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ダブルムーン・クライシス  作者: 夜月猫人
第三部 紅き月調査隊
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第十九話 今、己が何をすべきか


 一面が白銀の世界だった。

 6名の調査隊が列を作り、未踏の地を登る。

 ……もっとも、この星のどこを人類が歩こうが、必ず『未踏の地』にはなるのだが。


「気温は?」

「184.2(ケルビン)です。世界の最低気温記録まで、もう少しですね」


 バーンに促され、後ろを歩いていたマークスが計測器を見る。

 世界最低気温記録が観測されたのは、大マルクレスト帝国の南極観測基地、サウスクイーン基地だったか。


「そろそろだな」


 何がそろそろなのだろうか。一言残し、歩を早めたバーンに置いて行かれないよう、カイも歩幅を広げた。

 足下で、しゃくしゃくと氷雪が踏みつけられる音がする。


 軌道の長い〈紅き月〉は、周回位置により様々な環境変化を起こすが、地球近地点付近を通過する時点での〈紅き月〉の平均気温は、地球よりもはるかに低い。

 この辺りの標高ともなれば、気温は常時、二酸化炭素の昇華点を下回り、凝固して厚さ数メートルに及ぶ、ドライアイスの層を作っていた。

 この環境で生命活動を維持するための密閉服は、動きやすいよう工夫はされているが、決して軽いものではない。また、先の知れぬ危険な登山に対し、細心の注意を払いながらの強行は、精神的にも体力的にも激しく消耗する。

 宇宙船搭乗員は、ポジションに関わらず過酷なトレーニングを課せられる。これらをクリアしてきたはずの調査隊メンバーをもってしても、そろそろ疲労が顔に出てきた頃合いに、


「……始まりましたね」


 先頭を進んでいたリーアが呟いた。


「何、コレ……赤い……?」


 次に異変に気付いたのは、エンテだ。紅一点は、夢の中にいるような面持ちで、疲れも忘れ虚空を見上げた。

 幻想的。

 そんな単語が、頭に浮かぶ。

 一面の白銀の世界を背景(バツク)に、川辺に浮かぶ蛍のような淡い赤い光が、空中を無数に漂っていた。

 驚きながらも、カイはうっすらとその正体に見当がついた。


「こんなことが……」


 立ち止まり、ソマルが呆然と呟いた。エンテと同様、目の前の不思議な光景に見入る。


「アルバント! 早くサンプルを……!」

「さ、採取します!」


 ソマルの指示に、マークスが慌てて採集器を取り出し、赤い光に駆け寄った。


「これは凄い……凄いぞ……これは一体……」

霊気(マルス)の結晶化」


 打ち震えるソマルとは対照的に、バーンが隣で淡々と説明する。


「地下国家から持ち帰ったサンプルを検証した結果、霊気(マルス)は184.14K以下の環境で、固化することが確認できた。質量の小さい結晶は、こうやって空中を漂い、日光を照射して赤く輝く。採取した地表の大気にも、微量ながら同種の分子の存在が確認された。おそらく、地下から漏れ出しているんだろう」


 やはり、これは霊気(マルス)の結晶だったのだ。

 相転移した物質のほのかな赤い輝きに、カイは地下神殿で見た巨大な岩石を思い出した。


「マルクレンタの正体は、霊気(マルス)が結晶化し、凝結後、何らかの変異が生じて、凝固点以下の環境でも固体を維持している物質だ。それでも、長い年月をかけ徐々に気化を続け、地下に霊気(マルス)を満たしている。あのご本尊も、昔はもっと馬鹿デカかったはずだ」


 まるでカイの心を読んだかのように、バーンが補足してくる。


「じゃあ、この霊気(マルス)の結晶も、凝縮すればマルクレンタと同じ作用を持つ物質に……?」

「可能性はあるな」


 カイの疑問に、バーンはそう答えるに留めた。


「固体化するということは、持ち運びと、長期に渡る保管が容易になるということだ。霊気(マルス)は、紅月人の生態に多大な影響を及ぼしている。ピュラスタと紅月人が同一の存在であるとしたら、その根源たる力――霊気(マルス)を人工的に固化し、大量に地球に持ち帰る仕組みを作ることが出来れば――ピュラスタの持つ長寿や高い治癒力の恩恵を、ヒューストに反映することも、可能かもしれない」

