第二十八話 慈しみと優しさを他人に向けることが、自己の満足に繋がる
「どうやら、こちらが当たりのようですね」
呟いたリーアの声には、言葉通りの喜びはない。
幅の広い、石畳の廊下が続く。高い天井に反響し、二組の足音がやけに響いた。
規則正しく並ぶ列柱の合間に、不規則に横たわる兵士を道しるべに奥へと進む。徐々に増えてきた黒い装束に、リーアは、この先に目的の人物がいることを悟った。
はたして、どんな姿でいるのかまでは、保証はつかないが。
「ああ……アレスクロディエ様……」
肩を震わせ、祈るように呟くソディの声には、夫の安否を気遣う痛ましさが滲んでいた。
血臭と、電撃銃での交戦による焦げた臭いが蔓延する城内は、いやに静かで、不吉な想像ばかりが駆り立てられる。
死屍累々と横たわる第二守人派の中に、灰色の頭が見当たらない事を確認しながら進んでいると、唐突に死体の山から、一人の衛兵が立ち上がった。
「この……っ異端者どもがぁぁっ!」
「ひっ……」
血にまみれた男の血走った目が、ソディを捕らえる。伸ばされた手が彼女の肩を掴もうとするのを、リーアが阻んだ。
「その手を退けなさい」
間に割って入ったリーアの手首を、衛兵の節くれ立った指が捕らえる。
顔色一つ変えずに命じたリーアに、男が獣のような咆哮を上げ、もう一方の腕を振り上げた。
「聞こえないのですか? 汚い手で触るな、と言っているのですよ」
冷ややかな声に重なるように、絶叫が響いた。
強烈な電圧に貫かれた男の巨体が宙を舞う。
「人の話は聞くものですよ」
次の瞬間には、重い音を立てて床に沈んだ男に、親切な忠告が投げかけられた。
相手の力を利用した無駄のない投げ技で、己の2倍近い幅のある巨漢を叩き伏せた青年は、背にかばった女性を振り返った。
「大丈夫ですか? ソディ」
「あ……あ、はい……」
先程の冷ややかさは微塵も感じさせない微笑みで気遣われ、ソディが呆気に取られた顔で応える。
「行きましょう、早く、アレクの元へ」
差し出された手を取ろうとした瞬間、ソディの表情が強張った。
背後に、軍靴の音を聞いたのだ。それも、尋常でない数の。
「ソディ、こちらに!」
リーアが、己の背後にソディを隠す。近づいてくるけたたましい軍靴は、やがて白装束の軍団となって二人を取り囲んだ。
アレクの部隊に対抗するべく送りこんだ増援か、リーア達の侵入に気付いて放った追っ手か――いずれにせよ、敵という事実に変わりはない。
「これは……さすがに逃げ切るのは難しそうですね」
「リーア様……」
「――大変申し訳ありません、ソディ。あなたに、不快な思いをさせることになりそうです」
「え……?」
「どこまで制御できるか、自信はありませんが……巻き込まれないように――私から離れないで下さい」
意を決し、宣言したリーアの左腕が、ソディを抱き寄せる。
同時に振り上げられた右腕が招いた轟雷が、柱廊を眩い光で埋め尽くした。
※
「――これは……迂闊には使えないですね……」
リーアが広範囲に発揮した放電能力は、長い石廊の前後数十メートルに強力な電流を走らせた。
二人を取り込んだ敵兵は、例外なく行動不能となっていた。
対して、壁や天井、それらを支える円柱が、致命的な損傷を負った形跡はなかった。だが、これも堅牢な王城だからこそ持ちこたえたようなもので、生半可な建造物では、崩落の危険性すらある。
大分調整のコツは掴めるようになってきたが、平静時でなければどうなるか分からない。リーアは、この星に来てから確実に増している力の危険性を再認識した。
「ソディ、無事ですか」
間違っても落雷の標的にならないよう、腕の中に囲い込んだ女性からぱっと離れる。
途端、その場にへたり込んだ身体を、リーアは慌てて支えた。
転がる兵士達の中から、いくつか呻き声が聞こえた。生存者はいるようだが、その割合などは確認できない。また、その必要もなかった。
今、ここは戦場だ。
誰かの命を奪おうとするものは、同様のリスクを背負わねばならない。
だが、その原理原則を、目の前のか弱い女性にまで押しつけることはできない。明らかに怯えている彼女を労わり、リーアは静かに問いかけた。
「私が怖いですか? ソディ」
「いえ……いいえ!」
ソディが激しく首を横に振る。その言葉が嘘ではないと主張するように、腕にしがみつく指先に力がこもった。
怯えはあっても、拒絶はない。
「では、失礼」
そのことを確認し、リーアは一声かけて、腰が抜けたソディの身体を抱きかかえた。
「リ、リーア様っ? お、お離し下さい、リーア様!」
