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ダブルムーン・クライシス  作者: 夜月猫人
第三部 紅き月調査隊
17/38

第十七話 歴史とは、幸運と不運の積み重ねである


 宇宙科学研究開発局(通称SSA)誕生の歴史は、75年前に遡る。




 SSAの創始者は、当時世界一の大富豪と呼ばれた、全くの民間人である。

 名をライオネル=ウッドフォード。人類共有の財産となるべき宇宙開発技術が、国家間の軍事戦略に巻き込まれることを憂えたウッドフォードは、先進国家が本格的に宇宙開発に目を向ける前に、自らの全財産を投資し、厳格な地球共益の理念を掲げた研究団体・SSA(宇宙科学研究開発局)を立ち上げた。

 まだ大気圏を破る無人ロケットの開発すら、現実的でなかった時代である。

 いずれ起こりうる、軍拡主義による宇宙開発競争を予見したのは、その時点ではライオネルだけであった。

 当時の、いわゆる知識層(インテリジェンス)の間では、莫大な開発費用を要する宇宙開発の収益性について、懐疑的な見方が強く、ライオネルの行動を、金持ちの度を超した道楽と見なす意見が多かった。

 だが、その「冷静な目」とは全く違うベクトルで、物事は動いた。

 ウッドフォードの宇宙に対する情熱と、恒久的な世界共益に繋がる理念は、才ある若者たちや熱い夢を抱く支援者たちの共感を呼び、各地から人材が集った。

 やがてSSAは、熱く優秀な才能の宝庫として、世界に一目を置かれるまでの叡智の最高峰へと駆け上がっていくことになる。


 そこまでの過程において、ほとばしる才能と情熱を持つ鋭才集団がもたらした副産物の有益性について、創始者たるライオネル=ウッドフォードが、どこまで見通していたのかは定かではない。

 SSAの歴史は、近代の技術革命の歴史と言っても過言ではない。

 彼らが目指す宇宙開発に必要な多くの先端技術は、あらゆる分野において応用が可能であったため、この国境なき宇宙研究団の存在感が増すにつれ、自国で開発力を持たない小国は、次々と援助と技術提携を申し出た。

 それまで、自国での独自開発を勘案していた大国は、ここに来てようやく、自らが遅きに失したことを悟る。


 彼ら先進大国は、軍事的な必要性からの研究開発を推し進めようとしていたが、軍主導の宇宙開発は民間の理解を得がたく、また、すでにSSAという文民統制型の越境的研究機関が存在していたため、優秀な人材の確保が困難であるという現実を前に、大きな方向転換を迫られた。

 中でも北ディアス大陸北部を支配する大マルクレスト帝国の決断はいち早く、民間組織に技術面で大きく水をあけられた今、自国でリスクを負い、巻き返すより、SSA内での発言力を高める方針に転換し、莫大な資金援助と技術提携に乗り出した。これに対し、大帝国に遅れを取るまいと、残る先進各国も次々に足並みを揃えた。


 そうして先進国を中心に35カ国が、この自己統治型非政府組織のバックアップを担うようになり、金持ちの道楽と揶揄されてから半世紀の時を経て、ライオネル=ウッドフォードが掲げた「地球共益」の概念は、真の意味での完成を見たのである。



 

