだ。礼を言われることじゃない」
「……いいんです。私が、嬉しかったので」
――ここまで来るためにアシュレイさんが何をしたか、想像できないわけではない。
けれど、その上でも、アシュレイさんが助けに来てくれたことを喜ばしく思ってしまうのが――我ながら度し難かった。
アシュレイさんは苦笑がちに目を細め、私の手を引きながらゆっくりと歩き出す。
「……急ぐには、及ばず」
その時、声がした。
かすれた無感情な声。
彼は――クロウは廊下の真ん中に立ち、私たちの行く手を遮っていた。
その手にはすでに何もない。
折れた剣が絨毯の上に転がっている。
「クロウ、と言ったな」
「……呼ぶに及ばず、覚えるに及ばず」
クロウの胸元は浅く斬られ、一筋の血が滲んでいる。
アシュレイさんと相対した結果なのだろう。
クロウはただひとえにアシュレイさんをじっと見つめて言った。
「我を殺さずには通さず」
「……断る」
「なぜだッ!!!」
クロウは激情もあらわに目を剥いて叫ぶ。
あまりにも急激な変化だった。
私は思わずびくりと震えてしまう。
「殺すにも能わぬと言うか、〝勇者〟よッ!!」
「……どうしても死にたいなら、自分の手で死を選べ。俺を首吊りのロープの代わりにするな」
「……ッッ!!!」
「……あと、俺は勇者じゃない。ただのアシュレイだ」
アシュレイさんはそう言い切り、「行こう」と私の手を引く。
私とアシュレイさんがクロウを横切る間も彼はぴくりとも動かない。
「主は死んだ。この手で殺した。なれば、他に何が残る?」
「……あなた自身が、残ってます」
私はそう言わずにはいられなかった。
振り返ったクロウは瞠目して私のほうに視線を向ける。
「……あなたを押さえつける重石は消えた。あなた自身の手で取り払われた。……なら、あなたを押さえつけるものは何もないはずです」
アシュレイさんは――強いて私を急かそうとはしなかった。
私は言葉を続ける。
「……ただ死ぬのは、いやなんでしょう?」
アシュレイさんに殺されようと、自ら腹を切ろうと結果は同じ。
でも、クロウは自死を選ばなかった。
その方がずっと手早いのに、あえてアシュレイさんに殺されようとした。
そこまで考えれば、彼が死にたがっているわけではないことは自ずと知れる。
「――――俺は」
「……あなたは、死を選ぶことができる。……でも、生きることも選べるはずです」
私なんかが――満足に選ぶこともできない私が、えらそうに言えることではないけれど。
私は、死にたくなかった。
だから、あの男から逃げ出した。
それはきっと、私が初めて自分で選び取った、決定的な選択だから。
クロウはふと顔を上げて指先を掲げる。
その指が示す先には――上下にわかたれた死体が転がっていた。
「――――……ぅ、あ」
私は思わずうめき、死顔を直視する。
目を剥き、口は開きっぱなしのひどい顔だが、どこか見覚えがある。
じっと見つめるうちに気づく――それは、あの男の顔だった。
アシュレイさんは掌を私の目元にかぶせる。
「……あの男が、どうかしたか」
「……私の……ご主人、だった人、です」
「……そうか。そうだったか」
遺体の損傷は刀傷だけでなく、そこら中に矢が突き刺さっている。
傍目にもひどい有様。
……あぁ、なんだ。
この男も、ただの人間だったんだ。
「感謝する。娘よ」
「……クラリッサ、です」
「名乗るには、及ばず」
「……わかり、ました」
「――――去らば」
クロウは胸の傷を押さえながらどこか別の部屋に入り込む。
それっきりだった。
私はふぅっと胸を撫で下ろす。
アシュレイさんは私をじっと見つめて言う。
「……行くか。クラリッサ」
「はい。……早く、家に帰りたいです」
そう言うとアシュレイさんの眼差しが少し和らぐ。
――その瞬間、私の足の裏が不意に床から浮き上がった。
「あ、あわ、うあ!?」
「背負っていく。……しがみついてろ」
