第五話 召喚の魔法陣へ
柔らかなベッドの中で、腕の中にユーリアを抱いていても、微睡みもなく目は覚める。どうしてこの時間を名残惜しいと思わないのか自分でも不思議だったが、ユーリアを起こさないようにベッドを抜けだすと、俺の意識はもう朝の鍛錬に向いていた。
外の光の入り込まない先代文明の居室では大体の時間も分からない。だが体内時計が早朝であろうと告げている。
俺は部屋を後にして居住棟の外に出た。すると天球は淡く光を反射していて、俺の体内時計が狂っていないことを教えてくれる。
出口のそばに繋がれた馬用のバケツに魔術で水を満たしてやり、ブラシで毛並みを整えてやっていると、いつものようにシャーリエが起き出してきた。
「おはようございます」
「おはよう」
居住棟に移った最初の朝こそ盛大に寝過ごしたシャーリエだったが、そのことを必要ないほど酷く反省して、それ以降はこうしていつも通りの時間に起きてくる。そうして一緒に馬の世話を終えると、かつてそうしていたように一緒に朝の鍛錬を行う。
俺がいない間、テオドールに鍛錬を付き合ってもらっていたというシャーリエは、以前より遥かに強くなっていて、もはや魔術無しの近接戦闘では俺は歯牙にもかからない。そんなシャーリエが次の目標にしたのが、俺から話を聞いた剣鬼レオノーラだった。
「よろしくお願いします!」
シャーリエが声を張り上げる。
彼女との距離は100メートルほどだろうか。魔術の届く範囲ではあるが、精密な攻撃までは出来ない距離であり、シャーリエの持つ短剣の範囲には程遠い。そこからシャーリエは体を低くしたかと思うと、まるで砲弾のようにこちらに向けて駆け出してきた。
身体強化を使ったシャーリエならば10秒もかからずに俺の下に到達するだろう。そうはさせまいと俺は雷撃を彼女に向かって放つ。威力は抑えたが、その速度が変わるわけではない。ほとんどタイムラグは無しに雷撃はシャーリエに飛びかかり、――そして空を切った。
横飛びで雷撃を躱したシャーリエは足を止めない。弧を描くように俺の横に回り込みながらも距離を詰めてくる。その足元を狙って地面に穴を穿つ。その瞬間、シャーリエは反転。穴の一歩手前まで踏み込んだものの、穴を踏み抜くには至らない。
ならばこれなら避けられまいと、風の壁をシャーリエに向けて撃ちだすと、彼女は避ける代わりに防御姿勢を取った。低い姿勢をさらに低く、盾を前に構え、風の壁を正面から受け止める。
シャーリエは何歩かたたらを踏む。足の止まった彼女に向けて再び雷撃の魔術。今度こそ避けきれずに、それでも雷撃は回避行動を取った彼女の足に当たった。
「参りました。うう、びりびりします」
「すぐ治すよ」
シャーリエに治癒魔術をかけながら、俺は驚嘆していた。シャーリエとの距離は開始前の半分以下に狭まっていた。魔術の攻撃を避けながら、彼女は50メートル以上を疾走したことになる。最後の雷撃に関しても紙一重だった。
「すごいな。どうやったら避けられるんだい?」
「わたしはマルク様がどういう魔術をお使いになるか知っていますから、予測して避けているだけです。お話に聞いたレオノーラさんにはとても及びません」
「そうなるのかな」
レオノーラでも風の壁に対しては防御の姿勢を取った。今回のシャーリエとほぼ同じ対処だ。違う点があるとすれば、その防御姿勢からでもレオノーラは雷撃を避けてみせたことだろう。
「魔術は使われる時にほんの少しですが溜めの時間がありますから、攻撃が来ること自体は察知できます。後は目線、でしょうか」
「目線か。そんなところまで見てるんだ」
「戦いの基本ですよ。マルク様」
シャーリエがたしなめるように言う。考えてみれば俺はスキルに頼った戦闘しかしたことがなく、誰かに戦いの基礎を教えてもらったわけではない。テオドールに師事した時間だけシャーリエのほうが先を行っているのだろう。
「じゃあソフィーが俺に戦い方を教えてくれないか」
「わ、わたしが、ですか。そういうことはテオドールさんにお願いしたほうがいいのでは?」
「最近、なかなか起きてこないからなあ」
「分かりました。わたしに出来る範囲でお勤めさせていただきます!」
そういうことで残りの時間はシャーリエから近接戦闘の基礎から教わることになった。しばらくそうしていたら、ユーリアが起き出してきた。
「おはよう、ございます。朝食の、準備を、しますね」
「あ、わたしも手伝います!」
そういうわけで朝の鍛錬はお開きとなった。
「マルク様、今日のご予定は?」
「新しい建物にアタックしようかと思ってる。たぶん、召喚用の魔法陣があるやつだ」
この数日の調査の進捗はお世辞にもいいとは言えないものだった。
最初の居住棟とは違う3つの建物を調査したが、1つは居住棟で、1つは工場のような建物で何を生産していたのかも分からない。最後の1つは建物自体が何のために作られたのかさっぱり分からないままだった。
そして次の建物は俺の記憶が正しければ俺が召喚されたものと同じ建物だ。
「そうですか。気を引き締めなければなりませんね」
「アルマはどうするのかな?」
「ずっと篭もりきりですけれど、そういうことなら今日は同行されるかもしれません」
アレリア先生はというと、ここのところ自室にこもって先代文明の文字の解析に勤しんでいる。だがそちらもさしたる進捗は見受けられないようであった。やはり文字だけからその言語を解析するというのは不可能事に近いのだろう。せめて書物の一冊でも見つかればと思うのだが、言語の解析に使えそうなものはパソコンだけだ。
