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ダブルムーン・クライシス  作者: 夜月猫人
第五部 紅き月の王
33/38

第三十三話 夢を叶えるには、金も権力も力も必要だ


 その男の死は、静かなものだった。

 無様な悲鳴を上げることすら拒むかのように、口を閉ざした男の代わりに、床に落ちた片眼鏡(モノクル)が鳴いた。

 薄氷色の両眼は、光を失ってもなお、彼が見据えた未来に向け、見開かれている。

 男の生命が零れ落ちる音よりも、生き残った己の息遣いと鼓動の方が五月蠅く聞こえ、バーンは意識して呼吸を整えた。 

 仰向けに倒れた身体を床に縫いつけ、刃を抜くと、傷口から血泉が溢れ出た。

 彼らが神聖だという、鮮やかな(アカ)

 その色を見ると、いつも思い出すのは、救えなかった相手の横顔だ。



 バーンが少年の頃、父親と一緒に働いていた研究施設の一角に、人知れず繋がれた少年。

 紅い髪と瞳――人には有り得ない、太陽の紅炎(プロミネンス)を飲み込んだような鮮烈な赤を宿す、地球外生命体。

 魂を塗り潰されそうなその色は、当時10歳だったバーンの記憶に、強烈に刻み込まれた。

 数百年の時を、その場所に囚われているという紅い天使は、時が止まっているような幼い容姿のまま、この世の全てを諦めたような、達観した無気力さに捕らわれていた。

 少年が紡ぐおとぎ話のような月の話を鵜呑みにするほど、バーンは年相応の純粋さを持ち合わせてはいなかったが……それでも、確かめたいと思った。

 彼が本当に月から来たというならば、その還るべき場所に、還してやりたかった。

 そして、自分にはそれを実現する力があると、過信していたのだ。


『俺が、お前を月に帰してやるよ』


 それは、果たされなかった約束。

 あの頃、努力は必ず報われるもので、夢は必ず叶うものと信じていた。


『一緒に逃げよう、二人で』


 己の才能を信じていた。成せないことなどないと思っていた。

 どうすることも出来ない不条理な現実が存在するなどとは夢にも思わず、見えない明日を信じ続けていた。

 信じていたのだ――本当に。


 ――父親が組織にすら秘密裏に行っていた実験事故により、その少年が死亡したのは、10年前の話だ。



「博士……?」


 動かない紅月人を前に立ち尽くすバーンに、カイの遠慮がちな声が届く。

 現実に立ち返り、バーンは知らず握りしめていた、汗ばんだ拳を解いた。

 白昼夢のような、忌まわしい記憶。


「……青臭ぇ時代思い出しちまったな」


 額に浮いた汗を拭い、振り払うように走り出す。後ろをついてくるカイの足音を聞きながら、バーンの目には、この先にいるであろう一人の青年の姿が見えていた。

 血のような紅い髪――ではない。

 太陽の下で、豊かな実りを誇る一面の稲穂のような黄金。

 高台から見下ろす、大海原と同じ深い蒼。

 夢を叶えるには、金も権力も力も必要だ。

 それを理解し、当たり前のように隣で笑う、自分が作った生命(いのち)

