第7話 王太子は国より私を選ぶらしい
その異変に最初に気づいたのは、たぶんアシュレイだった。
「……最近、リオン殿下の様子がおかしくありませんか?」
優雅に紅茶を飲みながら、アシュレイがさらりと言った。
昼下がり、私は当たり前のように王城のテラスでお茶をしている。
「前からおかしいでしょ」
「いつもの“リゼ至上主義”ではなく、別方向に壊れ始めています」
「嫌な言い方するなぁ」
私は焼き菓子を齧りながら適当に返した。
「ほら、言ったじゃないですか。これも世界が壊れ始めてる予兆ですよ」
横でノアが、高級なお菓子を美味しそうに頬張りながらうんうんと頷いている。
あのお風呂上がりの交渉から数日。
私はノアを無碍にするのは危険と判断し、“療養”という名目で王城の客室に滞在させることになった。
世界滅亡阻止用の保険として、常に監視できる場所へ置いておきたかったのだ。
ちなみに私自身も、空間崩壊以降はほぼ王城住まいだった。
名目上は王太子妃候補の保護だが、実態は攻略対象たちによる過剰警備である。
「……ところで、なぜこの女が当然のようにここに?」
アシュレイの細い指先が、眼鏡のブリッジを冷ややかに押し上げる。紫の瞳が不機嫌そうに細められた。
「世界になんか起こってるのは本当みたいだし、とりあえず仲良くしてやってよ」
「まぁ……リゼと私の邪魔をしないならいいでしょう。早速邪魔ですが」
あれから数日。
空間の裂け目や魔物の噂は増えていたが、私にはまだどこか他人事だった。
「リゼ」
その時、不意に後ろから抱き締められた。
ふわりと金髪が頬にあたる。
「いた。探したぞ」
「近い近い近い」
リオンだった。
最近のリオンは、以前にも増して距離感が壊れている。
朝起きたらいる。
昼もいる。
夜もいる。
たぶん暇なのだと思う。
「今日の会議、もう終わったの?」
「ああ。途中で抜けてきた」
「は?」
私は思わず振り返った。
端正な顔が目の前にあり、少し動揺する。
「え、王太子って会議の途中退出ありなの?」
「つまらなかったからな」
「子供か?」
アシュレイが静かにティーカップを置く。眼鏡の奥の目は、一切笑っていない。
「……何の会議だったんですか、殿下?」
「北部の魔物被害と、空間の裂け目についてだな」
「途中退出していい内容じゃないですよね?」
「リゼが寂しがっているかと思ってな」
当然のように言うリオン。
やだ、私優先すぎて激重。
可愛い。悪くない。
いや、悪くはないんだけど……。
「重いわ。国政を優先しなさいよ」
「重くない。それに、最近のお前は俺に冷たい」
「いや普通でしょ」
「前はもっと俺だけを見ていただろう」
さすがにめんどくせぇ。
まぁ一度はリオンの単独ルート入ってたからな。
私は軽く受け流そうとしたが、ふと違和感を覚える。
リオンの腕が、妙に強い。
抱き締める力が以前よりずっと強かった。
まるで二度と離さないとでも言うように。
「……リオン?ちょっと痛いんだけど」
「なぁリゼ」
耳元で、低い声が落ちる。
いつもなら『声良い〜』と悶えるはずなのに、何故か得体の知れない寒気が走った。
「もし世界が滅ぶとしても、お前がいれば別によくないか?」
「は?」
一瞬、意味が分からなかった。
見上げたリオンの顔は、酷く真面目で、真顔だった。
「国とか民とか、正直どうでもいい」
「いや王太子」
「お前が隣にいるなら、他はいらない」
ぞわり、とした。
極上の甘い言葉のはずなのに、妙に寒気がする。
アシュレイも完全に笑顔を消し、冷徹な表情で瞳を鋭く尖らせていた。ノアが怪訝な顔でリオンを見る。
「……それ、本気で言ってます?」
「ああ」
リオンは即答した。
「どうせ世界が壊れるなら、俺は最後までリゼといる」
誰も、何も言えなかった。
王太子が、国より一人の少女を選ぶ。
そんな言葉を、本気で口にしている。
テラスを重苦しい沈黙が包んだ。
――バキンッ
その時だった。空から、ガラスが激しく割れるような嫌な音が響いた。
「……っ!」
私たちは同時に空を見上げる。
青空の一部が、硝子みたいに割れていた。
黒い亀裂。そこから、どろりとした闇が滲み出している。
直後、遠くの城下から無数の悲鳴が上がった。
「またですか……!」
ノアがガタッと椅子を蹴って立ち上がる。
最近多発している“空間崩壊”だった。
激しい足音と共に、息を切らしたガレスがテラスへ飛び込んできた。
額には汗が滲み、その顔には疲労と焦燥が色濃く浮かんでいる。
騎士団は、急増した魔物への対応に連日追われていた。
「殿下!街に魔物が――すぐに避難指示と、騎士団への出撃命令を――!」
「後にしろ」
リオンは一瞥もくれず、冷たく言い放った。
「は……? 殿下、何を――」
ガレスの顔が驚愕に染まる。
リオンは空の異変にも、ガレスの報告にも目もくれず、ただ腕の中の私だけを凝視していた。その瞳には、私の姿しか映っていない。
「リゼ、怖くないか? 大丈夫だ、俺が守ってやるからな」
ぞくり、と背筋が完全に冷え切る。
……あれ?
これ、思ったより、笑えないレベルでまずくない?
青ざめたノアと、目が合う。
「……シナリオ崩壊の影響で、リゼのチート能力が暴走しているのでは……?」
ノアが戦慄したように呟く。
少し前なら、『大げさだなぁ』と笑い飛ばしていただろう。
でも、目の前にいるリオンは――王太子としての責任も、プライドも、すべてを投げ出して私だけに執着しており、明らかに普通じゃない。
「……リオン、王太子が『国なんてどうでもいい』はまずいでしょ」
「どうして?」
本気で理解できないという顔だった。
「だって俺は、お前さえいればそれで幸せなんだ」
いつものように、甘く、美しく笑う。
なのにその笑顔を見た瞬間、私は――この世界に転生して初めて、本気で嫌な予感を覚えたのだった。
《対象:リオン・アークライト》
《警告》
《感情誘導:制御不能》
《執着――増幅中》




