第二十一話 頭が良すぎると馬鹿になる
「もう6時間よ」
ぐるぐるしながら過ごした6時間は、思ったよりも早く過ぎた。
マークスは、隊長と打ち合わせがあると言って、カイがコクピットに戻ってきた途端、入れ替わるように退室してしまった。
その後ハルク隊長から、今後船外での活動は控えるよう指示が出たため、カイとエンテは艦内で可能ないくつかのミッションをこなしていた。
しかしながら、集中力というものが完全に抜け落ちていたカイは、彼女の言葉にハッと我に返った。
「本当に大丈夫なのかしら……?」
エンテの心配はもっともだ。ただの火傷跡の治療にしては、大げさだ。
まさか、本当に未知の病原菌に侵されてしまった、などということはないと思いたいが――
「そろそろ見に行ってくる」
「本当に大丈夫? さっきも、すごい顔で帰ってきたけど……」
居ても立ってもいられず、立ち上がったカイをエンテが心配する。すごい顔で帰ってきた理由は、教えられない。
「なんかエンテ、急に心配性になった?」
「なっ……」
素直に思ったことを口にしただけなのだが、エンテが口を開けてフリーズした。
いつもの取り澄ました顔が崩れ、途端に年齢より幼く見えた女性の顔が面白く、カイはつい悪戯心が湧いて、妹にするようにツンと額をつついた。
「いってきまーす」
ひらひらと手を振り、怒鳴られる前に退散する。
「もう二度と心配なんかしないわよ!」
ドアが閉まる直前に飛んできた怒声は、とりあえず聞こえなかったふりをした。
「失礼しますよー?」
小声で声をかけ、カイは救護室の中を覗いた。
(……いない……?)
中に、人の気配はなかった。
無人のベッドが二つ。がらんとした室内を見回すと、壁一枚を隔てて研究室へと続く扉に、自然と目がいった。
そろそろと部屋に入り、奥の扉の前で立ち止まる。開閉ボタンの上についたインターフォンを押した。
しばし待つが、返事はない。
(誰もいない……?)
扉に片耳をつけて中の様子を伺ってみるが、声も聞こえず、人の気配もしない。
席を外しているのだろうか。
研究室は内側からロックがかけられるようになっており、中で気圧や温度など、室内環境を変化させながら調査を進めることができる。
研究者が在室の場合、安全性を考慮し、扉を開ける前に必ず許可を取る必要がある。
また、利用されていない時間帯でも、専門的な精密機器が多いため、搭乗科学技術者以外が目的なく単独で入室することは許されていない。
だが――
(まさか、また二人でどこかに飛ばされてたり……?)
そんな可能性が過ぎり、一気に気持ちが落ち着かなくなる。
そもそも事故を防ぐため、環境設定を手動モードにしている状態では、扉が開くことはない。
逆に言えば、扉が開くということは、安全であるということだ。もし中に博士たちがいたとしても、怒鳴られるくらいで済むだろう。
かなり逡巡した後、カイは意を決してドアの開閉ボタンを押した。
プシュ――
すると、空気の抜けるような音を立て、開かずの間はあっさりと侵入者を迎え入れた。
研究室は暗かった。極力明かりを絞り込んだ照明が、薄ぼんやりと室内を照らす。
レッド=ムーンテイラー3号は、この〈紅き月〉着陸計画に照準を合わせて開発された、最新型の宇宙往還機だ。
長距離のフライトを考慮し、様々な面で画期的なシステムが導入されているのだが、こと研究室に関しては、これまでのスペースシャトルの実績と比べると、格段に広いスペースが割かれている。
設計段階で、バーンとリーアが金と権力にものを言わせて押し込んだのは、想像に難くない。
また設備投資に関しても、当初の予定よりもかなり拡充されたと聞いている。バーンの意向で、追加で運び込まれた機材も多く、その点でも上層部と一悶着起こしていたのを思い出す。
とはいえ、結局押し通してしまうのが、彼がバーン=ローエヴァーたる由縁だ。
