第二十二話 全てはここから始まり、ここに終着している
リーアの回復は、周囲が驚くほどに早かった。
その理由を知るカイは複雑に目を伏せ、バーンがそのことに言及することはなかった。
――世界標準時間・9月21日05時30分。
出発1時間半前のコックピットは静まり返っていた。
空調音や、機体の細かな振動――そういったものが混ざり合って、決してこの場所が無音になることはないのだが、それも含め、既に慣れ親しんだ静けさだった。
操縦席に座り、遠く望めるモリソネス奇岩群の輪郭を眺めていたカイに、唐突に声がかかる。
「カイ」
「リーアさん……」
「もうスタンバイですか?」
いつもと変わらぬ微笑みを向けてくる貴公子を振り返り、カイは表情に困った。
「ちょっと、気持ちが落ち着かなくて……」
結局、目を伏せて曖昧に笑う。
「私もです」
カイの反応を、リーアが気に留めた様子はなかった。
「ここ、座ってみてもいいですか?」
近づいてきたリーアが、副操縦士の席を指す。
「どうぞ……って、俺の席じゃないけど」
エンテも、座られただけで怒るようなことはないだろう。許可を取ってから、カイの隣の席に腰を下ろしたリーアが、前面のウインドウ越しに、紅き月の大地を見下ろす。
この砂の星の地下に息づく小さな国家と、奇異な運命に翻弄される住人達、全ての根源たる霊核の謎、そして――リーア=L=クラウンフォルトと同じ顔をした、紅き月の国の王。
全てを振り切って、この星を去る時間が近づいていることに、カイは「本当にこれでいいのか」という気持ちが湧き起こるのを、抑えられなかった。
(……でも、異邦人である俺たちに出来ることなんて何もないのは、事実だ)
晴れない気持ちのままこの星を去ることに、後ろ髪を引かれる想いというのは、彼の方が強いのではないだろうか――少なくとも、『何か出来るかもしれない』彼の方が。
そう思い、隣で呆ける横顔を、カイは盗み見た。リーアは色づいた唇を薄く開き、頬杖をついて遠くを眺めていた。
その黒衣の下の肌に刻まれた酷い火傷痕は……跡形もなく消えているはずだ。
リーアが傷つけられた時のバーンの過剰な反応と、あの大層な装置を思い出す。
この嘘のように美しい青年は、一人の天才の作品なのだ。
傷一つ許されない所有物として扱われる彼に、カイは同情した。
「……どうして、俺をかばったんですか?」
落ち着かない沈黙を破るという言い訳を使って、気にかかっていたことを訊ねる。
「俺は、あなたを守らなければいけない立場なのに」
「さぁ……何故でしょうね。実のところ、私にもよく分からないんです。気がつけば身体が動いていた。……こういったことには、私よりあなたの方が理解が深そうです」
曖昧に答えたリーアは、本当によく分かっていない、という風だった。
らしくない反応だが、本人の言う通り、それは確かに、彼には苦手な「分野」なのかもしれない。
思えば、登録上は22歳となっているリーアも、実際にはまだ8年の歳月しか生きていないのだ。
財界とも貴族社会とも縁のないカイにとって、そこは華やかであると同時に、冷たく、しがらみと謀略が張り巡らされた世界というイメージがある。8歳の弟――テントの無邪気で奔放な姿を思い出すと、同じだけの年月を、彼が過ごした環境に胸が痛んだ。
表情を曇らせて黙ってしまったカイに、リーアが唐突に謝罪を口にした。
「すみません」
思わず視線を上げると、蒼い眼とぶつかる。
「あなたに嘘をついていました」
「…………」
構わない、と言ってしまうのは簡単だったが、それはカイの「嘘」だ。ありきたりな許しの言葉でごまかすことなど出来なくて、かといって相手を責めるのも違う気がして、カイは他に言うべきことを探した。
「リーアさんは……あなたは……その……」
「聞いて下さい」
