第二十話 成長することによって失うものは、得るものより多い
戻った瞬間、機体すら雪に埋もれていたらどうしよう……という思いがカイの胸を過ぎったが、幸い、宇宙船は無事だったらしい。
この強運は、一体誰のものなのか。自分のものであるならば、少なくともこの旅路が終わるまでは、維持し続けたいとカイは願った。
「ここ……コックピット……?」
その現実を前に、呆然とエンテが呟く。
リーアの転送能力によって、一行はレッドムーン=テイラー3号のコックピットに帰還していた。もはや我が家にも等しいその船内は、数時間前と変わらぬ静けさで、6名を迎え入れている。
「っんの馬鹿野郎が……!」
途端、文字通り息つく間もなく、負傷したリーアのヘルメットを脱がし、その胸ぐらを掴んだバーンの剣幕に、誰もが驚いた。
「は、博士! 落ち着いて! 怪我! けが人!」
「は、はは早く救護室に……!」
慌てるカイとマークスも眼中にない様子で、顔色のない怪我人を睨みつけるバーン。
「……誰が傷つけていいと言った?」
耳元で囁かれた氷点下の声音に、リーアがビクッと身をすくませた。
普段の騒がしい怒鳴り声とは違う、押し殺したような声が逆に激情を表しているようで、人ごとながらぞっとする。
「――――」
「……はい、博士……」
その後、何かを言い含めるように囁かれた言葉に、リーアが青ざめた顔で頷く。
事情が分かずおろおろしていると、バーンがぶち切れたままリーアを引きずって、救護室へと向かった。
そんな彼らの後を追うことも出来ず、心配で部屋に戻ることも出来ず、コックピットの操縦席から外の世界を眺めていて、今に至るカイ=ライトハーツである。
――ウインドウ越しに広がる光景は、カイの短い人生において記憶した、どの情景にも、僅かにでも一致するものはなかった。
山脈の中腹から見下ろす麓には、長い年月を風に削られたのか、奇妙な形に抉れた紅い奇岩群が、先鋭的な彫刻作品か何かのように並び、赤茶けた地表に濃い影を落としていた。
それらの背景に広がる、乾いた大地の最果て、地平線に重なる岩山の輪郭が、逆光に縁取られる。
山間に沈みゆく夕日は――夕陽は、青かった。
紅き月では、大気中に多く含まれる浮遊ダストが散乱を起こし、昼の空は紅く、朝焼けと夕暮れは青く染まる。
宇宙とは、『夕陽は赤い』という、未来永劫万国共通と信じられた常識すらも、覆すのだ。
そして、誰もが夢物語と信じて疑わなかったお伽噺すらも、現実にする。
「一体、彼らは何だったのかしら……あれが、あなた達の言う紅月人なの?」
隣で、やはりぼんやりと頬杖をついて、青い夕暮れを眺めていたエンテが問いかけてくる。
ロスフランベルカ達の登場が、地球外知的生命体の存在に半信半疑であった隊員達に、大きな衝撃をもたらしたのは間違いない。
隊長にいたっては、バーンの騒動にすら無反応で、魂を半分引き抜かれたように自室へと戻っていった。
もはや認めざるを得ないのだ。この未踏の星に、人類と似た姿をした、同等以上の知能と文明を持つ生命が存在するという事実を。
「それにあの人……あの赤髪――クラウンフォルト伯爵と同じ顔をしていた……一体、彼は……いえ、リーア=L=クラウンフォルトは何者なの?」
その疑問に答える術を、カイは持ち合わせていなかった。
エンテ達には、リーアが守人であるという話は伏せてある。当人達でも納得しがたい内容を、彼らが聞いて理解出来るとは、到底思えなかったからだ。
「救護室……やっぱり、心配だから見に行ってくる」
「そう、気をつけてね」
長い沈黙の後、カイは席を立った。
何を気をつけろと言っているのか疑問だったが、エンテが気にかけてくれていることは、カイにも分かった。
「エンテも、部屋でゆっくり休みなよ。色々あって疲れただろ?」
かなりの恐怖体験をしたであろう同僚を労ると、エンテが少し驚いたように顔を上げた。
そして、ふいと顔を背ける。
「……心配ご無用よ。私、強いから」
「そうだな。宇宙人に勇ましく向かっていった姿は、確かに格好良かった。俺が女だったら、惚れてるね。確実」
「……早く行って……!」
そっけなく返された言葉に頷くと、なぜか怒ったようにコックピットを追い出されてしまった。
その足で目的の場所に向かったカイは、救護室の前で逡巡した。通路を数分間うろうろした末に、意を決してドアの開閉ボタンを押す。
「失礼します。リーアさん、怪我の方は大丈夫で……」
用意していた言葉の半分は、両開きの自動扉が開いた瞬間、どこかへ飛んでいった。
