第十話 誰も、答えなど持ち合わせていない
――それから、80時間後。
レッドムーン=テイラー3号コックピット内。
「随分と大きくなったわね……」
目標衛星に近づき、エンテが正面のウインドウいっぱいに広がる、紅い星を見上げた。
ここまで来れば、肉眼でも窪地やクレーター、山脈などの地形が確認できる。
『着陸場所はマステリア平原を予定しています』
正面ウインドウの両サイドに設置された画面に、濃淡で地形が表されたレーダー映像が映る。
その一部が拡大され、オペレーターの音声が、船内搭乗員と地上の管制官に向けて、着陸地の情報を詳細に伝えた。
淡々としたマークスの声にも、いつもより緊張が込められているように聞こえた。
本船は、〈紅き月〉有人飛行に狙いを定め開発された最新型の宇宙往還船で、大型のエンジンが3段に渡って、計17機搭載されている。
また、〈紅き月〉着陸計画終了後に、〈白き月〉基地定期往還用宇宙船としての転用が想定されており、宇宙船(司令船)が直接月面に着陸し、帰還する直接降下方式での飛行が可能な設計になっている。
強力なロケットが必要とされる直接降下方式は、有人宇宙飛行が計画され始めた当初から、長年に渡り検討され続けてきたが、正式に採用された宇宙船が実用化されたのは、今回が初めてだ。
ただし、慎重に議論を重ねた末、〈紅き月〉着陸計画に関しては、直接降下方式は取らず、搭載した着陸船を周回軌道上で司令船から切り離して着陸させる、従来の月軌道ランデブー方式を採用することで決定した。
地球時間9月17日03時37分。レッドムーン=テイラー3号は、予定通り月遷移軌道を移動し、着陸前の月周回軌道投入を目前にしていた。
『――高度400キロメートル地点まで、後10秒。9、8――』
「来るぞ……」
「ええ」
カイとエンテが操縦席に待機し、一同は固唾を飲んで、近づいてくる赤い大地を見据えた。
後は逆噴射で速度を落とし、〈紅き月〉の周回軌道に入るだけだ。
『軌道投入マヌーバ開始準備――3、2、1』
「再点火」
そこまでは予定通りだった。みるみるうちに、モニターの表示速度が落ちていく。
だがある一点を超えた瞬間、急に機体の速度が増した。予想以上のGがかかり、身体が座席に押しつけられる。
「なっ……」
『降下速度が上昇……!? いや、そんなはずは……っ』
オペレーターの声が狼狽する。明らかに、このGはおかしい。
今は月周回軌道に乗るための、速度を落としての突入だ。大気圏を破ろうという段階ではない。
「どういうことだ!?」
ソマルの声が響く。誰も、答えなど持ち合わせていない。
レーダー映像がノイズを受けブレるその上で、速度表示と高度表示が狂ったように数字を増減させていた。
搭乗員が混乱する中、体感でも分かるほど加速がいや増す。このままでは――
『このままでは……大気圏に突入します!』
「冗談じゃない……この速度で、司令船ごと着陸するなど……不可能だ!」
本来であれば、月周回軌道上を自由落下状態で周回しながら、着陸地点を探査し、着陸船のみを分離して着陸する方法が取られるはずだった。
「――高度7300メートル地点で、2基の減速用パラシュートを展開します。隊長、許可を!」
カイの判断は速かった。悩んでいる暇などないというのが本音だ。
着陸船での着陸が出来ないのであれば、司令船ごと、無事着陸させる他はない。
現在、機体は異常な速度で落下している。このままでは、月面への衝突は必至だ。
「エンテ、地球帰還時の大気圏再突入シミュレーションAC25を思い出してくれ! それしか方法はない!」
隣の操縦席で固まっていたエンテに、カイは指示を飛ばした。危急時のため思わず呼び捨てになったが、呼ばれた本人も気付いていないのは明白だった。
緊急対応手順AC25は、不測の事態により予定したセンター滑走路への着陸が困難な場合、新たに着陸可能な地形を探査し、司令船を破棄せずに着陸するプランの一つだ。無論、衛星への着陸を想定したものではないが、地球との大気・重力・地質の差を考えた場合、代替可能なプランとしては、これが最善だと判断した。
「はい! し、しかし事前に着陸した無人探査機の結果では、〈紅き月〉に水のある海は確認されていません! AC25での着陸には着水が――」
「テンパんじゃねぇよ! ないもんはしょうがねぇだろうが!」
突如響いたバーンの怒声に、エンテが口をつぐむ。ソマルが我に返ったように、カイに指示を飛ばした。
「許可する! AC25を発動する。シミュレーション通り、3段階のパラシュート展開で減速しろ!」
「着水を前提にした減速方法じゃ、どっちにしろ陸面に衝突したらおだぶつだろうが!」
