第十一話 人間が宇宙について知る知識量など、赤子の言語理解能力にも及ばない
空気の対流する音が聞こえた。そして、光の流れる気配も。
ゆらゆらと、水面を漂う木の葉になったような感覚から、バーンはゆっくりと意識を浮上させた。
「ここは……」
身を起こし、見回した空間の異様さに思考が追いつかない。
広大なホールだった。微かな呟きすら響き渡りそうな、がらんとした空洞。
継ぎ目のない床に掌を這わせ、爪で叩く。有機的な凹凸が目立つ天井や壁面とは打って変わり、床面は驚くほど滑らかで、平坦だった。バーンは、そこが巨大な洞穴を人の手で加工したものであると推測した。
見たところ、出入り口は一つ。これも、巨大な横穴と言った方が正しい。
「神殿……?」
一見してそのイメージが閃いたのは、その場に漂う神聖な空気と、ホールの中央部にある、明らかに何かを祀るために造られたと思われる、石造りの祭壇のせいだ。
土台となっているのは、地面から突き出た巨大な石筍を、加工したもののように見えた。削り出された傾斜の強い階段の上に立つ祭壇の中央には、赤い、巨大な岩石がそびえていた。
水晶の原石に夕焼けを反射したような色合いのそれは三つに割れていて、それぞれに鎖のようなものが巻かれている。
祭壇の左右に配置された背の高い燭台からは、白い明かりが煌々と灯っていた。
認識出来る範囲では、灯りといえる灯りはそれだけだった。だが、殿内は妙に明るい。改めてホールを見回しても、窓や光源らしきものがあるようには見えない。
青みがかった白い壁面全体が、淡く発光しているようだった。
祭壇も床も天井も、中央の赤い岩以外は、全てが同じもので出来ているらしい。
(何の鉱石だ……?)
それが、己の見知らぬ物質であることを悟る。
バーン=ローエヴァーが知らない物質。
「……っ!?」
そこでバーンは、ようやく自分がいる場所が地球ではないことを思い出した。反射的に、喉を押さえる。
今更ながら、呼吸が出来ている。
ほとんど大気を持たない〈白き月〉とは違い、〈紅き月〉には比較的濃い大気圏が存在するが、その大半が二酸化炭素と窒素で組成され、酸素の占める割合はごく僅かだ。
人間が、宇宙服もなしに生きられる環境ではない。
だが、今現実として、バーン=ローエヴァーは生きている。
「……リーア! どこだ!?」
そう実感した瞬間、バーンは全ての現象を受け入れた。
人間が謎多き〈紅き月〉、そして宇宙について知る知識量など、赤子の言語理解能力にも及ばない。
全ての知識と事実は、今現在進行形で、身をもって更新されていくのだ。
受け入れた現実よりも優先すべき存在を、視線で探す。少し離れた場所に倒れる、二つの身体に駆け寄った。
リーアとカイは未だ気を失っていた。他の搭乗員の姿はない。
カイの腕が、守るようにリーアの身体に伸ばされていた。
「俺はいいからリーアを守れ」――初対面の時、そう言った言葉を覚えていたのかは知らないが、少なくとも、その気概だけはあるらしい。バーンは少年に対する評価を、幾分か軌道修正した。
傍らに跪き、バーンはリーアの血の気を失った白い頬に触れ、張りついていた金糸をそっと払いのけた。
いつもの粗暴な言動からは、想像のつかない優しい仕草に、長い睫に縁取られた瞼が、わずかに震えた。
「ぅ……」
「リーア、起きたか?」
「バーン……? ここは……っ!」
「無理に起きるな。さっぱり分からねぇが、異次元に飛ばされたんじゃなけりゃ、〈紅き月〉のどこかだろうよ」
額を覆うリーアの肩を抱く。不安そうに身を寄せるリーアが首を回し――祭壇に行き当たったところで、静止した。
「リーア、どうした?」
ジャケットの裾を掴む指先に力が入ったのを感じ、声をかける。彼の視線の先に目を向けると、紅い岩塊の内一つが、異様な光を帯びていることにバーンは気付いた。
――なぜか、これ以上なく嫌な予感が走った。
「一体、何が起こった!?」
「こっちだ! 祭壇の間だ!」
「今のは、まさか導きの光――」
固い床を叩く複数の足音。
(これは、ノブル語――?)