ためらうカイを促す声は明瞭だ。
彼は許しを請う代わりに、カイに誠意ある回答を用意しようとしてくれているのだと、気付く。
リーア=リアロクロエの出生の秘密について、カイはまだ、自分の中で整理がつけられていない。
バーンの所業は、法的にも倫理的にも許されるものではない。
だが、彼の言うことは一面の真理を突いている。
例え、カイが許さないと結論付けたところで、『許されない存在』は、すでに存在しているのだ。
今、目の前に。
(リーアさんは……どう思ってるんだろう)
彼自身は、いたずらに産み落とされた己の命を、どう思っているのだろうか。
「リーアさんにとって、その――ローエヴァー博士とは、どういう存在なんですか?」
親なのか、創造主なのか。
異質な生まれ方をした人間が、自分を造った相手にどういう感情を抱くのか、カイには想像もつかない。
「そうですね……」
考え込んだリーアの視線が、答を探すように宙を漂う。
「――逃れたくない鎖、とでもいうのでしょうか」
そう言った声には、特別な響きが籠もっているように感じた。
「あの鎖に繋がれていることを疎ましく感じながらも、いざそこから解き放たれた時の自分を想像すると、酷く恐怖を覚えるのです」
その表情は静かだったが……ただ蒼い瞳が、怯えを滲ませて揺れた。
「私自身の存在意義がどこにあるのか――見失いそうで……」
――これが、支配だ。
衝撃的な事実を目の当たりにし、カイは唇を噛んだ。
彼を所有物だと言う男の支配が、この人を捕らえ、同時にあの男をも捕らえている。
こんな歪みきった絆の在り方を、カイは知らない。人と人の心の繋がりとは、もっとシンプルで、暖かいものでいいはずだ。
(俺に、何が出来る……?)
共依存の檻に囚われた二人をすくい上げるには、彼ら以外の存在が、きっと必要だ。
「そこ」以外にも世界はあるのだと、無理矢理こじ開けて、光差す場所に連れ出すような――
「俺がいますよ」
咄嗟に口にした言葉は、カイ自身の心の迷いを打ち消すものになった。
バーンの罪を、許すか許さないかという話ではない。
例え、目の前の存在が何者であろうとも――彼と共有した時間を抱くカイには、リーア=L=クラウンフォルトという人物を、否定することなど出来はしないのだ。
「もし万が一、博士がリーアさんを手放そうとするものなら、俺が迎えに行きます。絶対に。それじゃダメですか?」
「カイ……どうして、それほど私を気にかけるのですか?」
彼にも分かる言葉で話そうと試みる。だが、まるで理解出来ない、というようにリーアは首をかしげた。
この青年にとって、己とは博士に作られた人形でしかなく、所有者以外に必要とされる価値のある存在ではないのかもしれない。
自分は、そんなリーアにとって、無条件に手を伸ばせるような友人になれるだろうか――今、カイの望みは明確だった。
だが、実はそれは、とても難しい要望なのかもしれなかった。あらゆる意味で、二人の立場はかけ離れている。
「あなたが敬愛しているのは、ローエヴァー博士でしょう」
「俺にとっては、二人とも大切な、尊敬する人です」
あの時、バーンの才能に心酔したのも、月を見上げるリーアの横顔に惹き込まれたのも真実だ。
長い間ローエヴァーという偶像だったものが、バーンとリーアという、二つの現実の存在に分かれただけだ。
「あなたが幸せであることが、俺にとって必要なんです」
「カイ……」
カイの訴えに、リーアは困惑したようだった。
「あなたの言葉の意味を……少し、考えてみたいと思います――」
揺れる瞳を伏せ、一呼吸置いて、告げる。
理解はしていないが努力はしてみたいという、彼なりの誠意が伝わり、カイは確かな手応えを感じた。
その時、静かにコックピットのドアが開いた。
「失礼、クラウンフォルト伯爵」
