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ダブルムーン・クライシス  作者: 夜月猫人
第四部 紅き月の抗争
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第二十四話 その言葉は、選ばれし預言者の前に現れた神の言葉のように響いた


 秘密の地下部屋にたどり着いた瞬間、カイは噎せ返る血臭に鼻をつまんだ。

 銀色の頭が視界に入り、慌てて向かおうとして血だまりに足を取られる。辛うじて膝をつくに留めたカイのズボンの片側が、べったりと(あけ)に染まった。

 不快感に漏れそうになる息を押し殺し、今度は慎重に近づくと、もはや手遅れかと思うほどに、操作盤に突っ伏した少女の身体は血にまみれていた。

 第二守人派(ツァーリ・ノア)のカラーであるという黒を基調とした軽装は、逃げる際に刃を受けたのか、背中が横一文字にぱっくりと切り裂かれていた。

 地下国家という環境で、紫外線に晒されることのないであろう白い肌に、大きな切り傷が魔物の口のように開いている。


「酷い傷だ……ティスカ! ティスカニア! 聞こえるか!?」


 ティスカに反応はない。出来るだけ衝撃を与えないように、抱きかかえた身体を仰向けにする。

 加えられた力に、なすがまま従った細い身体が、くたりとこちらを向いた。


「くっ……」


 彼女が敵と向かい合い戦った証とでもいうように、正面に刻まれた傷は背中の比ではなかった。無事なところを見つけるのが難しいほどの切り傷と火傷跡が、無数に散らばる。

 肩口まで切り裂かれた服は、持ち主と同様、虫の息で少女の身体に纏わりついていた。まだ幼さを残した身体の、胸元の緩やかな隆起が目に入りそうになり、カイは意識して目を逸らした。着ていた制服の上着を脱ぎ、上からかけてやる。

 同時に、血の染み込んだ操作パネルに嵌め込まれた時計が目に入る。

 コンマ零零秒まで表示される電子文字が、凄まじいスピードで数字を回転させながら、等間隔に時を刻んでいた。


 驚くべきことに、それは現代の地球にも伝わっているジャグリア数字だった。

 5000年以上も前に、最初にゼロの概念を確立した民族が用いた数字であり、大陸を越えて世界に伝搬した。数千年の時を越えて、二つの星の文明に根付き続ける発明の偉大さには畏怖すら覚えるが、ゆっくり感動している場合ではない。

 地球と読み方が同じならば、時刻は02時05分。カイの腕時計は、07時00分を指していた。

 この国の時間でいえば、タイムリミットは14時05分ということだ。


「ティスカ、意識はあるか? 声が聞こえたら、まばたきをしてみてくれ」


 何度か耳元で呼びかけると、もはや昏睡状態かと思われた女性は、瞼を震わせた後、うっすらと目を開いた。


「カ……イ……? 来てくれたの……?」

「リーアさんも、バーンさんもいる。君たちを助けに来た」


 リーアの名を耳にした途端、ティスカの目から涙が溢れた。


「良か……った、(しゆ)……よ、栄光の……王よ……」


 幸せそうに祈りを口にする少女。

 カイは、込み上げる苦い感情に奥歯を噛んだ。

 これは、呪いではないのか。

 才気溢れるこの美しい少女を、ここまで駆り立てる守人への信心は、守人と臣民を縛りつける呪縛だ。誰も幸せになれはしない。


「ティスカ。あなたは、まだ終わりではありません」


 主を呼び出せたことに、自身の責務を果たした高揚に満たされたのか、生命の鎖すら手放しかねない第二守人派(ツァーリ・ノア)の党首に、リーア――リアロクロエの複製(コピー)は、残酷とすら聞こえる王の言葉で、忠実な(しもべ)を引き留めた。