独特の、聞き覚えのない訛りのある言葉が飛び交い、二人は同時に振り返った。
「ヒト……!?」
リーアが息を飲む。だが、驚いている暇はない。
「オラ、カイ起きろ!」
「むぎゅっ!?」
いまだ眠る護衛係を乱暴に蹴り起こし、バーンはリーアに手を貸して立ち上がった。
「う、あっ、え!? あれっ生きて……博士! リーアさん! あれっ、一体なにココ……」
「とりあえず黙れ! 説明は後だ!」
説明できることなど何もないが、混乱する少年がうっとうしく、バーンは無理矢理黙らせた。
そうしている間にも、ホールの出入り口に、複数の人影が姿を見せた。
「貴様ら! 何者だ!?」
現れたのは、やはりヒトだった。
男がざっと10人弱。布を重ね合わせたような裾の長い衣装の上に、甲冑を着込み、やはり奇妙な形状をした――銃か弓のような武器を向けてきた。
「神聖なる神殿に、無断で踏み込むとは――」
「まて、この霊波は……」
威嚇する男を、別の一人が制す。
「まさか、守人……!? やはり、先ほどのはマルクレンタの――」
「何言ってるんだか分からねぇが……」
酷い訛りな上、未知の単語を連発され、ほとんど聞き取れなかったが、なんとなく雰囲気だけは察し、バーンはすぐさま行動を起こした。
驚愕する男達の隙を突き、床を蹴り後退する。
「逃げるぞ!」
「はい!」
状況を理解しないまでも、現状を把握したらしいカイが迷わず答える。
機内での一件もそうだが、この少年の非常事態への順応力と対応力には、目を瞠るものがある。
そのとき何を最も優先すべきか、彼は本能的に分かっている。
無駄に広い神殿の構造を知るべく、3人は、一際高い場所にある祭壇へと走った。
走りながら違和感を感じるのは、地球に比べ、この星の重力が軽いからだ。地上でも適応訓練は受けているので、慣れたらなんということはないはずだが、自身の感覚と実際の作動の誤差に軽く苛つく。
「ま、待て! 祭壇に近づくな!」
「撃つな! マルクレンタに当たる!」
男達の怒声を背に、祭壇に続く階段を駆け上がりながら、バーンは彼らに対抗する手段を模索した。
「ちっ……」
武器は船内に置いたままだ。祭壇の両脇に飾られた、細長い燭台のような物に手を伸ばす。
祭壇を照らす灯りは、蝋燭のそれではなかった。白々しい人工的な光は、蛍光灯の色合いに近く、バーンたちの感覚では、ご神体を祭る祭壇には不似合いにも思えたが、この場で地球の価値観を論じるのは無意味だろう。
台座から外した途端消灯したそれを、バーンは棍代わりに構えた。カイが同じように、もう片方の燭台を抜き取る。
「神聖な祭壇を……!」
追ってきた男の一人が、腰に帯びていた剣を抜き、逆上して襲いかかる。
「邪魔だ!」
一人を打ち据え、バーンは階段から蹴り落とした。
「リーアさん、下がって!」
別の敵から振り下ろされた刃を受け止めながら、カイがリーアを祭壇の奥へと押しやる。
「うわぁっ!?」
だが、少年は突如悲鳴を上げ、燭台を取り落とした。次の瞬間、カイの身体が沈む。
「――カイ!」
一瞬、体格差で押し切られたように見え、バーンの注意が敵から逸れた。
「うっ……!?」
しかし、うめき声を上げたのは、相手の兵士の方だった。
自ら身を沈めたカイが、相手の懐に潜り込み、拾い直した燭台の先で、思い切り甲冑の狭間から、脇腹を突き上げたのだ。
(やるじゃねぇか……!)