2台ある診療ベッドの内、手前の一つに収まる金髪の麗人――それはいいとして、普段禁欲的なまでに露出の少ない肌が、今は上半身を大きくはだけていた。
そして、脱がしている張本人――白衣を着た男が、身をかがめ覆い被さろうとしている――ように見えた。
「す、すすすいません! お邪魔しました失礼します! おおおお俺は何も見てな……」
「何、ワケの分からんテンパり方してやがる。ちょうど良かった。今から、リーアの治療に入る。6時間は、絶対誰も寄せつけねぇように伝えとけ」
思わず、きびすを返し、開閉ボタンを連打しようとしたカイの首根っこを、バーンが捕まえる。
「え? 治療?」
「俺が医師免許持ってるって忘れたのか?」
そうだった。宇宙飛行士は皆、応急処置などの知識は一様にあるが、長期のフライトでは、国際医師免許取得者の搭乗が推奨されている。
これは宇宙空間での様々な人体への負担や、予測不能のトラブルによる負傷に対応できるように、近年導入された制度だ。
義務ではなく推奨とされているのは、いかに世界最高峰の天才集団SSAといえど、極めて難易度の高いこの国際資格を取得し、かつ飛行士として十分な適正を認められる人材が少ないためだ。
搭乗人数に限界のあるフライトでは、ミッションの専門性との兼ね合いで、しばしば妥協対象になることがある。
だが、前代未聞の飛行距離と、未知の衛星での探索活動が前提となる今回の計画において、人命に関わるサポートを怠ることには、反対意見も多かった。
結局、その議論の合間に、ローエヴァー博士が『さっさと』国際医師免許を取得し、「これで何か文句あっか」と言い放ったため、あっけなくその問題は解決したのだった。
……無論、畑違いの人間が「ちょっと取ってくる」なノリで合格できるような試験ではないのだが、この男なら、これまで無免許で闇医者まがいのことをしていてもおかしくはない――などと勘ぐってしまう程には、カイの中のローエヴァー博士の認識は実物に近づいている。
よく見れば聴診器をぶら下げているバーンが、小指で耳くそをほじりつつ、「じゃ、よろしく」と言ってドアを閉める。
「え、6時間……?」
長くないか、それは。
6時間にも渡って、一体何をするというのか……鼻の先で閉まった扉の前に立ち、カイは答えの出ない疑問とランデブーを続けた。
※
「欲しいものを手に入れるのに必要なものって、何だと思う?」
蒼い夕焼けが落ちるのを眺めていたエンテ=トリスタンの耳に、そんな声が届く。
カイと入れ替わりにコックピットにやってきた、マークス=アルバントの問いかけだ。
通信機器とレーダー画面に囲まれた指定席で、特に何を話すわけでもなく、彼は持ち込んだ資料を繰っていた。
紙をめくる音だけが、時折聞こえる――そんな空間に投げ込まれた、唐突な質問。
なぜそんなことを聞くのか、と、トリスタンが尋ねることはなかった。
持て余した時間を埋める会話が、必ずしも有意義である必要はない。
あるいは、いつまでも惚けているエンテの、気を紛らわせるためのものだったのかもしれない。
彼はそういう、普通の女性を相手にするには不器用な――だがエンテには有効な――手段をよく使う。
マークスは、ほんの小一時間前に遭遇した衝撃の出来事について、比較的冷静に受け止めているように見えた。
悔しいが、エンテにはまだ、あの事実を受け止めるだけの思考が整っていない。
その差が何なのかは分からないが、ローエヴァー博士や、クラウンフォルト伯爵、そしてライトハーツ操縦士の、柔軟で想像力に長けた資質を目の当たりにすると、そこに自身に決定的に欠けた何かがあるような気がしてならない。
エンテが初めてマークスと出会ったのは、2年前の試験飛行の時だ。
新型往還機のテストパイロットとしての搭乗であり、エンテにとっては、初の宇宙飛行体験だった。
その時、宇宙航法士として同乗したのが、このマークスである。
当時、エンテは女性パイロットとしては最年少だった。
局内は男女同権だが、未だ性差別が慣習として染みついている国家は多く存在する。国籍は問わないとするSSAが内包する文化の多様性は、同時に、多様であるが故に、そういった偏見に触れる機会が多いという一面もある。
特にパイロット職は、過去には採用が軍人出身に限定されていたこともあり、男性優位の色が強い職種だ。宇宙船操縦士を空軍経験者に限定せず、一般公募するようになってから久しいが、それでも女性のパイロットの数は多くはない。
2年前のその飛行計画でも、女であるということを理由に、不愉快な扱いを受けることは少なくなかった。