両開きの自動ドアの向こうに立つのは、ソマル=ハルク隊長だ。
どうやらリーアに用があるらしい。慌てて立ち上がり、席を外そうとしたが、目が合ったソマルに片手を上げられる。
その場にいていいという合図を受け、カイはもう一度操縦席に座り直した。
「怪我の具合はどうだ? クラウンフォルト伯爵」
「もうなんの支障もありませんよ」
「そうか」
コックピットの中央で立ち止まったソマルに、リーアが立ち上がり対峙する。
「この星を発つ前に、貴殿に言っておきたいことがある」
「……聞きましょう」
どこか緊張感の漂う沈黙の後、ソマル=ハルクが頭を下げた。
「クラウンフォルト伯爵――すまなかった」
さすがにリーアも驚いたようで、目を丸くする。
「これまで私は、随分狭小な視野で生きていたらしい。マルスと紅月人の存在についても、この目で見るまで信じられなかった。度重なる非礼を許して欲しい」
紅き月調査隊が、人型の地球外生命体と遭遇したのは、今から約16時間前のことだ。
その時間を、ソマルが現状の咀嚼と、既成概念との折り合いに費やしたことは想像に難くない。
リーア達が語った、紅月人とその地下国家の話について、手厳しく否定していた隊長は、潔く己の過ちを認め、謝罪した。
「いえ……隊長の判断は、妥当なものかと。ただ、事実が我々の想定を遙かに上回っていただけです」
対するリーアの言葉は寛大だった。もとより、地下国家の現実を目の当たりにした3名も、信じがたい話であるという点はよく理解していた。その上で、事実が事実であることを受け入れただけだ。
「そう――想定外だ。10年前、誰も古代人が〈白き月〉に到達していたなど想像していなかったように、今また、歴史が新たなる節目を迎えようとしているのだろう」
顔を上げたソマルの表情はしっかりとしていた。未知との遭遇の衝撃から立ち直り、自分なりの結論を出した男の顔だった。
「ならば我々は、この無為なる宇宙の真理を受け入れねばならない。全ての偏見と固定概念を捨て、まっさらな赤子に近い魂の清らかさで、ゼロから己の世界を構築していかねばならない」
それは、ある種の宣言だった。右手を差し出し、彼は異能人の青年貴族をひたと見据えた。
「国境も、種族も越えて――ただ叡智の前に等しく跪く生命として、もう一度、貴殿の無事を心から喜びたい」
彼の意志を汲み、リーアはその右手をしっかりと握り返した。
「ありがとうございます。あなたと共に紅き月の大地を踏めたことを、心より嬉しく思いますよ、ソマル=ハルク隊長」
それは、彼なりのけじめだったのだろう。リーアと固い握手を交わした後、仕切り直すように咳をしたソマルは、よく響くバリトンで、コックピットの外にいる隊員に呼びかけた。
「さあ、何をしている。出発まであと1時間しかないぞ。最終調整に入る。全員持ち場につけ!」
それを聞いていたカイがぎょっとして入り口を振り返ると、自動ドアが開き、第二操縦士と宇宙航法士、そして天才科学者がひょこりと顔を覗かせた。
いつからそこにいたのか、全員で立ち聞きしていたらしい。
『イエッサー』
ぞろぞろと各自の指定席へと向かう搭乗メンバーの顔には、イタズラじみた笑みが浮かんでおり、それを見たリーアがはにかんだ。
唯一、渋い表情を見せるソマル=ハルクも、どこか照れくさそうに咳払いを繰り返す。くすぐったい空気を漂わせたまま、すぐに専門用語が飛び交い始めた。
やはりカイも笑みを滲ませ、その作業に加わった。
このコックピットは、いつの間にこんなに暖かい場所になったのだろう。
思えば、この旅の始まりも、異変も、全てはここから始まり、ここに終着している。
このレッドムーン=テイラー3号と過ごした約251時間を思い返しながら、カイは離陸に向け最終調整に入った。




