第九話 「我が同胞、紅月人によろしく」
向かいで優雅な所作で食事を取る伯爵に、カイは思わず惚れ惚れとその様子を眺めてしまった。
詰め襟の、露出の少ない長衣は、帝国紳士の伝統的な装いだが、最近の若い貴族階級の間では、裾を短くしたり華美な装飾を施したりするのが流行っていると聞く。
対してリーアが身につけているのは、古式ゆかしいオーソドックスなデザインで、色も、黒に赤の縁取りが入っただけのシンプルなものだ。それでいて、どんなに華やかに着飾った帝国貴族よりも、洒脱で洗練されて見える――と感じるのは、カイだけではないはずだ。
今は食事時だ。4人掛けのテーブルに、バーンとリーア、カイが着席していた。
宇宙飛行士はミッションの間、綿密なタイムスケジュールに縛られており、オンタイムでの行動が大原則だ。
自由時間もあることにはあるのだが、1週間のフライトといっても、機内で行う実験は山ほどあり、暇を持て余すということはない。
搭乗員の、宇宙空間での生理機能の変化や、健康状態も同様に管理されており、日に3度、救護室を使ってメディカルチェックを受け、随時地球上のセンターに報告を上げている。
もちろん食事の時間も決められており、6人の搭乗員は、コックピットと続きになっている共有スペースを食堂として利用し、2交代制で食事を取る。
ここ10年で、宇宙食も急速に進化した。
フォークとナイフを使って暖かい食事が食べられ、ほぼ地球上と変わらぬ食事風景が再現される。
とはいえ栄養価が高く、長期保存が可能で軽量な食品が求められるため、当然、普段帝国貴族が食しているような料理とはほど遠い代物ではあるのだが、それらを口にする姿にすら、リーアには気品があった。
「どうかしたのですか?」
向かいの碧眼にのぞき込まれ、カイは思わずパンを喉に詰めそうになった。
じっと食べる姿を眺めていたことに気付いたらしい。リーアの疑問に、カイはパンを飲料で流し込んでから答えた。
「あ、いえ、すいません。食べ方がとても綺麗だったから、やっぱりクラウンフォルト家ともなると、食事の取り方一つにしても、徹底した教育を受けてこられたんだろうなって……」
慌てて言い訳をする。その様子に、リーアがいつも通りの笑みを浮かべて答えた。
「そうですね。私は、貴族としてなるべく育てられてきたようなものですから。躾は大変厳しかったですよ」
クラウンフォルト家の嫡子として生まれてきた人間らしい言葉だ。
「…………」
2人の会話を横目で聞いていた科学者は、特に会話に加わらず、早々に食べ終え立ち去ってしまった。
お世辞にも友好的とは言えない態度だが、今さら彼にそんな協調性を求めるべくもなく、逆にカイは圧力から解放されたような、妙にほっとした心地を覚えた。
こんなことを思うのは失礼かもしれないが、実物のローエヴァー博士を前にしたら、大半の人間が同じような気分を味わうはずだ。
「俺、前からリーアさんに聞きたいことがあったんですけど……」
「なんですか?」
「ピュラスタの異能って、本人たちからすればどういうものなんですか?」
レッドムーン=テイラー3号が慣性飛行に入って、70時間が経過した。
相変わらず、秒刻みの多忙なスケジュールではあるが、狭い艦内で24時間寝食を共にする搭乗員たちの間で、ある種の連帯感が生まれ出してくる頃合いだ。
ピュラスタであるリーアやマークスと共に過ごす中で、カイの旺盛な好奇心は、大いに刺激されていた。
「あぁ」
そんな興味本位の質問に、リーアは納得したように相づちを打った。
「異能、というのはピュラスタの生態の内、特にヒューストから見て特異と映る能力について指した概念ですが――」
「……すみません」
思わず謝ってしまう。異能という言葉は、あくまでヒューストの立場から見た価値観であり、用法であることを悟る。
当人たちにとってそれは、種として当たり前に持ち得る資質の一つに過ぎないのだ。
「謝ることではありません。異なる種族が共生する以上、その差異を示す明確な表現というのは必要です。それがどちらの視点から語られた言葉であれ、そこに差別的な意図が含まれていなければ、問題はないのですよ。そうでしょう?」