 転送が負担になったのか、ひどく顔色が悪い。リーアは頼りない足取りで近づき、カイの腕の中で、永遠の眠りを求める少女の頬を包んだ。

 そして、彼女を引き留めるために、彼女が望む王の顔を作る。


「生きて、あなたの同胞を救うのでしょう? 私は王であっても、神ではない。あなたのような優秀な臣民がいなければ、何事もなす事は出来ません」

「王……」

「生きて下さい、ティスカニア。これは、私からのお願いです。命令といってもいい。あなたは、ここで終わるべき人間ではない。あなたが、これからの時代を作り上げていくのです」


 その言葉は、まるで、選ばれし預言者の前に現れた神の言葉のように響いた。

 ティスカの蒼銀の瞳に、魔法のように生気が宿る。


「はい……王よ――光栄です」


 こぼれ落ちた大粒の涙は、ひどく純粋で、触れることすら許されないような、神聖なもののように見えた。

 だからカイは、次々と少女の頬を濡らす水滴をぬぐってやることすら出来ず、ただ血の臭いのする身体を抱いていた。





「……西の居住区画に、もう一つの隠れ家があるわ。姉様も、そこに……」

「医療設備はあるんだな?」

「……元々は、病院として使われていた場所よ。今はアジトとして使えるよう、色々改装してはいるけど……」


 力なくそう答えたティスカに、3人が顔を見合わせ頷く。

 彼女に生きる気力を持たせたからには、生かすのはこちらの責務だ。

 一刻一秒も無駄には出来ない。少女の軽い身体を抱え、3人は地下墓地を抜け出した。


「地上に比べて、ここは随分と暖かいですよね」


 目的地を目指す途中、ティスカを抱きかかえたバーンの隣で、カイがそんな感想を口にする。

 今、地上は極寒だ。それに比べ、地下国家の気温は安定している。体感では、20度前後というところか。


 紅き月の表層は、激しい気温変化を見せるが、この地下国家は、年間を通して気温が一定に保たれているのだという。

 理由はおおよそ見当がついた。この地下国家の環境は、あらゆる奇跡の上に成り立っていると言っていい。

 それが幸運だったのか、不運だったのか――判断するのは、バーンではない。


「今度この国に来るときには、アレクにいい温泉紹介してもらおうぜ」


 そう軽口を口にしている間に、目的の場所に辿り着いた。


「ティスカニア!」


 4人を迎え入れたのは、妹によく似た銀髪の女性だ。

 病院跡を改築したというその場所は、今は非戦闘員の避難場所になっているらしい。

 ソディの足下にまとわりつくのは、10歳以下の幼い子供たちばかりで、奥では、女性や老人が身を寄せ合っている。

 かなりの数の怪我人が出ているらしく、体育館ほどの広さのあるホールに敷物が詰められ、傷ついた人々が横になっていた。

 中は、野戦病院さながらの慌ただしさだ。

 ソディは、瀕死の重傷を負った妹にまず驚き、彼女を連れてきた3名に、さらに驚いた。


「かなり危険な状態だ。すぐに治療に入りたい」

「はい。でも、それならば私にやらせて下さい」

「あんたは医者か?」

「いいえ、でもそれなりの心得は」

「だったら俺の勝ちだ。俺は医者だ。地球の免許にはなるがな」


 勢いでティスカを連れて行こうとしたバーンを、ソディが引き留める。意外に強い調子で、ソディが食い下がった。


「わたくしたちと地球人では、大きな違いが……」

「俺は、あんたらの大切な守人様の主治医みたいなもんだ。俺を信じろ――こいつは、必ず助ける」

「…………」

「妹さんが心配なのは分かりますが、ここは任せて下さい。こう見えても、彼は優秀な人間です。私がもっとも信頼する医師であり、科学者でもある」

「――分かりました。御心のままに、我が君」


 守人に説得され、膝を折って応えたソディの肩に、リーアが手を置く。目線を合わせ、安心させるように優しく微笑んだ。


「アレクのことは心配でしょうが……あなたには、ここにいる彼らを守る役割がある。あなたにしか出来ないことです。それを全うして下さい」