そんな中、このお人好しで腰の低いピュラスタと言葉を交わすことが多くなったのは、ごく自然な流れだろう。
彼自身、南部ピュラスタというマイノリティであり、同じく好奇の目に晒されていたという共通点も、気やすさの一つだったのかもしれない。
エンテは、SSA本部が置かれたキアローチェ共和国の商家の出身だ。大マルクレスト帝国とも国境を接するため、元々、そこまで強いピュラスタへの偏見は持ち合わせていない。
ヒトもモノも、大切なのはパッケージではなく中身だ――と、貿易商である父の言葉を、エンテはよく聞いていた。
また、人は信じるのではなく疑え、とも教わった。つまり、減点方式は取るなと言うことだ。
まずは厳しく見積もり、そこからの加点方式で他者を評価していくべきだというのが、多様なコネクションを礎として財を築いていった父の方針だった。
そうすれば、裏切られることはないし、見誤ることも少ない。
大切なのは、相手が自分にとってどのような人物であるか、だ。
エンテにとって、マークスは「最も害のない相手」だった。ただ、それだけのことだ。
「お金?」
ひねるほど思考が働かず、エンテは思いつくままに質問の答を返す。
「惜しいな」
そう言った声に、エンテはようやく相手を振り返った。眼鏡の奥の、若葉色の瞳とかち合う。
「金と権力と――頭だ」
人差し指でこめかみを指し、そう言った彼の言葉を脳内で反芻する。
そうかもしれない。
マークスの指先を見つめながら、ぼんやりとエンテは納得した。
いくら金と権力を手にしても、それを利用する頭がなければ、身を滅ぼすだけだ。
そういう為政者を、歴史は幾度となく傍観してきた。
また、この世で最も強い力は武力と思われがちだが、これこそ金と権力と頭によって生み出される、最たるものだろう。
「……ローエヴァー博士のこと?」
その3点セットから真っ先に連想した人物が、すぐ身近にいることに、逆に驚く。
正確にはあの2人、と言った方がいいだろうか。
問い返したエンテに、マークスが読めない笑みを浮かべた。
まるでどこかの伯爵閣下のようだ。
「それだけ揃えば、手に入らないものなんてないと思わない?」
嫌な言い方だ。
だが彼の狙い通り、その問答は、彼女を平常心に戻すには十分な効果を発揮した。
「……2つだけあるわ」
意趣返しのように言い放ち、エンテは視線を外の景色に戻した。
「真実の愛と、時の運よ」
「……なるほど」
十分に吟味した沈黙のあと、マークスが頷く。
笑いを含んだ声だった。
真実の愛はどうか知らないが、時の運に関して言えば、バーン=ローエヴァーという天才科学者は、十二分に備えていると言っていい。
ならばあの男は、この世のほとんど全ての物を、望めば手に入れることが出来るのだろう。
(……なのに、何故かしら)
彼が常に、餓えた目をしているように見えるのは。
「君は意外とロマンチストなんだな」
窓に映る己の輪郭を眺めていると、マークスがそんなことを言ってきた。あからさまにからかっているような響きはなかったが、面白がっているようにも聞こえた。
「私は、あなたが意外にリアリストで驚いたわ」
率直な感想を返す。
マークスは、同室のカイと気が合うようで、エンテの中では、同じカテゴリに属するタイプだと認識していた。
つまり、志が高く、夢見がちで――純粋。
「――長く生きているとね、見えてくるものが多い」
随分と老いた台詞を口にする彼の年齢は、26歳であるはずだ。今回の搭乗メンバーの中では上の方だが、十分に若いと言える。
「最近ね、彼を――カイ君を見ていると、時々、成長することによって失うものは、得るものより多いんじゃないかとも思うよ」
「はたしてそうかしら」
大人になることによって失うものの多さは、エンテ自身もよく知っている。
現実とは、理想ほど美しくも単純でもない。
だが、こうも思うのだ。
「生きていなければ、なにものも得られないわ」
「――そうだね」
あっさりと納得し、マークスは意味深な言葉を付け足した。
「今回の計画は、君自身にとって、とても有益なものになったようだし」
「どういう意味?」
「有意義な出会いがあっただろう?」
「ばっ……」
ようやく意味を悟り、エンテは身体ごと振り返った。
最終的に、エンテをからかうつもりだったらしいピュラスタに罵声を浴びせようとして、息を吸い込んだ状態で停止する。
「……カイ?」
エンテが怒鳴る代わりにその名を口にすると、マークスがようやく気付いたように、後ろを振り返る。
ドアの開いたコックピットの入口に、カイ=ライトハーツがすごい顔をして立っていた。