「……は、はい」
有無を言わさない調子。だけれど決して嫌ではない。
広く、見た目よりずっと力強い背中に寄りかかる。アシュレイさんの首筋に手を回す。
アシュレイさんと私はそのまま、何事もなくカルロ・アルファーノの屋敷から脱出した。
*
あれからはや一ヶ月が過ぎた。
私の周りはごくごく平穏だったけれど、この町はかなり大きな変化を遂げていた。
第一に、アルファーノ・ファミリーは完全に消滅した。
首領であるカルロ・アルファーノ、加えて数名の幹部構成員が一日にして死亡したからだ。
これだけならばまだしも、アルファーノ・ファミリーの求心力の源泉となっていた強大な暴力――つまり、ドン・カルロの私兵が全滅したことが決定打。
〝アルファーノ〟という一種の権威が機能しなくなり、末端の構成員もファミリーを名乗る意味が失われてしまったとのこと。
これらの出来事の直接的な原因となったのがアシュレイさん――――なのだけれど、どうも公には違うみたいだった。
王都常備軍中将レクス・バルハート率いる地方使節団。
アルファーノ・ファミリーの壊滅は彼らの功績ということになるらしい。
「……なにか、ずるいような気がします」
「俺がやったことを公にされても困るだろう。……少なくともこの町にはいられなくなる」
「……それは、そうなんですけども……」
町はアルファーノ・ファミリーの壊滅をおよそ歓迎していた。
それが全部他の誰かがやったことになるのは、少し惜しいような気もする。
「クラリッサが覚えていてくれるなら、それでいいさ」
「……そ、そういうもの……でしょうか?」
「なんなら忘れてくれても構わんが」
「……すぐ、そういうこと言うんですから」
衛兵所の一部で暴動が起こったみたいだけれど、これもたちまちのうちに鎮圧された。
アルファーノと癒着していたという市長さんがクビになり、新たに派遣された人が市長の座に就いたとのこと。
人選はこの地方の領主さんとレクスさんとで厳密に行われたらしい。
アルファーノ・ファミリーの残党については扱いがまちまちのようだった。
政変直後のごたごたで問題を起こした人は逮捕、投獄。
少なくない人数が町の外に散らばったり、働き口を探し始めたりしているとか。
「そういえば、あの男……クロウと言ったか」
「えっ……あ、はい。確か、そう呼ばれてましたが」
「赤髪の、かなり腕が立つ男がいた、と。一応レクスに知らせておいてな」
「……あのあと、何かあったんです……?」
一時ばかりの縁がある人。
結果として、とは言っても助けてくれたことには違いない。
「あの屋敷と、他の隠れ家も一斉に制圧したらしいが――どこにもいなかったそうだ。死体も含めてな」
「……そう、ですか……」
いずことも知れぬ場所へ行ってしまったか。
少なくとも、あの場所で死を選びはしなかったということ。
それならそれでいいと思った。
もはや私にどうこう言えることではないから。
「……ところでですね、アシュレイさん」
「どうした」
「私にも剣……というか、身体の動かし方とか、教えて欲しいです」
「読み書きを覚えたらな」
「うううぅ……!」
テーブルの上には羊皮紙とインク壺。
私の隣にはアシュレイさんが付きっきりで勉強を見てくれていた。
一ヶ月もあればもう完璧――とは流石にいかないもので。
少しは進歩したと思うけれど、まだまだ完璧には遠い。
「大丈夫だ、ペースは悪くない。……無理に時間を増やすより、地道に毎日続ける方が大切だからな」
「……アシュレイさんに言われるとぐうの音も出ません」
「……確かに。俺がこんなことをおまえに言うとはな」
アシュレイさんは少しおかしそうに笑う。
そう、この一ヶ月間で一番大きく変わったのはアシュレイさんだった。
――――アシュレイさんは仕事を見つけた。
衛兵所で大規模な人員入れ替えがあったということで、アシュレイさんはその教官役に就いた。
