95.〈砂痒〉星系外惑星系―2『戦闘空域哨戒、あるいは豚の放牧/要員篇―2』
垢黒い……、もとい、赤黒い照明の下、実村曹長とふたり歩いていく。
足下からは依然、ドヴゥン……ドヴゥン……と液体が粘く撥ねる音――自分がたてる歩行音が聞こえてくる。
と言うか、他にはなんの音もしない。
耳につたわってくるのは、これまた自分自身の呼吸音のみ。外界を完全に隔絶し、密閉されてあるヘルメット内部でシュコーシュコーとくぐもって響く呼吸音だけだ。
天井や壁は腐った肉色――そうとでも言うしかない薄汚れた色の液体? ゴム? みたいな見かけをした『なにか』でゴツゴツ分厚く覆われていて、まるで鍾乳洞のような感じになっている。
まぁ、『なにか』なんて今更ボカして言わなくったって、正体はわかっているけども。
でも、『なにか』なんて殊更、表現をボカしたくもなるんだよねぇ、その正体のこと。
何故って、
室内を照らす照明の演色、その初期設定がどうなってたとかまでは知らない。でも、この部屋が居住者を迎え入れる以前の、新品だった当時は、ここも艦内の他の部屋と同じつくりだったろうのは間違いない。
軍令部? 艦政本部?――アタシにはよくわかんないけど、どっちにしたってわざわざフネの一部分だけ(不潔穢く&不気味悪く)カスタマイズする道理がないんだもの。
――でしょ?
まぁ、あの人外漢という存在が、不潔穢く&不気味悪い環境を好んでる、もしくはそういう環境ででしか生きられないとか理由があって、かつ、それを叶えてやるだけの価値があるとかだったら別だけど、常識的に考えてあり得ないよね。
だから、この部屋だって、完成当初は金属と樹脂で構成された近代的、文明的、ちょっと寒々しいほど機械的であっても、いわゆる『健康で文化的な最低限度の生活』を送れるつくりになってた事はまず間違いない。
こんな、まるで超・巨大な生き物の内臓の内部を見ているような……、腐肉色した鍾乳洞に潜っているような、そんな気分になってしまう、おどろおどろしいつくりの部屋を連中のために宇宙軍が用意したなんて事は絶対絶対あり得ないんだ。
つまり?
にもかかわらず、現状がこうなってるっていうのは一重にも二重にもこの部屋を住まいとしてあてがわれた居住者たちが原因。
おろしたての新品時点じゃ清潔だった室内を人外漢たちが汚染した結果こうなったとするのがもっとも妥当という事になる。
ま、
とは言え、別に積極的に『何か』をしたワケじゃないんでしょう。
人外漢たちは、そこに『存在』していただけ。生活していただけ。
でも、それによって引き起こされた環境変化は正真正銘最低最悪。
環境変化というより環境破壊。破滅的かつ奇々怪々なケミストリ。
その原因はといえば、人外漢たちが例外なく超・デブデブなこと。
メタボとかダイエットなんて言葉が虚しくなるほど肥ってる一事。
つまり、膨大な量の贅肉、脂肪を身にまとってるせいで人外漢たちは皆一様に体温が高く、体外に発散する湿度も高い。
有り体に言うなら、身体の表面には常に湯気がたちのぼり、汗か脂か、分泌された液体でテラテラぬらぬら光っている。
吐き出す呼気は、湯気か陽炎か白い霞をともなって宙にさまよい、照明の明かりを屈折させて、その存在を視覚化する。
そんなのが何匹……、もとい、何人もひとつ所に集められているワケだから、分泌された液体もチリ積も状態。トータルされれば、まさしく豚でもない量。
で、
それら、汗、呼気、その他老廃物由来の汚水(蒸気)が天井といわず壁といわず部屋中いたる所に付着していくことになる。
それらは艦内の重力に引かれ最終的には床に落ちるが、天井や壁に付着したそれは滴る経路に汚れ成分をなすりつけていく。
あとはその繰り返し。
さっき鍾乳洞の中みたいって言ったけど、マヂでそれ。
これって、もぉ、まんま鍾乳洞の形成過程なんだよね。
天井や壁は、より固体にちかい成分が分離され取り残されるかたちで筋をひき、
床は、ほぼ液体のみとなった成分がしだいに水嵩を増すかたちで覆われてゆく。
もはや、『男やもめにウジがわく』とかそんなレベルは遙かに通り過ぎてるでしょ?