「不老長寿……」


 呆然と、カイは呟いた。

 線香花火のように瞬いた小さな可能性が、胸の内に宇宙と同じ速度で拡大していく。

 それは、永きに渡り人々が追い求め、そして、決して為し得なかった大いなる欲だ。

 カイの内に宿った熱に気付いたのか、バーンが人の悪い笑みを浮かべた。


「面白ぇだろ。宇宙と科学ってのは。ちっぽけな人間に、いくらでも夢と可能性を与えてくれる」


 傍らでそう言った博士は、銀世界を見つめていた。

 いつもの皮肉めいた笑みに宿るのは――夢を追う少年のような純粋さと、才能に裏打ちされた絶対的な自信だ。


「その上で、固化霊気(マルス)の入手経路を牛耳れば、国家予算並みの金が、永続的に転がり込むだろうな。――あいつは、もうそこまで行き着いてると思うぜ」


 一大ビジネスチャンスだ。そこまで頭の回らなかったカイは、バーンの言葉に、前方に立つリーアを見た。


「見ろよ、ろくでもねぇことを企んでる時の顔だ」


 楽しそうに笑うバーンの視線の先にあるリーアの横顔は、企んでいるというよりは、バーンと同じ、無限の可能性に目を輝かせる少年のようだった。

 ――同じ夢を追いかける仲間。

 言葉にはせずとも、彼らの見る未来が、同じ方向を向いているのは明白だった。


(なんだ……?)


