82.〈砂痒〉星系外縁部―20『Trick Art of War―1』
『♪Pi……、Pi……、Pi……、Po~~n♪ 間もなく非在場の展張が解除されます。乗員の皆様、どうもお疲れ様でした。繰り返します。間もなく……』
これまでずっと流れていたBGMがやみ、艦内環境監視装置がやさしく落ち着いた口調でナルフィールド展帳解除をアナウンスする。
やっと、と言うか、村雨艦長が定めた時間――二日の慰労休暇(?)が終わりを迎えたのだ。
それが無為であったか、不幸に繋がっているかは、これからわかることだろう。
いずれにしてもマイナスなことは変わらないだろうが……。
「センサー群、外部情報入力、恢復します。入力明瞭度は、毎秒平均3200情報単位にて向上しアリ」
自らのコンソールを睨んで、稲村船務長。
艦内艦橋監視装置が、『乗員各員は、心身健常度のチェックをお願いします。異常を認識した場合は、ただちに――』と、なおもメッセージを流し続けているのをよそに早くも変化しはじめた艦の状況をレポートした。
「本艦、現在位置の座標を確認。予測位置とのズレは軽微。計測された誤差は、本艦進行方向に対してマイナス約二〇〇〇万キロ。本艦航行情報を修正――完了」
埴生航法長も、それにまた続く。
戦術ディスプレイを見つめながら、てきぱきと航行情報のアップデート作業をすすめている。
片方の眉をわずかに持ち上げたのは、予測と実測の差に納得したのか、それとも不満だったのか。
二〇〇〇万キロといえば、かなりな距離と思えるが、恒星系内といえど宇宙は広大無辺である。
減速してなお、〈あやせ〉の現在の艦速からすれば、それは、ほんの十分弱で航過してしまう距離でしかない。
実質、計算と実測のあいだに差はないに等しかった。
しかし、それをどう評価するかは、あくまで埴生航法長しだいである。
職人気質であるからだろうか、そうした僅少な差異さえ不本意だったのかも知れない。
(……〈砂痒〉からは約一二〇億キロ。偵察目標の〈香浦〉からは、およそ七〇億キロか)
自らもデータをディスプレイ上に確認しながら、難波副長も想をめぐらせている。
主星からの距離、最初の偵察目標である惑星からの距離――それらをキィに、具体的なイメージを脳裡に描きだそうとしていた。
(ナルフィールドによって外界から隔絶された状態で、八〇億キロほど進んだことになるわけね。さて、もういい加減、〈LEGIS〉の対応も、厳しいものに変わってしまう頃合いか……)
そこまで考え、「主計長」と、後藤中尉に呼びかける。
「はい」
「乗員の中で調子をくずした者はいる? 心身健常度に負の判定がでた者は?」
ほぼ丸二日間という、およそ考えられない程の長期間、ナルフィールドを連続使用することで、〈あやせ〉はここまでやって来た。
早々に機雷堰――〈LEGIS〉による星系入域審査を済ませておくべきだったとの思いは今なおあるが、ともあれ、唯一、そのおかげでと言って良いのか、現状、〈あやせ〉は無傷である。
しかし、機械はそうでも、それを動かす人間の方はわからない。
異常なほど長く、心身双方が負荷にさらされ続けたのだ。
これからが本番――それも、村雨艦長の愚行によって、当初よりはるかに状況が悪化してしまった状態で、〈LEGIS〉の審査を受けなければならないのである。
まともに働けないどころか、病室送りとせねばならないような乗員――不安材料をかかえて事にあたるワケにはいかなかった。
「本艦全乗員の心身健常度測定は、検査基準を『暫定』、『厳密度』は『C』にて実行中。現在は、収集データの分析、評価段階にあります。診察精度は医官による印象判定プラス程度にとどまりますが、これまでに異常が検出された者はありません。目安程度であるにせよ、『問題ナシ』と言って構わないものと自分は判断いたします」
そうした難波副長の懸念を察してか、後藤主計長は、早くも乗員心身に関する検査を開始し、かなりアバウトにであれ、『安全』だとの答を返してきた。
指示命令を待つまでもなく、先回りして為すべき事に着手していたのだ。彼女に限ったはなしではないが、出来た部下である。
難波副長は、頷いた。
「結構。――砲雷長、ナルフィールド発生装置の状態は、どうなっている?」
次いで、鳥飼砲雷長に、つい今しがたまで作動していたバリアーに関する質問をする。
スペースワープ航法を駆使する航宙船が張りめぐらせる重力場バリアー――ナルフィールドに匹敵するとされる強固な防御力場よりも、搭載艦に対する要求リソース、また発生装置自体がこうむる負担が小さいといっても、なにしろ連続稼働時間が長すぎる。
二日間もそれを展張させつづけたなどというのは、およそ前代未聞だ。
乗員の負担はよく言われるところだが、機械の方も限界を超えている。
何らかの障害が発生している可能性を考慮しておかねばならなかった。
「ダメっす」
鳥飼砲雷長は答えた。
難波副長の目許が、かすかに震えるのを見てとったのか、(慌てたように)付け加える。
「あ、あ、故障してはいないっす。事前に動作設定が、フルパワーにはならないようにされていて、展張狂度が、『微弱~弱』程度にとどめられていたから機械的な損耗、ないしトラブルが起きるところまではいかなかったようっす。が、如何にせん、作動時間が明らかに長すぎ。ジェネレーター内の常軌圧が、ほぼ制限スレスレにまで上がってしまってるっす。クールダウン、また再起動には応分以上の時間がかかるんじゃねぇかと」