 そして10年前、国境なき宇宙研究団は、新たなる節目を迎えた。

 世界的不況による予算削減の煽りを受け、有人衛星探査計画が事実上頓挫した。

 これは、一種の「宇宙バブル」の崩壊であり、人類の宇宙に対する情熱と進出速度を、大きく鈍らせる誘因となることは明らかだった。

 そんな中、奇跡は起こった。

 当時大マルクレスト帝国一の大貴族と謳われた富豪クラウンフォルト侯爵家が、多額の資金援助を申し出たのである。

 それは計画中止が囁かれていた最後の第一衛星有人探査計画に限定してのものだったが、この差し伸べられた手によって、宇宙開発史は大きな転機を迎えることになる。


 ウッドフォードとクラウンフォルト。

 もちろん、彼らは100%善意のために投資をしたわけではない。

 だが、それが未来の展望を見据えての判断であったとしても、多大なリスクを負っての決断であったことに違いはない。

 それだけの先見を持った投資家に2度も巡り会った幸運こそが、SSAの、そして現代社会の奇跡だと、今を知る多くの知識層(インテリジェンス)は語る。



 だが、こうも考えられないだろうか。

 歴史とは、幸運と不運の積み重ねである、と。





 瞬間的な光のトンネルを抜けると、途端に視界が暗転した。

 貧血に襲われたような、唐突な嘔吐感。握りしめた手の感触だけを頼りに、カイは苦痛が過ぎ去るのを待った。


「戻……ってきた……?」


 徐々に色の戻った世界は、この1週間強の生活で、嫌気が差すほど見慣れた空間であり、また、涙が出るほど懐かしかった。

 我らがレッドムーン=テイラー3号の、コックピット内。


「皆さん! ご無事だったんですか!?」


 動転した声が飛び込んでくる。入り口を見ると、薄栗色の髪をしたピュラスタが、全表情筋を使いながら駆け寄ってきた。


「あのおかしな光の後、3人の姿だけなくなって心配したんですよ! 一体、どこに……いやそれよりも、どうやって……」

「ちっとは落ち着けって。あとでまとめて説明する。リーア、無事か?」

「……問題ありません」


 重そうにかぶりを振り、身を起こしたリーアの肩をバーンが支える。


「リーア様!? 顔色が……今すぐ救護室へ!」

「結構です。それよりもマークス、彼らに食事を。ヒューストの体力では、そろそろ限界に近いはずです」

「は、はいっ。ただいま!」


 ずれた眼鏡を押さえ、慌てたマークスが、上司を間違えてるのではないかと思うほどの忠実さで指示に従う。

 彼がリーアを見るあの熱っぽい眼差しといい、どうも、この感じには覚えがある。

 僅かにカイが覚えたひっかかりは、形になる前に強烈な空腹によってかき消された。どこから音が出ているのかと思うほどの大音量に、リーアが声を殺して笑う。


「我々が、宇宙船で最後に食事を取ったのが、9時間前。目一杯暴れていましたし、おなかが空くのも当然です。育ち盛りが飲まず食わずでは、いけませんね。私は結構ですので、2人分食べて下さいね」