お片付けが出来ない、ちらかし魔――そうした段じゃ全然ないんだ。信じらんない。
ホント人外漢連中ときたら、存在そのものが産業廃棄物と言うか、歩く生ゴミと言うか、このまま更に時間がたったら、室内に石筍もどきとか鍾乳石もどきとかまで出来たりするのかなぁ。ヤだなぁ。
「気を抜かないで。足下に注意して」
げんなりしてたら前を行く実村曹長からお叱り(?)が入った。
「は、はいッ!」と反射的に返事をかえすと同時に背筋が伸びる。
背中に眼がついてます? それとも気配を読んだ? ヤだなぁ。
「水面下に何か落ちてるかもしれない。逆に窪みがあるかも知れない。直接視認できない障害物があるかもだから歩行は十分以上に慎重に。万一、コケたら機材が汚油で壊れる危険があるわよ」
最悪、倍力機能がイカれて防弾衣が動かなくなる。その場合、ウィンチで力まかせに引きずられるしか脱出手段がなくなるからね。全身、汚油まみれになるわよ――そう付け足された。
「わ、わかりました!」
背筋に氷が生じるのを感じながらアタシは声を張り上げた。
人外漢たちが分泌する、臭いは幸い(遮断されてるから)わからないけど、見かけは廃油よりも穢い汚油――踝よりも上の箇所まで達する深さの液体その中に、転倒でもしようものなら、最悪、防弾衣が故障し身動きできなくなってしまう。
そしたら前室天井部から自分自身の首根っこにまで伸び、繋がっているワイヤーをウィンチで巻き取り、安全圏まで引っ張り上げてもらうしかない。
他の場所だったら、あるいは実村曹長がアタシをお姫様だっこするとか出来るかもだけど、ここではムリ。
そんな事をしたら二重遭難の危険さえある。
だから、そうなってしまった場合は安全第一で前室天井部に設置されてるウィンチを使うしかない。
横倒しになり、汚油につかって、身動きできない防弾衣の中におさまったまま、頭の天辺から船首波みたいな波を蹴立て、一路そこから降りてきた前室の上降口までずっと引きずられていく……。
『ウィンチで力まかせに引きずられる』事になっちゃうワケだ。
ヤだ!
そんなの絶ッ……ッ対に、ヤ・だ!!
想像するだけでもさぶイボが出る!
一体なにが哀しゅうて、アクアレジャーで定番のトーイングチューブまがいに汚油の中をひきずられなきゃならんの!?
そんなことになったらPTSD――一生尾を引く感じでトラウマるわ!
この防弾衣のことを〈鋼鉄の処女〉と呼ぶのもむべなるかな、だよ!