誰かの推薦があったのだろうか。「……家庭教師でもないが、まあ、やってることは家庭教師みたいなもんだな」とアシュレイさんは言ったもの。
かくしてアシュレイさんは夜半にお酒を飲まなくなり、週に四、五回は朝から昼過ぎまで家を出るようになった。
その様子は以前より精力的でほっとするけれど、少し寂しいような気もした――「……ひとりで置いといてひどい目に遭わせたからな。すぐに慣れるといいんだが」とアシュレイさんは言っていたけれど、別にそういう理由ではない。
「……どうして鍛えたいんだ。何かやりたいことでもあるのか」
「い、いえ。そういうわけではないんですが……その、守られてばかりでしたので……」
アルファーノ・ファミリーは無くなった。あんな目に遭うことはもうきっと無いだろう。
しかし、思うのだ――もし私に自分の身を守れるくらいの力があれば、アシュレイさんの気を揉ませることはないと。
アシュレイさんはどこかまぶしそうに目を細めて言う。
「俺に気を使わなくていい、もう済んだことだ。……それに、武力は潰しが効かないからな」
「せ、世知辛いですね」
「……だが、例えば旅をしたいなら身を守れるくらいの力は必要だ。その意味では、力が無いよりはある方が可能性の幅も広がる――必要だと思ったなら、その時は教えるのもやぶさかじゃない」
アシュレイさんはそう言って微笑む。
私の自立を促そうとするのは同じだけれど、アシュレイさんは以前よりも長い目で見てくれるようになったと思う。
いや――これは、私の選択肢とでも呼ぶべきものを増やそうとしてくれているのかも。
「……何をしたいにせよ、字の読み書きほどは重要じゃないが」
「なんとなくそんな気はしていました……」
目的、将来と考えてみても具体的なものは浮かんでこない。
ならば、今の私は何を望んでいるのか。
そう考えてみれば、確かな望みはひとつあった。
「まぁ、焦らなくても良い。時間はいくらでもあるんだ。今の調子ならすぐに字も覚えられるし、やりたいことも追い追いに――――」
「……あります。やりたいこと」
「……聞いてもいいか?」
「アシュレイさんの日記を」
「やめろ」
言った瞬間、アシュレイさんの顔が青くなったり白くなったりする。
軽い冗談のつもりがひどい狼狽振りだった。
「……やっぱりだめですか」
「駄目ってことはないが……いや駄目なんだが……俺が一番駄目だった時の日記だからな……」
「なんでそれをわざわざ残してるんです……?」
「自戒だ」
「……アシュレイさんは、真面目すぎます」
アシュレイさんが沈んでいたころ。
あるいはそれ以前――アシュレイさんがまだ〝アッシュ〟と名乗っていた時のことか。
思えば、まだ一ヶ月と少し。
その間にアシュレイさんはすごく変わって――私も、少しは変わっただろうか。
あるいはそれは、マイナスをゼロに戻したようなちっぽけな変化に過ぎないのかもしれないけれど。
「……とにかく、人の日記は読むもんじゃない」
「は、はい。大丈夫です、冗談のつもりでしたので……」
「そうか。……じゃあ、やりたいことってのは?」
……それを言うのが恥ずかしいから誤魔化したのに。
私はアシュレイさんに向き直る。和らいだ青い瞳が見守るような眼で私を見つめている。
私はアシュレイさんをじっと見返して言った。
「……それは……内緒、です」
「そうか。……また、良かったら教えてくれ」
アシュレイさんは優しげに微笑み、私の髪を軽く撫でる。子ども扱いが口惜しくて、でもそうされるのは嫌じゃなくてなんとも言えなくなる――頬が少しだけ熱くなる。
私はきゅっと目をつむって、こくりとちいさく頷いた。
――――こんな時間が、少しでも長く続きますように。
アシュレイさんとなら、少しずつでも前に進んでいけると思ったから。
私はその願いを胸に秘める。
いつか、アシュレイさんと対等に向き合えるその日まで。