「皆さん、食事の用意ができましたので、共有スペースへどうぞ」


 図ったようなタイミングで、マークスの声が飛ぶ。

 顔を見合わせ、3人は急ぎ足で食堂に向かった。





「ハルク隊長とトリスタン操縦士は、船外活動中です。現在は、地質調査と捜索を続けています」


 マークスの説明では、レッドムーン=テイラー3号は、地上から伸びた光の帯の直撃を受けた後、まるで瞬間移動でもしたように、山脈の中腹に停船していたらしい。

 全く理解不能な状況ではあったが、幸い船体は無事であったため、3人は行方不明者の捜索と、周辺の調査を続けていたのだという。

 カイとバーンの二人が、がむしゃらに胃を満たしている間に、マークスが共有スペースと続きになっているコックピットに移り、通信回線を開いた。


「こちら、レッドムーン=テイラー3号、マークス=アルバント。応答を」

『こちら、エンテ=トリスタン。どうかしたの?』


 張りのある女の声が、スピーカーを通してコックピット内に響く。


「朗報だ。出来れば、すぐに戻ってきて欲しい。3人が帰ってきた」

『本当……!?』


 普段の取り澄ました声が乱れ、マイク越しに雑音が入る。一緒にいるソマルに、何か話しかけているようだ。


『すぐに戻るわ。ちょうど、この辺りの採集を終えたところよ』

「待っている。まあ逃げることはないだろうから、あまり焦らずに」


 明らかに逸っているエンテに釘を刺すマークスの台詞が終わる前に、荒々しく通信が切られた。

 肩をすくめたマークスが、会話を聞いていたカイに笑みを向けた。


「彼女は、本当に君たちのことを心配していたんだよ。君の顔を見たら、もしかしたら怒るかもしれないけど……まあ、そういうことだから、許してやってくれよ」


 戻ってきた二人が着替え、全員の顔ぶれが揃うのを待って、3人は身をもって体験した〈紅き月〉の実態を説明した。


「とても信じられるものではないな」


 説明を聞いたメンバーの反応は、ソマルのその一言に集約された。

 さもありなん、とカイは思う。


「そんなおとぎ話を信じろと言われるくらいなら、あなた方全員が、集団幻覚に陥っていたと説明される方が、よほど納得できる」

「そうですね。〈紅き月〉の地質調査を進めていく過程で、幻覚作用を及ぼす物質が検出されるかもしれません」


 リーアの言葉はあっさりとしたものだった。無理矢理納得させようという気もないのだろう。

 カイ自身も、あれが全て幻覚だったと言われれば納得してしまいそうな程、現実味のない体験だ。

 それをどう受け取ったのか、ソマルが渋面を作る。


「まあ幻覚かどうかは、こいつを調べていきゃあ分かるだろ」


 そう言ったバーンが取り出したものに、カイは目を見張った。

 透明の袋に入った赤い粉末と、白い石の欠片、そして携帯用の気体採集器だ。


「地下国家内のサンプルですか!? いつの間に……」

「俺を誰だと思ってんだ?」


 にやりと笑う。あの状況で、サンプルを採集する余裕があったとは、ある意味、恐るべき執念である。


「もう2度と行けるかも分かりませんし、貴重な資料を取り逃す手はないですから、ね?」


 そう言ったリーアが取り出した袋には、灰色の人毛と黒い布が入っていた。


「リーアさんも、いつの間に……」

「アレクにお願いしたら、快く頂けましたよ?」

「まあそうでしょうけど」


 あの男が、リーアの頼みを断るとは思えない。更に彼は、青い小瓶に入った液体を振ってみせた。


「湖水もこの通り。さすがに、水中生物のサンプルと資料までは間に合いませんでしたが」

「だからあの時、カイを泳がしときゃ良かったんだよ」

「安全が第一です。人食い鮫でも出てきたらどうするつもりですか」

「大発見じゃねぇか」

「バーン」


 博士の無責任な発言に、リーアが睨みを利かせる。

 二人とも、巻き込まれた風に見せかけて、きっちり自分たちの目的を達していたわけだ。

 研究者というのはかくあるべきか。その場の事態の対処で手一杯だったカイは、やはり運転手兼ボディーガードが関の山なのだろう。


「マルクレンタの欠片と神殿の鉱石、地下の空気だ」

「こちらは、地下国家内で出会った紅月人の毛髪と、服の繊維。そして地底湖の水です。調べれば、それなりに面白い結果が得られそうですよ?」


 二人がソマルに向き直り、説明する。

 隊長は口髭の下の唇を曲げ、呆れとも困惑ともつかぬ表情で、鼻から息を吐き出した。


「……好きにするがいい。そこから先は、あなた方の領域だ」


 そう言って背を向けたソマルを見送り、マークスが複雑な顔でリーアたちを見つめる。

 信じたいという気持ちと、信じられないという気持ちが、ない交ぜになったような表情だった。

 カイは、その隣に佇む女性へと目を向けた。

 同時に、濃藍の瞳がカイを捕らえる。

 心情の読み取れないエンテの目には、ソマルのような明らかな不審はないが、マークスのように戸惑う様子もない。

 ソマルの言葉にさもありなん、と思ったカイではあったが、彼女にだけは信じてもらいたい気がした。

が、なぜそんな風に思ったのかというところまで、カイが思いを巡らせる事はなかった。






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