「はい――その通りです」
心の底から納得する。今まで当たり前に使っていた言葉について、新しい価値を得た気分だ。
食後の紅茶に口をつけ、リーアは静かに口を開いた。
「話を戻しましょうか。一般的に異能と呼ばれるものは、大きく分けて2つ。念動能力と放電能力です」
ふわりと、リーアのテーブルに置かれたティーポットが宙に浮く。
念動能力だ。
物体を触れずに動かせるこの力は、SSA局員のピュラスタも日常的に利用しており、カイにとってもさほど目新しいものではない。
「もう1本手があるみたいで、便利でしょうね」
「万能というわけではありませんよ。この力を用いるには、ある種の集中を必要としますし、有効範囲も、使役者を中心とした、ごくわずかな範囲に限られます。動かせる重量、質量も限定的です。私は、ピュラスタの中では比較的力が強い方だと言われていますが、それでも、せいぜい分厚い本を浮かす程度の物です」
「そうなんですか……」
重いもの、大きいものは動かせないということだ。確かに、無制限に物体を意のままに操れたら、彼らは高速で空を飛んだり、大規模な土木事業や破壊活動を容易に行えることになってしまう。歴史が変わる。
「残念ながら、放電能力は、この場所ではお見せできませんが――」
リーアの言葉に頷く。放電能力というのは、要約すれば静電気によって小さな雷を起こす力だ。
だがカイは、実際にその力をピュラスタが行使するところを見たことがない。
というのも、SSA入局時に配布される局員就業規則に、「ピュラスタに対し、SSA局内、および関連施設内での放電能力の使用を固く禁ずる」との一文が明記されているからだ。
最先端技術が結集したSSAの施設内は、精密機械で埋め尽くされている。
施設内で、予期しない強力な静電気が発生した場合、多くの面で混乱と不具合が起こるのは必然だ。
当たり前のことではあるのだが、明文化されたその1行を見て、SSAの多様性を実感したものだ。
「雷を起こす力ですよね?」
「雷――というと少し大げさですね。放電能力は、ピュラスタ個体が任意に、体内に帯電した静電気を放電するものです。個体差はありますが、仮に人体に感電したとしても、生命活動に影響を及ぼすほどの電流が流れることはありません。有効範囲もごく限られており、念動能力に比べ、現在の我々の生活様式では、自己防衛的な用途以外、実用性が低いという認識が一般的です。個人的には、博士の暴走を止める手段として活用していますが」
「えーっと、それって文字通り雷を落とすってことですかね……」
「本物の雷を落としたら、さすがのあの男も焦げるでしょうね」
涼しい顔で言われ、カイはどこまで冗談か判別がつかず、中途半端な笑みを浮かべるに留まった。
「冗談は置いといて。私は、このピュラスタの能力を利用して、イノベーションを起こせないかと考えたことがあるのですが……」
良かった、冗談だったらしい。カイは気を取り直した。
「難しかったんですか?」
「そうですね。個体による能力格差が大きく、基準値の設定が難しいことや、市場規模を考えると、現段階でビジネスとして展開するメリットは低い」
彼にとっては、技術的に可能かどうかというよりは、ビジネスとして成立するかどうかという点が重要であるらしい。
「ピュラスタの歴史は、常にヒューストとの共存構造の中にあり、人口差や諸々の事情によって、ピュラスタが主体となって社会を形成する時代はありませんでした。そのため、我々の異能は個体ごとの利便性に留まっている。これを、私はある種の停滞であると考えます」
これについては、彼らが少数種族であったという事実が大きいのだろう。
現代における2つの種族の共存社会は、常にヒュースト本位の社会形成がなされてきたと言っていい。
仮に、ピュラスタのみで構成する社会があったとしたら、もっと違う発展の仕方をしていた可能性は高い。