幸い新たに開かれた部屋のパソコンにはロックがかかっていなかったので、アレリア先生は分からないなりにそれを弄くり回している。そこからなにか進展が生まれればいいのだが。
そんなことを考えている間に、ユーリアとシャーリエの手によって朝食ができあがり、俺はテオドールとアレリア先生を起こしに向かう。流石に直接アレリア先生を起こすのはシャーリエの役割だが、部屋の扉は俺が開けなくてはならない。
今日こそ何か進展があればいいのだが。
「そういうことなら今日は私も付いていこう」
朝食の席で今日は召喚用の魔法陣があると思しき建物を探索することを告げると、アレリア先生はそう言った。
「しかしそうなるとますます慎重にやらなければならないな」
「ああ、変に魔法陣を起動させて誰か召喚してしまうわけにはいかないからな」
先代文明の遺跡を探索する上で最大の憂いがそれであった。
元の世界に戻る方法を探すということは、どうしても召喚用の魔法陣に関わらないわけにはいかないだろう。だがそれは俺やテオドールが召喚されたような事故に繋がらないとも限らない。それを回避するためにも先代文明言語の解析は重要になってくるのだが、ここまで進捗がないのではいかんともしがたい。
「しかし不思議なのは時間の兼ね合いがどうなっているのか、だな」
「時間?」
「君やテオドール、そしてかつて先代文明に召喚された人々は、皆同じ時代の同じ日本という国から召喚されているのだろう? 今ここで新たに誰か召喚されるとして、その誰かはすでに召喚されてしまっていて、出現するのを待っているのか、それとも新たにその時間から1人掬い上げられてくるのか」
「ええと」
アレリア先生の言葉の意味を汲み取るのに少し時間がかかるが、なんとか理解する。結局のところはこの世界の時間の流れと、地球の時間の流れの齟齬ということだ。たぶん。
「どうなっているんだろう?」
俺はテオドールに話を向ける。
「いや、オレに聞くなよ。分かるわけねーだろ」
「まあ、そうだよな」
「あ、そう言われるとちょっと傷つくわ。ちょっと待てよ。……ええと例えばこの星がブラックホールのすぐ傍にあると仮定すれば、時間の流れの違いについて説明がつくだろ」
「また皆に分からないような説明をする」
「仕方ねーだろ。他に思いつかなかったんだよ」
「それはどういうことなんだい?」
やはりというか、食いついてきたのはアレリア先生だ。
「難しい話は全部すっ飛ばすと、時間の流れはその世界のある位置によって一定じゃないということなんだ。だからこの世界では何万年という時間でも、俺たちの元居た世界では一瞬ってこともあり得る、のか? 流石にそれはないだろ」
「空にブラックホールが見えたわけでもないしな。いや、あったとしても見えねーんだろうけど」
その後も益体もない話をして、ようやく俺たちは探索に乗り出すことにした。
いつも通り装備を整える。今のところ先代文明の遺跡で危険な目にあったことはないが、今後もないとは限らない。全員の準備が完了したところで俺たちは目的の建物の前に移動した。
「ここの入口は無事なんだな」
魔法陣に魔力を通して扉を開ける。シュンと音を立てて壁の中に扉が吸い込まれると、屋内からはややひんやりとした空気が流れ出してきた。それとともに屋内に灯りがともされる。
「ひょっとして建物全体が無事だったのか?」
「こいつは大当たりかも知れんな」
「とりあえず例の魔法陣が無事か確かめよう」
これまでの前例から魔法陣は無事だと思われたが、確かめないではいられない。俺たちは記憶を頼りに屋内に歩を進める。しばらく進んだところにその扉はあった。
「開けるぞ」
誰に確認するとも無く呟いて、俺は扉の魔法陣に魔力を流し込んだ。
シュンと扉が壁の中に消えて、部屋の中が明らかになる。
白い壁に覆われた体育館ほどの広さがある部屋。そしてその中央には基板のような魔法陣。
それは見間違えるはずもなく、俺が召喚されたのと同一の造りの部屋だった。
「これがマルク様たちの召喚されたという……」
召喚の魔法陣を見たことのないシャーリエがそう呟く。
「君たちは部屋に入るな。魔法陣を刺激するかも知れん」
アレリア先生がそう言ってシャーリエを伴って部屋の中央へと歩を進める。そしてしばらく魔法陣をつぶさに眺めていたかと思うと、部屋の入り口に戻ってきた。
「間違いない。マルク君を召喚したものと同じ魔法陣だ」
「ということは、後は魔法陣を逆に作用させることができれば、日本に戻れるかもしれないってことか」
「それをどうすればいいのかまったく分からないのがもどかしいところだ」
「試しに魔法陣を起動させるわけにもいかねーしなあ」
「他の害の無い魔法陣で試していくしかあるまい」
「ひとまずここに召喚の魔法陣があることは分かったんだ。他の部屋を調べていこう」
そんなわけでとりあえず隣室に当たる部屋を開ける。
驚いたことにそこは居住棟で見慣れた、居住用の部屋に酷似していた。リビングがあり、キッチンがあり、寝室へと繋がる扉がある。しかし何より居住棟と違っていたのは、テーブルの上には片付けられていないカップが置きっぱなしになっており、ソファには衣服がかけられていたことだ。
明らかな生活痕がそこにはあった。
俺たちは慌てて寝室を確認する。
するとそこにはベッドの代わりに巨大なカプセルが鎮座していて、その透明な上部からはそのカプセルの中で横たわる1人の女性の姿が見えた。
「人だ……」
分かりきったことを口が呟くのを止められなかった。