……この場合、リーアによるクラウンフォルト家の圧力の方が、大いに働いていそうだが。
「博士ー? リーアさーん……?」
小声で呼ぶ。が、返事はない。
静かすぎる部屋で、機体全体の振動音と、空調音、室内の器機の電子音などが耳につく。
そんな中に、コポコポ……という奇妙な水音も聞こえた。昔、水槽に魚を飼ったときに取り付けたポンプを思い出す。
半ば手探りで機械の合間を縫い、奥まった場所に足を踏み入れ――
カイは、音もなく凍り付いた。
そこで目にした光景は、およそこの奇妙な旅路のどの場面よりも、ショッキングなものだった。
部屋の最奥に、その他の機材に隠れるように、人一人入るだけの大きさの水槽があった。
円柱形の槽の中には、文字通り人が入っていた。
薄緑色をした正体不明の液体に満たされた水槽に、胎児のように丸まって収まる、青年の裸体。
酸素供給用のマスクに覆われた顔を確認せずとも、金色の紗を纏うような眩いブロンドと、白磁の肌が、この場において、それがリーア=L=クラウンフォルト以外何者でもないことを知らしめる。
水溶液の中で、無数のチューブに繋がれた身体に目を凝らすと、醜く爛れたはずの左腕の火傷が、もう殆ど塞がっているように見えた。再生されていく肌細胞が、いっそおぞましいほど脅威的な治癒力を奮う。
水槽の周囲を囲む電子機器が、しきりにランプを明滅させ、電図モニタが、絶え間なく記録される何かの電気信号を映していた。
――その時、カイの脳裏を稲妻のように走ったのは、過去に見聞きした知識との既視感だ。
過去、その高い治癒力と長寿の秘密を解明せんと、異能人の人体実験が流行ったことがある。
特に南部――南ディアス大陸の研究機関において、むごい、非人道的な人体実験が横行し、あわや大帝国との戦争にまで発展しそうになった、歴史的事件だ。
その時の女帝ダリアマグナの強硬な姿勢により、当時の国家首脳の間で、ピュラスタの生体実験を禁じる取り決めが行われ、厳し過ぎるともいえる罰則が定められた。
つまりは、これに違反した者、あるいは違反したと疑いがある者について、関係者を含め、当人及び三親等内親族全てに対しての、死刑の適用。
多くの問題を孕みながらも、この条約により、非道な人体実験は影を潜め、異能人に対する人権意識は飛躍的に高まった。
だが、一部では人間医学の向上の妨げになっているという見解もある。
そして、未だ陰ながらそういった生体実験が進められているという噂も。
――ローエヴァーは、南部出身の研究者だ。
本能的な忌避感から、一歩引いたカイの背中に、冷たい金属の感触が当たった。
「何やってんだ、てめぇ」
「……!」
背後からかけられた声は、聞き慣れたものであるはずが、全くの他人のもののように聞こえた。
鞘のないナイフのような、無慈悲で野蛮な殺気を背に感じ、恐怖に足がすくむ。
なぜ、いったい、なんでこんなことを。
混乱と怒りと失望と好奇心が胸を掻き乱す。
「どういうことです!?」
問いかけた声は裏返っていた。笑えるほど膝が震えるのは、突きつけられた銃のせいだ。そう自分に言い聞かせ、カイは勢いのまま問いを重ねた。
「コレはなんです!? あなたは一体、リーアさんをどうするつもりなんですか!? リーアさんは……何者なんです……!?」
疑念をぶつけた瞬間、これまで無意識に、己が流していた様々な記憶の断片が蘇った。
不自然だと、確かに感じたはずなのに、信頼と敬愛が目を曇らせていた。
「あなたは、何を知っているんですか!? 本当は……全部、関係あるんじゃないんですか!? 紅月人も、守人も、リーアさんも……この、おかしな装置も! 今思えば、あのむちゃくちゃな状況にも、あなたは最初から何か心当たりがあるように見えた!」
「……バレちゃあしょうがねぇな」