 一人では背負い切れない夢も、あの男とならば、見続けることができる。

 ――はたしてそのような運命を強制された彼が、幸せであるかは分からないが。


「ここで、最後……っ!」


 数える気もなくすほどの階数を駆け上がっていくと、上に行くほど兵の数は減り、最後には己の体力との勝負になった。

 ついに最上階まで上り詰め、後ろで、カイが息も絶え絶えに気合いを入れる。

 最後の一段を踏み込み、バーンはフロアを見回した。壁をくりぬいたような小さな窓から、外の景色が見える。

 迫り来る洞窟の天井が、ここがこの世界で、最も天に近い場所だと伝えていた。


「リーアさん!」


 歩の緩んだ先行を追い越し、カイが一つしかない部屋の扉を蹴り開ける。

 一瞬、壁に大写しになった地球の映像に目を奪われるが、すぐに少年は、ベッドに繋がれた探し人を見つけた。


「リーアさん! こんな……無事ですか!?」


 駆け寄ったカイが、錠を銃で撃ち壊す。


「ありがとうございます、カイ」


 数時間ぶりに自由になった手を振り、リーアが礼を言う。部屋には、見張りの兵一人いなかった。

 すぐに、蒼い目が部屋の側面の大きな窓に向かう。囚われ人は開け放った窓から身を乗り出し、階下を見下ろした。


「喧噪……?」


 ここまで必死に駆け上がってきたから気付かなかったが、いやに外が騒がしい。

 バーンとカイも窓枠からのぞき込み、下界で繰り広げられる光景に目を見張った。

 白と黒が、衝突している。

 地底湖に区切られた城下の居住区画と城門の橋に、零れ落ちそうなほどの人波が押し寄せていた。

 オセロのように、はっきりと分かれた2色が人であることを認識するのは一瞬だったが、事態を理解するには、もう数拍必要だった。


第二守人派(ツァーリ・ノア)と王国軍が――全面衝突している……」


 呟いたリーアの声は落ち着いていて、どこかでこの事態を予期していたようにすら聞こえた。

 カイが、混乱した様子で聞いた。


「これは、一体……」

「ロスフランベルカが、かつてのリアロクロエと同じように、私をこの塔に閉じ込めたからでしょう。……300年前と、同じ過ちを繰り返している」


 城下で殺し合いを続ける二つの勢力は、この国の全人口を、その場に集結させたのではないかと思うほどだった。よく見れば、女子供すら争いの端に加わっている。

 300年前、マルクレンタが三つに割れたことにより起こった王位争い。その凄惨さを想像させるような現実――戦争。


「馬鹿が……! 共倒れでもするつもりか!?」


 知れず、バーンは吐き捨てた。

 信仰か、本能か――石に狂わされた彼らの行動は、自らを破滅に導くもの以外なにものでもない。


「リーア、帰るぞ! 付き合ってらんねぇ! もう時間がない、とっとと宇宙船に戻って、こんな馬鹿な星から……」


 当然取られると思って差し出した手を握り返す感触はなく、相手を振り返ると、悲しげな碧眼が、城下の争いを見つめていた。


「……やはり、ロスフランベルカ……あなたは――」

「リーアさん……?」


 不安そうに、カイがリーアの腕を掴む。それに気付き、リーアがようやく顔を上げた。

 無言のまま、穏やかに微笑み、掴まれた手をほどく。代わりに、そっとカイの胸の前に右手をかざした。


「……っ!?」

「カイ!?」


 目に見えない手に押されるように、少年の身体が飛び、後ろにいたバーンが受け止める。


「先に戻っていて下さい――やり残したことがあるので」

「なっ……」


 こちらにかざされたリーアの手を掴もうとした時には、もう遅い。

 目も開けられぬほどの眩しい光に満たされ、バーンは、最後に彼の声を聞いた。


「――私が約束の時間に戻れなかった時は、その時は――よろしくお願いしますね、カイ。決して、一番大切なものを見失わないように」


 最後にかけられた彼の信頼が、自分ではなく、あの一途な少年だったことに、焼き切れるような嫉妬を感じた。


 



「冗談じゃねぇぞ!」


 強制的に転送されたコックピット内に、バーンの怒声が響き渡った。

 突然降って湧き、わめき散らした野蛮な男に、気の弱いピュラスタが身をすくめる。

 耳を塞いだ女性搭乗員が眉をひそめ、何事かと振り返った。


「ローエヴァー博士、ライトハーツ! 無事戻ったか!」


 声を聞きつけ、コックピットを離れていたらしい隊長が戻ってくる。喜色の声は、二人の満身創痍な姿を見て消音した。


「んの野郎、ふざけやがって! 俺は戻る! 誰のもんだと思ってんだ!」

「博士、落ち着いて……落ち着いて下さい! マークス、手伝ってくれ!」


 暴れ狂う獰猛な科学者を必死に押さえつけ、カイはマークスに助けを求めた。


「は、はいっ……うわわっ博士! そんなもの振り回さないで下さい!」


 血まみれの剣を振り回す姿は、とてもではないが、エルタール賞を受賞した名誉ある科学者とは思えない。


「うっ……」


 カイやマークスをぶら下げたまま暴れ回っていた身体が、突然崩れ落ちる。肩を押さえ、うずくまるバーンに、カイはアレクにやられた傷を思い出した。


「博士、傷……!」


 あまりに普段と変わらぬ素振りを見せるから、気に留めていなかった。

 慌てて服を脱がせる。ジャケットを貫通した火傷痕は、右肩を中心に大きく広がっていた。出血は少ないが、重傷だ。


「すぐに救護室に運ぼう! クソッ、こんな時に、リーアさんはいないし……」

「そうだ、クラウンフォルト伯爵は!?」


 悔し紛れに吐き捨てたカイの言葉に、ソマルが問いただす。


「先に行ってろと……時間に間に合わない場合は……その時は……」


 唇を噛みしめ、カイは押し黙った。

 リーアを止められなかった己の不甲斐なさに、後悔が噴き出す。

 だが、もう後戻りは出来ない。

 もう一度ソディを呼び出し、あの国に戻るだけの時間はない。

 何かを選び、リーアは二人だけを船に戻す決断をした。

 ならば、カイも選ばなければいけない。

 リーアに託された、バーン=ローエヴァーを失うわけにはいかなかった。

 選択と決断。あの時、否定したリーアの言葉を痛いほど理解する。


「アルバント、出発まであと……」

「1時間を切りました!」


 ソマルの確認に、間を置かず答えたマークスの報告は、周囲に絶望的な沈黙をもたらした。


「待つしかない、か……ローエヴァー博士は治療次第、ベッドにでも縛り付けておけ。また暴れられると面倒だ」


 VIPに対して随分と乱暴な対応だが、それが最も適切な措置であることを理解していた隊員達の中に、異議を唱える者はいなかった。





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