「今の我々は、ヒュースト主体の社会構造に慣れすぎていて、彼らと同様の生活様式を取ることになんの不満もありません。そして、ヒュースト本位の技術革新は、同様にピュラスタにも恩恵を与えている――今は、『その』タイミングではないということでしょう」
彼の言うとおり、今はまだ、SSAに代表されるように、ヒューストとピュラスタが同じ方向を向いて発展を目指すべき時代なのかもしれない。むしろ、ようやくそんな時代が来たと言った方がいいか。
だが、リーアはあえて触れていないが、もっと直接的な理由で、彼の言う『停滞』を引き起こしている要因があることを、カイもまた理解していた。
ピュラスタの生態については未だ謎が多く、解明が進んでいないのが実情だ。
解明を進めていない、と言ってもいい。そのことについて、人間医学の向上の妨げになるとの声もあるが、これは国際問題、人権問題にも関わるセンシティブなテーマであるため、表だって議論が交わされることはほとんどない。
――過去、南ディアス大陸で流行した、倫理観の欠如した生体実験により、多くのピュラスタが命を落とした。
その極めて非道で残虐な仕打ちに、それまで国外のピュラスタに対して関心を示さなかった大マルクレスト帝国が、苛烈な抗議姿勢を見せ、あわや戦争が勃発するかという瀬戸際まで発展した、歴史的事件である。
過去の凄惨な記憶と、それに対する大マルクレスト帝国の厳しい追及により、以後、ピュラスタの生態解明は、ある種タブー視され続けてきたのだ。
「――顕在する力だけでなく、そこに至るまでのプロセスと根源的なエネルギーを解明できたら、もっと利用の幅は広がるのでしょうけど」
付け加えられた呟きは、人類が重力子の全容を解明する日よりも、遙か先の道に投げ出された命題のように思えた。
そんな思いが、顔に出ていたのかもしれない。目が合い、リーアが苦笑めいた笑みを見せた。
「我々ピュラスタが、自身の起源を理解していないというのは、とても不幸なことです」
過去に蓋をし、暗黙のうちに禁忌とする一種の思考停止を、彼は嘆く立場にあるらしい。カイはそこまでこの問題について深く考えたことはなかったが、確かに、どこまでも加速する時代の流れにあって、そこだけが不自然に、前時代に取り残されている。
「〈紅き月〉に行ったら、もしかしたら何か分かるかもしれないですね」
「紅月人……ですか……」
リーアがこの計画に参加した目的は、本当はそこにあるのではないか――と、カイはその時思った。
特に、何か根拠があるわけではない。ただの直感だ。
だが同時に、本当にピュラスタのルーツを探るために、〈紅き月〉の調査に乗り出すというのなら、リーア=L=クラウンフォルトたる人物の行動としては、あまりにも酔狂に過ぎるのではないか、という理性も働いた。
〈白き月〉のさらに外側を周回する第二衛星については、いまだ謎が多いが、過去の無人探査結果から、〈紅き月〉の地表には水はなく、大部分が特徴的な紅い砂地と岩石によってなっていると考えられている。
だが、高緯度では氷の存在も確認されており、一説によれば、かつて〈紅き月〉には海があったとも言われている。
過去に生命に不可欠な液体の水が存在したと仮定すれば、微生物程度の生物の痕跡ならば、今回の有人探査で発見できる可能性はあると、科学者たちも期待を寄せてはいる。
だが現時点では、ヒトどころか生命体の存在すら確認されておらず、伝承どおり紅月人がいるなどと、本気で信じている者はいないだろう。
紅き月調査隊の出立の折り、滅多にお言葉を賜ることのない大マルクレスト帝国皇帝から、調査隊宛に電報が送られてきた。
内容は、至ってシンプルに一言――「我が同胞、紅月人によろしく」
各国のメディアは、これをお伽話になぞられた第一級のジョークとして報じた。
帝国民であるカイ自身、顔の見えない尊きピュラスタに、初めて親しみを覚えた瞬間でもあった。
――さて、目の前のピュラスタは、どこまで本気なのだろう。
表情を窺うと、目が合い、にこりと微笑まれた。
読めない微笑にごまかされている気もしたが、ついつられて笑い返してしまう。
「今なら引き返せるぞ」という博士の謎の忠告が、なぜかその時、脳内で再生された。