諦めたような声と共に、肩胛骨の間から、金属の感触が消える。
そのことにほっとし、膝をつきそうになるのを耐えて、カイは振り返った。
目の前の男は、普段と同じ黒いシャツの上に、やはり似合わない白衣を羽織っていた。
右手をポケットに突っ込み、不機嫌そうに斜に構えた態度すらも、何ら普段と変わるところはない――その左手に、無造作に握られた拳銃の銃口が、カイに向けられている以外は。
「――分からないです……俺、あなたのことが……説明してもらえませんか」
強ばった顔で、カイは男を見据えた。何ら変わったところなどないはずなのに、目の前の相手が、まるで知らない人物のように見えた。世界の色が変わった。
聞きたくない。だが、聞かずにはいられない。
「俺が、『ローエヴァー博士』を尊敬していられるだけの答えを下さい……!」
その言い回しに、バーンが口元で笑った。
この期に及んでも都合の良い答えを求めたがる、子供じみた甘さを笑われている気がした。
「俺がお前に出せる答えは一つしかない」
「……それでもいいです……!」
その先に望まない答えがあると、暗に告げられながらも、『知らない』選択を出来ない己が恨めしくもある。
それでも、目の前に突きつけられた真実を前に、目を背けることなど出来なかった。
床を叩く足音が通り過ぎる。水槽の前に立ち、白衣の男は、透明な硝子の表面に掌を這わせた。ちょうど、目線の高さに浮かぶリーアを見つめる。
その目は、ひどく優しい。まるで、我が子を見る親のような――
「リーアは、俺が造り出したクローンだ」
思っていた以上にあっさりと告白された事実を、理解するのに要した時間は、数秒では足りなかった。今、彼はなんと言った?
遺伝子操作による人造人間生成――倫理的、人道的見地から、大陸全土で全面禁止されている、禁断の生物実験――悪魔の技術だ。
異能人のクローン生成実験――? 最悪と最悪をつなぎ合わせたような単語の羅列に、カイは目眩を覚えた。
死刑だ――逃れようのない罪の重さに、脳内で判決の鐘が鳴り響く。
「元個体は死んだ――俺の親父が殺した。独断で強行した実験の結果が、あり得ない爆発事故だった。野郎が死んだのは自業自得だが……あいつを殺した事だけは……許さねぇ」
目を伏せた博士の顔は、苦渋に満ちていた。糾弾することすらためらうような表情に、カイは怯んだ。
「オリジナルの名は――リアロクロエ」
「……何……ですって……?」
声がかすれる。全てが繋がった気がした。
「捕獲後、数百年を生きた地球外生命体だ。南部の科学者が、何代にも渡って秘匿してきた実験体。俺の親父は生物学者だった。地道にまっとうな研究を続けてりゃ良かったのに、宇宙の神秘なんてもんに取り憑かれて、道を踏み外した」
嘲笑する貌には、同じく『道を踏み外した』者の自嘲が浮かんでいた。
「――それが今から、8年前の話だ」
8年前。バーンとリーアが〈白き月〉へと旅立った、1年前だ。
思考が追いつかない。あの時、映像で一瞬見た15歳の姿のリーアは、そのたった1年前に生み出されたものだというのだ。
彼には、過去がない。それはあまりにも――カイ達、普通の人間とはかけ離れた生まれ方だった。
「俺はこいつを、『優秀な遺伝子を持ったピュラスタのクローン』と偽って、クランフォルト侯爵家に送り込んだ」
クラウンフォルト侯爵家――バーン=ローエヴァー博士を全面的に支援する、巨大財閥。その現当主が、7年前のSSAの危機を救い、ローエヴァーの名声を高みにまで押し上げた。
リーアは、彼の跡取り息子……であるはずだ。
少なくともカイは、そう信じてきた。
「なぜ……リーアさんを……?」
「『なぜクローンを造ったのか?』」
バーンは、カイの疑問をストレートに口にし、またストレートに答えを出した。
「やりたかったから」
「なっ……」