「つまり、ふたたび使用可能となるまでの時間がわからないという事?」
「はい。申し訳ありませんっす」
頭をさげる砲雷長に、難波副長は、かるく手を振って見せた。
「いいわ。貴女のせいじゃない。でも、そうね。防御戦闘のプランは、ナルフィールド無しでおこなわなければならないというわけね。――どう?」
戦闘計画の確認をする。
「最悪、本艦を待ち受けるのは、索敵機雷のGauntletってワケっすね。フン。大船に乗った感じで、とまでは言えないっすが、俺も化猫狩人の末裔――まぁ、まかせておいてほしいっす。絶対、何とかしてみせるっす」
最終的な切り札とも言うべきものが使えなくなったというのに、鳥飼砲雷長は、不敵にそう言ってのけた。
出身惑星で猛威を振るった妖異な獣を狩る者たち、自分はその子孫である――その誇りにかけてと、ニヤリとわらってみせたのだった。
そうして、難波副長が、自艦、それから艦周辺についてを把握しようと務めている間にも、〈あやせ〉をとりまく状況は、刻一刻と動いている。
ジェネレーターが止まったことにより、展張状態の維持ができなくなったナルフィールドは、徐々に徐々にその狂度を弱め、薄れて、消えてゆきつつあった。
あまた重なっている多層の皮膜が、一枚、また一枚と薄皮を剥いて剥がれていくように、ナルフィールド――常空間と〈あやせ〉の間を隔てていた空間断層が弱く、落差がなくなっていって、元の通りに常空間と繋がろうとしている。
「本艦より放出せるプローブ各機との通信恢復」
狩屋飛行長が言った。
〈あやせ〉がナルフィールドを展張する直前――制動噴射をおこなう準備として為された旋回頭実施時点で、その遠心力を利用し艦外へ放出したプローブ三基との回線が復旧したと報告してきた。
母艦の方は、何の予告も説明もなく、ナルフィールドをもちいて雲隠れ(にもなっていない逃走行為)などしたものの、プローブそのものには何の攻撃能力も無いことから、〈LEGIS〉は、それらを放置していた。
結果、プローブのすべては無事であり、〈あやせ〉が減速噴射をおこなったことから、そのいずれもが針路の前方――〈あやせ〉に先行する位置にあったのだ。
「プローブ〈A〉、〈B〉、〈C〉――全基の針路は正常。つづけて全機のセンサーチェック、通信機チェック、推進器チェック。オールグリーン。機器類動作に異常ナシ」
プローブから送られてくるテレメトリ情報を精査し、各種機能のテストをあわせて指示。送り返されきたデータ一覧を確認しつつ、飛行長は結果を読みあげてゆく。
と、
「本艦近傍空間の視程恢復。現時点の通信状態、感度は星系内標準明瞭度プラス。なおも改善しつつアリ」
稲村船務長が、自分のコンソールと向き合い、そう状況報告をしている途中で、目付きを急に険しいものにした。
「〈LEGIS〉よりの信号を受信! 入域審査手続き開始の至急勧告です」
そう叫ぶ。
「了承する旨、返答を」
とうとう来た――そう思いながら、難波副長は指示をだす。
冷たい汗がにじむのを感じるが、通達が送られてくるのなら向こうはまだこちらを攻撃する判断をくだしてはないと自分に言い聞かせる。
その判断の根拠が村雨艦長のセリフ――自分の悪さを言い抜けするため口にした、『(空間リターダに索敵機雷を)何基か引っかけちゃったって、相手は機械――人間みたく喜怒哀楽があるワケでなし、別に対応が変わったりなんかしないって』というのは癪にさわるが、仕方がない。
難波副長は、通話のカフを全艦一斉通達に切り替える。
「総員、傾聴。こちらは副長」
努めて意識して落ち着きを声にのせ、話しはじめた。
「本艦の現状をまずは伝えておく。――現在、本艦状況は、展張されていたナルフィールドを解除し、周辺空間をふくめ常態へと復しつつある段階である。長期間の展張により健常状態に異常をきたした乗員はナシ。装備類、機器類の動作についても同じ。ただし、ナルフィールドの発生装置については、再起動、再使用可能となるまでに、かなりな時間を必要とする。即座の展張はおこなえない」
「そして」と続けて、
「そして、つい今しがた〈砂痒〉星系機雷堰との再接触が生じた。機雷堰側は、再度の本艦入域審査実行の受け入れを要求してきている。当然、これは受け入れるつもりであるが、不測の事態がおきる可能性については、やはり、前回同様、予断を許さない」
(いや、実際には、不測の事態がおきる可能性は、より高いものへと悪化している可能性が高いのではないか……)
内心のそんな思いは押し殺し、声を張り上げた。
「仕切り直しだ。何が起きるとは思ってもいないが、仮に何が起こったとしても確実に対応できるよう、各員の働きに期待する。――以上だ」
淡々とした口調を保ちつつ、通達を終えた。
ふたたびカフを操作する、その耳許に、背後から「え~~!?」と、ブーイングにも似た声が微かに聞こえたようにも思ったが、きっと錯覚、気のせいであるに違いない。
振り向くことも、ピクリと肩を揺らすこともなく、その一切を難波副長は無視したのだった。




