もつれた糸
つい十数年前の夏まで遡る。
この年は日本史にも刻まれたゲリラ豪雨が発生した年だった。山間部では多数の住民達が鉄砲水や土石流で家々を失った。
さっきまで晴れていたのに、いきなり曇って来たかと思ったら、バケツの水をひっくり返したような激しい夕立が降ってきた。ヒートアイランド現象が日本中を襲った時期だった。
あの夏のあの日も、そんな突然の激しい夕立が、この街にまで来た。
さっきまでの激しい雨が、いきなり水を打ったようにピタリと終わった頃、二つの奇妙な影がひょっこりと家の玄関先に現れたのだ。
「っひ!!」
子泣き爺と上品な砂かけ婆ばが。
これだけでも、幼稚園児だった私にとって、トラウマもの。
母上殿がこの子は関係ないと叫んでいたが、恐怖で立ちすくむ私の腕を掴む二匹の妖怪。
ギャン泣きの私。当時10歳だった兄の綾人はこの時、この妖怪2人を見て失神。
夜も暗闇になると子供2人でギャン泣きするほどのトラウマ。
それ以来、2人ともにホラーや妖怪物映画がダメ。
やっぱり目の調子がおかしいのである。
黒いのが見えてたのが、昨日からは緑や、赤、黄色に変わってる。
一体どうしたんだ私の目。
「ねえ母上殿〜目が疲れたのかな〜なんか糸みたいなのがふわふわ浮かんで見えるんだけど〜綾人兄は?」
「ふぅ〜ん。さ〜ては美由紀。お前、とうとう中二病拗らしたか? 大学生にもなって、そのでっかい目ん玉に虫でも入ったんだろう。そ〜れか、ま〜た怖い夢でも見たとか。ほら、あの子泣き爺と砂かけオババが出てくるやつ」
これは6歳年上の私の兄綾人。のんびりしているからか、おばさま達には癒し系イケメンだと言われてるけど。
私から言わせれば、マイペースな兄だ。見ているこっちがイライラしてくることが多いからね。
子泣き爺&砂かけ婆。これらの単語は、私にとって禁句だ。顔色が一気に青から白に変わるのが自分でもわかる。
それはね〜、指先まですでに真っ白だからさ。
「あ、綾人兄。そ、そんな事ばっかり言ってると、またあの2人が来ちゃうかもね〜」
ガタン
小さな物音にまでビクついてる兄。
私の言葉に綾人兄の顔色まで紙のように白くなった。
やっぱり、綾人兄にとってもあの2人は鬼門なのね。
何馬鹿なこと言ってるの。早くご飯を食べなさいと母上殿にたしなめられた。
テーブルの上では2人ともにこやかに笑顔。
テーブルの下では、壮絶な足喧嘩。
「早く食べなさい!足喧嘩しないの!」
小気味いい音がダイニングルームに今日も響く。
「やっぱ、眼科行ったほうがいいかな?変な長いものが見えるんだよね〜」
ガシャン
私の言葉に普段なら、凛々しい母上殿なのに。この時は、母上殿もそそっかしいところがあるんだと思ってた。
母上殿が棒立ちしてた母上殿が床に散らばってしまった皿の破片を拾い集めてた。
「え?大丈夫?もう、母上殿ったら、どうしたの一体?冷静な母上殿はどこ?」
「美由紀…他の。他の症状はないのね?」
「?うん…たぶん飛蚊症なんだよ。きっと」
右の目をこすったら、また母上殿に心配そうな顔をされた。
「…」
ただの疲れ目だからそんなに心配しなくてもいいのに。「受験勉強のし過ぎなんだろうね」
笑って戯けたけど、母上殿はまだ何か言いたそうな顔してた。