あまりの暴論に絶句する。対する相手は冷静だった。まるで他人事のように、自己の行動を分析し、淡々と言葉にする。
「クローン技術の実現。貴重な宇宙生物サンプルの再生。宇宙、科学、技術、己の才能に取り憑かれていた。なくしたものを作り直せる力があったから、使った」
「それだけだと言うんですか……!?」
「後悔してないわけじゃない」
そう言ったバーンの表情からは、先ほどの苦衷の色は消えていた。
いつもの皮肉めいた笑みが、今はどこか狂気じみて見えた。
「だが、造っちまったもんを後悔することを、俺は自分に許さない。創造主に造らなきゃ良かったと思われて、どうやってこいつは生きていける?」
水槽に手を這わせ、クローンの姿を見上げる。
「こいつは俺の所有物だ」
稀代の天才科学者の顔は、己の作品に至極満足しているように見えた。
「俺だけは、こいつを必要とし続ける。そうすることで、こいつは生きていける」
「そんなの、傲慢だ……っ」
思わずこぼれた言葉は、カイが尊敬して止まない人物を否定するものだった。
彼の言葉は、リーアのためを思っているようで、その実、創造主という絶対的立場を誇示しているに過ぎない。
(だから、リーアさんはあんな風に……!)
カイは、これまで掴みきれなかった二人の奇妙な関係の根底にあるものを、垣間見た気がした。
所有者に必要とされることでしか、存在意義を持たない所有物。
まるで張り合うかのように、バーンに対する己の優位性を示していたリーアの、読めない微笑の裏にある感情。
彼は、主に必要とされ続けるモノであろうとしたのではないか。
金や権力。目に見える鎖で主を繋ぎ止め、離れられないように、己の存在意義を失わないように。
「俺、やっぱりあなたは間違ってると思います……」
知恵の輪のように歪んだ関係。どう好意的に解釈しようとしてもしきれない部分に、カイは強くかぶりを振った。
堰を切ったようにとめどなく溢れる言葉を、もはや抑えることなど出来なかった。
「リーアさんは所有物なんかじゃない。そんな形で人を支配しようとするなんて、間違ってる。そんなことしなくても、一人の対等な友人として、傍にいることだって、出来るはずだ!」
「友人……?」
その言葉を初めて聞いたかのように、バーンが不思議そうに繰り返す。
この反応は、どこかで見た覚えがある。
(ああ、なんて馬鹿な人たちなんだろう!)
言葉には出さず、カイは罵った。
頭が良すぎると馬鹿になるのか。いろんなものをすっ飛ばして理解出来てしまうと、誰でも分かる簡単なことが分からなくなるのかもしれない。
「リーアさんは、第二守人のコピーなんかじゃない! 別の人格を持ち、心を持つ、別の人間だ。……確かに、リーアさんの身体は、あなたが造り出したものかもしれないけど、その中で成長したリーアさんの心は、あなたのものなんかじゃない。悲しむのも、怒るのも、笑うのも、全部リーアさんのものだ。あなたは、創造主なんかじゃなく――誰よりも近い友人として、彼に接してあげればいいだけじゃないんですか!?」
なんでこんなことを、いちいち説明しなければいけないのだろう。分子の構造を覚えるよりも簡単なことだ。
たった一つ基本的なことに気付きさえすれば、これほど理想的な関係などありはしないのに。
「…………」
無言を返してきた男の目には、好意的な感情は浮かんでいなかった。どこか苛立ったようなその表情に、カイは肺が縮み上がる思いがした。
嫌われた。疎まれた。そう確信した。
――この人に嫌われたくない。
そんな切実で、単純な思いが体中に駆け巡り、感情のままに怒鳴りつけたことを、瞬時に後悔する。絶望的な拒絶に、全身を針の雨が刺すような痛みを覚えた。
「……失礼します!」
苦しかった。呼吸の仕方すらあやふやになり、カイは一度だけ瞼をこすり、早足に退室した。
あんな空間には、1秒でも長くいたくはなかった。