姫を扱う騎士のような丁重さで抱き上げた青年に、驚いたのはソディの方だ。
手足をばたつかせて慌てるソディに、リーアが小首をかしげてのぞき込む。
「どうして?」
「これ以上、守人の手を煩わすようなことは……」
赤くなった顔を伏せ、落ちないようにしがみつくソディに、リーアが泰然と笑む。
「動けない女性を、無理矢理歩かせる方が、煩いになると思いませんか? それに、この星の重力は、地球に住んでいる我々にとっては随分と小さいんです。もっとも、それを差し引いても、あなたなら大して重くはなさそうですけどね」
「リーア様!」
更に顔を赤くさせるソディの反論を聞く前に、横抱きに抱えたままリーアが駆け出す。
「……バーン様と、カイ様は無事でしょうか」
やがて諦めたように、大人しく運ばれていたソディが、心配そうな声を漏らした。
「バーン……」
ソディの心配とは別の部分で、リーアは顔を曇らせた。
カイにバーンを託し、二手に分かれたことに、あの男が激怒している姿が容易に想像できる。駄々をこねて、カイを困らせていないといいのだが。
「カイは優秀なボディガードです。彼がいれば、きっと大丈夫ですよ」
カイの実力と、状況判断能力には、あのバーンですら一目置いている。
何より、彼は純粋に、バーンを慕っている。
己の使命に忠実な少年は、何を置いても博士を守ろうとするだろう。その点については、誰よりも信用できる存在だ。
そしてバーンもまた、あの純粋で聡明な少年に対して、一種特別な信頼を寄せているように思えた。
それは、依存でも利害でもなく、ましてや束縛でもない。
互いの自立の上に成り立つ、信頼と友好。
それが対等な人対人の関係の中で、この上なく健全で理想的な形であることに、リーアは気付いた。
(……それが、カイの言う友というものなのでしょう)
彼の一部から生まれた己には、成り替われないポジションだ。
「リーア様は、カイ様を信頼されているのですね」
「カイは私の先生ですから」
「先生?」
意外そうに目を丸くする女性に、リーアは微笑みで答えた。
バーンは人の愛し方を知らない。
そして、リーアも知らない。
そのことに気付いたのは、あの愛することも愛されることも上手い少年に出会ってからだ。
彼によって教えられたいくつかの新事実は、リーアの内面にある変化をもたらせた。
大切な人の幸せが必要だと言ったカイの言葉は、利用することと利用されることでしか、人との関係を考えられなかったリーアに比べ、ずっと大人びた価値観に基づいた発言のように思えた。
それは寛大で、成熟した愛の形であり――慈しみと優しさを他人に向けることが、自己の満足に繋がるという、人間の持つ何よりも尊い心理過程を体系化したものではないかと――リーアは思うのだ。
それほど長くはない移動距離の後、目の前に立ちふさがった巨大な扉を前に、リーアはいったん女性を降ろし、両開きの戸を押し開いた。
「アレク……!」
「アレスクロディエ様……!」
二人が、同時に息を飲む。
扉の向こうには、大広間が広がっていた。
豪奢なシャンデリアが吊り下げられた典雅な空間の中央を、赤い絨毯が貫いていた。その長い道を辿った先、広間の最奥は一段高くなっており、この国の支配者が腰を下ろすのであろう、玉座が据えられていた。
今は空っぽのその玉座の前に、一人の男が立っていた。
正確には、一人の男しか立っていなかった。
血の滴る刃をだらりとぶら下げた探し人の横顔は、気の抜けた炭酸のように覇気がなく、その灰色の髪と白い貌は、誰のものとも知れぬ血でべったりと汚れていた。
どさり……と、重い音を立て、アレクの目の前で倒れた男は、黒装束を赤敷きの絨毯に広げ、事切れた。
明らかにその銀の凶刃に斃れたと分かる、その者は――第二守人の臣民だ。
「アレスクロディエ様……どうして……!」
彼の周りに倒れるそのほとんどが、同胞である第二守人派の人間であることに気付く。
思わず駆け寄ろうとしたソディを制し、リーアは脳裏で警告の鐘を聞きながら、一人広間の奥へと足を踏み入れた。
「ようやく来られましたか。我が君」
待ちくたびれたとでも言うように、ゆったりと振り返ったアレクの薄氷色の瞳が、リーアを映す。
その目に、リーアは全てを悟った。彼の目的。彼の行動の意味。彼の葛藤を。
悟ったからこそ、リーアは目を逸らさなかった。
まっすぐに彼の目を見つめ、背筋を伸ばして歩み寄る。
「ソディたちが心配していますよ。いつから待っていたんですか?」
「――300年前から」
「まったく……気の長い方々ですね」