 その瞬間、カイは違和感を感じた。

 宇宙服越しに、全身に妙な感覚が伝わる。

 例えるなら、羽虫が耳元を飛んだ音を体感するような感覚。空気が、極細の振動を起こすような――


「結晶が……!」


 体感する異変に気を取られているカイの耳に、リーアの緊迫した声が届いた。

 銀世界に映える赤い結晶が、まるで、意志を持つもののように強く光っている。


「何なの!? この輝き――熱量は……っ……すごい……!」


 咄嗟に、手にしていた計測器を結晶に近づけたエンテが瞠目した。ほぼ同時に、少し離れたところから、マークスの悲鳴が上がる。


「採集器、一部溶解しました! ……想定外の熱量です!」

「なんだと!?」


 報告にソマルが驚愕する。

 一体、何が起こっているのか。


霊気(マルス)が……リーアに反応してるのか……?」


 異常に輝きを増した蛍火を前に、バーンが呻く。

 そのリーアは、メンバーの先頭に立ったまま、呆然と紅い主張を見つめていた。


「どうなってんだ、こりゃあ……昇華点以下の物質が、結晶化したまま強い熱振動を――? いや、それよりも……まずいぞ……!」


 ぶつぶつと呟いていたバーンが、何かに気付いたように舌打ちし、立ちすくむリーアに駆け寄る。


「おい! 撤収だ! すぐに逃げるぞ!」


 カイが慌てて後を追うと、バーンが大声で全員に指示を飛ばした。


「ローエヴァー博士……一体……!?」

「隊長! ここは危険だ! 広範囲に渡る霊気(マルス)の活性化により、急激に温度が上昇している! すぐに避難しないと……」


 説明する間ももどかしげなバーンの声を、耳を劈くような女の悲鳴がかき消した。


「あ……ああ……」


 口元に手を当て、遙か前方を見上げるエンテの顔が、恐怖に凍り付いていた。


「雪崩だ……!」


 マークスの声が飛ぶ。

 その時にはもう、全員が事態を把握していた。把握せざるを得なかった。

 氷の壁が音を立てて、遙か登頂から流れ落ちて来ていたのだから。


「『転送』を……! みんな、早く私の傍に……!」

「ダメだ、間に合わねぇ!」


 一か八か、最終手段ともいえる『転送』をリーアが呼びかける。

 しかし、瞬時に猶予時間を計算したバーンが、的確かつ絶望的な回答を弾きだした。

 ああ、死ぬのか。この旅に出て何度目になるのか分からない思いが、カイの脳裏を過ぎった。

 その度に、奇跡としか言いようのない怪奇現象で、一命を取り留めてきたのだが、今回ばかりはどうにもなりそうにもなかった。

 圧倒的な白い波が迫る。地面の揺れに合わせ視界が上下にぶれる中、驚異的な速度で迫っているはずのそれが、やけにゆっくりと見えた。リアルな感覚に、いっそひと思いに終わらせてくれと、感情が弾け飛びそうになる。

 終わりは一瞬だった。一瞬にして、白い世界に飲み込まれる――


「え……?」


 待ち続けてもこない一瞬に、カイは自分が目を瞑っていたことに気付いた。

 立っているのが難しいほどの地揺れは、ぴたりと収まっていた。

 もしや、もう天国に辿り着いたのかと首を捻ったとき、


「こんなところにいたのか、リアロクロエ」


 響いた声は、聞き慣れた声に似ているようで、似ていなかった。

 人が浮かんでいた。

 その人物の影だけが落ちる地面の両脇に、見覚えのある武器を手にした武装兵が、2名降り立つ。

 どちらも銀色のローブに全身をすっぽりと覆い込み、ガスマスクのようなマスクをつけていた。

 両者の中央――その空中に静止する、同じく銀色のローブを羽織った人物が、唖然とする地球人たちを見下ろす。

 風に煽られ、炎のように揺らめく赤髪の下の仮面を、片手で外した。


「……同じ……顔……?」


 あらわになった素顔を見上げ、リーアが呆然と呟いた。

 言葉通り、そこに浮かんでいたのは、リーア=L=クラウンフォルトと同じ顔をした人物だった。

 ただ絶対的に違うのは、その男の持つ、他者を圧倒する雰囲気と――情熱的な赤い髪と、赤い瞳。

 太陽の紅炎(プロミネンス)を掬い上げたような、人にはあり得ない、鮮烈な色彩。

 見る者の意識を奪う、魔性の色。


「随分と探したぞ」


 繊細な雰囲気のあるリーアとは対照的に、野心溢れる鋭い眼が、美しい笑みを象る。


「久しぶりだな、弟よ」


 雪崩は嘘のように調査隊を避け、麓に流れ落ちていた。


「せっかく見つけた最愛の弟が、雪の下敷きになってしまっては、死体を探すのも一苦労だからな」


 明らかに作為的な奇跡を起こした張本人は、礼すら求めず、利己的な理由を口にした。


「な、何者なの!?」


 よく通る声が響き、赤髪のクラウンフォルト伯爵が振り返る。赤い伯爵に銃を向ける女性宇宙飛行士に、武装兵の一人が容赦なく発砲した。

 火花放電(フラッシュオーバー)を思わせる音を立てて、レーザー光線のような閃きが、標的の顔の横を通過する。

 際どい威嚇射撃に、エンテが声もなく蒼白になる。腰を抜かさなかっただけでも見事な勇気である。


第二守人(ノア)を捕らえろ。少しくらいは、傷を付けても構わん。あと――他の地球人は、殺していい」


 赤髪の紅月人は、ふわりと地に降り立ち、王者の威厳を持って命を下した。

 その言葉に従う忠実な兵士の銃口が己に向き、カイは咄嗟に身を捻った。


(間に合わない……!)