「バーン、あなたが口を挟むことではありません」
ソマルの判断に異議を唱えるバーンを、落ち着いたリーアの声が諫める。
「ナビゲーター、聞こえていますか? 高度実況をお願いします。ライトハーツ操縦士に、何か考えがあるようです」
『――は、はい! 現在高度300キロ――280――250――200――』
リーアに促され、混乱の中、地上の管制センターに状況を報告していたマークスが、誘導音声を復活させる。
カイは頷き、ソマルにプランの修正点を告げた。
「……3段階目のパラシュートの数を増やします。2段階目で、突入角度を限りなく平行に近い降下型に変更、減速距離を伸ばし、陸着陸が可能なまでの速度に……」
「そんなことをすれば、機体が耐えられるかどうか……」
「角度変更を行う高度が重要になります。どちらにしろ、このまま落下すれば、機体は粉々です。賭けるしかないでしょう。大丈夫――いけます! ナビゲーター、引き続き高度実況を頼む!」
カイの提案に、懸念を口にする隊長に断言する。実際のところ、そこまで自信があったわけではないが、これ以上の策など、カイには思い浮かばなかった。
『高度125キロ――突入します!』
段階上、最も危険を伴うといわれる大気圏突入に、誰もが息を飲む。
「くっ……何だ……!?」
「何っ!? 眩しい!」
その異変に、最初に声を上げたのは、前面に座る操縦士二人だった。
自ら光を発することのない紅き衛星から、突如、あり得ないほどの光量が発せられたのだ。
神が降臨したかのごとき光に、コックピットが満たされる。
網膜が焼かれる痛みに、カイは思わず目を瞑った。頼みの綱である高度実況も、同じように光に目を焼かれたらしく、悲鳴を上げて沈黙した。
「一体……これは……っぅ、頭が……っ」
鮮烈な光に恐慌をきたす搭乗員とは、別の種類の悲鳴が聞こえた。
「ウアアアアッ!」
(リーアさん……!?)
「リーア!? 大丈夫か! オイ!」
「っ、イヤ、だ……バーン、助けて……っ」
その瞬間、カイは、ふわりと身体が浮き上がるような感覚に囚われた。鬼のようなGから解放され、まるで急に無重力空間に放り出されたような身の軽さに愕然とする。
(止まった……?)
そんなことがあり得るのか?
一体何が起こったのか、考える余裕などなかった。Gが消滅したのをいいことに、カイはシートベルトを外し、後ろを振り返った。
「リーアさん! 博士! 大丈夫ですか!?」
目を覆っている内に徐々に視力が回復したカイは、苦しげに頭を抱える伯爵と、席を立ち、隣で肩を掴む科学者の姿を見た。
「一体どういうことだ……こりゃ、まさか……」
思考を急速にまとめるような、要領の得ない台詞はバーンのものだ。
この天才の脳裏に、この異常事態がどう説明されようとしているのか、興味は尽きないが、今はそれどころではない。
「バーン! ……バーンッ!」
バーンの腕にすがりつくリーアは、貧血を起こしたように手探りで相手に触れ、親を失った子供のような弱々しさで、何度も名前を呼んだ。
「リーア、落ち着けっ。俺はここにいる! ……リーア!」
頭を抑え、何かを振り払うように叫ぶリーアの耳元で、バーンが呼びかける。
完全に混乱しているらしいリーアの姿は、先ほどの異常落下時にも、冷静な態度を崩さなかった人物と同一人物とは思えなかった。
涙に濡れた白皙が上げられた時、どこか焦点の合わないその目が、正面へと向けられる。
つられるように前面のウインドウに目を向けたとき、さすがのカイも我が目を疑った。
エンテの、死者の蘇りにでも遭遇したような壮絶な悲鳴が、コックピットに響き渡る。
大地が、すぐ目前まで迫っていた。
死の戦慄が、一瞬にして全体細胞を駆け巡る。
なぜ。いつの間に。こんなところまで。
その全ての疑問を口にする前に、もう何度目か分からない異常事態が襲いかかる。
「光の帯……!?」
大地のある一点から、巨大な光の帯が伸びていた。急速に迫り来るそれは、まるでヴァルハラへ誘う導きの道のようで――
『……ぜ、前方に……膨大なエネルギー反応……!』
「あんなエネルギーがぶつかれば、機体は木っ端みじんだぞ! トリスタン! 避けろ! 避けてくれ!」
腰を抜かしたように操縦席に張り付いていたエンテに、ソマルの懇願が飛ぶ。だが到底、空軍最強戦闘機のエースの技能を持ってしても、回避できる速度ではない。
「リーアさん! 博士!」
その時はもう、無我夢中だった。無駄と分かっていても、本能が二人を守ろうと動いた。
未知の光線の衝突から、彼らを庇うように覆い被さる。
無音の光の奔流が瞬いた時、カイの意識は光と闇の狭間へと落ちた。