薄く笑った男の言葉に苦笑する。
「だが少し遅すぎました」
続けた男の声は、落胆と悔恨に満ちていた。
「あなたはもう、第一守人の杯を受けたのですね――アレスクロディエ」
全てを理解したリーアの言葉に、男の目が僅かに揺らいだ。
彼は第一守人のために、彼に敵対する第二守人派を一掃するために動いたのだ。
あわよくば、この窮地を救いに来た、第二守人諸共、始末するために。
「……私も迷ったのですがね。まさか、このタイミングであなたが現れるとは、思いもしなかったので……」
自嘲気味に笑うアレク。その目には狂気の色はなく、どこまでも冷静に、この状況の滑稽さを嗤っているようだった。
そう、ある意味で、彼は正常に戻ったのかもしれない。
救世主という甘い毒から覚め、現状を受け入れ、長きに渡り抗い続けた現王に屈するという選択をした、第二守人派のナンバー2。
「これだけ永い時を待っても、第二守人は現れなかった。王のいない臣民などあり得ない。ならば、マルクレンタの加護を持つ、真の王に従うべきだ」
彼を非難する資格は、リーアにはない。
この男を罵るべきは、彼を信じ、戦い抜いてきた者たちであり、その手を取ることすらしなかった、己の出来ることではない。
それでも、裏切られた者たちのことを思うと、怒りとも哀しみともつかぬ感情が胸の内にくすぶり、リーアは唇を噛んだ。
「リアロクロエ様、もう少し早く、あなたがお戻りになっていれば……」
「あなたの迷いを打ち消す、良い事実を教えましょう。私はリアロクロエではない。バーン=ローエヴァーという地球の科学者によって、リアロクロエの遺伝子から造られた複製――模造品です。髪と目の色が違うのも、これは私の予想ですが――地球人として生きやすいよう、制作者によって人為的に操作されたものです。……謎が解けましたか?」
「なんと……」
アレクの顔が驚愕に歪む。そこには打ちのめされた悲壮と、嫌悪にも似た憤りが混じっていた。
彼は、それでもどこかで期待していたのだろう。真の王の降臨を。
リアロクロエの複製――リーアがその事実を確信したのは、ロスフランベルカ――彼の兄だと名乗る紅月人の王に出会ってからだ。
それまで、リーアはバーンから、己が異能人のクローンである、ということしか知らされていなかった。
大マルクレスト帝国一の大貴族、クラウンフォルト侯爵家には、生まれつき病弱で、寝台を出ることができない一人息子がいた。
余命幾ばくもない跡継ぎの代替を求めた資産家。
父親から受け継いだ、クローン研究の集大成を望んだ若き天才科学者。
双方の利害が一致し、クラウンフォルト家は、バーン=ローエヴァーの研究を支援した。
そしてバーン=ローエヴァーは、クローン技術を利用し、己とパトロン、双方の望みを叶えたのだ。
そう聞かされていたリーアは、創造主の命じるままに、クラウンフォルト家の嫡子として生きた。そのことに、疑問を感じる余地はなかった。
――薄暗い研究室で、初めて見た『世界』は、今思えば酷く暗い――餓えたような目をした少年だった。
『よぉ、俺が誰だか分かるか?』
その声は、覚えがあるような気がした。
暗闇の中で聞いた、ただ一つの呼び声。
『俺はお前の創造主だ』
その時から、彼が世界の全てだった。
そして、リーア=L=クラウンフォルトと成り代わったクローンは、義理の父親以上の援助を、己を生んだ科学者に与えたのだ。
それ以外に、己の価値を見出す方法を、見つけられなかった。
「――我々は300年の間、戦い続けたのですよ」
立ちくらみを起こすようによろけたアレクが、支えを求めるように、空の玉座に手をついた。
震える声が、悲嘆と共に吐き出される。
片眼鏡を押さえ、深く息を吐くその姿は……随分と老いて見えた。
「もう疲れたのです。このままでは、いずれこの国は疲弊し、滅びる。私は選んだのです。この国の未来のために」
彼の選択が間違っているとは――リーアには思えなかった。
多くの同胞の命を奪った裏切り者を前に、非難する言葉を持てなかったリーアの背中に、女性の悲鳴が届く。
振り返ると、いつの間にか現れた数名の衛兵が、ソディを捕らえてた。
「しまっ……」
その瞬間、気を取られたリーアの身体が、引きつけを起こすように痙攣し、絨毯敷きの床へと倒れた。
意識を失った青年の髪が床に広がる。小型の電撃銃を片手にした片眼鏡の男は、かつて主と呼んだ相手を、冷めた目で見下ろしていた。
「我が君の望みのままに――」
レッドムーン=テイラー3号発射まで、あと5時間28分。