って言うかサぁ、
そもそもがそう。
そうなんだよね。
人外漢たちが起居するこの部屋――飛行(一)科の要員室が、厳重な上にも厳重な、いっそ封印といってもいいレベルで隔離されているにもかかわらず、アタシたち一般フツーの人間の居住区画にまで内部にこもった臭気は漏れ出てきてた。
ここに立ち入るためにフツーの船外服より更に気密性、耐毒性、耐久性の高い、元はと言えば戦闘装備の九二式防弾衣を着用しているのも、
そして、なんなら、入室の事前準備としてエアロックばりに前室の空気を完全に抜いて真空状態――緩衝区画にしたのもその対策。
とにかく、飛行(一)科要員室内の空気、臭気、瘴気がコッチの世界に混入しないさせない為の念には念の用心だった。
でもって、厄介きわまりない事に、拡散性はともかく、液体の方も気体と同じで、やたらと浸透力が高いんだ。
シールドが施されてても電子部品や関節部分なんかは要注意。汚油が浸みたら壊れてしまう。
だから、船外作業や主機まわりの点検修理といった危険な作業をおこなうために、このフネには多数の半自律作業機械が備えられているのに、ここではそれらは使えない。
何故って、壊れてしまうから。
正直、極限環境作業用の機械が故障する環境って何それ? と思わないでもないけど、でも仕方ない。
レッドカードで引っ張られるまで手伝っていた実家の仕事――農作業でだって機械は壊れてたもんね。
軍隊も農業もそこは変わらない。技術の未熟を嘆くか、人間の優越を誇るかは人それぞれだろうけど。
で、結局、高性能、多機能をうたった機械の代わりに人間が自身の力でもって作業をするハメになる。
3K業務もここにきわまれり。
手当は出るけど割に合わない。
いくら兵隊でもあんまりだよ。
こんなの絶対おかしいってば。
と、
「熱感知に反応アリ――いたよ!」
実村曹長が鋭い口調で、でも声をひそめてそう言ってきた。
探知情報がリンクで自動共有され、アタシのHMD上にも赤い輝点として表示される。
いた。(いなくてもいいのに)確かにいた。前方やや右。ソファーの向こう側、かな?
照明はあるけど器具が脂で覆われほぼ役立たず。だから目視だけだと目標発見はムリ。
迷路の中を手探りしているも同然なんで、捜索には探知機器の使用が不可欠なのよね。
なにせ歩くだけでも足下は覚束ないから機械の補助がなければ後にも先にも進めない。
もぉね、ぶっちゃけちゃうと迷路の中を手探りしてるような案配なんだよ、危険危険。
……まぁ、ホントに危険なのは、人外漢を発見した、これから先の展開&作業だけども。 その証拠に輝点の色は『赤』――すなわち、『敵』を意味する色になってるでしょう?
あぁ、もぉ。ヤレヤレ……。
「個体識別コードは〈脂身〉……と、もとい、〈鏑木〉瀆尉」
IFF?――センサが読み取った探知対象の情報を実村曹長が声に出して読み上げる。
ただその際、ウッカリしてか、それとも故意にか、見つけた人外漢の名を間違えた。
普段そう呼んでるからかも知れないけれど、いや、まず間違いなくワザとだろうな。
「了解です。給餌準備にかかります」
アタシは返事をかえすと防弾衣の腰部にセットされてるラックを開く。
給餌――そこに仕舞われている人外漢たちの専用糧食を取り出す為だ。
今現在、このフネに乗り組んでいる艦載機搭乗員こと人外漢は総数三。
鏑木、垂水、久坂の三体だけれど、ハッキリ言って見分けがつかない。
よく、デブには首が無いなんて言われるけれど、人外漢には頭がない。
一般的なデブの首と同様、頭部は贅肉と脂肪のむくみに埋没している。
だから、顔つきから個体の判別なんて出来やしないし、体格も相似形。
なのに、(ナマイキな事には)食の好みは一体一体ちがうんだよなぁ。
というワケで、
センサをはじめの電子機器類で、その人外漢が誰であるかは精査する。
でもって、『捕獲』作業については担当の兵が毒餌でもって実行する。
その毒餌を用意するのはもちろん主計科員たちの務め、役割、お仕事。
そういう流れになってるの。
名付けて、『ゴ○ブリほいほい』作戦!
……って、ヤだよぉ。
〈鋼鉄の処女〉といい、この作戦(?)名といい、なんか悪意を感じるくらいにヒドくない?
アタシは、そんなことを思いつつ、そぉっと腰をかがめて中に毒ガスか生物兵器でも入ってんのかってくらいに厳重な梱包をほどこされた糧食パックを開封すると、ポイ、と前方の床に放り投げた。