「はい……我が君」


 真正面からかけられた信頼の言葉に、妹と同じ蒼銀の瞳が、熱に浮かされたように揺れた。白い肌が、桜貝のような薄桃色に染まる。


「ここにある医療設備や薬について、知識のある者はいるか? ああ、あんた以外でだ。党首の姉で、参謀夫人のあんたまで現場を離れたら、場が混乱する」

「ではマーサリュシオンを。元はこの病院の看護婦でした」

「マーサだな」

「状況はわたくしから説明しておきます。集中治療室は、この階の右手奥から二番目です」


 打てば響くような返答に、バーンは頷いた。話が早い。


「患者の搬送を優先する。説得はそっちで上手くやってくれ。行くぞリーア、お前は助手だ。カイは、ソディを手伝ってやってくれ」

「はい」

「分かりました」


 役割分担をし、二人は患者を抱えて治療室へと駆け込んだ。





 慌ただしく彼らが去った後を、物憂げに見送っていた女性は、奥から別の患者に呼ばれて踏ん切りをつけた。


「そるでぃれしあさま~」


 患者のもとに向かおうとしたソディの足下に、舌っ足らずな幼子がまとわりつく。

 それにつられるように、数名の幼子が銀髪の美女に群がった。足を取られ身動きができないソディが、困惑したように子供たちを見下ろす。


「こら、今ソディはお仕事中なんだよ。邪魔しちゃダメだろ」


 一番はじめにソディに駆け寄った少年を、群れの中から引き抜き、カイはメッと叱咤した。


「ソディ? ソディってそるでぃれしあさまのこと?」

「そう。ソディの方が短くて言いやすいだろ?」

「うん! ソディ! ソディ!」


 何が気に入ったのか、連呼する少年に触発され、周囲の子供たちが一斉にソディの大合唱を始める。


「おにいちゃんはだれ?」

「俺はカイ。短くていいだろ」

「カイ……?」

「カイだって?」

「クスクス」

「カイだってよー」


 名乗ると、あちらこちらから可愛らしい笑い声とひそひそ声が起こった。

 愛称に対してのアレクの反応といい、この国では、短い名前というのは、あまり上品な習慣ではないのかもしれない。

 とはいえ、意外なところで、子供たちの気を引くことに成功したカイは、存分にそれを活用させてもらうことにした。


「坊主名前は?」

「フィンレント」

「じゃあフィンだな! 古いお話しに出てくる、英雄と同じだ。力よりも知恵で困難をくぐり抜けた、カッコイイ騎士様だぞ!」


 フィンが喜び飛び上がる。二人の間に割って入るように、5歳ほどの女の子が、カイの膝にしがみついてきた。


「じゃあわたしは? わたしは? エリアルミスよ!」

「エル。光輝くという意味。天使の名前でもある」

「すてき! フィンレント! 今日から、エルって呼びなさいよ。舌噛まなくて済むでしょ!」

「ぼくもフィンだよ~!」


 二人が言い合いを始めるうちにも、我も我もと小さな依頼人が飛び込んでくる。


「ソディ、今のうちに」


 あれよあれよという間に、子供たちの話題の中心になってしまったカイに、呆気に取られていたソディが頭を下げる。


「俺は人を救うことはできないけど、子供の相手をして、気を引くくらいはできるから」

「何をおっしゃいます。あなたは今、わたくしを救って下さったではありませんか」

「……そう言われてみれば」


 あまりにも当たり前のように言われ、恐縮するよりも先に、カイは納得してしまった。

 彼女も、夫のことで気が気ではないはずだ。

 それでも、地に足をつけてしっかりと働いている。

 血を見れば倒れるのではないかと心配するほど、儚げな外見なのに、その内面は思っていた以上に強いらしい。

 他人の言葉に流されず、自分の意見をはっきりと口にする。その上で、的確な状況判断と柔軟さを持つ、冷静な思考。

 この内と外の調和は、彼女の信奉する青年とよく似ていると、カイは思った。





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