思わず、バーンは口笛を吹いた。
腹を突かれ、身体を丸めた兵士の背中に、伸び上がったカイが、棒の逆の先端を突き落とす。流れるような動作で相手を昏倒させ、足場から蹴り落とすと、その身体を乗り越えて次の敵が襲いかかってきた。その動きを予想していたように、着地点を薙いで重心を奪い、突き崩す姿には、無駄がない。
バーンの我流とは違う、骨身にまで染みついた技。軍人特有の洗練された戦闘技術だ。
しかし、冷静な立ち回りとは裏腹に、カイの顔には戸惑いが浮かんでいた。
「博士! 今、相手の武器を通して電流みたいなのが……!」
「電流?」
「はい! 不意打ちで驚きましたが、微弱な電流です。生命機能に影響を与えることはないかと」
つまりカイは、武器を通じて流れ込んだ電流から逃れるため、咄嗟に手を離し、押し切られたように見せかけて武器を拾い上げ、反撃に転じたのだ。
カイの様子に、有効であると判断したのか、バーンと武器を交えていた男が同じ手を使ってきた。
「……くっ」
燭台を握りしめた両手から電流が流れ込み、一瞬身体が痙攣する。
だが、耐えられない程度ではない。バーンは燭台を強く握り直し、力任せに相手の腹を蹴りつけた。
「リーアの雷の方が10倍きついっての!」
バランスを崩した相手の隙を逃さず脇腹をなぎ払い、止めに階段から蹴落とす。
燭台を捨て、まだ痺れの残る手を振る。バーンは、敵が落とした剣を拾い上げた。こちらの方が、よほど扱いやすい。
剣自体はごくシンプルなもので、電流を流す仕組みがあるようには見えなかった。
「放電能力か……?」
即座に思いついた、ピュラスタの特殊能力を口にする。一瞬、ある仮定が脳裏をよぎったが、ひとまずは右脳の片隅に置いて、思考を目の前の状況に集中させる。足場を利用して、終始優位に相手の攻勢を跳ね返すが、敵は執拗だった。
「……ったく、しつけぇ!」
「――博士、どいて下さい!」
声よりも先に伸びた燭台が、バーンを狙っていた最後の一人を突き倒す。
階段から落ちた男の悲鳴を最後に、ホールが静まり返る。階下で、苦悶に呻く声と、布ずれの音が聞こえるだけだ。
呼吸を整えながら、警戒を怠らず武器を構える少年の横顔は、どこまでも冷静で、凛々しい。初対面で見せた凡庸で夢見がちな姿とは、まるで別人だ。
「ったく……俺の株奪いやがって」
結局、大半の敵を片付けてしまった護衛係に、バーンは憎まれ口を叩いた。
(にしても、たいしたもんだ)
なるほど、SSAで宇宙飛行士などやらしているのが、もったいない逸材だ。
「……ま、俺の護衛役なら、これくらいはやってもらわねぇと、足手まといか」
士官学校を飛び出したという少年に、未だ軍部から声がかかるという話を聞いた時は、帝国軍も随分と人材難だと笑ったものだが、父親の名もあるとはいえ、将来性豊かな才能を帝国が手放したがらなかったことにも頷ける。
自分より五つも若い少年が仁王立ちし、階下の敵を見下ろす様は、ある種勇ましい。バーンは小さく笑みを浮かべた。
3人の背後に鎮座するご神体の存在は、敵に対する盾となっているようだった。銃や弓のような飛び道具で一斉攻撃を受ければひとたまりもなかったが、彼らはご神体を傷つけないよう、白兵戦で挑んできた。
すると突然、階下で身悶えていた男の一人が奇声を発し、何かを頭上に投げた。
三つの輝きが煌めいたかと思うと、それらが、有り得ない軌道を描き、祭壇上のバーン達に襲いかかる。
「わわっ!?」
カイが驚きの声を上げながらも、二つを避け、一つを叩き落とす。
二つはそのまま背後のご神体に突き刺さるかと思われたが、衝突の直前でほぼ直角に曲がり回避すると、再び切っ先を向け、狙いを定めてきた。
重力を無視して空中に静止するそれは、柄のないナイフ、という印象を受けた。先の尖った錐状の金属は、明らかにこういった用途を想定して作られた武器だ。
「何だこれ!」
頭部を狙い、交差する二つを、カイが瞬時に沈み込んで避ける。
そのうち一つをバーンが叩き落とし、足で踏みつけ行動不能にする。未だ空中を漂い、誘導ミサイルのごとく狙いを定めてくる、最後の一つを睨みつけた。
「こいつらが操っているのか?」
ピュラスタの念動能力に近いが、バーンの知る限り、彼らには複数の物体を意のままに操るような力はない。
戸惑うバーン達の様子に、階下の数名が話し合うような動作を見せた後、頷き合い、全員に指示を出す。
何事かを示し合わせ、祭壇ごと周囲を取り囲んだ。
「これはやばいかもしんねぇな」
「冗談でしょう。よく分からないところに辿り着いたと思ったら、よく分からない人たちに襲われて即死ですか」
カイが嘆く。バーンが皮肉の一つも言い返す前に、予想通り、階下を囲む敵が、一斉に錐を頭上に投げた。
さすがに、これらを全てを避け切るのは不可能だ。
覚悟を決める気はないが、打開策も見当たらない。思考を巡らせている間にも、容赦なく数十の意思を持った刃は、3人の異邦者に襲いかかる。
――だが、まさに目と鼻の先で、その全てが、糸が切れたように地に落ちた。
「何だ……?」
一瞬、力なく足下に落ちた錐に目を奪われる――が、すぐに、いつの間にか二人の前に立つリーアの存在に気付いた。
右手を掲げ立ち尽くす青年は、信じられないものを見るように、己の手を見つめていた。
「リーア……お前か? 今の……」
「あ……」
バーンの言葉に、リーアが氷が溶けたように右手を下ろした。呆然と、その掌を見つめながら呟く。
「一か八かで、全てを止めようと……」
リーアの念動能力は、ピュラスタの中でも強い方だが、それでも複数の物体を一度に操るようなことは出来ない。これだけの数の、高速で移動する物体を止めることなど、尚更不可能だ。
「……やはり守人……?」
「まさか、そんなはずは……」
「だが、この霊波は――」
階下の男達がざわめく。彼らの混乱を収めるように、一人の男が腕を振り上げ、声高に叫んだ。
「ならば尚更、排除すべきだ! 守人は我が主、ロスフランベルカ=ヤフェト様のみである!」
「――そこまでだ!」
入り口から響き渡った声に、バーンは舌打ちした。増援だ。
(さすがにマズイか……?)