 危険を察知したのと同じ本能の部分で、そう自覚する。


「カイ!」


 呼ばれた声は、思っていた以上に近かった。

 自身の身体が、硬い氷の地面に突き飛ばされた時、カイは覆い被さる身体の重みに、自分がとんでもない過ちを犯したことを悟った。


「リーア!」


 バーンが叫ぶ。すぐ胸元で聞こえた苦しげな呻きに、カイは慌てて相手を抱き起こした。


「リーアさん! 怪我……!」

「ただのかすり傷です。これくらい……っ」


 カイを狙って放たれた人工の稲妻が、寸前で庇ったリーアの肩口をかすめたのだ。

 ライフルとボウガンを足して2で割ったような形状のそれは、ティスカが口にしていた、電撃銃という紅月人特有の武器だろう。被害を受けた部分の宇宙服が焼き切れ、その下の肌を抉る火傷痕が目に入った。

 頭が真っ白になりかける。守るべき相手に庇われたことを自責する前に、カイは今、己が何をすべきかを考えた。

 怪我の具合もさることながら、こんな未開の地では、傷口から病原菌が入る恐れの方が怖い。それに、この氷点下の世界で素肌を晒し続ければ、凍傷になる危険性もある。

 当人の言葉通り、傷自体は深刻でないと判断し、カイは宇宙服の応急修理を最優先にした。


「すぐに船に帰って、救護室に……!」

「っ……てめぇ!」


 激高したバーンが兵を殴り倒し、赤髪の男との距離を詰める。


「誰の許可とって手ぇ出した!?」

「俺は王だ」


 胸ぐらを掴み挙げられた男が、鼻を鳴らす。

 その頬に、強烈な左ストレートが飛んだ。


「ロスフランベルカ様!」


 従者が悲鳴を上げる。背中から倒れ込んだロスフランベルカの長い髪が、純白の上に鮮烈な紅を広げた。

 唇に滲んだ血を白い指先で拭い、凍るような美貌が、その凶暴な男を睨みつける。


「――殺せ」


 同じ顔でも、持つ者の心によってこうも違って映るのかと思うような冷徹な顔で、死を宣告した王の命に、二つの銃口が応えた。


「バーン!」


 カイの腕の中で、リーアが叫んだ。

 その瞬間、電子回路がショートするような音と同時に、濁った絶叫が重奏した。

 虚空を走った稲妻が、博士の命を奪おうとした二人の兵士に、天誅を下したのだ。

 断末魔を残し頽れた身体に、もはや生気はなく、落雷による絶命は明らかだった。


(強い……!)


 リーアの身体を抱きしめたまま、カイはその威力に絶句した。

 この星に長く居るせいだろうか。明らかに、以前よりも威力が増している。

 だが、事態はそれだけでは終わらなかった。腕の中で、身を震わせる青年の呼吸が変わる。


「リーアさん……? 大丈夫ですか!?」

「あ……あ……」


 覗き込んだリーアの瞳が、徐々に焦点を失っていく。過呼吸でも起したように喘ぐ唇が何かを訴えようとして――その表情が、苦痛に歪んだ。


「アアアッ……!」


 使役者の悲鳴に呼応するように、稲妻が宙を走る。

 無差別な雷撃が、それ以上人に落ちることはなかったが、それでなくとも地盤の緩くなっている雪山の一角では、それが致命的に危険な状況であることは明白だった。


「リーア、やめろ……!」

「また雪崩を起こす気か? 愚弟が。随分、落ち着きがなくなったものだ」


 兄を気取る男の、呆れた声。

 バーンの制止すら聞こえてないのか、聞こえていても力が制御し切れないのか、雷撃は天の怒りのように、白き世界に降り注いだ。


「カイ! 全員連れてこい!」


 駆け寄ったバーンの意図を察し、カイはリーアを彼に託して、すぐさま散らばる仲間たちを集めた。


「リーア! 帰るぞ! 分かるか? 俺たちの居場所に帰るんだ!」


 抱きしめ、頭を抱えて何度も呼びかける。

 着陸前、錯乱したリーアにやったのと同じようにバーンが宥めると、苦痛に歪んだ白皙が小さく頷いた。

 カイに引きずられて調査隊員が1ケ所に集まった瞬間、光が瞬いた。






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