降参か抵抗か。これが地球であり、国家や組織の争いであるならば、対応の方法も思いついたが、そもそも彼らにとっての自分たちの立場が仮想も出来ない以上、判断の下しようがない。
「第二守人派の一味か!」
しかし、忌々しげに舌打ちしたのは敵の方だった。
「導きの光は現れたり! 我が祖、我が主に霊核の加護来たらん。そこにおわすは、我らの王である! 王国軍よ、直ちに撤退するがいい。さもなければ、命の保証はないぞ!」
張りのある低音が、広大な空間にこだまする。
同時に、バラバラと響いた足音の数は尋常ではなく、すぐさま展開した武装集団は、手慣れた様子で祭壇と男達を包囲した。
「くっ……引き上げるぞ! ロスフランベルカ様に報告だ!」
第三勢力の登場に、形勢不利を悟ったリーダー格の男が命じる。兵士たちは気絶した仲間を肩に担ぎ、その場から撤退を始めた。第三勢力が、それを追撃する気配はない。
新たに現れた数十名の武装集団は、撤退したグループと似た装いをしていたが、あちらが白い装束だったのに比べ、彼らは黒で統一されている。
「何なんだ……一体……」
まったく理解の追いつかない状況に、バーンは呻いた。
背後を振り返ると、ブロンドの青年が引き寄せられるように、赤い石を見上げていた。不思議な輝きを見せる一つに、そっと手を伸ばす。
「それに触れてはなりません」
決して強く叱りつけるような口調ではないが、思わず従ってしまうような厳しさをもって制され、リーアはびくりと動きを止めた。
先ほど声を発した、第三勢力のリーダー格と思しき男だ。彼の傍らに立つ兵士が、伺いを立てた。
「良いのですか? アレスクロディエ様。彼らは、第二守人の存在を知りました」
「構わん。むしろ知らせてやるがいい。忌まわしき仮初めの王に、真の守人の降臨を教えてやるのだ」
朗々とした声の主は、揺るがぬ自信を持って祭壇を仰いだ。
正確には、リーアを。
律動的な動きで階段を上った男は、近くまで来ると、かなりの長身であることが知れた。
黒装束の上に灰色の髪を流し、片眼鏡をかけた薄氷色の瞳は、鍵がかけられたように感情を読み取るのが難しい。
「守人が霊核に触れると、霊脈が活性化し、大地と霊気に影響を及ぼします。『故に守人が霊核に触れることを禁ずる』――紅き月の民の掟です。お忘れになりましたか?」
「え……?」
当たり前のように問われ、戸惑いを隠せぬ様子で、男を見上げるリーア。
しかし、男――アレスクロディエは、それすら構わぬように、恭しくリーアの前に跪いた。
まるで、君主を迎え入れる騎士のように。
同時に、祭壇の下で、数十人の黒衣の男達が膝をつく。厳かな声が唱和した。
『――主よ、栄光の王よ、苦難の時を超え、我らの前に再び現れ給え。御心を知らせ給え。あなたの忠実なる僕を救い給え』
祈りの言葉は、波紋のように広がり、神殿の空気を震わせた。
そして、
「お待ちしておりました、我らの王よ」
灰色の騎士は真実、そう告げたのだ。




